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■関西ウーマンインタビュー(お店オーナー)


野口 育恵さん(「patisserie COCORO」パティスリーシェフ)

「今、ここで」というタイミングの大切さ

野口 育恵さん
「patisserie COCORO」パティスリーシェフ
阪急西宮北口駅から歩いて20分ほど、住宅街の中にある洋菓子専門店「patisserie COCORO」。店内にはクッキーやスコーン、パウンドケーキ、タルト、ケーキ、プリンなど、丁寧につくり上げられた美しい洋菓子が並び、喫茶スペースでは季節のデザートプレートを楽しむことができます。

ご夫妻で同店を営む、パティスリーシェフの野口育恵さん。製菓専門学校卒業後、パティスリーに勤務するも、入社から3年ほどで体調を崩して転職することに。以降9年ほど事務職に就いていた時期があったそうです。

年齢や体調、状況などを考えると、「もう、お菓子づくりの世界に戻るのは無理かもしれない」と諦めかけていたという野口さん。「あのまま行動に移さずにいたら、今頃は『ちょっとお菓子づくりが上手なお母さん』だったかもしれません」と当時を振り返ります。

そんな野口さんが再び、お菓子づくりの世界に戻るきっかけは何だったのでしょうか?
お菓子づくりの奥深い世界にひき込まれ
友だちに誘われて参加した製菓専門学校の体験入学が、お菓子づくりの世界に入るきっかけだったそうですね。
そうなんです。友だちから「夏休みに大阪の製菓専門学校に体験入学に行くから、ついてきて」と誘われたのがきっかけでした。

当時の私は、高校3年生の夏休みになっても、自分がしたいことが見つからなくて、卒業後の進路を決められずにいました。家族からは「できれば、鹿児島にいてほしい」と言われていたので、「地元といえば、ホテルなど観光系かな?」「長く仕事ができるように資格を取るなら医療系かな?」と、ぼんやりと考えるばかりでした。

体験入学についても、飛行機代を半額出してもらえるということだったので、「友だちと大阪旅行にいけてラッキー!」という感じで行ったんです。
もともと、お菓子づくりが好きだったり興味があったりしたのですか?
母がプリンやゼリーなどを手づくりしてくれることがあり、家にはお菓子づくりに必要な器具が揃っていたので、私も高校生の頃にたまにガトーショコラをつくることがありました。材料を混ぜて焼くだけで簡単にできるからつくっていただけで、特別な思い入れはなかったんです。

それが、体験入学で先生方の実演を見て、お菓子づくりはこんなにも奥深いものだったんだとびっくりしました。

クリームの入ったボールをまるで使用前の状態に戻すかのように、ゴムベラでクリームをきれいに取っておられて、その技術も、素材を大切にする気持ちも、すごいなって。主に、卵、バター、粉、砂糖というシンプルな材料から、こんなにもいろんな種類のお菓子がつくられているのも、すごい。

「混ぜて焼くだけで簡単」と思っていたお菓子づくりが、実は技術や段取り、レシピなど一つひとつが考え込まれていることを知りました。

私もこの奥深い世界に入りたい。地元を飛び出して、その製菓専門学校に進学しました。
実際に入学してからも、その道に迷いはなかったんですか?
学び始めてからも、「こんなにも奥深いんだ」という発見の連続です。

レシピ通りにつくればいつも同じ仕上がりになるわけではなく、季節や土地の気候、その日の気温・湿度などさまざまな影響を受けます。また、シュークリームなどお菓子の一つひとつには誕生した背景や歴史があり、それぞれの国の文化も見えてきました。

もっと知りたいという気持ちはどんどん膨らみ、尽きることがなかったんです。

卒業後は、数店舗の喫茶店を展開する会社に就職し、パティスリーに配属されました。朝早くから夜遅くまで、ケーキをつくる日々。「太陽を見たのはいつだろう?」と思うくらい忙しかったのですが、「給料をいただきながら、学べるなんてラッキー」と思って働いていたんです。

それが入社から2年ほど経ったある日、店舗専属のパティシエとして新店舗のケーキづくりを1人で任されることになりました。パティシエとして一人前になるには10年ほどの修業期間が必要と聞いていたので、もといた場所で先輩に教えてもらいながら働きたいという気持ちがあったのですが、そうできず。

店舗で働き始めると、ケーキづくりのほかに、接客や店長代理としての役割も担うことがあり、その役割に対するプレッシャーが大きかったんだと思います。

水も受け付けないくらいに胃が痛くなる症状が続き、何も食べられなくなって体重も減り、体力も衰え、まわりから見て勤務を続けられる状態ではなくなってしまったんです。私としては続けたかったけれど、新店舗担当になって1年で退職することになってしまいました。
続けたい気持ちがありながら、続けられない状態になってしまったのですね。
この時の体験がトラウマみたいに残ってしまい、すぐにほかのパティスリーへとはなれませんでした。いったん、身体も気持ちも生活も立て直すため、派遣スタッフとして働くことにしたんです。

「また、ご縁があったら製菓業界に戻れるかな」と思っていたものの、派遣スタッフとして職場を転々としながら事務の仕事をして5年。その間に結婚もして、気づいたら26歳になっていました。

製菓業界では、20代前半なら新人として1からスタートを切り直せるかもしれませんが、20代半ばになると正社員としての再就職が難しいという印象がありました。結婚もしたので、独身時代のようなハードな働き方もできません。

この頃にはもう、お菓子づくりの世界に戻るのは無理かもしれないと諦めていたように思います。
やっぱりお菓子づくりを仕事にしたい
諦めかけていた製菓業界に戻るきっかけは何だったのですか?
「ぐるっと1周まわって、ここで戻ってきたかー」という出来事があったんです。

派遣先で、大学や専門学校の情報誌の営業アシスタントをすることになり、面談担当者が私の履歴書を見て、「じゃあ、出身校の担当も」ということで、母校の製菓専門学校を担当することになりました。

お菓子のことは楽しいですし、母校には思い入れもありますから、プレゼン資料にも自然と力が入ります。資料を見た営業担当者から「お菓子をつくりたいんだね」と言われるくらい、好きが溢れ出てしまっていたようなんです。

その後、妊娠を機に退職することになったのですが、営業担当者が出産後の再就職先として母校との間を取り持ってくれました。
すごい巡り合わせで、母校に、製菓業界に、戻ってこられたのですね。
息子が0歳10カ月の時に仕事復帰して、母校の広報部に配属されることになりました。

「お菓子が好き」という学生に会うと、私もつくりたくてうずうず。学校PRとして、高校でお菓子づくりのデモンストレーションを行う時も、アシスタントにつきながら、やっぱりつくりたくてうずうず。

入社して半年が経ったある日、私が在学時の担任の先生と校内で再会しました。先生は退職されていたのですが、通信教育の採点などに関わっておられ、たまたま来校されていたんです。

先生に「また、お菓子がつくりたいと思っているんです」と話したら、「お菓子教室をしているから、おいでよ」と声をかけてもらい、先生の教室でお菓子づくりを基礎から学び直すことにしました。

学び直し始めると、「つくりたい! つくらなきゃ!」という気持ちになるから、家でもつくるように。そうしていると、パン教室を主宰する友人が、教室で提供するお菓子を依頼してくれたので、お菓子づくりを仕事としてするようになったんです。

その友人が「お菓子をこんなふうに販売することもできるよ」「今度こんなイベントがあるから出店してみたら」といろいろなアドバイスをしてくれたので、次のステップとしてイベントに出店しました。

仕事にしていこうと、次はネット販売をしてみることに。製造環境を整えるため、2012年に自宅近くに工房を構え、「sweets labo COCORO」という屋号を掲げました。

以降は、引き続きイベントに出店しながら、ネットで「今月のお菓子セット」を販売。そのうち、カフェなどでの委託販売、ケーキやお菓子の受注販売、ウェディングプランナーからの依頼など、仕事の幅が広がっていきました。

お客さまからの声をいただくようになると、もっといろんなお菓子について学びたくなって、専門学校時代の先輩などさまざまなお菓子職人のところに学びに行くようになり、学ぶとつくりたくなるから(笑)。

受注分以外にもケーキなどの生菓子をつくって販売してみたくなって、生菓子は日持ちしないから、ネット販売は無理となると、「じゃあ、工房を店舗として開放してみようか」と、2017年から金土だけ、実店舗としてオープンするようになりました。

今の場所に移転してきたのは、2019年のことです。駅から離れた場所のため、わざわざ来ていただくことになるので、喫茶スペースを設け、「patisserie COCORO」としてリニューアルオープンしました。
まずはご友人の教室で提供するところから始めて、イベント出店、ネット販売、2日間だけの実店舗と、少しずつ積み重ねてこられて、現在に至られたのですね。

お菓子づくりを仕事にしよう、お店を持とうと思われたのは、いつだったのですか?
母校に再就職する前にはすでに、お菓子づくりを仕事にしたいと思っていました。出産後、自分自身のこれからについて考えることがあったからです。

たとえば、出産前まで忙しく働いてきた反動もあってか、ふと「私って何もないな」という気持ちになりました。「万が一、何かあった場合、この子を守れるくらい、自分で何かできるようになりたい」など考える中で、私にできることといえば、お菓子づくりかなって。

また、子育てをしながら働く上で、私自身、子どもの頃に見た父と母の働く姿を覚えているから。忙しくしていても、好きなことをして、イキイキと働く姿を、息子に見せたいと思いました。その時も、自分が好きなことといえば、お菓子づくりかなと思い至ったんです。

先生の教室で学び直し始めた時点で、お菓子づくりを仕事にしようという心は決まっていました。

ただ、パティスリーに就職するのは、子育てをしながらの状況では無理だと思っていたので、自分のスタイルを確立するしかないと思っていたんです。学び直す中で、自分のお菓子づくりの方向性やコンセプトを見出していきました。
野口さんが見出したお菓子づくりの方向性やコンセプトとは?
先生の教室でお菓子を学び直す中で、焼き菓子の魅力に気づきました。

焼き菓子なら日持ちするので、ネットで販売できるなど、自分のスタイルでつくって販売していけます。そこで、焼き菓子を通して「手づくりのお菓子のおいしさ」を伝えたいと思いました。
野口さんが伝えたいと思った「焼き菓子の魅力」「手づくりのお菓子のおいしさ」とは?
先生が専門とするドイツ菓子は、見た目がとても素朴なんですが、手間暇をかけてつくられています。

ホールケーキといえば、下に金台紙を敷いているイメージがあると思いますが、ドイツ菓子ではわざわざクッキーを薄く焼いて敷きます。「ヴァニレキプフェルン」という三日月形のクッキーは型押しを使わず、一つひとつ手で成形していきます。

金台紙や型を使ったらすぐにできるのに、細かいところにも手間暇かけることを惜しみません。そうした姿勢が、お菓子づくりにはとても大切なんだなと実感しました。

たとえば、「卵=水分」と「バター=油分」という混ざり合わないものを混ざり合わせる工程があります。温度調整やタイミングがとても難しい工程なのですが、失敗しても後で調整することができ、仕上がりとしては問題のないものをつくることができます。

でも、おいしさが全然違うんです。素材や工程など細部に至るまで、一つひとつをきちんと積み重ねてつくったお菓子は本当においしいということを、学び直す中で実感したから。

お菓子づくりの奥深い世界を探究する心を忘れず、研究者であり続けたいとの想いを込め、「研究室=labo(ラボ)」という意味で「sweets labo COCORO」という屋号をつけました。現在の屋号から「labo」の文字は抜けましたが、この想いや志しは今も変わりません。
「自分の得意なこと」に特化できる環境を
これまでにどんな「壁」または「悩み」を経験されましたか?
起業して8年目に、現在の場所で「patisserie COCORO」としてリニューアルオープンするきっかけは、夫から「このままでは身体を壊してしまうかもしれないから、お菓子づくりを事業としてするか、やめるかのどちらかにしたら」と言われたことです。

夫にそう言われるくらい、忙しさでパンパンになっていました。

お菓子セットの内容やレシピを考えて、ネット販売のページをつくって、お客さまとやりとりして、事務作業をして、お菓子をつくって、梱包して、発送して、夫と協力して家庭のこともしてと忙しかったんです。

私は何時まででもトコトン頑張れてしまうタイプだから、毎日夜遅くまで必死になって仕込みなどをしていたら、そんな私を見かねて、夫が梱包などを手伝ってくれることもありました。

自分がしたいことはできていましたし、目の前のお客さまから必要とされ、「ありがとう」と言ってもらえる幸せはありました。

でも、「お客さまのこんな要望にも応えられたらいいんだけどな」というものを抱えていたり、家族のことを疎かにしてしまったり、寝る間も惜しんで働いていたから家族に心配をかけたり。

こんなにも忙しくしているのに、私1人を養えるくらいの利益も出ておらず。経理をお願いしていた事務所の担当者からも「事業としてまわっていないよ」とご指摘もいただいていました。

この状態は健全じゃないなと思いながらも、ずるずる、ずるずると。そんな日々の積み重ねは、夫にとってもストレスになっていたんでしょう。それで先ほどの提案に至ったんだと思います。
「身体を壊してしまうかもしれないから、お菓子づくりを事業としてするか、やめるかのどちらかにしたら」と言われて、野口さんはどう答えたんですか?
「やりたい」と、素直に答えました。

私は気持ちや想いを話して伝えることがへたくそなのですが、夫は私のお菓子づくりへの想いやこれまでを見てくれていて、理解してくれていたのだと思います。「それなら、続けられる方法を考えよう」と言ってくれて、会社を辞めて一緒にお店をしてくれることになったんです。

夫はもともと自分で事業をしていきたいなどの志向を持っていましたが、私の夢にだいぶ寄ってくれたんだと思います。夫が経営面をみてくれることになったおかげで、私はお菓子づくりに専念できるようになりました。
一度立ち止まり、考えるきっかけになったんですね。
夫が、このお店という私一人ではどうにもできない、いろんな人たちに頼っていかないといけない環境をつくってくれたから、「この状態は健全じゃない」というところから変わることができました。

今振り返って思うのは、自分が好きで始めたのだから、自分一人でやらなきゃと思っていましたが、誰かにお任せできるところはお任せして、自分が得意なことや、自分にしかできないことに特化できる環境をつくることも大切ではないかなということです。

「あれも、これも、自分でやらなきゃ」「一人で頑張らなきゃ」と抱え込んでしまうと、自分にとって大切にしたいことを見失う恐れがあるように思いました。

私にとって、お菓子づくりも、目の前のお客さまが喜んでくれることも、いつも支えてくれている家族を支えることも、大切にしたいことです。

自分が不得意なことや、誰かに任せられることを手放したことによって、大切にしたいことを大切にできるようになれた気がしています。
積み上げてきた延長線上の今
「同じお仕事をしたいと思う方に、どんなアドバイスをしますか?」とうかがった時、「子どもがある程度大きくなってからの起業をおすすめします」とお答えくださいました。

野口さんは自身の起業のタイミングについて「早かったな」と思われる部分があるのでしょうか?
少し早かったかなという気持ちはあります。

たとえば、夜中に仕込みをしていて、息子が起きて泣いていたことがあって、悲しい思いをさせてしまったな、子育てと中途半端になっていたなと、今でも思い出します。

また、子育て中のお母さんで起業された方々のお話を聞いていても、特に製菓や料理など飲食系の仕事の場合は、家族の協力が得られなければなかなか難しいと思うことも多いんです。

でも、私の場合は、あのタイミングだったから、起業できたのだとも思っています。

「起業するぞ!」と決めて計画的に段階を踏んできたわけではなく、まずは「お菓子をつくりたい」という気持ちがあって、お客さまからも求めていただいて、「そのためにはこうしたい」ということを積み上げてきた延長線上に今があるから。

もし「子どもが大きくなってからにしよう」と思って、行動に移さずにいたら、今頃は「ちょっとお菓子づくりが上手なお母さん」だったかもしれません。
タイミングを逃さず、行動に移すことのできた理由は何だったのですか?
過去に一度、製菓業界を離れて、「また、ご縁があったら」と思ううち、タイミングを逃してしまった経験があったからだと思います。

タイミングを逃してしまったら、ちょっとずつ積み上げてきたものがなくなってしまう危機感があったんです。「今、ここで」というタイミングの大切さを感じていました。

だから、もし状況や環境的に叶うなら、やりたいことはやってみてもいいんじゃないかなと思っています。

「本当はやりたかったのに」「あの時にやってみておけばよかった」と後悔するより、「やってみたけど、だめだった」のほうが、諦めがつくような気がするからです。

するからにはずっと続けていかなきゃと気負ってしまいますが、「やってみて無理だったら、途中でやめてもいい」という選択肢を持つといいのかなと思います。
近い未来、お仕事で実現したいことは何ですか?
2店舗目のオープンです。夫による経営計画の一つですが、今は私自身の夢にもなっています。

リニューアルオープンしてまだ1年ほどですが、ありがたいことに「お店の雰囲気にひかれたから、ここで働きたい」という声をいただくことがあり、今もパティシエをめざす若い学生さんにアルバイトをしてもらっています。

「お菓子づくりが好き」「ここが好き」という想いを持った人たちにお菓子をつくってもらえたら、その幸せな気持ちはきっとお客さまにも伝播していくと思うから。「ここが好きだから働きたい」という想いに応えられるように、「働く場」を増やしたいですね。
profile
野口 育恵さん
1999年に辻製菓専門学校を卒業後、パティスリーに3年ほど勤務。以降、派遣社員として複数の会社で事務職を5年経験。2011年に辻製菓専門学校に就職し、広報部に所属する。2012年に「sweets labo COCORO」を起業。2015年に辻製菓専門学校を退職し、「sweets labo COCORO」を専業とする。2019年に夫妻がダブルオーナーとなり、「patisserie COCORO」にリニューアル。パティスリーシェフを務める。
patisserie COCORO
兵庫県西宮市広田町12-8
HP: https://ps-cocoro.jp/
Instagram: cocoro_ps
(取材:2020年10月)
editor's note
続けたいのに諦めざるを得なかったという経験がある野口さんだからこその、「やってみたいと思ったら、やってみる」「そのタイミングを逃すと、できなくなることもある」「やってみて『やっぱり無理』と思ったら、やめてもいい」「やらずに後悔して、引きずるよりはいい」といったメッセージが、心に響きました。

「いつか、また」と思いながらできなくなっていること、「あの時、こうしていたら」と後悔していることはありませんか。「こうしたかった」という気持ちは残り続けるからでしょうか。私の場合は、今でもふと思い出してしまうことがあります。

野口さんがおっしゃられるように、「やってみたけど、だめだったな」ということを思い出す時のほうが、気持ちがすっきりとしている気がしますし、ふと思い出すこともないように思いました。

また、すると決めたからにはやり通す覚悟を持つことも大切ですが、そのことでもし一歩を踏み出せずにいるのなら、「やってみるだけでも十分」という選択肢を持つことにより、チャレンジできる幅が広がりそうということも、野口さんのお話をうかがって思いました。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP: 『えんを描く』

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