HOME ■関西ウーマンインタビュー(お店オーナー) 足立 美和さん(雑貨店カナリヤ) 前のページへ戻る

■関西ウーマンインタビュー(お店オーナー)


足立 美和さん(雑貨店カナリヤ)

迷った時は原点に戻る。自分が一番純粋だった時の気持ちが大事

足立 美和さん
雑貨店カナリヤ
古美術商や画廊、司法書士事務所、飲食店などが立ち並ぶ大阪・西天満の老松通り。その一角にある築52年の古いビルの2階に「雑貨店カナリヤ」はあります。

店内に一歩入ると、店主の足立美和さんが日本各地から集めたこけしをはじめ、小さなお人形や布小物、アクセサリーといった作家さんによる手づくり雑貨など、一つひとつから物語が聞こえてきそうなものたちが並んでいます。

足立さん自身が作家であり、「自分でつくったものを売る場所がほしい」と2002年に「雑貨店カナリヤ」をオープンしました。当初は「自分のお店をしたい」という元同僚と一緒に営んでいましたが、2007年に別々の道を歩むことに。以降は足立さんがものづくりと両立しながら、お店を存続させてきました。

「単にものを売ったり買ったりする場ではない」と話す足立さん。作家さんやお客様、そして足立さんにとって「雑貨店カナリヤ」はどんな場になっているのでしょうか。
自分でつくったものを売るために、お店をオープン
もともとは、自分がつくったものを販売するためにお店をオープンされたそうですが、ものづくりを始めるきっかけは?
父は洋服をつくる縫製職人で、母は父を手伝っていました。2人が仕事をするそばで、粘土やフェルトでマスコット人形をごそごそとつくっているのが私の日常で、誕生日やクリスマスには、手芸の本、ビーズやポンポンメーカーといった材料や道具をプレゼントしてもらっていたことを思い出します。

母自身が文房具やお人形などかわいい雑貨が好きで、家の近所にあるファンシーショップに毎日のように連れて行ってもらい、「これを買おうか」と私に買ってやる名目で、母自身がほしくて買っていたという(笑)。「このメモ帳と消しゴムは置いておく分」と集めていたものが、今でもきれいに残っています。

そういった子ども時代が私の原点にあり、マネキンの製造レンタル会社に就職したのも、「かわいい造形物をつくることができる」と思ったからです。

結局は営業職として商業施設の内装や装飾、展示会の設営などを手掛けることになり、マネキン人形づくりには直接関われなかったのですが、仕事には満足していましたし、いい人間関係の中で働けていたので、何も不満はないはずでした。

でも、30歳代を前にして、これからの人生を考えると、「このままでいいんだろうか?」と思ってしまったんです。
「このままでいいんだろうか?」という迷い。そこから、雑貨店オープンにどうつながったのですか?
ちょうどその頃、ビーズアクセサリーブームが起きていました。子どもの頃、ビーズアクセサリーの本を見ながらワイヤーでビーズを編んでいたから、雑誌で取り上げられているビーズアクセサリーを見ると、つくり方がわかって「私にもつくれそう」と思ったんです。

自分でつくって、友だちにプレゼントしたり、自分で身に付けたりして楽しんでいたら、会社のエレベーターで乗り合わせた掃除のおばちゃんに「それ、素敵ね」とほめられて、「いけるかも!」「私はこれを仕事にしたい」と舞い上がりました。

でも、ものづくりをどう仕事にしていけるのかがわからなかったので、フリーマーケットに出店するなど模索していたのですが、会社の同僚に「ものづくりを仕事にしたいと思っている」と話したら、「じゃあ、一緒にやろうか」と。

自分のお店をしたい彼女と、自分でつくったものを売る場所がほしい私とで、2002年に「雑貨店カナリヤ」をオープンしました。

5年ほど2人でお店を営んだ後、それぞれの事情や想いの違いなどがあって、別々になることにし、2007年からは私1人で「雑貨店カナリヤ」を営んでいます。
つくったものを自店だけではなく、他店でも販売するようにもなっていたそうですね。足立さんはもともと「ものづくりをしたい」という想いがおありなので、2007年に別々になる時点で「作家一本で」という道もあったのではないですか?
お店を5年営んでいる間に、もしかしたら私より、お客様と作家さんのほうがお店を大事に思ってくださっているのかもしれないと感じていたので、私の一存で勝手に閉めてしまうことは考えられませんでした。

ただ、作家さんとのやりとりは彼女に任せていたので、この先も同じように続けていただけるかどうかの不安はありましたが、作家さんに「ぜひに」と言っていただけたので、続けていこうと決めたんです。迷いはありませんでした。

もちろん、私の根本にあるのは「つくりたい」という気持ちです。

でも、その気持ちは、つくったものを誰かに見せなくてもいいし、絵を描くのでも、造形物をつくるのでも、かばんを縫うのでも、なんでもいい。ただただ、自分にしかつくれないものをつくりたいだけ。それに「どんなものをつくろうか」と考えている、つくるまでのほうが楽しかったりもします。

お店をしながらも、「つくりたい」という気持ちは満たすことができていたんです。
お店をオープンして18年。お店を存続させる意義
これまでにどんな「壁」または「悩み」を経験されましたか?
私がお店を始めた2001年頃は雑貨ブームで、南船場や堀江がおしゃれなまちとして注目され始めた頃でした。雑居ビルで、お店を始める個人が増え、雑誌では雑貨特集が組まれたり、お店の取材もたくさんあったり。

「手づくり雑貨」が珍しかったから、「手づくり」というだけで売れていたところもあって、1日に50人もの人たちが押し寄せてレジに行列ができるなど、今では考えられないような状況がありました。

それが、インターネットが普及して、パソコンを1人1台、さらにはスマホを持つようになり、世の中がめまぐるしく変化していきました。

今では、個人で世界中の人たちにアピールできるツールがあり、作家さんがお店に委託販売する必要性がなくなってきていますし、お客様もわざわざお店まで出かけなくても、インターネット上でほしいものを購入できるようになっています。

また、若い世代の人たちが手づくり雑貨に興味を持ってくれないとも感じます。私のお店では、オープン当初からのお客様が多く、一緒に年齢を重ねてきました。以前であれば、かばんや指輪、ネックレスなどを購入されていましたが、今は年齢を問わず、楽しめるものとして、ブローチを買われる方が多いんです。

同じものをずっと売り続けていてもなかなか厳しく、変化を見極めて、取り扱う商品も変えていかなければなりません。
お店を始めて18年も経つと、さまざまな変化がありますね。その「壁」または「悩み」をどう乗り越えてこられたのですか?
「実際に手に取って見てもらってから、買ってほしい」という作家さんはいるので、その方たちのための場所を確保しようと思いました。また、遠方の作家さんもいるので、個展をしてもらう時は、搬入・搬出をしてもらわなくても、私のほうでディスプレイから任せてもらえるようにしました。

すると、関西圏に限らず、各地の作家さんに個展をしてもらえるようになり、「毎年何月頃はこの作家さん」と固定化したので、お客様にも「この時期はあの作家さん」と楽しみにしていただいています。

作家さんが来店されることもあるので、つくり手のことを知ってもらえ、交流してもらえるのは、お店だからこそだと思います。実際に会って話すと、「こういう人がつくっているんだ」「こんな想いでつくっているんだ」とわかって、作品だけではなく、作家さんのファンになってもらえることもあるんです。

作家さんにとっては、お客様が手に取っている様子を見ることで、次へのモチベーションにつながっているようです。個展前は「来年は個展をお休みしようかな」と話していた作家さんも、お客様が楽しそうに選んでいる姿を見たら、「また、来年も頑張るわ」と変わります。

また、インターネットの普及はマイナス面だけではありません。1人でお店をしていると、新しい作家さんと出会いに行く機会を持ちにくいのですが、インスタグラムを通して「この人の世界観、素敵」と思える作家さんと出会えています。

売上の部分で言うと、手づくり雑貨ブームの後に、いくつかの百貨店の雑貨イベントに定期的に出店するようになったことで、お店では売り上げられないような金額が1週間で売り上げられるうえ、幅広い人たちにお店を知ってもらえる機会にもなったので、随分と助かりました。

10年以上に渡って百貨店の雑貨イベントに出店してきましたが、中には長年続いてきたけれども終了してしまったイベントもあります。百貨店出店に頼り過ぎていたところがあったと気づき、店として自立して発信し続けることの重要性も感じていたところです。
お店も、ものづくりも、オリジナリティー
その時々の変化に応じて、守るべき軸は守り、変化させていく部分は変化させていっているんですね。
誰かの真似ではなく、自分だけが提供できる空間をつくることが何よりも大切だと思っています。そこはものづくりと同じです。

ものづくりの話になりますが、私は最初ビーズづくりから始めました。

ビーズは市販されているパーツの組み合わせなので、1からつくれるようになりたいと彫金を習い、自分で納得のいくアクセサリーをつくれるようになりました。でも、アクセサリーはご自身でつくって楽しまれる方も多いですし、作家さんも増えてきたので、商売としてはだんだんと厳しくなっていきました。

そこで、ミシンで何かを縫った経験もないのに、かばんをつくってみようと、縫製職人の父に教わりながら、つくり始めました。
つくるうち、型紙から自分で考えてつくっているとはいえ、市販されている生地を縫うだけで、それを「私のオリジナルのかばん」と言えるのかどうか、自分がしていることに自信が持てなくて、思い悩むようになりました。

どうしたら私のオリジナルにできるだろうと、「こうでもない」「ああでもない」「こうしたらどうだろう」と試行錯誤。

ステンシルで描く方法を思いつき、オリジナルの絵柄を何パターンも考えて、ようやく「これは私のオリジナル」と自信を持てるものをつくれるようになりました。

そんなふうに繰り返しトライして、トライしたことに対して、自分が納得のいくものが仕上がるまで、とことんつくり続けます。

迷った時は原点に戻る。結局は自分が一番純粋だった時の気持ちが大事なんだと思います。

「こうしたらお客様に受け入れられる」など変な欲がなく、純粋に「つくりたい」「こうしたい」という気持ちを取り戻せたら、何度でもトライできるんじゃないかなって。そうして出来上がったものだから、お客様にも伝わるものになると思うんです。

お店づくりもそれと同じで、オリジナルを究めていくことなのではないでしょうか。ただ、私の場合は、お店のオリジナリティーについては、お客様に気づかせていただいた部分が大きいです。
「お店のオリジナリティーについては、お客様に気づかせていただいた」とは?
見ていただいた通り、たくさんのこけしが並んでいます。

もともとは私の個人的な趣味で集めていて、家に飾る場所がなかったので、お店に飾ってお客様にも見てもらおうと思っただけなのですが、「ほしい」とのご要望があったので、年に数回、こけしのイベントを開催して販売するようになりました。

こけしをご存じの方は多いと思いますが、世界観が詰まったかわいらしさを伝えることで、興味のなかったお客様が集め始めたり、作家さんも好きになってオリジナルこけしやこけしグッズをつくり始めたり、中にはこけしにはまって「こけし愛好会」に入会された方もいます。

今では「大阪・こけし・販売」で検索すると、上位に表示されるようになり、ホテルから「こけしを買いたいというお客さまがいるんですけど」といった問い合わせが入ります。今はイベント時にしか販売していませんが、求めてくださる方がいるのだから、常時販売できるようにしてもいいのかなと考えているところです。
鳥の「カナリヤ」マスコット人形も、もともとはイベントDM用につくったもので、商品として販売する予定はなかったのですが、お客様から「ほしい」とのご要望があったので、つくって販売することにしました。

そういったことがいくつもあって、自分が好きなもの、おもしろいと思ったものを、「これは変かもしれない」「受け入れられないかもしれない」と思わず、提案していけばいいのだとお客様に気づかせていただいたんです。

私だけの世界というものを繰り広げることで、「持っているけれど、まだほしい」と思うお人形などコレクター心をくすぐるものを取り扱うようにシフトチェンジしてこられたのかなとも思います。

お店の立地も、繁華街の、誰もが行きやすい場所にあるわけではなく、わざわざ来てもらわないといけない場所です。万人受けしなくても、「あそこにおもしろい店があるね」と思ってもらえたらいいのかなあと思っています。
足立さんが好きなもの、おもしろいと思うものとは?
物語性を感じさせる、覗き込める、ちっちゃな世界にすごくひかれます。もとを辿れば、子どもの頃はリカちゃん人形とリカちゃんハウスが大好きでした。

1コマごとに少しずつ動かして撮影するストップモーション・アニメーション映画の『くるみ割り人形』も大好きで、主人公が暮らすヨーロッパの素敵なおうちを見て、「私のリカちゃんハウスとは違う」と思いながら、憧れていたことも思い出します。

一時期はドールハウスを集めていたこともあり、こけしも自分の手のひらに乗せて、その世界観を眺められるのが好きなんです。

物語が詰まったちっちゃな世界が大好きで、お店の雰囲気も、置いているものも、そうなっているのかなあと思います。
1年でも長く、続けたい
お店を始めて18年。今振り返って思うことは?
年々、「自分のお店」というよりも、お客様と作家さんのお店だなあと思えてきて、私はただこの場を任されていて、みなさんのほうが大事にしてくれているのかなあというふうに思えてきました。

お客様の中にはつくるものも含めて作家さんのファンになってくれて「また来年、会いに来ます」と心待ちにしてくれていたり、遠方の作家さんは年に1度、関西のお客様と会うのを楽しみにしてくれていたり、お客様同士で意気投合して友だちになられたり、作家さんとお客様と私で一緒に食事に行ったり。

私自身、さまざまな作家さんやお客様、個人店のオーナーと出会うことができました。単にものを売ったり買ったりする場ではない、交流の場になっていると思います。

先日も、岡山県から朝一番にご来店くださったお客様がいて、「この日のために仕事を頑張っているんです」と言ってくださいました。

また、お店を移転する時は、「深刻な病気にかかって病院に通うのが辛かった時期があったけれど、帰りにここに立ち寄ることが唯一の救いでした。移転前に、この場所を見ておきたいと思いました」と打ち明けてくださったお客様もいました。

私の知らないところで、そんなふうに思ってくださっている方がいる・・・・・私の中にも、そこで過ごした時間がとても大切で、永遠に忘れられないというお店があるので、誰かの人生の1ページに私のお店があるなんて、なんて幸せなことだろうと思います。

そんなふうに大切に思ってくださる方がいる限りは、お店を勝手にやめるわけにはいかないと思うんです。
近い未来、お仕事で実現したいことは何ですか?
自分自身のものづくりとしては、お店の企画でイベントDMをつくる時に絵を描いたり、造形物をつくったりなど、ちょこちょことつくる程度になっているので、じっくりとつくってみたいなあと思いますし、個展をしてみたいとも思っています。また、こけしを求めておられる方もいますから、常時販売できるようにしようかなあとも。

やりたいことはいろいろとあるんです。

でも、この数年、家族のことや年齢による身体の変化など、自分の気持ちではどうにもならないことが重なって、「自分の思うようにできない」ことが増えました。でも、「できない」から「こうすべき」と思っていたことを手放せ、「無理しなくていい」と思えるようになった気もしています。

たとえば、今は週休2日ですが、「休業日を増やして、自分のものづくりに当てる時間を増やしてもいいかなあ」という考えも出てきて、まだ「お客様のためにお店を開けなきゃ」という気持ちが強くて踏ん切りがつかないのですが、これから先も続けていくためには、無理をしないことも必要かなあと思えるようになったんです。

続けるからこそ、気づけることや得られるものがあって、これから先もそんな出会いや時間があると思うから、1年でも長く続けたいですね。
profile
足立 美和さん
志望の短期大学内で唯一「絵を描ける学科だから」という理由で、インテリアデザイン学科に進学。卒業後はマネキンの製造レンタル会社に就職し、営業職として商業施設内の内装や装飾、展示会の設営などを手がける。1998年に雑貨店オープンをめざして退職し、彫金アクセサリーづくりを学びながら、アクセサリーメーカーで修理と制作に携わる。2002年に「雑貨店カナリヤ」をオープン、2007年からは1人で営む。2016年に同じ西天満エリア内で移転オープンした。
雑貨店カナリヤ
BLOG: https://kanariyano.exblog.jp/
Facebook: zakkatenkanariya
Instagram: zakkaten_kanariya/
(取材:2019年10月)
editor's note
「迷った時は原点に戻る」「自分が一番純粋だった気持ちが大事」と足立さん。「自分自身が満足して楽しめていないと、続けることもできないと思っています」ともおっしゃっていました。

長く続ければ続けるほどに、その時々の状況に応じて変化や選択を繰り返す中で、だんだんと「自分がどうしてそうしようと思ったのか」といった原点を見失いがちになるのではないでしょうか。

そこを見失ってしまうと、「自分は何のためにしているのか」「どこに向かっているのか」がわからなくなって迷走することにつながりますし、何よりも自分自身の納得感や楽しさを失うことにもつながり、自分自身の気持ちの面で「続ける」ということが困難になるのだと、足立さんのお話をうかがいながら思いました。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP: 『えんを描く』

■関西ウーマンインタビュー(お店オーナー) 記事一覧




@kansaiwoman


■ご利用ガイド




HOME