HOME ■関西ウーマンインタビュー(クリエイター) 小林 和代さん(マトリョーシカ・布人形作家/spilla) 前のページへ戻る

■関西ウーマンインタビュー(クリエイター)


小林 和代さん(マトリョーシカ・布人形作家/spilla)

チャレンジし続けないと、現状維持できない

小林 和代さん
マトリョーシカ・布人形作家/spilla
『赤ずきんちゃん』『不思議の国のアリス』『白雪姫』といったおとぎ話の世界をテーマに、1点1点手描きしてマトリョーシカや布人形をつくっている「spilla(スピッラ)」の小林和代さん。

作家として順調にキャリアを重ねていた8年目に、出産で1カ月だけ休んだところ、それまでコンスタントに受注できていたオーダーの仕事が激減し、現状を維持する難しさを感じたと言います。

「それまで『現状維持』とは『今のペースのままで』と思っていたのですが、今以上に頑張らなければならないと気づいたんです」と小林さん。

小林さんがぶつかった「現状維持」の難しさとは?
見切り発車で、作家活動をスタート
もともとはイラストレーターをめざしておられたそうですね。
子どもの頃から絵を描くことが好きで、自分の世界に入り込んで、女の子や木々、風景などを夢中になって描いていました。

中高生時代には絵を描くことを生業にできたらと考え、絵を学ぶために美術系の短大へ。そこで、凄まじい個性を持つ人たちに圧倒され、自分の個性をどう出したらいいのかがわからず。2年では足りないと、専門学校にも進学しました。

専門学校ではデザインも学べ、最初は自分の絵をどうデザインに活かすかを学ぶくらいのつもりだったのが、おもしろいと思うように。絵のほうで行き詰まっていたせいもあったのかもしれません。就職先もデザイン系のほうが選択肢が多いと、卒業後はデザイン事務所に就職したんです。

でも、絵を描く仕事に対する憧れも捨てきれず。イラストを描いてはアートイベントに出展するということを続けていました。
イラストレーターの道を模索していたのに、どうして人形作家として活動し始めたのですか?
姉が服飾関係の仕事をしていたので、「何か一緒にできたらいいね」と話していたところ、姉から「アトリエを借りよう」との誘いが。

姉妹で何をしようかも決めておらず、私は会社勤めをしているし、何ができるのかはわからないけれど、「とりあえず、やってみよう」と見切り発車で始めたという感じです。平日は会社勤務、土日はアトリエで作家活動という日々が始まりました。

姉妹で一緒に何かをつくってみようと、つくり始めたのが「布人形」です。

姉が布人形と服をつくり、私が人形に綿を入れて顔を描くほか、ワイヤーを入れて身体に動きをつけました。姉からミシンの使い方を教わるようにもなり、自分1人でも指人形や人形ストラップなどをつくって販売するようになったんです。

お客さんから「かわいい」など反応をもらえると、嬉しくて嬉しくて。その反応に応えたいと作品をつくっていたら、作家としてどんどん忙しくなっていきました。
会社勤めを辞めて、作家活動一本にしたきっかけは?
土日はアトリエで接客する時間が増えたため、制作時間を確保することが難しくなっていきました。時間を確保するために何を削るかとなったら、睡眠時間しかありません。

会社から帰ってきて深夜にミシン作業、早朝にペイント作業をして、日中は会社勤務。会社でも就職して6年ほど経つと、中堅的なポジションになっていて、任される仕事も増えていましたから、残業続きの日々でした。

2年ほど、そんな生活を続けていたら、睡眠不足とストレスで体調を大きく壊してしまったんです。このまま二足のわらじ状態を続けていたら、身体的に危ないとなり、作家活動一本に絞ることを決めました。
その後、姉妹ではなく、小林さん個人で「spilla(スピッラ)」として再スタートされたのですね。
アトリエに毎日通うようになると、姉妹ゲンカが勃発(苦笑)。作家活動一本でと決めてからまもなくの出来事で、姉から離れて1人で活動を始めることにしました。

その時にイタリア語で「ブローチ」という意味がある「spilla(スピッラ)」を屋号として掲げたんです。

私にとってブローチは気軽に楽しめて、ちょっと特別な気分にしてくれるアイテム。そんなふうに、楽しい気持ち、幸せな気持ちを届けることができたらいいなあという願いを込めました。

絵本がもともと好きだから、小さな頃どこかで出会ったおとぎ話の世界観を表現しようと、『赤ずきんちゃん』や『不思議の国のアリス』『白雪姫』などをテーマに布人形やマトリョーシカをつくっています。

グラフィックデザイナーとしての経験を活かしてDMをつくって配布したり、独学でウェブサイトを構築したり。マトリョーシカについてはウェディングやノベルティといったオーダーの依頼を受けるようになって、オーダー受注を中心に3年目くらいには生計を立てられるようになりました。
3年目と8年目にあらわれた「壁」
2018年で10周年を迎えられたとのこと。これまでにどんな「壁」または「悩み」を経験されましたか?
10年を振り返ると、3年目と8年目に「壁」がありました。

まず3年目の壁は、独創的で斬新なアイデアを次々と形にされ、熱狂的なファンがたくさんついている作家さんを間近で見たことで、「私はこのまま作家活動を続けていてもよいのだろうか?」「モチベーションを保っていけるだろうか?」と思い悩んだことです。

2年目までは自分の世界観をつくるためにイベントなどにほとんど出展せずにつくり続けていたのですが、3年目に突入して売上が安定してきたので、外に目を向けてみようとクリエイターイベントや百貨店に出展するようになると、「井の中の蛙」だったことに気づきました。

すごくかわいい人形をつくっている作家さんがたくさんいる中、自分の個性や世界観に自信が持てなくなってしまったんです。
その「3年目の壁」はどのように乗り越えられたのですか?
仕事がゼロなわけではなく、オーダーしていただいていたので、今の私にできることは目の前にある仕事を一所懸命にやることだと思いました。

イベントに出展すると、まわりの作家さんに圧倒されてしまうのですが、「このイベントまでに新作をつくろう」と目標になるので、積極的に出展するようにしました。

あとはとにかく手を動かす。手を動かしながら、「マトリョーシカに耳をつけてみよう」「この色を塗ってみたらどうだろう」と試行錯誤。

『ピーターパン』や『シンデレラ』『ヘンゼルとグレーテル』『白鳥の湖』『うさぎとかめ』『さるかに合戦』などありとあらゆるおとぎ話をモチーフにオリジナル商品をつくり、その中でお客さんの反応がよかったものを定番として残してきました。

着実に一つひとつの仕事を積み重ねていたら、だんだんと自分の個性や世界観を強化できたように思います。

そんなふうに、独身時代はまわりを見て「すごいなあ」と思う作家さんを追いかけて、目の前の仕事を頑張っていたら結果が返ってくるということを繰り返していけました。

でも、結婚・出産により少しスローペースになり、さらに出産後1カ月休んだところ、このまま自然消滅してしまうのではないかというくらいの危機感を感じたんです。
それが「8年目の壁」ですね。出産により1カ月休業したことで、どんな壁があらわれたのですか?
オーダーの依頼もコンスタントに入ってきていたので、「作家として定着してきたのでは」と自分では思っていたのですが、全然でした。

出産後も長期間休むのは恐かったので、1カ月だけ休もうと、復帰する予定を書き込んだ上で休んだのに、オーダーの依頼がガクンと減ってしまったんです。

月5回ほどSNSを更新していたのをストップしただけで、こんなにもあっけなく途切れてしまうのだと愕然とし、そこから建て直し始めます。

本を読んでワードプレスを勉強してウェブサイトをリニューアルしたり、SNSの更新を再開したり。オーダー受注が減った分、オリジナル商品を頑張らなければと思って、育児の合間に新商品を考えたり、子どもが1歳になると保育所に預け、イベント出展を再開したりしました。

出産から3年経った今も、まだ出産前の状況には戻っていません。

「現状維持」がこんなにも難しいんだということを痛感しました。それまで、現状維持といえば、「今のペースのままで」と思っていたのですが、現状維持のためには今以上に頑張らなければならないと気づいたんです。
「現状維持」は「今のまま」ではない
作家として8年目というキャリアもあった中で、現状維持のためにどんなことを頑張ってこられたのですか?
いくつかあります。

たとえば、大まかな売上目標しか掲げてこなかったのを、具体的な金額で掲げるようにして、自分の努力の方向が合っているのか間違っているのかを把握するようにしました。

売上を見て1人反省会を開き、もし達成できていなければ、来月はクリアできるようにオーダーの受注件数を増やすなど検討します。

また、これまではオーダー受注だけで売上を確保できていたため、オリジナル商品の新作が少し手薄になっていました。

定番だけではそのうち、お客さんに飽きられて求められなくなるかもしれませんし、私自身も新しいことにチャレンジしていないと、「決まったものをつくるだけ」とマンネリ化してしまいます。

そこで、大きな納品が終わった後に新作を試作する時間を確保するようにしました。新作をつくることだけが目的ではなく、頭の中にあるアイデアを形にしつつ、つくることそのものを楽しむようにしています。

今はSNSがあるので、「こんな感じの作品をつくっています」「こんな新商品ができました」など投稿して、お客さんの反応を見て、改良を加えることもあります。

そのほか、幅広い人たちに興味を持ってもらうためには、商品のバリエーションを増やすことも必要だと考え、人形だけではなく、アクセサリーやバックチャーム、カバンなども展開するようになりました。

最近では、マトリョーシカを描くワークショップを初開催したんです。
建て直しを始めてから3年の間にも、本当にさまざまなことをされていますね。
チャレンジし続けないと、現状維持できません。

困った時はいつも本屋さんに行きます。いろんな本を見て、自分の作品に何か取り入れられそうなものはないかとアンテナを張り、インプットするんです。

あと、同業者を見て、学べることは素直に学ぶ。

たとえば、アクセサリーやカバンなど商品のバリエーションを増やそうと考えたのは、イベントに出展した時、アクセサリーや服飾作家さんのほうがさまざまな人に見ていただいている印象を受けたからです。

私の場合、マトリョーシカ好きのコアなファンの方がついてくれているものの、なかなか幅広い人たちには見てもらえないと感じていました。

そこで、イヤリングやペンダント、バックチャームといったファッション小物を入口として、「布人形やマトリョーシカの、こんな作品もつくっているんだ」と知ってもらえたらと考えたんです。

作家活動を始めた当初「10年間続ければ、一人前になれる」と聞いていたから、10年頑張ってみようと思っていました。

11年目を迎えて思うのは、10年経っても頑張らないと何も続けられないということ。でも、壁にぶつかったら軌道修正しながら、コツコツと続けていくことで、自分の道が拓けていくのではないかなあと思っています。
近い未来、お仕事で実現したいことは何ですか?
「大人の乙女心をくすぐる、かわいい人形」が、spillaらしさだと思っています。もっともっと洗練させて、かわいらしさを突出させて、毒っぽいおしゃれさを出していけないかなと模索しているところです。

マトリョーシカなのか、布人形なのか、また新しい形なのか、洗練させた状態がどんな状態なのかは私自身にもまだ見えていません。

今の作風も、spillaらしさを追求する中で、だんだんと変わってきました。たとえば、昔は目が大きくてとがった印象だったのが、今はまるく、かわいらしさが前面に出ています。色味も、昔は少し暗いトーンだったのが、今はマットな明るいトーンになっています。

どんなふうに変わっていくのだろう、変えていけるのだろうと思います。これも現状維持のためのチャレンジの1つですね。
profile
小林 和代さん
高校卒業後、京都芸術短期大学ビジュアルデザインコースに進学。卒業後、さらに創造社デザイン専門学校夜間部に進学。2001年に卒業後、デザイン事務所に就職し、グラフィックデザイナーとして8年ほど勤める。2005年に姉と一緒に京都・三条高倉にある「Duce mix ビルヂング」にアトリエを構え、作家活動を始める。2008年にデザイン事務所を退職し、姉妹コラボも解消し、「spilla」を立ち上げた。オリジナルの布人形やマトリョーシカを制作して、オンラインショップをはじめ、大阪や東京などの百貨店・雑貨店で委託販売を行うほか、オーダーも受け付けている。
spilla
HP: http://www.spilla.biz/
Instagram:spilla8671
(取材:2019年7月)
editor's note
産休として1カ月だけお休みされた間に、それまで安定的に受注できていたオーダーの仕事が激減し、「現状維持」の難しさを痛感された小林さん。

「現状維持=そのままで、ゆるやかに」と思っておられたそうですが、現状維持のためには「今以上に頑張る必要がある」と思ったと言います。確かに、時代も人もまわりも、自分自身も変化し続けていく中、「そのまま、今のまま」でいては、現状維持できないでしょう。

小林さんは「すごい目標なんてなくて、現状維持が目標なんです」と謙遜されていましたが、お話をうかがって、現状維持はチャレンジし続けて初めてできることなんだと、「現状維持」に対するイメージが変わりました。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP: 『えんを描く』

■関西ウーマンインタビュー(クリエイター) 記事一覧




@kansaiwoman


■ご利用ガイド




HOME