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■関西ウーマンインタビュー(クリエイター)


大塚 美智代さん(播州織テキスタイルデザイナー・作家)

あるものを生かして、自分らしい表現をしたい

大塚 美智代さん
播州織テキスタイルデザイナー・作家/ niki*
江戸時代中期の寛政4(1792)年に、比延庄村(現兵庫県西脇市)の宮大工が京都西陣から持ち帰った織物の技術をもとに、兵庫県・北播磨地方で発展した「播州織」。

糸を先に染めてから織る「先染織物」で色落ちしにくく、細い番手の綿糸を高密度で織り上げ、さらりとした手触りの布に仕上げる技術に長けていているため、シャツやハンカチ、シーツといった私たちの身近な製品に加工されています。

播州織の職人と一緒にものづくりをしている播州織テキスタイルデザイナー・作家の大塚美智代さん。

近年、西脇市は「西脇ファッション都市構想」を掲げ、若手クリエイターを育成・支援するためのさまざまな取り組みを展開していますが、大塚さんはそれ以前から播州織に関わり続けています。

もともとは洋服づくりの作家としてスタートした大塚さんが、播州織と出会い、テキスタイルデザインを手掛けるようになったきっかけとは? 職人との関係性をどのように築き、どんなものづくりに取り組んでいるのでしょうか。
播州織の「きれいな色」に魅かれて
洋服づくりから始めて、現在ではテキスタイルデザインも手掛けておられます。そもそも、ファッション関係のお仕事をめざすきっかけは?
子どもの頃から「つくること」が好きでした。料理も、編み物も、絵を描くのも好きだから「特にこれが好き」と絞らず、大学卒業が迫ってから、「自分は何をしたいんだろう」と考え始めたんです。

その時、「つくること」の中でも、「デザイン」に興味があるかもしれないと気づきました。

CDショップでアルバイトをしながら、「この音楽、好きだなあ」と思うCDを手にしたらジャケットにはその音楽のイメージが表現されていて、「このCDジャケット、好きだなあ」と思う音楽を聴いたらそのデザインから広がるものがあって、ライブに行けばその音楽が持つイメージがファッションとしても表現されていて。

イメージを表現するデザインっておもしろいと思ったんです。

デザインの中でも特に「ファッション」に絞ったわけではなく、「デザイン」「働きながら夜間に通える」で専門学校を探したところ、たまたま「この学校、おもしろそう」と思ったのがファッション系だっただけ。

グラフィックデザイン系でおもしろい学校を見つけていたら、その道に進んでいたかもしれません。
専門学校卒業後、まもなく「niki*」というご自身のブランドを立ち上げたのですね。
アパレルメーカーにデザイナーとして就職したものの、自分には合わないと感じ、数カ月で退社しました。

在学中から自分自身のものづくりに興味があり、「やっぱり、やってみたい」との想いが膨らんだので、自分でブランドを立ち上げて、洋服をつくっていこうと思い立ったんです。

当初は、専門学生時代に勤務していた繊維商社から生地を仕入れていたので、キャリア女性をターゲットにした上質で落ち着いた雰囲気の生地を生かしたフォーマルなデザインの洋服をつくっていました。
播州織との出会いは?
若手クリエイター育成を目的に、有名セレクトショップとのビジネスマッチングを行うイベント「ドラフト!」の第1回目に出品したところ、ショップからのデビューが決定しました。

その縁で、第2回目が開催された際には最終審査会に招待してもらえ、うかがってみたところ、会場の一角で兵庫県の地場産業を紹介する展示コーナーがあり、そこで播州織と出会いました。

鮮やかな色合いの生地を探していたところだったので、播州織の生地を見て「なんて、きれいな色なんだろう」と一目ぼれ。

布を織ってから染めるのではなく、「先染め」といって糸を先に染めてから織るので、色がくっきりと鮮やかですし、タテ糸とヨコ糸が混ざり合うことで色が生まれるので、生地の表情がとても豊か。

「ドラフト!」の運営会社を通して後日、組合の方や工場の職人さんとお話をする機会にも恵まれ、播州織の産地や特徴などをうかがって、ますます興味が湧き、西脇市にある工場を訪問することにしたんです。
職人の技術に、自分のデザインを組み合わせたい
工場訪問後、洋服づくりに必要な生地を仕入れるのではなく、テキスタイルデザインを手掛けられるようになったそうですね。そのきっかけは?
工場でサンプル生地を見せていただいた時、「こんな色の組み合わせだったら、もっといいのに」「こうすれば、もっと映えるのに」と思いました。

職人さんがつくるサンプル生地は技術力を伝える目的でつくられているものだから、デザイン性を求めていないので仕方がないのですが、その時の私は「こんなにも技術力がすごいのだから、デザイン性が付加されればもっと素晴らしくなるのに。もったいない!」と突き動かされるものがあったんです。

その後の経緯ははっきりと覚えていないのですが、「生地をつくってみたい」と言ったのでしょうか。私がデザインしたものを試織してもらえることになりました。
テキスタイルデザインの経験があったのですか?
いえ、まったく(苦笑)。

この時も「この糸でこんな柄をつくってみたい」と色鉛筆でスケッチを描いて職人さんにお願いしました。素人のスケッチが生地になるなんて、普通ならありえないことだと思います。

出会った職人さんが、バブル景気の崩壊や安価な海外製品の流入、リーマンショックなどの社会情勢を受けて年々生産量が減少している播州織の現状に危機感を持ち、「産地も工場も変わらなければ」という情熱をお持ちだったからこそ、実現できたことです。

この縁を途切れさせたくないと、生地づくりを依頼するようになり、生地づくりのために工場に通うようになると、「今こんな生地を織っているけれど、色や柄違いを織ってみる?」と声をかけてもらえるようにもなっていきました。

産地を訪れる機会が増えると、出会いも広がって、現在ではいろんな工場の職人さんとものづくりができるようになっています。工場によって所有する織機の種類も、職人さんの得意な技術も異なるので、それぞれの工場の特徴を生かした生地づくりに取り組めています。
播州織の生地をデザインされる際、どんなコンセプトやこだわりをお持ちですか?
これまでいろんな柄を試織してきましたが、現在は「うろこ」「しずく」「ほし」「もりのふくろう」というシンプルな4種類を定番として、糸の太さや織る密度を変えて、1つの柄からもさまざまな表情や雰囲気の生地をつくっています。

職人さんと一緒につくり上げた生地そのものから楽しんでほしいと、洋服やストール、かばんも、シンプルな形にし、生地見本の中から好きな生地を選んでもらって、おつくりするようにしています。

「ファッション=出来上がった洋服」ではなく、生地が違えば、同じ形の洋服でも雰囲気が変わりますし、自分が気に入って選んだ生地の洋服なら気分も上がるはず。生地を選ぶところから「楽しい」を積み重ねれば、ファッションがもっと楽しくなるのではないかと考えました。

これまでは自分が使う生地をつくるので精一杯でしたが、「ほかの作家さんにも使ってもらえたら」「それによって、職人さんと一緒につくったこの生地をもっと広められたらいいなあ」との想いが膨らみ、帽子やスツールなどの作家さんとコラボレーションすることも増えてきています。
現場でのやりとりを積み重ねて出来上がる生地
播州織だけではなく、ほかの生地を使うこともあるのですか?
ほかの産地の生地とコラボレーションすることはあっても、播州織ありきです。

15年ほど経ってようやく、職人さんの技術と私のデザインがうまく組み合わせられるようになってきたと感じているからです。「今頃?!」という感じですが(笑)。

最初の頃は自分がイメージしたものが仕上がらないことも多くありました。

「技術を応用して未経験のデザインに取り組んでもらうため、織ってみないとわからない部分が多い」「私自身の知識や経験不足があり、イメージを伝える力が弱い」など、さまざまな課題があったからです。

「イメージ通りに仕上がらなかったのはなぜか」「どうしたら、そのイメージに近づけるのか」「今度はこうしてみよう」「このおもしろい想定外を生かしてみよう」など課題にぶつかりながら試行錯誤を繰り返して、経験や知識を積み重ねてきました。

反対に、職人ではない私だから思いつけるアイデアやデザインがあって、「ここをこうしたら、こんな柄ができるのではないですか?」と話してみたら、「そういう方法もできる。目からウロコやわ」と職人さんから言ってもらえたこともあります。

職人さんと現場で直接やりとりするからこそのものづくりができていて、今おもしろいんです。

もちろん、職人さんにはこれまでとは違うやり方を試してもらうことになるので、それを受け入れてもらうことや細部までデザインにこだわる意味、そもそもデザインの価値をわかっていただく難しさもあって、中にはお付き合いが途切れてしまった工場もあります。

価値観は無理に押しつけられるものではないですから、理解を示してくださる方々とのつながりを気長に大切にしていたら、輪が広がってきたように思います。

ちょうど産地も変革期を迎えていました。今では多くの若手クリエイターが播州織に関わるようになっていて、この十数年の間に産地全体の意識の変化を感じます。
職人さんとの関係性があってこそできる、ものづくり。どのようにして、関係性を築いてこられましたか? 大事にされてきたことは?
私が播州織に関わり始めた2003年頃は、今のようにSNSなどが盛んではありませんでしたから、関係を途切れさせないように、「会いに行く」「通う」ことを続けました。

生地づくりのために訪れる以外にも、産地のことを知りたいし、私のことも知ってもらえたらと、地域のお祭りやイベントに参加したり出展したりして、地域のいろんな人たちと交流・・・というか、一緒におしゃべりする機会を大切にしてきました。

世間話の中で「昔はこんなまちでね」といった地域の歴史や変遷などを教えてもらったり、「うちでも織ったろうか~」「今度はこのイベントで、なんかやるか?」と声をかけてもらって一緒にものづくりができる職人さんと出会えたり。

播州織は、私が直接お世話になっている製織工場のほかに、染色やサイジング(整糸・糊付け)など工程ごとに分業化されていて、産地全体が巨大な工場のようになっているのですが、その全工程を案内してもらう機会にも恵まれ、より播州織についての理解を深められました。

また、工場に行った帰りに播州織の情報発信&交流拠点の「播州織工房館」に立ち寄ると、地域の人たちが集まっているので、「おぉ!こっち、こっち」と輪に混ぜてもらい、さらに関係性が深まったり広がったりすることもあります。

年末にはお世話になっている方々にあいさつしてまわりますし、それ以外にも時間がある時はできる限りあいさつにまわります。ここ数年はちょくちょく顔を出していないと、「元気にしてたん?」と心配してもらうようにもなっているので、時々は顔を見せに行こうという気持ちがますます強くなりました。

今振り返れば、当初「こんなにも技術力がすごいのだから、デザイン性が付加されればもっと素晴らしくなるのに。もったいない!」と思ったのは、実におこがましいことでした。

私がこうして播州織の生地づくり、そこからの洋服づくりができているのは、伝統を受け継ぎ、守ってくださった方々がいるからこそ。産地を築いてきた方々への敬意を忘れずに。また、よそ者同然の私に理解を示してくださり、今もなお永くお世話になっている方々に感謝しています。
「あるものを生かす」。昔も今も、その延長線上
「ものづくりそのものが好き」から始まって、洋服づくり、今ではテキスタイルデザインを手がけ、さらには他の作家さんにも生地を提供されていますね。
「選んできた」というより「出会いの連鎖でこうなった」と思っています。

あるものを生かす。つまり、ないものを追い求めるのではなく、「あるものを生かして、自分らしい表現をしたい」との想いが、子どもの頃からずっとあるようです。

たとえば、料理も本を見て材料を揃えてからつくるということはせず、冷蔵庫にあるものを見て、この材料を使っておいしいものをつくるにはどうしたらいいかを考える子でした。

「この料理をつくる」「この小物をつくる」というゴールではなく、その時にあるものを生かして、つくりたいと思ったものをつくる。つくりながら、「こうしたら、どうかな」「ああしたら、どうかな」を積み重ねて、何かが出来上がる。

当初、フォーマルなデザインの洋服をつくっていたのも、「こんな洋服をつくるために、合う生地を探す」ではなく、以前勤務していた繊維商社で心ひかれる生地があったから、「この生地で洋服をつくろう」からの始まり。

播州織も「職人さんの素晴らしい技術を生かしたい」という想いから。だから、経験のないテキスタイルデザインをやってみようと思えましたし、生かせるようになればなるほどに、ゴールを決めてないからどんどん「こんなことも」「あんなことも」と膨らんでいっています。

制限のあるものづくりのほうが、「この中で最大限のいいものをつくるにはどうしたらいいのか」と頭をたくさん使って考えるから、「何もかも自由」からの始まりよりも、おもしろいアイデアがひらめくような気がします。何より、そのほうが私は楽しいみたいです。
近い未来、お仕事で実現したいことは何ですか?
私が生地をつくらせてもらっている織機は、大量生産品に対応しているものとは違い、昔から大事に使ってこられた貴重な織機です。織機の製造が終了しているため、修理をしたくても部品がなく、今後どう維持していくかが課題になっています。

たとえば、藤祐繊維株式会社にある旧式ジャカード織機。60年以上も前に製造された織機で、歯車の一部が欠けると、溶接を依頼したり、社長の藤原さんが手づくりして補ったりしています。

柄が刻まれた「紋紙(もんがみ)」により動作する織機で、コンピューターで動作する最新の織機にはない、味わいが出せます。藤原さんの「この織機の技術をつないでいきたい」という想いから、一緒にものづくりをさせていただくことになったから、私もこの技術をつなぐお手伝いができれば、と。
「3Dプリンター」で部品を再現するなどできないかと模索しているのですが、ほかの産地で「3Dプリンター」を試してみたところ、コストや部品の一致具合にまだまだ課題があると聞いています。

貴重な織機をつないでいくために、私もアイデアを出していきたいです。

*大塚さんと一緒にものづくりに取り組む昭和28年創業の「藤祐繊維株式会社」。代表取締役社長の藤原博明さんと旧式ジャカード織機の前で。
profile
大塚 美智代さん
1997年に大学卒業後、デザインを学ぶために大阪モード学園夜間部に入学。在学時、同学園に募集のあった繊維商社のテキスタイル部で勤務。2001年に同学園卒業後、アパレルメーカーに就職するが、数カ月で退社。自身のブランド「niki*」を立ち上げ、洋服づくりを始める。2002年開催の若手クリエイター育成・支援プロジェクト「ドラフト!」の第1回目に出品し、セレクトショップからのデビューが決定。2003年、同プロジェクト第2回目の最終審査会場内で開催された地場産展で播州織と出会い、以降は播州織テキスタイルデザイナー・作家として、ブランド「niki*」として展開する。播州織の産地・兵庫県西脇市の工場で職人とともに、オリジナルテキスタイルを企画・生産し、小物や洋服にして卸売やイベントなどで販売している。
niki*
FB: nikitexworks
Instagram: @nikitexworks
(取材:2019年5月)
撮影場所協力:ファッション系コワーキングスペース「CONCENT」
editor's note
取材時に、大塚さんと一緒にものづくりに取り組む「藤祐繊維株式会社」の工場、今回取材場所をご提供いただいたファッション系コワーキングスペース「CONCENT」を運営するタウン・マネージメント機関「西脇TMO」に連れて行っていただきました。

そこでの大塚さんとみなさんのやりとりから、職人さんをはじめ、産地のみなさんと、とてもいい関係性を築いておられることが伝わってきました。大塚さんが現在取り組まれているものづくりは、こうした人間関係がベースにあってこそ、できていることだと思います。

工場での生地づくりにおけるさまざまなやりとりの積み重ねのほか、まちのイベントに顔を出したり参加したり、年末にはあいさつにまわったりして、地道に関係性を築いてこられたからこそ。その積み重ねが、互いの信頼関係につながり、おもしろい仕事につながっているのではないでしょうか。

その根本には、大塚さんが子どもの頃からあったという「あるものを生かす」感覚があるように思います。「あるもの」を生かすためには、その「あるもの」について知らなければできません。「『○○をつくるためのものづくり』ではない、ものづくり」、そのプロセスが、印象的でした。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP: 『えんを描く』

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