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■関西ウーマンインタビュー(クリエイター)


増谷 朋恵さん『ブリコラージュ』デザイナー

自分では起こせない化学反応を、人と人が出会うことで起こせる

増谷 朋恵さん
『ブリコラージュ』デザイナー
昭和24年創業の木工家具工房を改装&再生した『ブリコラージュ』。1階は自社工房製作の家具と手仕事の雑貨や作家ものを取扱うショップ、2階は展覧会や音楽会、ワークショップなどを開催するアートスペースとなっています。

アートスペースの企画・運営をはじめ、チラシや木工家具など幅広いデザインに携わる増谷朋恵さん。『ブリコラージュ』の運営には2002年から携わり始め、今年で16年を迎えます。

「自分でこの仕事を選んだというより、自然の流れで関わるようになり、そこからいろいろ取り組む中で自覚していった」「この場に足を運んでくれた人たちのおかげで、今の私、『ブリコラージュ』がある」と振り返る増谷さん。

その言葉の意味とは? 増谷さんにとって『ブリコラージュ』は、どのような場なのでしょうか。
家族がつくった、この場があったからこそ
この場所で以前、お祖父さまが木工家具工房をされていたそうですね。
昔、このあたりには貯木場があって、木材関連の中心地として栄えていたそうです。祖父はこの場所で、昭和24年に木工家具工房を創業しました。

私の物心がついた頃には、祖父は病気で職人として仕事をすることはできなくなっていたのですが、椅子に座ってお弟子さんの仕事ぶりを見ていた姿が記憶に残っています。

私たち姉弟にとって、ここは遊び場でした。

お弟子さんに遊んでもらったり、おもちゃをつくってもらったり、浴槽ほどの大きな箱に木っ端がたくさん入っていたので好きなものを選んではトンカチで叩いて何かをつくったり、荷物を運ぶ用の台車を乗り物替わりにして近所中をぐるぐる駆け巡ったり。

たくさんの思い出が残るこの場所で、2002年4月に『ブリコラージュ』をリスタートさせることができたんです。
「リスタート」ということは、以前はほかの場所でされていたんですか?
祖父の木工家具工房を継いだ父が「人に対して開いている場所を持ちたい」と、マンションの1階にあったテナントを借りて、事務所兼ショールームとしていました。その場所を『ブリコラージュ』と名付け、1995年に開設したのが始まりです。

当初はアートスペースとしての機能はありませんでした。テーブルやイスなど木の家具を展示していたほかは商品を並べるわけでもなく、がらんとしていたので、外から見ると「何をやっているところなんやろう?」みたいな感じだったんだと思うんです。

でも、場を持ったことで、「ここで何かイベントをできないか?」「こんなスペースがあるなら、何かやりたい」とさまざまな人たちが集まるようになり、自然発生的に時々イベントスペースに。

当時、私は京都造形芸術大学の学生で、両親に頼まれてチラシをつくったり、時々イベントを手伝ったりしていたものの、まさか自分が『ブリコラージュ』に携わるようになるなんて思いもしていなかったんです。
大学卒業後、増谷さんはどうされていたんですか? 『ブリコラージュ』に携わることになったきっかけは何だったのですか?
『ブリコラージュ』で仕事を始める少し前まで、フランスに半年ほど暮らしていました。大学4年生の時、フランスにアトリエを持つアーティストと出会い、「むこうで制作してみない?」と声をかけられたので、渡仏したんです。

語学学校に通いながら、知人のアーティストの活動に参加したのですが、根っからのアーティストである彼を見て、「私はアーティストにはなれない」と挫折しました。

彼はインスタレーションといって、空間に作品等を展示して、その空間全体をみせるアートをしていました。建物や公園でのアートプロジェクトを考えて、企画書や模型をつくって、その場所の責任者にアポをとって「こんなことをしたいから、資金を提供してください」とプレゼンするんです。

当時は世界的に景気がよくないこともあり、通らない・・・何度も続けば、私だったら気持ちが腐ると思うんですが、彼はどんどん挑戦していくんです。

そのほかにも「これがアーティストなんだ」という姿勢や行動力を目の当たりにし、私はものをつくるのは好きだけど、「この域には達せない」と圧倒されて、帰国。ほどなくして、『ブリコラージュ』の移転話があったので、手伝うことにしました。

自分でこの仕事を選んだというより、自然の流れで関わるようになり、そこからいろいろ取り組む中で自覚していったように思います。
この場での出会いに、自分自身も感化されて
「いろいろ取り組む中で自覚していった」とは?
ここに関わり始めた頃は、アーティストにもなりきれず、かといって手に職的なことがあるわけでもなく、「私は何をする人だろう」という迷いの中にいました。

でも、「私はこれをする人だ」と無理に決めなくてもいい。私にやれそうなこと、人から「やってほしい」と求められることをやろう、と。そうしてみると、人からの依頼だからこそ、発揮できる自分の能力があることに気づきました。

しばらく経つと、今度は「この場所を運営するのに適任な人が世の中にはごまんといるのに、どちらかというと、コツコツと自分でものづくりするのが好きなタイプの私なんかでええんかな」と思うように。

でも、「この場所が好き」と集まってくれる人たちがいるのだから、その人たちに恥じないように、自分が「いいなあ」「素敵だなあ」と思うものを素直に共有していこうと思えました。

続けるほどに、私が「こんなことをやってみたいなあ」と恐る恐るやったイベントをきっかけに、参加者同士が出会ってつながって、よそで何かを一緒にしたり、新しいことを始めたり、そういったことが多々起こるように。

私が関わったことが、誰かのための、何か新しい出来事へのきっかけになるという、縁の下の力持ちのようなものごとに携わっていることが楽しくて。『ブリコラージュ』という場を活かして何かをするというのが、私の使命のように感じられるようになったんです。

そうなっていったのは、私自身もこの場で、いろいろな人たちと出会わせてもらったから。

さまざまな考えを持つ人たちと出会い、話していると、「これでいいよ」と背中を押されることもあれば、「そこは考えたほうがいいんじゃない」と問題を提起されることもあるし、自分がもやもやっと考えたことが昇華されたり、他人の目を通して客観的に自分を知ることができたり、新しく発見できたりすることがいっぱいありました。

ここでのすべての出来事が、私の成長や壁、悩みを乗り越えるきっかけになったんだと思います。
『ブリコラージュ』という、人と人、人とものとの出会いを提案する場で、増谷さん自身がその出会いの豊かさを実感しておられるんですね。
自分では起こせない化学反応を、人と人が出会うことで起こせる・・・かっこよく言えば、そんなことが起きているのだと実感しています。

ここに携わり始めて10年ほど経った頃、美術系ライターをしている友だちが「『ブリコラージュ』はここに来ることで、ほかの世界と出会え、そこからみんなが好きな世界にいける“どこでもドア”みたいな場所だから」と言ってくれました。

「私、やっていてよかったんや」と嬉しかったですね。
つくり手と作品が純粋に結びついたものを
この場を運営する上で、大事にされていることはどんなことですか?
作品はもちろん、「この人にも出会ってほしい」と思える作家さんに、ここでやっていただきたいと思っています。私はここに訪れてくれた人に、ぽんぽんぽんと肩をたたいて、「すごく素敵だよ」と伝えるようなイメージで、その人たちの魅力を紹介したいんです。

そのために、作家さんとは、私だったらこんなふうにこの人を紹介したいなあと思えるところまでじっくりとお話します。

展覧会やイベントの企画も、当初は作家さんにすべてお任せしていたのですが、この場を運営する者として「この空間ならこうしたほうがよさそう」「こうすると、もっとよくなると思う」など伝えられるようになってきて、いつしか作家さんと一緒につくり上げるようになっていました。
増谷さんは、作家さんのどんなところに魅かれるのでしょうか?
ものづくりをしている人は、個性的で、かわいい一面をお持ちです。ものをつくっている時の無心さは、まるで5歳の子どものようで、そういう部分を持っているところが素敵だなあ、と。

自分の内側から湧き立つものを、自分の手から生み出すということは、つくりながら「こうしたらおもしろい」「ちょっと遊んでみよう」といったわくわく感も加わって、その人の分身と言えるくらい、その人自身が詰まったものが出来上がるのだと思います。

そういうふうに、作品とつくり手とが純粋に結ばれているものと出会うと感動しますし、心が豊かになります。一人ひとりの、そういった感動や心が豊かになる体験が積み重なって、平和な世界につながるのではないかなとも思うから。

ここを訪れる人にも、そういう出会いや体験をしてもらえたら嬉しいですし、この場の持つ役割は大事だと感じています。
近い未来、お仕事で実現したいことは何ですか?
私がものづくりへの純粋さに心魅かれるのは、私もきっとそういうものをつくりたかったからだと思います。

「アーティストにはなれない」と諦めた時には、それがまったくわかっていませんでした。表現方法や形など体裁ばかり気にして、自分の内側には純粋なものがあったのに、うまく出せなくて挫折してしまったんだと思います。

もっと自由に、もっと純粋につくっていいんやって、『ブリコラージュ』で出会った人から学んだから。今ならまた、何か違うものを生み出せるのかもしれないなあ、と。もう1度、自分主体のものづくりをやってみたいなあと思い始めたところです。

小さな手仕事をしたり、私の手描きをいいと言ってくれる人もいるので手描き専門のデザイン工房をつくったり、おぼろげに頭の中にあるアイデアをやっていきたいと思っています。
 
profile
増谷 朋恵さん
京都芸術短期大学染織テキスタイルコースを経て、京都造形芸術大学情報デザイン学科に編入。1998年に大学を卒業し、大手雑貨販売店に契約社員として就職した。2000年に退職し、フランスに渡る。語学学校に通いながら制作活動等を行うも、さまざまなアーティストと出会う中で限界を感じ、2001年に帰国。以降は個人でデザインの仕事を請け負うなどしていたが、2002年より『ブリコラージュ』のギャラリースペースの運営に携わり始める。
株式会社ブリコラージュ
大阪市大正区南恩加島2-11-17 TEL:06-6551-4180
『ブリコラージュ』 HP: http://www.jimoto-navi.com/bricolage
ショップ&ギャラリー FB: galleryshopBRICOLAGE
木工製作工房 HP: http://bricolage-factory.com/
(取材:2018年2月)
editor's note
『ブリコラージュ』での16年で感じたり思ったり考えたり気づいたりしたことについて、「そう思えるまでに、どれだけ長い時間がかかっているんだって思うんですけど、自分にはそれだけの時間が必要だったんだなって。ちゃきちゃきといろんなことをやれる人もいれば、私はこのペースだったんだと思います」とお話になられていたのも、印象に残っています。

その一言に、自分の成長や変化をゆっくり見守る様子が表れているような気がしたからです。

夢や理想、目標を持つことも素敵ですが、時に「何者かにならなくてはいけない」「目標を持たなくてはいけない」「もっとこうならなくてはならない」などと思い込んだり気負ったり焦ったりすることも。

自分の意志や行動だけではどうにもならないこともあり、人との出会いや経験、年齢を重ねるからこそ、気づけることや見つけることができるものもあります。自分をがちがちに縛らず、時に自然の流れに身を任せることも大事だなあと思いました。

増谷さんは、さまざまな人たちと出会い、それぞれの生き方や考えに触れ、自分事として捉え直し、それによってもともと自分の中にあったものを引き出し、純化されているようでした。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP:『えんを描く』

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