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■関西ウーマンインタビュー(クリエイター編)


青木 真知子さん(画家・デザイナー/もんちほし)

何者にもならなくていい

青木 真知子(もんちほし)さん
画家・デザイナー
心を強く突き動かされるものと出会った時、戸惑いや葛藤、諦め、至福など形のない、熱のような感情を絵として描く画家「もんちほし」こと、青木真知子さん。

子どもの頃から心にあるモヤモヤとした感情を描き続け、高校生の時には同人活動でのオリジナルグッズ販売やイベント出展を、大学生の時には絵とデザインの仕事をスタートさせていました。

大学卒業後は「イラストレーターになる!」と宣言して上京し、新天地でも少しずつ仕事が増えていたそうですが、絵の仕事が入るとなぜか苦痛を感じるようになっていったそうです。

「自分ではない、何者かになろうと必死だった」と当時を振り返る青木さん。「何者かになろうとしていた」とは? 「イラストレーター」ではなく、「画家」として絵を描いていこうと思ったのは、なぜだったのでしょうか。
イラストレーターをめざすも、「何かが違う」
絵を描くことに興味を持ったのはいつですか?
覚えているのは、小学2年生の時に普段はあまり褒めない母から「絵、上手やな」と言ってもらえてすごく嬉しかったこと。それからどんどん凝って絵を描くようになりました。

思春期に近づくにつれ、自分をどう表現していったらよいのかがわからなくなり、クラスメイトと会話するのにも緊張してしまうように。そんな時、私の中にある言葉にできないモヤモヤとした感情を受け止めてくれたのが、絵だったんです。

自分が思うように、もしくはそれ以上のものを描けたら、「今の私でいいんだよ」と絵に言ってもらえたような気がして、ほっとして眠れる。まるで現実逃避するかのように、毎夜絵を描くようになっていました。

その絵に興味を持ってくれるクラスメイトがいて、小・中学生の頃は「自分の感情を絵に受け止めてもらえてほっとする」「絵を描くことで他人とつながることができる」というのがあって、絵を描き続けていたんだと思います。
絵を描くことを仕事にしようと思われたのはいつですか?
言葉にできないモヤモヤとした感情を解き明かしたいと心理学を学べる大学に進学したものの、「何か違う」と悶々としていたところ、アート系の教授が新しく開いたゼミに心ひかれて所属することにしたんです。

以降は「学内のパソコン室に行けば必ず私がいる」というくらい、イラストレーターというソフトを使って、のめり込んで絵を描くようになりました。ある時、教授から「自分で仕事をとってみたら」と提案されたんです。

最初は「ええっ!!」とびっくりしましたが、高校時代にはオリジナルの便箋をつくって同人活動で販売したり、イベントにブース出展したりした経験があったから、その延長線上でできるのではないかと実行に移すことにしました。

アート系のイベントにブース出展したり、個展を開いたり、グループ展に参加したり。中でも書家の方とのコラボレーションで百人一首をモチーフにした作品をつくり、着物を着て作品を紹介していたところ、大好評。

デザインについては、通っていた英会話教室や、知り合いでお店を開こうとする方、展示会で知り合った方などに「ロゴマークや名刺、チラシなんかの印刷物もデザインできますよ」と話していたら、「チラシをお願いできますか?」「ロゴマークをつくってほしい」と依頼をもらえるようになったんです。

この勢いのまま、大学卒業後は「イラストレーターになる!」と宣言して上京しました。
在学中からご自身で仕事を獲得されていますが、仕事も人脈もない東京ではどのように仕事をつくっていったのですか?
初めは、大阪のアートイベントで知り合ったクライアントさんが上京後も定期的に仕事をくれ、駆け出しの私に経験を積ませてくれました。そして東京でも、アートイベントや展示会に参加したり、オリジナルの鏡や布製タペストリー、掛軸、マッチといったグッズをつくって販売したりすることで、私の絵を素材として欲しい会社や人に出会え、仕事に繋がっていきました。

中でも、さまざまなジャンルのクリエイターが集まるシェアオフィスに入居したことや広告なども手掛ける印刷会社と出会ったことで、いいチャンスに恵まれました。

そういったつながりから、ロゴマークや会社案内パンフレット、CDの歌詞カード、チラシ、DM、ウェブデザインといった依頼が入るようになり、仕事は順調に増えていったんです。

でも、デザインの仕事なら問題なくできるのに、絵については「何かしんどい」「何か違う」と心が追いつかなくなっていきました。
「心が追いつかない」とは?
デザインなら修正が入っても対応できるのに、絵に対しては修正が入るとしんどくて仕方ありませんでした。

イラストレーターをめざしていたはずなのに、絵の仕事が入るとモチベーションが上がらなくて、頑張って修正してクライアントからOKをもらえても、私自身が「やっぱり何か違う」と納得できず、途中でお断りした仕事もあります。

その原因は、デザインと絵で私の向き合い方がまったく異なるからです。

私にとって、デザインはクライアントの持っている要素や好み、傾向をすくい上げて、どんな形にすればその会社らしさを保ちながらも、その先にいるお客さまにとって気持ちのいいデザインになるのかを考えてつくります。デザインの中にモチーフとして描く絵は「素材」として描くこともできました。

一方で絵は私そのものの業の部分であったり、簡単には外に出していけない想いや忘れがたい大切な思い出、時には辛くて苦しくあったりもする大切な感情に形を与えてあげるものです。「これでいい」と出来上がった絵は自分が想う形のものだから、修正してしまったらその時点で私の作品ではなくなってしまいます。

自分の感情を人物に投影して絵を描くことはできても、相手が望む形での絵は描けないんだとわかって、自分に限界を感じたんです。

「こんな絵しか描かれへんのか」と自分を責めるようになり、もともと情緒不安定だった心は自制できないほどに壊れていきました。「イラストレーターになる!」と宣言して上京したので、親や友人には強がって猛烈な孤独感を誰にも言えず。「このまま眠っていたい」と思い詰めるまでになったんです。
「何者にもなれなかった自分」を認める
イラストレーターとしての仕事に対する限界を感じたとのことですが、その後「画家」として絵を描く仕事を再開されます。どんな想いや考えからですか?
デザイナーとイラストレーターという生き方に違和感を覚え始めた頃、ちょうど結婚・出産が重なったので、仕事を縮小することにしました。それが今一度、自分自身を見つめ直す、いい機会になったんです。

息子を産んで半年くらい経った頃、まわりに手助けしてくれる人がいなかったので、育児ノイローゼ気味になって、ママコーチングのセミナーを受けてみることにしました。その中で「絵を描く自分」を救ってくれるメッセージと出会ったんです。

「今の自分でいい、そのままを認める。自分の子どもも、そのままでいいと言ってあげる」。つまり、自分を「承認」して、子どもも「承認」するということ。

このメッセージと出会って、「何者にもなれなかった自分」をそのまま認めてみようと思うことができたんです。
「何者にもなれなかった自分」とは?
以前の私は「自分ではない、何者かになろうと必死だった」ことに気づきました。

頑張ってイラストレーターとしての階段を駆け上がっているつもりでした。イラストレーターになると宣言して上京したから余計に、頑張らなければならないと自分を追い詰めていたんだとも思います。

でも、めざそうとすればするほど、理想と今の自分との間に溝を感じて、しんどくて苦しくて。それは自分自身の能力のなさだと、「私って、あかんな」「何でできへんのやろう」と自分を責めて否定していました。

それが「今の自分でいい、そのままを認める」というメッセージと出会えたことによって、「どん底=ゼロ」に戻れて、どこかほっとしている自分に気づけたんです。

「完成した絵に修正を入れられへん。それでいいやん」「憧れだったイラストレーターにはなられへん。それでいいやん」。

今まで「私って、あかん」と否定し続けてきた自分を「それでいい」と認める。「今の私じゃない、何者かにならんでいいんや」と思えたら、絵を描くことに対しても、原点に還る思いがしました。
「原点」とは?
私にとって絵を描くことは、唯一そのままの自分を解放できる場所と時間です。自分の中に眠る誰にも教えられない部分を、秘密として絵に埋め込むことができたら、そこで完成します。

さらには、その絵を気に入ってくれたり、購入したりしてくださる方がいることは、私にとって至上の喜び。作品を見た方と一瞬で深く何かがつながるような瞬間、完成したはずの絵が、世界に出ていって「続き」を与えられたような、許されたような気持ちになるからです。

デザインの仕事はデザイナーとして、絵については自分が好きなように描いていこうと、イラストレーターではなく、「画家」として絵を描いて発表し続けることに決めました。
強く突き動かされた時に生まれる熱のようなもの
絵を通して表現したいこと、伝えたいこととは?
絵は私にとって、自分の感情を受け止めてくれるものだから、表現したいものというのはありません。昔から芯にあるものは変わらず、自分の中にある言葉にできないモヤモヤとした感情を描いています。

たとえば、この作品は「京都・夏の妖怪展」に出展したもので、カンボジアの妖怪「アープ」を描きました。アープは呪術を使って恋焦がれる相手に自分を好きにさせるのですが、代償として夜になると頭から内臓までが体を抜け出てしまうようになります。

好きになってもらえるのなら、自分が妖怪になるのも厭わないところに業の深さを感じ、私の中にある感情と結びついて、この作品が出来上がりました。

最初にもわもわっと描きたいものがあるんだけど、言葉にも形にもならない。描き始めたら、だんだんと東京時代に亡くなった絵描きの友だちになっていたこともありました。

そんなふうに自分の中にいくつも点があって、その点と点がだんだんと線になってきて、足りていない部分を描いたら、形になっていくみたいなこともあります。

彼女のそばにモンステラという植物を描いたんですが、調べると名前がラテン語で「異常」を意味するとあって、親との確執、リストカットなどで悩んでいた子だったから、私はこれを選んだのかもしれないと後から気づくこともありました。
どんな時に絵を描きたくなるのですか?
遠くに居て、もう会えなかったりする友人や大切な存在を想う時はもちろん、自分ではない人の強い想いに深く共鳴してしまった時に、よく描きたくてたまらなくなります。

戸惑いや葛藤、諦め、至福など、そんな形のない感情を、シンプルな形で描きたいのだと思います。

これまで10年以上に渡ってパソコンで絵を描いてきましたが、3年ほど前から墨や日本画の画材、和紙を使って、筆で絵を描くようになりました。筆で描くと墨の滲み方など予測不能なことが多いから、自分の感情をより託しやすくなったと感じています。
青木さんの作品には必ず「女性」が描かれているように思います。何か理由や想いがあるのでしょうか?
私の中では「女の子」という感じではなくて、中性に近い感じです。

作品を見てくださった方から「きれいだけど、すごくさみしそう。でも、男性に頼らない芯の強さを持っていそう」とよく言われます。

それを聞くと、絵の人物は私のさまざまな感情を受け止めてくれる存在であり、私がめざしている存在なのかもしれないとも思います。

前回の個展では1点だけ、風景画を描きました。自分自身の感情を受け止めてくれる存在として、これまでずっと人物を描き続けてきたのですが、自分の感情が宿る大事な風景なら描くことができるんだとわかったので、今後は風景画も描いてみたいなあと思っています。
近い未来、実現したいことは?
10年ほど暮らした東京を離れて、2016年に大阪に戻ってきました。今はイラストレーターをめざしながらも志半ばで亡くなった元夫の分も、絵を描いていきたいと想いを強くしています。

年数回のグループ展参加と2年に1回は東京と大阪で個展、そして「日本水墨画大賞展2020」に応募するのを目標に大作を描きたいと思っているところです。
profile
青木 真知子(もんちほし)さん
大学卒業後、フリーランスのイラストレーター、デザイナーになる。上京して3年ほどは紙やウェブ媒体の絵とデザインを主として仕事をしていたが、2009年に結婚・出産をして仕事を縮小。2010年からはフリーランスとして仕事を続けながら、空間デザインへの興味から不動産会社やリノベーション会社でも勤務。自身で自宅のリノベーションを手がけた後、仕事としてオフィスの空間デザインを請け負う。以降は、フリーランスのグラフィック&空間デザイナーとして活躍するようになる。絵の仕事については「イラストレーター」ではなく「画家」として、グループ展参加や個展開催などを続けている。
HP: http://monchihoshi.net
FB: hoshi.monchi
(取材:2018年11月)
editor's note
青木さんが絵を描くのは、ご自身の中に「描かずにはいられないもの=感情、熱のようなもの」があるからで、他者から求められて描くものではないから、「イラストレーター」という仕事の在り方では合わなかったのだと気づかれます。

しかし、当初は「イラストレーター」をめざしておられたから、仕事として絵を修正できない、相手の求めに応じられない自分はダメなんだと思い込み、責めておられたそうです。

「こうなりたい」と憧れたりめざしたりすることがいい影響を及ぼすことがある一方で、時にその理想にとらわれ過ぎてしまうことも。そうなれない自分を責めたり失望したり、時には嫉妬や憎悪といった形でまわりに向かったりすることもあります。

その時に何が一番しんどいのかというと、青木さんがおっしゃられるように「自分じゃない、何者かになろう」としていることではないでしょうか。

「何者でもない、自分」を受け入れること、「何者かになろうとしなくてもいい。自分でいい」と思うことで、自分に合った方法や新たな可能性を見えてくることがある・・・青木さんのお話をうかがいながら、そのことが響いてきました。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP: 『えんを描く』

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