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■関西ウーマンインタビュー(クリエイター)


徳永 杏子さん(ジュエリーデザイナー/誉ノ錺)

 
徳永 杏子さん ジュエリーデザイナー
京都市立芸術大学 美術学部ビジュアルデザイン専攻卒業。5年間の印刷会社勤務を経て、宝石の世界へ進む。2年半のジュエリー会社勤務の後、2010年オリジナルブランド「誉ノ錺(ほまれノかざり)」を立ち上げ、フルオーダーを中心に和洋折衷の「かざり」をデザイン・制作・販売している。
誉ノ錺 http://homare-no-kazari.com/
「錺(かざり)」のというのは。伝統の職人技術なのですか?
錺(かざり)という言葉には「かんざしなどに用いられる細かい金属の細工」という意味があります。例えば木目金という技法があって、昔、刀の鍔(ツバ)に使われていた技術です。純金とシルバーとピンクゴールドを圧着して一つの塊にすると、切れ目がバームクーヘンみたいに木目になるんです。昔の根付けなども木目金から作られているものが多いですね。うちはジュエリーを作っていますが、「細かい金属の細工ができるブランド」と言う意味で「 錺(かざり)」という単語をブランド名に入れています。
技術やデザインに対するこだわりは何ですか?
ネット等で安く売っていて、「職人が1個1個丁寧に仕上げました」と記載されているものとは、まず造りが違います。大量生産のものを磨いて、安い石を留めるのも職人にしかできませんが、一から原型を作り、職人が自分自身で確認できる範囲の中で、1個1個丁寧に作るものとでは違うんです。

ジュエリー業界全体の問題として、海外で安く作って売るということを繰り返していたから、本当に良いものを見る目が無くなってきているんですね。売っている人たちもお金儲けできればいいというところも多い。でも、お客さんが本当に欲しいのは心に響くものだと思うんです。

ジュエリーって衝動買いしますよね。「あっ!かわいい!」って。本当に気に入ったものって、これをどこにつけていこうとか、どの服に合わせようかな、と思うじゃないですか。それって人間の本能に響くようなすごいことだと思うんです。私たちは「モノ」を作っているんじゃなくて、お客さんの手に渡れば、一生ものになる宝物を作っている。そのプライドの意識は、作ったものにも表れると考えています。
「ジュエリー」というより「アート」のようですね。
ジュエリーに対する概念が私の中では決まっていて、基本はアートです。このカエルはジルコニアを使っていますが、安いダイヤより美しいんです。安いダイヤだと、中にヒビや不純物が入っているので真っ白に見えてしまう。それを提供するくらいなら美しいものを出したいんです。(写真右⇒シルバーの本体に130個のジルコニアが留まり、立体感が出るように真ん中と端とでは石の大きさを変えているそう) 

ジュエリー業界はやっぱり天然石志向が強いですが、お客さんの心を打つことができれば、私は人工石でも良いと思っています。石にこだわる人は、この石の個性を壊さないで欲しいという方もいますが、その石の個性を活かすにはどうすればいいかとなると、デザイン力です。

「何カラット」というダイヤでも、おもちゃみたいな安い石でも作る自信はあります。エメラルドのようにもろくてすぐ壊れてしまうものは、他所では断る職人さんもいますが、そういう硬度の低い石でもジュエリーにできるんです。それにはやっぱり技術。技術がなければ、絶対に美しいものはできないと思っています。
もともと、ものを作ることが好きだったのですか?
私、勉強が嫌いで(笑)中学3年の時、親に「私、勉強は嫌いやから芸大に行く」と言ったんです。すると「京都で芸大に行くんやったら、京都市立芸大しかあかん。浪人も1年まで」と言われました。なので高校1年から3年間ずっとデッサンの勉強して、京都市立芸大のビジュアルデザイン科に入りました。

大学では商品やパッケージのイラストやデザインをしていましたが、何かモノを作っていたいとずっと思っていたんです。自分がここにいる証というか、自分が死んでしまった後も残っているものを作りたかったんです。
ここにいる証?なぜそう考えるようになったんですか?
小さい頃から漠然と、「私、ここに居ても良いんかな」という不安感をずっと抱いていました。別に家庭に何の問題も無いんですけど(笑)。父は大学の教授で、母も非常勤ですが大学の講師をしていましたし、姉も英語もフランス語も喋るような人で学者なんです。
ご両親ともに教育者でいらっしゃるから、「勉強が嫌い」と言われたら、親としてはショックですね。
それが、うちの親は比べない人たちなので、「姉はこんなにできるのに何故あなたは・・」ということを言われたことは1度も無いんです。「あなたがしたいことをすればいい」と言ってくれていましたが、なぜか、ここに居てはいけないような、よく分からない不安があったんです。

だけど、何かを作って手を動かせている時はそれを忘れられるというのがありました。今思うと、自分が作って誰かに喜んでもらいたいと思っていたのかもしれないですね。
大学卒業されてから、どんなお仕事に就かれていたのですか?
大学卒業後は医学書のレイアウトをする仕事をしていました。お医者さんから届く原稿に、こういう絵を載せてくれと写真や絵が来るんです。それを分かりやすくレイアウトして、イラストの色を決める仕事です。でも医学書なので、「装飾」という意味の美しさはいらないんです。清潔感と分かりやすさ重視の業界でした。ここは社長と私の二人だけの会社で、社長はものすごく良い方だったんですが5年で退職しました。
なぜジュエリーにシフトされたのですか?
一番大きい理由は、その社長に跡を継いで欲しいと言われたことです。自分がバックアップするから、この会社を続けて欲しいと言われましたが、社長が50歳くらいで立ち上げて、それこそ社長のデザイン力と、人柄と、信用で成り立ってきた会社を、27~28歳の小娘が跡を継ぐなんて無理と、怖くてできませんでした。会社を継がないと決めた以上、私が辞めないと後任が育たないですから、そのとき初めて、「辞めてどうしよう」と考えました。

そこで切羽詰まって、ジュエリーを考えてみようと、とりあえず趣味教室のような彫金の教室に週1回通ったんです。「1年後に辞めるので1日も早く後任の方を探してください。できるだけ引継ぎしてから辞めます」と言って。その後、退職してからは、全日制のジュエリーの学校に通いました。
もともとジュエリーが好きだったんですね?自分で付けるのが好きですか?それとも見るのが好き?
小さい頃はキラキラしたものが大好きで、変かもしれませんが、見ているのが好きなんです。私にとって石は生き物。石に吸い込まれるというかずっと見ていたくなります。でもパワーストーンじゃないんですよ。あれは人が決めたもので私は納得してないんです。

ジュエリーってずっと持ってもらえるでしょう。3代先まで大切にされることもあるじゃないですか。そういうものを作りたかったんです。「人の心に残るものを作りたい」という想いが、ジュエリーを作ることと合致したんでしょうね。

私の手を離れて、その人がそれを身に付けて、子育てして、仕事をして、子どもの入学式や結婚式、お孫さんが生まれた日にもずっと付けている。そのお孫さんが大きくなったら、「これおばあちゃんが大事に持っていたものやから、あなたにあげる」と、成人式に渡されるとか。そういう思い出を載せられるものを作れるというのは、もうたまらんです(笑)
そういうジュエリーが欲しいと思われる方とどのように出会いますか?
うちでジュエリーを作っていただいた方のほとんどがリピートしてくださっていて、お客さんを紹介してくださることもあります。でも新規のお客さんに出会うのは難しいですね。百貨店の催事に出ることもありますが、安くて買いやすいものといった、百貨店の枠組みの中で出せる商品を作らないといけないんです。

今後は1点ものを扱うジュエリー専門のセレクトショップに出すことを考えています。 フルオーダーや1点ものというのは、私の中で「究極のもの」。1点ものとなると、その人の心に沿うものです。若い方はよく無難なものを選ぶ方が多いですが、ジュエリーには、面白いものや楽しいものもあって、「自分はこれを持っているから楽しい」と思えるものを、一つでも持ってもらえたら良いなと思っています。
立ち上げて6年目、これまでどんなことに悩みましたか?
もともと経営者になりたかったわけではないんです。5~6人の仲間と一緒に立ち上げたので、最初私はただのデザイン担当でした。でも急にはお金は稼げませんから、皆辞めていってしまったんです。始めて1年も経たないうちに、私ともうひとりの2人だけになってしまいました。
その状況をどのように乗り越えられましたか?
諦めず作り続けることでしたね。残った二人で、励ましあったり支え合ったりしながら、とにかく作り続けました。作り続けるために最初の頃はアルバイトもやりました。自分でやると言う事は、やめてしまう時点で終わりですから。母には「人生はゴムや。引っ張り過ぎると切れてしまうし、緩めすぎたらダラダラになる。伸ばしたり緩めたりを繰り返さないとあかん」とよく言われました。

例えばデザインを考える時、自分の中にぐーっと入ってしまいますが、それはぎゅーっと引っ張っていること。それをちょっと緩めて、1時間でもいいから何もしない時間を作ると、新しいデザインのアイデアが浮かんだり、次のステップに行けることがあります。
今後はどんな展望を考えていますか?
将来的には海外に出るのが夢です。日本の技術やデザインがこんなに良いということを海外の方に出していきたいですね。そして、最終的には職人の学校を作りたいんです。1個の指輪を作るにも100通りの道があって、最短の道もあれば、丁寧だけど時間がかかる道もある。それは職人の能力の差ですし、教える人によっても違う。日本のどの業界もそうですが、何よりも職人が減っていますから、どんどん増やしていかないと良いものが作れなくなってしまう。本気でやろうと思う人が、学んですぐに仕事ができるような学校を作りたいと思っています。

それと、私がしたいことを全て応援してくれた両親に恩返しをしようと思えば、この見つけた道で、ちゃんと成功するしかないと思っています。
ありがとうございました。
(取材:2014年11月 関西ウーマン編集部) 
 

 

 

 


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