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■関西ウーマンインタビュー(アーティスト)


高野 裕子さん(ダンサー・振付家)

 
高野 裕子さん(ダンサー・振付家)
1983年生まれ。2006年大阪芸術大学舞台芸術学科舞踊コース卒業。更にダンスや作品づくりを探究するため、神戸女学院大学音楽学部音楽学科舞踊専攻に進学。2010年に卒業後、ドイツのベルリンに渡って、ダンサー・振付家としての活動をスタートさせる。2012年に帰国し、アートカンパニー『UMLAUT(ウムラウト)』を立ち上げる。2015年から西宮市小中学校アウトリーチ事業におけるダンス講師、2016年瀬戸内国際芸術祭「nomad note dance」振付・出演を担当、ミツヴァ・テクニック(姿勢法)アシスタントティーチャーも務める。
HP: http://youreve.wordpress.com/
人間の内面や生死に迫る静かでダイナミックなもの、水鉄砲を撃ち合うシーンを盛り込んだ遊び心あふれるもの、人から人へと楽器もダンスもつながっていくもの、観客を巻き込んだ即興性のあるもの・・・喜怒哀楽さまざまなダンスや表情を見せてくれるダンサー・振付家の高野裕子さん。舞台やワークショップ、ミュージックビデオ、映像作品など幅広い分野で活躍中です。ご自身がダンスを介して人と出会い、対話することで解き放たれたと言います。高野さんがダンスをつくる時に、心にある「想い」とは何でしょうか。
「やってみたい!」と思ったら、やっちゃう
ダンスを始めるきっかけは?
生まれつき股関節に持病があって、医師からバレエで改善できる可能性があると聞き、6歳からクラシックバレエを始めました。最初は身体のためでしたが、小学4年生になる頃には「踊るのっておもしろい!」とダンス一直線に。小中高時代には、クラス内の力関係や集団行動などに疑問を抱いて馴染めず、学校に行けない時期もありましたが、そんな時もダンスが心の支えになっていたんです。

大学時代には、ダンスで作品をつくるおもしろさを知りました。自分がやってみたいことがあって、その想いに共感してくれる仲間がいて、みんなで作品をつくる。「なんて、自由なんだ!」と自分の内に秘めていた想いがぱあ~っと弾け出したんです。私はもともと社交的な性格ではなく、自分の想いを伝えても友だちに受け入れてもらっていない感覚があったので気持ちを押さえこんできたのですが、ダンスを介して人とつながったり、対話したりする喜びをこの時期、全身で感じたんです。
どのようにダンサー・振付家として第一歩を踏み出されたのですか?
憧れる人がいて「この人みたいになりたい!」と思っても、ダンサー・振付家になる方法があるわけでも、特別な資格があるわけでもありません。どうしたらいいんだろうと考えながら、やりたいと思ったことはやっちゃっていました(笑)。「こんなことをやってみたい」「この人と何かしたい」「この音楽に動きをつけてみたい」「こんな場所でダンスをやったらおもしろそう」など、はじめは仕事になるかどうかなんて関係なく、自分がやってみたいことをやってみたんです。

「ダンスをやっています」と言っても、さまざまなジャンルがあります。自分がどんなダンスをしていて、どれほどの実力があるのかはやってみないとわからないし、見てもらわないとわかってもらえない。だから、自分がやってみたいことをやって写真や映像など記録に残して、「こんなことをしています」と観てもらうようにしました。すると、「それなら、じゃあ」とおもしろいことにつながったり、つくる過程でも「次は一緒にこんなことをやろう」と発展することもあったんです。

(写真提供:yayoiさん)
これまでにどんな「やってみたい!」を実現しましたか?
今度一緒に舞台をするアーティストがいるのですが、まだ「知っている」程度の関係性だった時に、彼女が暮らす尾道まで押しかけたんです。彼女が作る似顔絵の仮面を身につけて、町でダンスをしたらおもしろそうとひらめいたので、実際に商店街や道路で踊りまくりました。

彼女の知人が日本家屋をリノベーションしていたので作業中の現場に突入!その人が柱の上を歩いて作業する姿がダンスに見えたので、「私はここにいない」想定でもくもくと作業を続けてもらい、座敷わらし的に踊りました。

誰も気に留めないような何気ない動作も切り取っていくと、ダンスに見えるんです。JR大阪駅周辺を歩いている時なんて、たくさんの人たちが行き交うこの空間をどう歩けば、作品になるかなあと考えてしまう。もうやらずにはいられないという原始的な衝動のようなものです。

(写真提供:中村寛史さん)
 
誰もがその人自身のダンスを持っている
高野さんのダンスとは、どんなダンスですか?
ダンスは私そのものだから、どんどん変わっていきます。以前は「自分の道を見失う」「自分の皮膚の中にある記憶」など人間の内面に迫るような、どちらかといえば、まじめで暗く見えるかなあという表現をしていました。

ある時、友人とのユニット『ぴーちくぱーちくズ』で、水鉄砲を撃ち合うなど「こんなことをしたら、おもしろそう!」というアイデアをダンスに取り入れてみたんです。そこから、表現がポップになってきたように思います。

一番の大きな転機は「はじめてダンスをします」という人たちと作品をつくったこと。『ダンス甲東園』で、プロ・アマ、老若男女関係なく、19人で一緒に作品をつくるワークショップを担当させていただきました。それまで、ずっとプロのダンサーとばかり作品をつくってきたので、自分にできるかなあと不安でしたが、やってみるとすごくおもしろい!

プロのダンサー同士なら「プリエ=ひざを曲げる」と専門用語で伝えてしまうところも、「窓にマヨネーズを塗るように動く」と言い換えて伝える。すると、一人ひとりから想像もしなかった動きが生まれたんです。その人は自然な動きとしてそうしたのかもしれませんが、私にとっては「おぉ!!そんな動きがあるのか!」と刺激を受けました。誰もがその人自身のダンスを持っていると気づいたんです。

(ぴーちくぱーちくズ)
「誰もがその人自身のダンスを持っている」、おもしろいですね!
身体には、その人が生きてきたすべてが詰まっているから、ダンスにもそれが表れます。身体に障がいを持つ人や小中学生にダンスのワークショップをする機会もあったのですが、それぞれがとても自由で、「この動き、気になる!」と刺激を受けることばかりでした。

ダンスは身体的に優れている人や技術を持っている人など限られた人がするものではありません。私自身、順調にダンス人生を歩んできたわけではなくて、生まれつき股関節に持病を抱えていて、子どもの頃はバレエをやるには小柄な体型に少しコンプレックスを抱いていましたし、ダンサーになってからは腰を手術して動けなくなった時期もありました。でも、そんな私だからこそ生み出すことのできるダンスがあります。

人それぞれ、身体や生き方などに由来するダンスを持っているんです。「ダンスなんてはじめて。全然、できないんです」とみなさん謙遜されるんですが、私にしたら「その動きだけで、もう、めっちゃ踊ってるで!」とつっこみたくなることもあります(笑)。

瀬戸内国際芸術祭で振付・出演の「nomad note dance」屋外でのパフォーマンス
その一人ひとりのダンスに対して、どのように関わっていくのですか?
研ぎ澄ましたり組み立てたりして、場を興します。日常の中ではこぼれ落ちてしまうようなものに着目して、「それ、いいやん!」「じゃあ、こんなんはどう?」とダンスで対話をしながら、一枚の布をつくりあげていくようなイメージです。

私はダンスを「できる、できない」では考えません。振付を覚えればいいものでも、リズムに合わせればいいものでもない。身体が踊ることの根本は心が踊ることだから、喜怒哀楽どんな感情でもいい、その人の深いところから「わあ~」や「うぅー」という「何か」が生まれてほしいんです。
 
ダンスで対話して、つながる
いつも心にある「想い」は何ですか?
こんなにたくさんの人たちがいる中で出会い、短い人生の中で一緒に時間を過ごすなんて、「なんじゃこりゃ!」とびっくりするくらい、すごいことです。私もあなたもいなきゃできないし、誰ひとり欠けたとしてもできなかった作品ができればおもしろい!

「生きてくれていてありがとう」「生きていてよかった」という気持ちが自然と溢れてきて、みんなと一緒だから「こんなところまで来ることができたね」という景色を見ることができたら最高!その想いは、私の原点かもしれません。

大学卒業後、ドイツのベルリンでダンサーをしていた時期があります。その間、東日本大震災があり、私の身近でも甥っ子が生まれたり知人が亡くなったり、人が生まれて死んでいくという循環を感じる出来事がありました。日本に戻って、地に足をつけて、まずは自分の隣にいる人と丁寧に向き合っていくことからはじめようと決心したんです。

その時につけた屋号『UMLAUT(ウムラウト)』とは、ドイツ語の発音記号で「音を変える」という意味。既存の価値観にとらわれず、一つひとつの事柄に対して丁寧に向き合い、自分たちの時代を築き、生きていきたいという気持ちを込めました。
近い未来、お仕事で実現したいことは何ですか?
とにかく作品をつくり続けたい。まだ見たこともないようなものをつくりたい。出会いによって「やってみたい!」は広がっていくから、もっともっと、いろんな人と出会いたいんです。
ありがとうございました。
取材:2016年9月
 
高野さんプロデュースの公演「Sheep Creeps the roop-羊達は心と体を這う」)のパンフ。学生時代にアルバイトをしていた『iTohen』で出会ったデザイナーやクリエイターの方々が、さまざまな視点から高野さんのダンスを捉えてアドバイスをくれたそう。 『sheep creeps the roop』 
『関西ウーマン』にもご登場くださったアコーディオン修理・調律師の岡田路子さん(→取材記事はこちら)が考案した、音の出る箱『nomad note box』を使ったダンスパフォーマンスの演出・振付を担当。高野さん自身もPVに登場している。
ダンサーとして高野さんが出演された、シンガーソングライター・大村みさこさんのミュージックビデオ『海になる』。
 
やりたいと思ったら、やっちゃう。高野さんの視点と発想と行動力にわくわくしました。「こんなことをやってみたい」と思っても、「いつか」とチャンスが訪れるのを待ったり、「できるはずがない」と諦めたり、一瞬思っただけで忘れてしまったりすることがあります。そこから一歩、踏み出してみる。やってみたいことを理想通りにはできなくても、今の自分にできることでやってみると、誰かとつながったり、自分の想いを知ってもらえるきっかけになったり、「いつか」のチャンスに近づいたり、自分でも想像しなかった可能性が拓けたりすることもあるのかなと思います。

私自身も「ぼんやりとやってみたい」と思っていたことに、今年から挑戦し続けています。最初はドキドキしますが、挑戦したことでより想いを深くしたり、「今度はこうしてみよう」と意欲が湧いたり、改善点が見えたり、想いに共感してくれる人が現れて心強くなったり。どんな結果やリアクションがあったとしても、「やってみる」ことでひらいていくことがあるから。高野さんのようなわくわく感を持って、これからも「やってみる!」ことを続けていきたいと思いました。
取材:小森利絵
ライター/HP:『えんを描く』
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。



 

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