HOME ■関西ウーマンインタビュー(アーティスト) イマイアキさん(トイミュージック作曲・演奏家) 前のページへ戻る

■関西ウーマンインタビュー(アーティスト)


イマイアキさん(トイミュージック作曲・演奏家)

続けていれば新展開。ひとりおもちゃ楽団のはじまり

イマイアキさん
(トイミュージック作曲・演奏家)
アコーディオンを弾きながら、トイピアノを弾き、鉄琴も叩き、鍵盤リコーダーのアンデスを吹き、おもちゃ楽器を鳴らし、足でタンバリンやカスタネット、鈴を踏み鳴らす!

1人で同時にいろいろな楽器を演奏する「ひとりおもちゃ楽団」スタイルで活動するイマイアキさん。曲も、演奏も、聴き手のどこかなつかしいところに響いてきます。

子どもの頃にトイピアノで遊んだり、近所のお姉さんのピアノ演奏に聴き入ったりした経験が今につながる原点ですが、イマイさんらしい表現にたどり着くまで、常に「結局は何も上手にできない」という感覚があったそうです。それをどう乗り越え、どのようにして「ひとりおもちゃ楽団」にたどり着いたのでしょうか。
子どもの頃に空想していた世界
楽器というメンバーで構成されたおもちゃ楽団、素敵ですね。どんなふうに演奏されているのですか?
まずはアコーディオンを持って椅子に座ります。右側に机を置いて、フィンガーベルを吊るし、上にトイピアノと鉄琴、タッチ式ベル。左側に譜面台を置いて、自転車のベルを取り付け、上に笛の音がする鍵盤リコーダーのアンデス。

靴にはダンバリンやカスタネット、鈴をつけて、踏み鳴らせるように。足元のかごには小さな子どもが音を出して遊ぶおもちゃをいろいろ。曲に応じて、それらの音を組み合わせて演奏しています。

楽器が付いた変わった靴を履き、アコーディオンを弾きながら、笛を口にくわえて吹く姿は、子どもたちにはヘンテコリンに見えるみたいです(笑)。
おもちゃ楽団を結成するきっかけは?
自分で作曲するようになって、心の奥底にある子どもの頃の世界とつながるようになったからです。

もともと演奏していたアコーディオン、それに加えて次にメンバーになったのはトイピアノ。「この曲だったら、こんな音で」と思いを巡らすうち、子どもの頃に遊んでいた赤いトイピアノを思い出しました。

一日中「ポロピンガチャリラ♪」と弾いていたのが、音楽との楽しい思い出のはじまりだったから、「またトイピアノを弾きたいなあ」と。

その後「鉄琴も好きだったなあ」「そういえば・・・」と思い出したりひらめいたりしながら、おもちゃ楽器メンバーは増えていきました。
いろいろな楽器を使って演奏されています。最初から1人で演奏しようと思っていたのですか?
はじめはメンバーを募集しておもちゃ楽団を結成できたら素敵と思っていました。メンバーを募集するために、まずは自作曲の音源CDをつくることにしたんです。アコーディオン、トイピアノ、おもちゃ楽器などをそれぞれで録音して、後で組み合わせました。それが今につながる原型です。

まもなく妊娠・出産したので、そのままメンバーを募ることはなく、活動を休止。子どもが2歳になって再開した際、1人でもアコーディオンとトイピアノは同時に演奏できたから、「トイピアノの上に鉄琴を置いて叩いたらどうだろう?」とひらめいて、「じゃあ、この楽器も」とトライするうち、ひとりおもちゃ楽団スタイルが出来上がっていったんです。
曲もまるでおもちゃ箱をひっくり返したような、心ときめく感じですね。どんな世界観を表しているのですか?
一緒に暮らしていた文鳥のピピやネズミさんとの思い出、読んでもらった絵本やおとぎ話など、子どもの頃を思い出して心に浮かんだハナウタのようなメロディーを曲にしています。

子どもの頃の現実ではなくて、空想していた世界です。たとえば、『夜のネズミ』『ネズミのダンス』という曲があります。子どもの頃、母が医大で実験用の動物の飼育員をしていたことがありました。

ネズミが実験されていることや時々脱走していることなど母から聞いた話や実際に家で飼ったことのあるネズミの姿から「ネズミさんの気持ちはどうだろう?」「自由に動き回りたいのではないだろうか?」などさまざまなことを想いました。

曲ではネズミさんたちが楽しく自由に駆け回ったり踊ったり。当時「こうなったらいいなあ」と空想していたこと、果たせなかった想いが曲に表れているのかなあと思います。
憧れから等身大の自分へ
そもそも、どうして音楽の道へ?
3軒隣に住んでいるお姉さんのピアノ演奏がとても素敵で、「今度はいつ弾いてくれるのだろう」と楽しみにしていた子どもの頃。私もピアノを弾いてみたいと思いましたが、我が家では無理だったので、代わりにエレクトーンを習い始めました。

高校生の時にリスト作曲『愛の夢』を聴いて、雷に打たれたように「私はピアニストになるしかない!」と一念発起。練習に練習を重ねて、大阪芸術大学のピアノ科へ進学しました。

卒業後はピアノ講師をしながら、夜はライブバーで演奏の仕事を。結婚後はピアノ講師を続けながら、ケルト音楽のロック版バンドに加入。ずっと音楽に携わってきましたが、結局は何をやっても上手にできないという感覚がつきまとっていました。
「結局は何も上手にできない」とは?
ピアニストをめざして一生懸命、クラシックを練習しても全然上手に弾けない。ライブバーの演奏のためにジャズを練習しても、お客さんの受けがいいわけでも、新しい仕事のオファーがくるわけでもない。

バンドは自分からやめてしまい、演奏する機会を失ってしまった。もちろん、楽しいこともあったけれど、「他に道があるのではないかなあ」「どうしたらいいんだろう」と悩んだり迷ったりの繰り返しでした。
その悩みや迷いをどのように乗り越えたのですか?
自分で作曲したことをきっかけに、自分がいいと思える演奏ができたからです。そのきっかけは、ある日見た夢。うとうと昼寝をしていたら、小学生から中学生にかけて飼っていた文鳥のピピが夢に現れました。

家の押入れに迷い込んでいて、物が崩れてきたら下敷きになってしまう。必死で「ピピ!ピピ!」と呼んだら、外に出てきて私の手の上にぽんと乗ってくれたんです。

ピピが夢に出てくることなんてほとんどなくなっていたので、懐かしくて「夢に出てきてくれてありがとう」という嬉しい気持ちと、「なんだ、夢だったんだ」というさみしい気持ちがありました。ふとアコーディオンで曲をつくってみようと思ったんです。つくってみたら、よかった。曲も、演奏も、自分ではじめていいと思えました。
作曲したことがどうして乗り越える力になったと思いますか?
これまでずっと憧れを追い続けてきたことに気づきました。憧れというと、自分の中に「こうあるべき」と理想とする姿があるということ。自分がそこにあてはまらないから「結局は何も上手にできない」と悩み、迷い、自分に合うジャンルや方法があるのではないかと探し続けてきました。

自分がつくった曲は、まるで自分自身のような曲です。自分の心の奥底にあるものだから、正解もなく、理想を追う必要もありません。自分自身でいいと思えたし、「いいね!」と好きになってくれる人たちも現れました。やっぱりこれでいい。それからは迷ったり、探したりする気持ちがなくなりました。自分に合うスタイルをつくってくることができたんだと思います。
迷うなら続けていれば、いつか新展開
自主制作アルバムの販売、主催の演奏会、保育所や幼稚園での演奏、ユニット活動など活躍されていますね。
最近は人形劇団から作曲や劇中曲の録音依頼をいただくなど、仕事の幅が広がっています。これまでは自分がやってきたことに「ここでもやってください」とオファーしてもらうことばかりだったので、「こんなこともさせてもらえるんだ!」と発見です。

人との出会いによって、さまざまな作品に関わる機会をいただき、新しい可能性が拓きました。またはじまりのような気持ちでいます。やっぱり続けていたら新展開がやってくるんだと思いました。
「続けていたら新展開」。模索しながら挑戦し続けてきたイマイさんだからこそのメッセージですね。
一般的に「続けることはいいこと」と言われていますが、私は正直いいことかどうかはわからないと思っています。でも、もし、迷っているのなら続けてもいいのかなあと。

私自身、うまくいかない時期が長く続きましたが、それでも続けてきたから、作曲ができるようになったり、ひとりおもちゃ楽団を結成したり、新展開がやってきました。一生懸命やっていれば、何かしら新展開はやってくるんだと思います。
イマイアキさん
トイミュージック作曲・演奏家、ピアノ&リトミック講師。大阪音楽大学短期大学部を経て、大阪芸術大学演奏学科ピアノ専攻に編入。卒業後は河合楽器製作所の音楽教室にてピアノ講師を1年経験した後、独立して自身の教室を設立した。2011年より「アコーディオンとおもちゃ楽器がおりなす小さな世界の物語」をコンセプトにしたひとりおもちゃ楽団スタイルで演奏活動をスタート。2015年には、足踏みオルガン演奏+プチ人形劇をひとりで行なうスタイルでも行なう。保育所や幼稚園、児童館、各種イベント、カフェ、ギャラリーなどで演奏するほか、映画や人形劇への楽曲提供や演奏なども手掛ける。自主制作アルバムとして『美しい鳥』『月のランプおもちゃの星』がある。2人組のユニット『ネコトピア』としても活動中。
HP: http://imaiaki.com
FB: imaiakicom
(取材:2016年12月)
イマイアキさんの「憧れを追い続けてきた」「続けていたら新展開」というお話をうかがいながら、私自身「あの人みたいにこうできるようになりたい」と憧れ、そうなれない自分を責めていた時期があったことを思い出しました。

私の場合は具体的に理想とする人がいて、その人のようになろうと、考え方を取り入れたり本を読んで勉強したり。でも、そういうふうにはなれなくて、そうなれない自分はだめなんだと責めていました。

そんなことを続けるうち、不思議ですが、ある時ふと「なれないんだ」「なれなくていいんだ」と解放されたんです。おそらく、ずっと憧れを追い続けてきたからこそ、どう頑張ってもどうしても「なれない」と気づけたことが大きかったんだと思います。自分は自分でしかなくて、誰かと同じにはできない・・・当たり前のことですが、気づくのにだいぶ時間がかかりました。

そう気づいてからは、頑張る方向も、誰かをめざしてではなくて、「自分としてこういうことをやりたいから、これが必要」というふうに。考え方、捉え方も柔軟になり、ずいぶん生きやすくなったように思います。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP:『えんを描く』

■関西ウーマンインタビュー(アーティスト) 記事一覧




@kansaiwoman


■ご利用ガイド




HOME