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■関西ウーマンインタビュー(アーティスト編)


兵頭 祐香さん(女優)

 
兵頭 祐香さん (女優)
2003年カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作『沙羅双樹』(監督:河瀬直美)主演に抜擢されデビュー。初々しくも表情豊かな演技で鮮烈な印象を残し、初主演にして第18回高崎映画祭最優秀新人賞を受賞。 近年はノンバーバルパフォーマンス集団「オリジナルテンポ」のメンバーとして、国内外問わず活動中。2009年、世界最大の芸術祭・エジンバラフリンジフェスティバルでは『Shut up,Play!!』が最高評価の5つ星を獲得。その後、韓国、イギリスをはじめとする世界各国で公演し成功を収める。 2013年は、ヨーロッパツアーと初の東京公演を行う。現在、京都でロングラン公演中のノンバーバルパフォーマンス『ギア』に、ドールパートとして出演中。
小さい頃から女優さんになりたい夢を持っていたのですか?
全く思っていませんでした。バレエやお習字など、いろんな習いごとは好きでしたが、女優や芸能人には全く興味が無かったんです。高校3年のある日、下校途中で、河瀬直美監督に声を掛けられたのがきっかけです。

その時は映画のオーディションの話では無くて、「地域の新聞の取材で、最近の高校生にインタビューしてるんやけど、ちょっとお話聞いてもいいかなあ」と言われたんです。その日は急いでいたので、「時間がないので、すみません」って帰りました。するとその次の日、担任の先生に呼ばれて、「昨日校門で声をかけられたと思うけど、話を聞きたいみたいやから、今日いいかな」と言われたんです。

河瀬直美監督といえば、カンヌに行った有名な監督ですが、当時の私は全く知らなくて、それに同じ高校の卒業生だったんです。新しい作品を作るにあたり自分の母校で、誰かいい子はいないかなと探していたところに、偶然私がいて声をかけてもらったんです。
学校の理科室で取材を受けたんですが、将来どうしたいのかとか、何に興味があるのかとか、いわゆる世間話をしただけでその日は帰ったんです。すると次の日も、「もうちょっと聞きたいから」ということで、また理科室に行って取材を受けて、それからまた次の日も呼ばれて。

「もう、何だろう・・」と思っていると、河瀬監督が映画の企画書を出して、「私、実は映画監督をやってまして、こういうオーディションがあるので、よかったら受けませんか?」と言われたんです。「ええー、ウソでしょ」って思ったけど、おもしろそうだから、「受けたいです」って答えました。

学校の先生からは、「お前、これ出たら人生変わるぞ。ちゃんと両親にも相談しろ」と言われたので、両親に相談すると「受けたいなら受けたらいいやん」。それでオーディションに無事合格して、映画に出たんです。

奈良の高校生の役だったので、そのまま自分の制服と鞄だし、いつもの生活にカメラが入ってきたという感じで楽しかったですね。夏のいい思い出ができたなあと思うくらいで、この仕事をずっとやっていきたいとは思っていませんでした。 
それが、カンヌ国際映画祭で正式出品された映画「沙羅双樹」だったんですね。
その後高校卒業して短大に通っていましたが、カンヌに正式出品されたということで、招待が届いたんです。「カンヌって何?」と思って調べたら、世界三大映画祭の一つで、「テレビで見る、あのレッドカーペットのやつやん。なんかすごいことやったのかもしれない」と思いました。招待して頂けるのなら、行かないと損だと思って(笑)。河瀬監督も、せっかくだからお母さんも連れていってあげたら、と言ってくださったので、母と一緒に旅行みたいな感じで行きました。

そこからですね。街中すごく盛り上がっていますし、当時のビッグアーティストがいっぱい街に溢れていて、クリントイーストウッド監督も来ていました。タクシーで乗り付けてレッドカーペットを歩いて会場に入ったら、すごいカメラの数で。会場も3000人くらいいますし、スクリーンも普通の映画館より1.5倍はあるほど大きくて。「すごいところに来てしまった」と初めて思いました。

「沙羅双樹」が日本語のまま上演されて、英語とフランス語の字幕が同時に出ていたんですが、それを見たとき、「ああ、なんてステキな世界なんだろう。こんなの夢みたいや」と思いました。上映が終わって、5分くらいスタンディングオベーションの拍手が鳴り止まないんです。なんかもう泣けてきて、「女優ってステキやな」って、やっと実感したんです。
女優をすることに、ご両親は賛成されましたか?
父も母も、賛成もしないけど、反対もしませんでしたね。自分で判断して自分で決めていきないさいという感じでした。それはありがたかったですね。

だけど、やるぞと思ったけど、どうすればいいかわからなかったんです。声を掛けられて、オーディションがあると言われて受けたら受かって、カンヌに招待されて。自分がしたいからではなく、棚からボタ餅状態で降ってきた。で、おもしろそうだから、これも食べる、あれも食べるといった流れできたので、じゃあ自分でやるとなったとき、この仕事は何をしたらできるんだろうって。
事務所には入っていなかったんですね。
カンヌから帰ってきてから、色々な方に相談したら、事務所は大事だし入った方が良いかもねとアドバイスいただきましたが、 いろんな芸能プロダクションがあって、どこがいいか分からないので、結局、共演した先輩女優さんの事務所の社長に相談できないですかとお願いしました。

怖いもの知らずの直談判で社長にお会いすると、「じゃあ一度うちでやってみるか」と言ってくださって、そこでやっと事務所に入ったんです。事務所は東京だったので、奈良から通いながら、約2年そこにお世話になりました。
そこではどんな仕事をされましたか?
大手飲料メーカーのCMのナレーションや、ドラマ、舞台もやりましたから、いろんな経験はさせて頂きました。でも何がやりたいのか分からなかったんです。頂ける仕事をやっていけば、またいつかカンヌに行けるんじゃないか、みたいな感覚しかなくて。タレントなのか女優なのか、自分の中ではまだ決めていませんでした。

奈良にいる時は普通に学校に行ってましたし、バレエも続けていました。舞台の時だけは稽古があるので1ヶ月半くらい学校を休んで東京に行っていましたが、仕事が無いときはどうすればいいの?って感じでした。
その後、事務所を離れられたそうですが
事務所には、ある大きなオーディションに受かったらずっと面倒をみるという約束をしてもらえたんです。そのオーディションに合格するのは簡単なことではないことはもちろんわかっていたんですが、それでも事務所で預かってもらわないと、どうしようも無いと思っていたので、「がんばります」と受けたんです。

1年目のオーディションで最後の2人まで残りましたが、受かりませんでした。事務所の社長は、最後まで残ったことを認めてくださって、「じゃあもう1年面倒見るから、来年は絶対に決めてきなさい」と言われました。次の年、良いところまで行ったんですけどだめだったんです。
約束どおり「受からなかったので面倒みれないかな」ということで、その事務所を離れました。 ちょうど短大を卒業する年だったんです。その時はまだそのオーディションの結果は出ていなかったんですが、私の中では今年絶対決めると覚悟して、学校卒業したら東京に行くと腹を決めていたので、いろんなものを整理して、次に進む準備をしていたんですけど、決まらなかった。

バレエは関西で唯一、プロのバレエ団を持っている教室で、そのバレエ団に入る年だったんです。でも「私は女優になるからバレエ団に入りません、いままでありがとうございました」と団長に話して、みんなにも、「東京で女優がんばってね」と送りだされたから、戻るとこも無い。事務所も出て、東京に行ってもどうしていいか分からない。20歳の時に、どこにもどうしようも無い状態になってしまったんです。

両親は「まあ、とりあえず考えよう。家にいればいいじゃない」と言ってくれましたが、気持ち的には大阪にもいたく無かったんです。知ってる人に会えば、「あれ?東京に行ったんじゃないの?」となるだろうし、自分はオーディションに落ちたことだけでも傷ついているのに、さらに傷をえぐることになるから、それは耐えられない。それでニューヨークに行こうと思ったんです。もう現実逃避ですね。
なぜニューヨークだったんですか?
東京の事務所から帰ってきて、これからどうしようとポーっとした状態で何日か過ごしてましたが、ある日ふらっと旅行代理店に入って、なぜかニューヨーク行きのチケットを買って帰ってきたんです(笑)

ツアーじゃなくオープンのチケットなので、帰りは後から決められるし、行く日だけ決めて、「来週ニューヨーク行ってきます」って言うと、その時はさすがに両親も「えーっ!どういうこと?」って驚いていましたね。

「どこに泊まるの?いつ帰るの?」と聞くんですけど、「適当にユースホステルでも探す」というと、お願いだから、泊まるところと帰る日だけは決めてと、その2点を守るなら行っても良いと言ってくれたんです。その時くらいですね。そうやって親に言われたのは。

親にしたら、この子はニューヨーク行って自殺するんじゃないかと思ったんでしょうね。後から、「行くのを止めようと思ったけど、そこはあなたを信じた」と言ってました。私が辛いことを分かっていたので、この選択も正しいと思ったんでしょうね。これしかないって、すごい気迫でチケット買って帰ったきたんだと思います。
ニューヨークに行かれてどうでしたか?
ブロードウェイで『オペラ座の怪人』をやっていて、本物が見たかったのもニューヨークに行きたかった理由のひとつでもあるんです。ブロードウェイの劇場で、ひたすらいろんな作品を見て、ダンスのオープンチケットで飛び込みレッスンを受けたり、美術館に行ったり。いろんなところに行って、いろんなものを見て、とにかくリフレッシュしていました。するとある日突然、「なんか、世界って広いな」と思ったんです。

「日本でオーディションに落ちたくらいで、この先人生どうしたらいいんだと、なにを悩んでいるんやろ、私」って。ニューヨークにはいろんな人がいて、ミュージカルもあればストリートプレイもあるし、もっと違うのもある。なんて小さな世界で悩んでいたんだろうと、ふっ切れたんです。

「なんや。やれることはまだまだあるわ。だってカンヌに行ったんやから。舞台は世界なんや」って。そこからですね。私はまだまだやれると思いました。それが2つめのターニングポイントです。ここからもう一回自分でやってみようと思ったんです。それから、ニューヨークもいいけど、その想いが消える前に帰って、何か動き出さなくちゃと思い、1ヶ月足らずで帰ってきました。
やっぱり本場の力って大きいんですね。世界で奮起して、世界で再起したんですね。
エネルギッシュな街でしたね。東京の事務所にいた頃、初めて舞台に出させてもらったとき、共演した役者さんが関西の方が多かったんです。その方たちが出ている舞台を見に行ったり、楽屋に遊びにいったりしていました。

そのうちに舞台に出たら?と声をかけてくださるようになったんです。でもそれはやっぱり、カンヌに出たということが大きいと思うので、それはすごい「カード」を私は持っているんだなと改めて思いました(笑)いろんなお仕事をさせていただいていくうちに、ありがたいことに、そこからどんどん広がりましたね。やっぱり舞台は楽しいですね。観客がいてリアルなものが伝わるのが好きです。
このギアとの出会いは?
こことは別に、「オリジナルテンポ」という団体にも所属していて、そこは言葉を使わず音楽的にアプローチする演劇をするんです。なぜそれをやりたくなったかというと、世界に行けると思ったから。言葉が無いということは、どの国の人も見ることができる。

ニューヨークから帰ってきてからいろんな舞台に出ましたが、最終的に自分がチョイスするのは、世界に持っていけるかどうか、で判断してるんです。オリジナルテンポも、ヨーロッパなどほとんど海外で公演していて、日本公演が少ないという珍しいカンパニー。その演出されていた方が、このギアの最初の演出家だったんです。そこからの繋がりで、ギアのオーディションを受けて、オリジナルメンバーとして立ち上げから関わることができました。

ギアは5年目になりますが、最初は道頓堀のZAZAというスタジオから始まって、その後、西区の名村造船所跡地や、長崎のハウステンボスなど転々としながら、3年前この京都に来て、ようやくロングランになり、800回公演を達成しました。
800回はすばらしいですね。3年するとロングランとして定着しますね
ギアはすごいパフォーマーが揃っていて、それこそ世界でやってきている人たちが出ているんですが、まだ演劇を見るという文化というか習慣があまり無いのか、舞台は敷居が高いと思われているところはありますね。最初の1~2年は苦しくて、ずっと皆で耐えていました。どうすればもっと多くの人に見てもらえるんだろうって。

スタッフも入れ替わりもありますがどんどん増えてきて、今ではかなりの大所帯になっています。嬉しいなと思うのは、東京や海外など他のどこで仕事していても、「ただいま」って帰ってこられるホームがあるというのは、役者としては大変有難い環境です。
将来的にはやっぱり海外?もう一度レッドカーペットを歩きたいですか?
絶対歩きたいです。カンヌじゃなくてもアカデミー賞でもいい、みたいな(笑)世界三大映画祭があるように、演劇にも世界三大演劇祭もあるんです。イギリスのエジンバラ、フランスのアヴィニョン、オーストリアのアデレード。そこに行けば世界三大を制覇できるとか、映画際も、1つ制覇しているのので、あと2個も制覇したいなと(笑)スタンプラリーで集めるには、結構大きいスタンプですが(笑)1個スタンプ押しているだけでもすごいことだと思うので、全くできなくは無い気がするんです。
これからも関西を拠点に活動されますか?
今は拠点を東京に移そうとも思わないですし、東京でなければとも思わないですね。世界から見るとどこでも同じですから。関西でも素晴らしい才能の持ち主はたくさんおられますし、それで面白いものを作れば一緒です。以前、スロベニアの方が大阪に来て、1ヶ月一緒に公演して、その後こんどは私たちがスロベニアに1ヶ月行って、向こうで公演しましたが、もう国も関係ない。どこでやったかというより、誰と一緒に作るかというほうが重要だと思います。
女優に憧れる人が多いかと思いますが、この仕事を目指す人に伝えるとしたら?
やっぱり「運」ってあると思うんです。それには周りがどんな人たちなのか、ということだと思うんです。良い人との繋がりがあれば、運も変わると思っているんです。そのためには、一緒に美味しいものを美味しく食べたり、キレイなものを見たときにキレイやねと共感したり。感情をシェアできる友達って財産だと思います。あと、「どんなことでもやってみようぜ」ということですね(笑)。関西的なノリかもしれませんけど(笑)
ありがとうございました。
 
(取材:2014年11月 関西ウーマン編集部) 
『ギア-GEAR-』
演劇でもない、ミュージカルでもない、サーカスでもない!日本発!日本初!京都で出逢える、感動エンターテイメント!

ギア専用劇場(ART COMPLEX 1928)
〒604-8082 京都市中京区三条御幸町角 1928ビル3階http://www.gear.ac/
 
 

 

 

 


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