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■関西ウーマンインタビュー(起業家)


魚森 清恵さん(一般社団法人味付けアドバイザー協会 理事長/UOMORI企画 代表)

たくさんの失敗の上に、失敗しないレシピが生まれる

魚森 清恵さん
味付けアドバイザー
一般社団法人味付けアドバイザー協会 理事長/UOMORI企画 代表
味付けに特化した商品開発コンサルタント「味付けアドバイザー」として、食品会社から依頼を受けて、スーパーのお惣菜や冷凍食品、調味料、缶詰、粉もんなどの開発を行う「UOMORI企画」代表の魚森清恵さん。

調味料メーカーで商品開発の仕事に携わった後、2012年に起業し、2016年には一般社団法人味付けアドバイザー協会を設立されました。同協会では、自家製調味料と、それを使った簡単でおいしい家庭料理のつくり方を伝える料理教室を開催されています。

「協会設立時は、UOMORI企画として自分のしている仕事を否定することにもつながっていた」「設立趣旨から一時期、仕事が減ったこともあった」と振り返る魚森さん。

15年ほどされてきた仕事と相反する趣旨を掲げるに至った理由とは? また、その相反する仕事を両立されているのには、どんな想いがあるのでしょうか。
「たまたま」が、今につながるはじまり
大学卒業後、企業の外食部門に就職されたとのこと。もともと食に関わる仕事に興味があったんですか?
いえいえ、違うんです。食に関わる仕事に興味を持ち始めたのは、就職してからでした。

大学の4年を経ても、これから先の人生、何をしたらいいのかを決められなくて。私が就職活動をしていた頃はバブルが崩壊したばかりだったので、世の中全体が不景気。就職活動をしてみるものの、なかなか決まらなかったんです。

そんな時にたまたま採用されたのが、多業種を展開する企業の外食部門でした。
たまたま採用された会社で働くうち、食に関わる仕事への興味が湧いてきたのですね。そのきっかけは何だったのですか?
会社には総合職として入社し、最初は店舗で接客スタッフの育成に携わっていました。

ホールで接客をしながら、野菜や肉といった素材が料理に変わっていく様子を見るのがおもしろくて、シェフから「今日はこんなふうにつくってみたよ」とレシピやアレンジなどを教わるうち、料理や食に関わる仕事に興味が湧いてきたんです。

もともと、料理をすることは好きなほうでした。母が画家で、描き始めるとその世界に没頭してしまうことがあり、私が家族のごはんをつくることがあったからです。

もし、高校生の時に、食に興味を持てていたら、栄養士や料理人をめざす学校に進学していたのにと思うくらいに興味を持ち始めたのに、入社して3年後、本社に異動して人事・総務の仕事をすることになってしまいました。
せっかく興味を持てることと出会えたのに、その現場から離れることになってしまったのですね。
私としては、食に関わる仕事がおもしろいと思っているので、また店舗で働きたいと思っていましたが、会社側の人事・総務担当として育てていこうという意向も感じていました。

この状況に自分がいつまで耐えられるかなと思いながら過ごしていたら! 会社創立50周年記念行事として開催されたメニューコンテストでグランプリを受賞したんです。

レストランやベーカリー、ケーキ、事業所給食など多業態展開で700店舗近くあり、シェフやパティシエなど何千人という従業員がいる中でのコンテストだったので、料理人でもない私がまさかとびっくり。グランプリ受賞者は数人いたのですが、私以外はみな料理人でした。

プロの料理人と並んでグランプリをもらえたということは、食に関することで自分に向いていることがあるんじゃないかなと調子に乗ってしまったんです(笑)。
そもそもメニューコンテストに応募しようと思った理由は何だったのですか?
グランプリの副賞のイタリアグルメツアーねらいでした。母が海外旅行に行ったことがなかったので、一緒に行けたらいいなと思ったんです。

父が家でよくつくってくれていたタコ飯がおいしかったので、トッピングなどにアレンジを加えて応募。ほかの料理人がつくったものは、もう見た目からしておしゃれな料理ばかり。

会社の幹部が試食して、その投票数で選ばれたそうですが、どうして私のタコ飯が選ばれたのかは未だに謎です。
食に関わる仕事といっても、料理人として飲食店で働くなど、いろんな選択肢があります。どうして商品開発の仕事を選ばれたのですか?
イタリアグルメツアーで、ほかの受賞者と一緒に、パスタなどの食品製造工場を見学しました。たくさん製造されていく食品を見ながら、おおもとになる商品開発をしている人たちがいるんだろうなと想像したことが、印象に残っていたのかもしれません。

シェフやパティシエなどを志す人は結構いるから、専門学校などを出ていない私が活躍できる場は限られているかもしれないけれど、商品開発については学生時代からめざす人はあまりいないのではないかなと思ったから、現場で経験しながら学んでいけるのではと希望が持てたんです。

実は、その会社にも商品開発部があったので、異動できたらいいなと思ったのですが、商品開発のキャリアを重ねてきた人たちが活躍していて、他部署からの異動は難しそうでした。

また、会社からは人事・総務担当として期待されていましたし、このままここで働いていたら、商品開発に携わるのは難しいと判断し、28歳の時に退職したんです。
最初の会社の商品開発部も、商品開発のキャリアを重ねてきた人たちが活躍していて、他部署からの異動は厳しそうだったというところで、転職活動も難しかったのではないですか?
未経験から商品開発の仕事に就くことは、なかなか難しいものがあると思います。でも、当時はそんなことも考えずに辞めてしまいました。職業安定所で求人票を順番に見ながら、商品開発の仕事を探すというところから始めたんです。

そこで見つけたのが、次の職場となる老舗の調味料メーカーでした。事務職の募集しかなかったのに、商品開発希望で面接へ。結果はもちろん、不採用でした。事務職の募集だったので仕方ありません。

次を探そうと思っていたら、後日連絡があり、再びうかがうことに。なんと「未経験だから、アルバイトでいいなら」と採用してもらえることになったんです。メニューコンテストの話もしたので、興味を持ってもらえたのかもしれません。

正直、30代目前でしたから、「今からアルバイト!?」と一瞬思いましたが、給料をいただきながら商品開発の仕事を学べるなら、そんなありがたいことはありません。入社後まもなく、正社員にしてもらえたので、きっと私の本気度が試されたのだと思います。
石橋を叩いていたら渡れない
「食に関わる仕事がおもしろそう」という興味から商品開発の仕事へ。興味が、今も続く、「天職」とまで思えるものに変わったのは、なぜだったのでしょうか?
調味料メーカーでは、スーパーのお惣菜や冷凍食品といったさまざまな加工食品の調味料をつくっていました。

食品会社などからの依頼をもとに原料を選定、素材に合う味付けはもちろん、使いやすさやコストなども考慮しながらレシピを考えて試作、試作品をプレゼンテーション、依頼主の現場で試作など、店頭に並ぶまでに、さまざまな人たちの協力を得ながら、細かい工程を一つずつ積み上げて1つの商品をつくり上げます。

大規模なものは一度に2~3トンほどの量をつくりますから、失敗が許されません。仮説検証の繰り返しで、「こうしたらだめだった」「ああしてもだめだった」といったたくさんの失敗の上に、失敗しないレシピが生まれます。もう、時間が経つのも忘れるくらい、没頭していきました。

売れる商品と売れない商品と結果がはっきりとわかりますし、自分が携わった商品が店頭に並び、誰もその味付けを私がつくったことなんて知らないのだけれど、目の前で誰かが買ってくれている姿を見ると、よかったなと嬉しくなります。

自分が好きなだけでも誰かに必要とされなければ仕事としては続けられませんし、成果を出せるだけでも自分が嫌だったら続けられません。

私にとって商品開発の仕事は、最初は「やってみたい!」という興味から始めたことですが、時間を忘れるくらいのおもしろさを感じて、つくったものが採用になったり、売れたり、仕事の指名が入ったりするなど成果もついてきたから、天職だなと思いました。
調味料メーカーでは12年間勤務、開発課長を務めるなどされていたそうですが、起業するきっかけは何だったのですか?
起業したのは40代になったばかりの頃でした。役職も任せていただいて、後輩を育てていくこともしていましたし、会社自体には満足していたので、独立することは考えていなかったんです。

それが、2011年の東日本大震災で、直属の上司が亡くなったことで変わります。上司は日帰りで東北出張に行っていて、亡くなる少し前まで電話で話していたんです。そのショックから立ち直れなかったというのが退職の理由でした。

上司が亡くなったことが信じられない気持ちと悲しい気持ち。それでも日常は続きますから、上司に代わって私が頑張らなければなりません。頑張ろう、頑張ろう、頑張らないといけないと思うんですが、気持ちに反して体調が悪くなり、しまいには手が動かなくなってしまいました。

今思えば、心の不調が「手が動かない」という身体の不調として表れたのでしょうね。

会社からは「休職したらいいよ」と言ってもらったのですが、上司との思い出がたくさん残る場所。たとえ、体調が回復したとしても、ここにいるといろいろ思い出してしまいます。この場所で働き続けることは難しいと思ったんです。

退職してしばらくの間は貯金を切り崩して、自分の心が思うままに過ごしました。

気力を取り戻して、再び仕事をと思ったら、今度は40代の厳しい現実を見ます。40代になった途端、再就職先が限られますし、条件も厳しい。そういった状況に心が前向きになれなかったので、少しでも前向きになれるように起業する道を選んだんです。
これまで起業などを考えたことがなかった中、勇気のいることだったのではないでしょうか?
経営者の方との出会いがあったり、大阪産業創造館の創業支援などを知ったりしたことが、背中を押してくれたんでしょうね。

調味料メーカー時代に、食品会社内で抱えきれなかったり、社内にはない新しい発想を求めたりして、商品開発を外部に委託するケースがあることを知っていたので、そういったお仕事を個人で受けることができたらと考えたんです。

その時も、事務職から商品開発職に転職した時と同じで、石橋を叩いていたら「こうなったら、どうしよう」「ああなったら、どうしよう」など考え始めて恐くて渡れなくなってしまいます。

たとえ、失敗したと思っても、「こうしたら、こうなってだめだったから、次はああしてみよう」と試行と検証を繰り返していったほうが早いと、行動あるのみとばかりに動いていました。
魚森さんが特徴的なのは、起業時に「味付けアドバイザー」という職種名をつくり、商標登録もしているところです。「味付けアドバイザー」という職種名をつけようと思われたのはなぜですか?
職種としてはフードコーディネーターになるのかなと思いましたが、一般的な職種名であり、多くの人がすでに活躍している分野です。ほかの方々との違いがわかりにくく、起業して仕事をしていくにあたって、埋もれてしまうんじゃないかなと思いました。

私が調味料メーカーで12年勤めてきた経験を活かしてできることは「味付け」に関することです。

素材そのものにも味があって、そのまま販売すると「原料を売る」ということになりますが、それを商品にするということは、その素材に合う味をつけるということ、更には毎回同じ味を再現できることが必要になります。

その部分に特化してアドバイスする人は、あまりいないのではないかなと考え、味付けに特化して差別化を図ろうと、「味付けアドバイザー」と名乗ることにしたんです。

何を依頼できるのかが明確ですし、一般的ではない職種名であることで、「何をしているんだろう?」と興味も持ってもらえるのではないかなと思いました。ねらい通り、興味を持ってもらえましたし、味付けに特化した依頼をいただけています。

最初にどんな職種名や肩書きにするかは大切なことだと思いました。
日本に昔からある発酵調味料に立ち返って
これまでにどんな「壁」または「悩み」を経験されましたか?
「UOMORI企画」という屋号で、味付けアドバイザーとして仕事を始めたのが、2012年のことです。その4年後の2016年に、「一般社団法人味付けアドバイザー協会」を設立しました。

味付けアドバイザー協会では、日本に昔からある醤油や味噌、酢、みりん、酒といった発酵調味料を味付けの主役とし、料理教室などを通して家庭料理が簡単においしくできる味付けを体験していただきながら、「食卓に向うみんなが笑顔になる味付け」を伝えていきたいと考えました。

その設立趣旨から、加工食品を悪く言っているように受け取られてしまい、UOMORI企画のクライアントから「そういった活動をするなら、契約を打ち切ります」と言われて一時期、仕事が減ったんです。
どうして、味付けアドバイザー協会を設立しようと思われたのですか?
創業から3年ほどが経ち、事業も落ち着いてきて、これからどうしていこうかを考えるようになりました。

「さらに事業を大きくする」「今ある一つひとつの仕事を丁寧にする」「自分が好きなことに特化する」など、さまざまな選択肢が考えられます。私としては、お金を貯めて買いたいものがあるとか、派手な生活をしたいとかは思っていなくて、生活に必要な収入は得られていたので、事業を大きくすることは考えませんでした。

それよりも、人が集ってくれたり、人が喜んでくれたりすることに関わることができたら、素晴らしいのではないかなと思ったんです。

自分が生計を立てるためにするUOMORI企画での仕事とは別に、きれいごとかもしれないけれど、誰かの喜びのためにする仕事ができたらと、味付けアドバイザー協会を設立しました。
「設立趣旨から加工食品を悪く言っているように取られてしまった」とのこと。もともとされていたことと相反する設立趣旨になったのは、どうしてですか?
未来につながっていく味付けは何なのかを考える中で、これほどまでにお店で販売されているものを購入して食べるようになった日本で、素材の持つ味がわからなくなるのではないかなと思ったことが出発点にあります。

めんつゆ、焼肉のたれ、ドレッシング、鍋の素など、スーパーの商品棚には便利な調味料が並んでいます。一方で、醤油や味噌といった基礎的な調味料は30年前の半分ほどしか売れていないと聞きました。味付けはたれ任せ、出来合いを買うなど、自分で味付けをしないおうちが増えているのだと思ったんです。

たとえば、便利な調味料の一つに「白だし」があります。

昆布やかつお節、薄口しょうゆ、みりん、酒、塩などを組み合わせてつくることができますが、市販品の食品表示を見ると、化学調味料やたんぱく加水分解物、何々エキスという、私たちがスーパーなどで手に入れることのできないものでつくられています。

思わず「『白だし』って、何?」と思ってしまったんです。

また、何を食べても最後は同じ味の時はありませんか? 化学調味料の味で終わってしまうことが多いように思います。加工食品が「悪い」とは言いません。ただ、コストを抑える目的や見た目を良くするために含まれているものもあります。

料理をつくるより、出来合いのものを買うという選択が増えている中、味を自分でつけられない日本人が増えることや、昔の人は食べていなかった添加物を多量に摂ることによる影響が気になりました。

そんなことを考える中で、日本に昔からある醤油や味噌、酢、みりん、酒といった発酵調味料に立ち返ったわけです。
調味料に関わるお仕事を長年されてきた中で、今一度醤油や味噌などに着目されたのですね。
ちょうどその頃に、経営者のつながりで、日本を見つめ直そうという活動に参加していました。その活動を通して、食の中にも、誰かが思い出さないと、誰かが伝えていかないと、忘れ去られていてしまう素晴らしい文化が、すぐそばにあることに気づいたんです。

日本は海や山、農地が育む四季折々の食材に恵まれ、その食材を与えてくれる自然を敬い、自然とともに生き、自然を大切にする心を育て、後世に受け継いできました。

食文化でも、海外では食材に味をつけることに主を置いているのに対して、日本では自然の味を大切にし、素材の味を引き出す調理方法を好んでいます。

今、料理教室をしていて、生徒さんからよく言われるのは「どの料理も白だしで味付けしたのに、それぞれで違う味がしました」ということ。調味料が引き出した素材の味を実感されるんです。また、日本の食文化や家庭料理のさまざまなことをお話しすると、喜んでもらえます。

昔はおじいちゃんおばあちゃんも同居していて教わる機会があったのでしょうが、今は核家族が増えているので教わる機会が減っているからでしょうね。

そういったことに取り組んでいこうとする一方で、私は何々エキスなどを使っての商品開発にも携わっています。味付けアドバイザー協会でしようとしていることは、UOMORI企画として自分のしている仕事を否定していることにもつながってしまうんです。
自分を信じないと、前に進めない
自分自身がしてきた仕事を否定することにつながったり、仕事が減少したりなど、そこからどう乗り越えられたのでしょうか?
メーカー批判と捉えられても仕方がないことですから、仕事が減少することはある程度、想定していたことでもあります。

ただ、これから先を考えると、大切な活動だと思いましたから。自分が純粋な気持ちで最初に決めた目標に向かっていくんだと、心に決めていました。

自分を信じないと、前には進めません。何事も最初からすんなりとうまくいくわけではありませんし、目標到達までにはいろいろあるのは仕方のないことです。

そうしている中でも、料理教室で「もっと早くに知りたかった」「家族にも教えたい」など喜んでくれる生徒さんたちがいて、そう言っていただけるだけで始めてよかったなと思いますし、続けていけば、ほかにも喜んでもらえる人たちと出会えるのかなという希望も持てます。

また、自分が大切だと思うことを発信し続けていたら、考えを理解してもらえ、使わなくてもよい添加物などを減らしていく方向性の新規クライアントが増えていったんです。
UOMORI企画での仕事と、味付けアドバイザー協会での活動を両立する上で、自分自身が抱える矛盾はどう解消されましたか?
最終的には、買う側に選んでもらえればいいと思っているんです。

共働き世帯や一人暮らし世帯も多く、忙しい毎日を過ごしているため、簡単に味付けできる市販品は重宝されます。スーパーなどの売り場にたくさん並んでいるということは、それだけ必要とされているということです。

いずれは買う側が、身体に優しいものを高価でも買うとなれば、つくる側もそういったものをつくろうとなると思うんです。つくる側が身体に優しいものをつくっても、その分高値にはなってしまうので、買う側が「高い!」と買わないなら、つくり続けることができません。

食品会社から年々、化学調味料があまり入っていないもののほうがニーズがあると、化学調味料を少なめにしたり、自然な味付けにしたりしたいという依頼も増えてきています。

つくる側と買う側、どちらのアプローチも必要で、UOMORI企画ではつくる側、味付けアドバイザーでは買う側へのアプローチができているのかなと思います。
最後に。近い未来、お仕事で実現したいことを教えてください。
一生続けられる仕事を自分でつくっていきたいとの想いがあります。それが同じ仕事をしたいと思う人たちの仕事にもなれば嬉しいと、味付けアドバイザー協会設立時から思ってきました。

今は味付けアドバイザー資格認定講座という形で、自分が学んだり身近な人に伝えたりできるようにしていますが、仕事にしていきたい人に向けて「商品開発コース」と「料理講師育成コース」を開講する予定です。

そのうち、同じ志を持つ人たちが、食品会社の仕事を受けたり、自身で料理教室を開いたりしていっていただけたらいいなと思っています。
profile
魚森 清恵さん
1995年に大学卒業後、多業種展開の企業の外食部門に就職し、6年間勤務。2000年には、調味料メーカーに転職。2012年に「UOMORI企画」を起業し、2016年に一般社団法人味付けアドバイザー協会を設立。2018年から大阪府6次産業化プランナーとして、大阪府内の農家と一緒に農産物を使った新商品開発や、農家と企業を結ぶ活動などに携わる。企業や文化的活動で活躍する女性リーダーを表彰する「第3回大阪サクヤヒメ表彰」(2018年度)で活躍賞受賞。
一般社団法人味付けアドバイザー協会
WEB: https://ajitsuke.jp/
FB: ajitsuke.uomori

UOMORI企画
WEB: https://uomori.com/
(取材:2021年4月)
editor's note
「たくさんの失敗の上に、失敗しないレシピが生まれる」とは、商品開発は仮説検証の繰り返しというところでうかがった魚森さんの言葉です。また、起業する際も「こうしたら、こうなってだめだったから、次はああしてみよう」と試行と検証を繰り返していったほうが早いと思われたというお話が印象に残っています。

今も料理教室で大切にされていることの一つは、家族のために食事をつくっても「おいしくなかった」「出来合いのものがおいしい」と言われたらつらくなってしまうから、料理をつくる人の努力が報われるように「失敗しない味付けやレシピ」を伝えること。

生徒さんには「ああしたら失敗するし、そうしても失敗しますよ。でも、こうしたらうまくいくんです」「私が代わりに、失敗をたくさんしておきました」と話すことが多いそうです。

「失敗」というと、どこかマイナスやネガティブなイメージを持ってしまいますし、失敗すると落ち込みもしますし、「やっぱり、自分はだめなんだ」と思ってしまうこともあります。

でも、魚森さんのお話をうかがって、失敗がその先に向かうためや誰かにとって、必要な経験や力にもなるんだと思うと、「失敗」の捉え方が変わってくると思いました。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP: 『えんを描く』

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