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■関西ウーマンインタビュー(士業)


所 千夏さん(一級建築士/一級建築士事務所 アトリエCK)

 
所 千夏さん 一級建築士
一級建築士事務所 アトリエCK代表 京都大学工学部建築学科卒、同修士課程修了。1992年株式会社安井建築設計事務所 入社。大阪事務所 設計部勤務。2003年退職。2004年アトリエCK(シーケイ)設立。現在に至る。一級建築士、福祉住環境コーディネーター、CASBEE建築・住宅評価員、2005-2009 鳥取環境大学 非常勤講師、2014- 甲南女子大学 非常勤講師、現在(公社)日本建築家協会 理事、青年技術者選考(日本建築協会)はつかいち景観づくり大賞(安井建築設計事務所時代の作品が受賞)
アトリエCK (連絡先)大阪市中央区船越町1-2-1渡辺ビル7F  http://www.eonet.ne.jp/~atelier-ck/
お仕事の内容を教えてください。
主として住宅の設計監理の仕事をしています。診療所や老人ホームなど小規模の医療福祉系の計画を行うこともあります。最近は、登録文化財にするための調査なども手掛けるようになりました。
なぜ設計士のお仕事を選ばれましたか?
将来自分で仕事をしていくことを考え、設計の仕事なら長くやっていけそうに思い、建築学科を選びました。大学卒業後、当時400人くらい建築士がいる大手の建築設計事務所に11年半勤めました。

設計部の中では、空港や競馬場といった特殊な設計や、オフィスの設計など、いくつかグループに分かれていましたが、私が入ったチームは、集合住宅や大学、病院、障がい者施設、老人ホームなど、住宅・医療・福祉施設などを手掛けていて、初めての仕事は、いきなり超高層のマンションでした。

本社が大阪なので、大阪から西は全部大阪の設計部が請け負っていましたので、大阪市内だけでなく、広島や宮崎、鹿児島など、地方の仕事のほうが多かったです。
独立されたきっかけは?
大手事務所の仕事は非常に充実していて、興味のある方向の仕事もさせていただいていましたが、なんとなく、いつか一人で仕事をすることもあるかな、というのはどこかで感じていました。

大手事務所の仕事は、クライアント=建築利用者とならないことが多いと思います。集合住宅を作るにも、デベロッパーの方たちとのやりとりで、こういうものが売れるからという感じで作っていきますし、大学や病院の設計にしても、使う人ではなく、作る人と一緒に決めていくので、実際にどう使われているかという反応を感じる機会が少なかったと思います。

ある時、阪神大震災で全壊したマンションの総建て替えで、元の形を踏襲しながら少し形を変え、構造的に強くするというプロジェクトがあったんです。そのマンションはもともと、法的にギリギリいっぱいで建てていたため、全く同じ形に作るわけにいかず、部分的に形が違ってきてしまいます。そこで、住民の方全員にヒヤリングして調整する必要がありました。

当時まだ建って10年くらいのマンションでしたが、何年か住むうちに、そこに住んでみて感じるさまざまな希望が出てきます。

建て替えるにあたって、ほとんど文句を言わない人もいれば、やっぱり終の棲家だから、きちんと要望を伝えたいという人もいる。要望を細かく言う人と、全然言わない人との差はすごくありました。

先輩をリーダーに設計チームを組んで仕事を進めているとはいえ、全員の話を聞いて形に落としていく作業は大変でしたが、利用者側のすごくリアルな話が聞けました。

ある障がい者向けの施設を手がけたときも、現場で働く施設のスタッフさんたちとのやりとりの中で、なぜ窓の腰高さがこれだけ必要なのかとか、なぜ鍵をこれにするのかとか、直接お聞きできました。一つ一つは何の変哲もない話ですが、リアルな反応があるのはおもしろい、こんな仕事もあるんだと感じたんです。

マンションデベロッパーさんや計画担当の人とのやりとりは、それはそれで理想に合わせた提案をするので、もちろんやりがいはあります。細かいところを決めるのは早いし、決断が早いという小気味よさはあります。

でも、自分がどこまで使いやすさをリアルに想像できているか、という思いがどこかにひっかかっていたんでしょうね。利用者と直接向き合って設計する、ということの魅力に触れる機会に出会い、やっぱり直接建築を使う人とやりとりしながら設計を進める、ということに携わっていきたいと考えるようになりました。

入社10年を超えた頃、自分の仕事への興味の方向を考えるようになったことと、家族の事情で少し勤務外に時間が必要になりそうなことが重なり、それに背中を押される形で退職。半年ほどして、自分の仕事の拠点をつくることを決意し、事務所を立ち上げました。
独立後は、どのように仕事を受けてこられましたか?
退職して半年後、そろそろ事務所登録の書類が返ってくるかなというタイミングで、大学時代の友人から約10年ぶりに「父の病院を継ぐことになって、改修するか建て替えるかを相談したい」と連絡があって、そこで建てたクリニックが最初の仕事でした。独立したクリニックビルだったので、今まで作ってきた仕事に近い仕事で、それはすごくラッキーでした。

実は、鉄筋コンクリートや鉄骨の仕事ばかりしてきたので、一般的な木造住宅を設計したことが無かったんです。そこで、京都で木造の仕事に関わっている人たちが集まる会に遊びに行き、分からないことやいろんな情報を教えてもらっていました。

そのうち仲間の工務店の方から仕事を紹介していただいたり、工務店の設計士という形で仕事をさせていただいたりと、ホームページや作品集への掲載と人の縁だけでやってきています。
これまでにどんな悩みを感じましたか?
自分の「実力不足」という壁には今でもしょっちゅうぶち当たります。勤めているときはチームで完全分業でしたから、皆それぞれ担当はバラバラ。私のような意匠設計者は統括も兼ねることが多く、一応大枠のところは見ていますし、最後は統合するように持っていきますが、細かいところは基本的に意匠設計に集中しているので、自分に情報が全部あるわけじゃないんですね。

事務所を一人で切り盛りしていると、営業も含めて情報が私一人に集まってくるので、予想外のことが起きた時にシェアできないという悩みが常々あります。コンパクトさは大きなメリットではありますが、いかにうまく分業するか。時間と自分の使い方は難しいですね。
その悩みをどのように乗り越えていますか?
実力不足については、先輩方にアドバイスを求めていったり、同業の友人の作品を見たり、雑誌や書籍などをひもときながら、仕事を進める中で解消しているように思います。

プロジェクトごとに人手不足になる場合は、仕事をシェアできる人材を探しますが、同業の友人たちと常日頃、さまざまな建築関係団体での集まりで出会った時に相談したり、雑談の中からヒントをいただいたりしています。
建築士さんにとって大切なこととは?
建築設計の仕事はおそらく、はたから見ているよりもずっとハードで、体力的にも精神的にも負荷がかかる仕事です。でもそれに見合っただけの喜びと、仕事の中で多くのプロの人たちとつながっていけるというワクワクした仕事でもあります。

その中で、もうちょっと違うことができるかな、もうちょっと幅を広げられるかなと悩むこともありますが、自分一人でずっと頭の中で考えているだけではできない仕事もあるので、やっぱりいろんな人と繋がるペースを常に持っていたほうが良いですね。

いろんなところに首を突っ込んで、おもしろそうだと思ったらとにかくやってみる。見返りを期待するわけじゃないけど、結果的に「こういう意味で私はここにいたのね」と感じることって、年数を重ねてくると出てくると思います。

自分がどんな方向に向きたいのか、ということだけは見失わないよう、いろんな人たちとできるだけ多く繋がって、業界にこだわらずにネットワークをひろげ、その中で自分の立ち位置を確認しながら、進んでいくことが大事だと思います。
女性の建築士さんは、アクティブな方が多いですね
周囲の先輩・後輩含めて女性建築家たちを見ていると、なぜそんな時間があるのというくらいアクティブで、いろんなことをしながら、すごく楽しそうに仕事をされている方が多いです。プライベートと仕事の線引きがあまり無いくらい(笑)。

年齢を重ねると、自分の顔は自分で責任を持ちなさいと言われますが、「いい顔」をされている方が多いように思います。時間があれば、きちんと何らかの豊かな時間を持っているようで、その余裕が顔に現れるのだと感じます。

仕事の中にそういう豊かなものを感じる時もありますが、私も「いい顔」でいられるよう、頭も体も切り替えていけるような豊かな時間を常に意識していきたいですね。
ありがとうございました。
(取材:2015年9月 関西ウーマン編集部) 

 

 

 


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