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■関西ウーマンインタビュー(社会事業家編)


上田 假奈代さん(NPO法人 こえとことばとこころの部屋 代表理事)

 
上田 假奈代さん(詩業家/NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)代表理事)
1969年生まれ。3歳より詩作、17歳から朗読をはじめる。1992年から詩のワークショップを手がける。2001年に「詩業家」宣言を行ない、「こころのたねとして」などワークショップメソッドを開発し、全国で活動を展開。2003年に『NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)』を立ち上げ、「表現と自律と仕事と社会」をテーマに社会と表現の関わりをさぐる。2008年から西成区(通称・釜ヶ崎)で喫茶店のふりをし、2016年『ゲストハウスとカフェと庭』を開く。著書に『釜ケ崎で表現をつくる喫茶店、ココルーム』(フィルムアート社)がある。現在、初の長編映画『釜ヶ崎オ!ペラ~恃まず、恃む、釜ヶ崎』を製作中。
ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム
大阪市西成区太子2-3-3  TEL:06-6636-1612 HP: http://cocoroom.org FB: cocoroom

釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム
上田假奈代(著)/フィルムアート社
詩人・谷川俊太郎氏より、『詩のエネルギーが巷を変えていく! 暮らしをアートで解放するこれまでになかった運動、 そのいろいろから生まれたこれまでになかった本。』と絶賛された本です。⇒ご購入はこちら(フォルムアート社
大阪市西成区にある日雇い労働者の町『釜ヶ崎』で表現の場をつくる上田假奈代さん。釜ヶ崎の商店街で喫茶店の「ふり」をして、そこに集う人たちとのおしゃべりや相談事から、多彩な活動を展開されてきました。たとえば、釜ヶ崎で暮らす人たちと表現活動をする、ホームレスの詩人やピアニストのマネジメントを行なう、『釜ヶ崎大学』を企画・運営する、野宿のことを考える夜回りをする、高齢者のアパートを管理するなど。一つひとつの活動の原動力は、社会や自分に対する“問いかけ”だったと言います。
詩を業にする『詩業家』宣言
詩との出会いは?
母が詩人だったので、幼い頃から詩がそばにありました。母は私がしゃべることを録音したり、書き起こしたりしてくれていたので、幼い頃からの作品が残っています。母が友人と詩誌をつくっていたこともあって、3歳だった私もそこに参加していました。当時は母の気をひきたくてやっていたように思います。
ご自身として「詩で表現したい」と思うようになったのは?
短大時代、お芝居やパフォーマンスの裏方に携わっていたのですが、ふと自分でも表現してみたいと思うようになりました。でも、私は音痴で歌えない、運動神経も悪くてダンスもできない、物覚えも悪いからお芝居もできない。そこで思い出したのが、17歳の時に体験した「世界にみつけられた感じ」でした。

それは、裏山で漢詩の朗読をしていた時、声がまるでしゃぼん玉みたいに、しゅわしゅわっと広がっていくのが見えたのです。自分の細胞がしゅっと伸びて、いきいきとしていく感じ。その感覚はすごく温かくて、満たされていく感じがしました。それをおもいだして、詩の朗読をやってみようと思いついたのです。

私は詩を専門的に学んだことはありません。なので、私と同じように、表現の訓練を受けていない普通の人が自分の気持ちを表現する、というイベントを企画すると、表現することに興味がある人はもちろん、しんどい思いや生きづらさを抱えている人たちが、居場所を求めて参加してくれました。自分の気持ちを声にして聞いてもらう。そんな機会が継続的に存在することで、どんどん元気になっていく。その姿を目の当たりにし、表現することのおもしろさに改めて気づきました。
短大卒業後は就職され、調理師として働いていたこともあったそうですね。
短大卒業後は一般企業に就職し、コピーライターとして働いていました。その傍らで、活動はずっと続けていたのです。29歳の時、仕事と活動、その両立、目の前にある現実など、いろんなことに悩み、これまでの経験とはまったく関係のない調理師をめざして、学校へ行き、免許を取得して、ホテルで働き始めました。

その頃にはもう、詩のイベント活動をはじめてから数年が経っていましたから、たくさんの種をまいてきたのでしょうね。だんだん(詩のイベントの)ムーブメントが起きてきて、企画したい人が増え、私はゲストとして呼ばれるようになっていました。

仕事の都合をつけながらゲスト参加を続けていくうち、詩とは離れるかと思いきや、詩のほうから私を呼んでくれる。やっぱり言葉の仕事に戻りたい。そう思うようになり、フリーライターをしながら、詩の活動を続けることにしました。その後、詩を業にする「詩業家」宣言をするのですが、そのきっかけは一人の若者との出会いでした。
詩を仕事にするという覚悟の宣言ですね。そのきっかけとなった出会いとは?
その若者はイベントに参加してくれていた人でした。彼から「詩を仕事にしたい」と相談を受けたのですが、その時の私は何も答えられなかったのです。その1週間後、彼は自死を選んで亡くなったと聞きました。

どうして何も返事ができなかったのだろう。「大変やけど、頑張りや!」となぜ言えなかったのだろう。それは私自身が「詩を仕事にできない」と思い込んでいたからです。母からは「詩を仕事にしようと思うな」と言われていました。母は詩人でしたが、専業主婦の趣味として、自分のへそくりを使って活動していましたから、詩は仕事にできないと思っていたのでしょう。私もその言いつけを守っていたのです。

本当にそうだろうか。仕事って何だろうか。詩人の仕事ってなんだろうか。そう思いを巡らせて考えついたのは、詩人の仕事とは、「どんな他者として生きるのか」ではないだろうか、ということでした。
「他者として生きる」とは?
命は生きている限り、欠けたり、減ったり、淡くなったりはしません。ただ、調子が悪い時、心細い時、猜疑心のかたまりになっている時、未来が絶望的だと思っている時は、すごく遠くに見えたり、欠けてしまったように感じます。自分の命が薄くなっているように感じがちです。誰にでもおこることでしょう。しんどくて、つらくて、時には「死んでしまいたい」とさえ思うこともあるでしょう。

でも、命は小さくならないし、欠けることもない。ちゃんとあるから大丈夫。でもそれは、他人に言われても心に響いてこないから、自分で気づくしかありません。詩人というのは、その人が自分で気づくために存在する。そういう仕事ではないかと考えています。

 
釜ヶ崎で表現の場をつくる
釜ヶ崎に拠点を構えるきっかけは何ですか?
詩業家として活動するなかで、大阪市から「現代芸術の拠点づくりをめざす事業」の参画に声をかけられ、新世界にあったフェスティバルゲートの一室に『ココルーム』を構えました。翌年には『NPO法人こえとことばとこころの部屋』を立ち上げます。同じ志の人たちとつながって、表現で仕事をつくっていくというミッションのもと活動をしていましたが、大阪市の事業が5年ほどで頓挫して、移転することになったのです。

移転先として思い浮かんだのが、フェスティバルゲートの近隣である釜ヶ崎でした。アルミ缶を積んだ自転車やダンボールを積んだリヤカーを押す人たちが夜中ずっと行きかうのを見てきました。

表現で仕事をつくるのだ、と一生懸命になっていましたが、私がこんなことをしても、目の前にいる人たちのお腹は膨れない。それに大阪ではホームレス問題を語ることがタブーみたいな雰囲気も感じていて、「ともかく、恐いからいったらあかん」という人もいる。その断絶に違和感を感じました。

東日本大震災以降、現在の便利な生活と行き過ぎた資本主義、この止められない感じに、もやもやした思いをお持ちの方もいると思います。まさに、私が釜ヶ崎に抱く思いがそれと同じ。

日本の高度成長を支えるために、日本中から日雇い労働者を集めて集住させる。過酷な労働状況の中、長期間山奥に行って道路を作って、という中では、家族を持てなかった人もいたでしょう。私たちの暮らしがどんどん快適になっていったのは、こうして働いてきてくれた人たちがいたからです。

なのに、バブル崩壊後は野宿を余儀なくされ、まるで自己責任のように言われるってどうなのでしょうか。だからといって、どうすればいいのかわかりません。資本主義の次に、どんな社会になればいいのか。政治家や学者が考えるのかもしれませんが、私は好奇心からこの町のおじさんたちに聞いてみたいと思ったのです。
釜ヶ崎大学などさまざまな取組みをされています。
どのように関係性を築いてこられたんですか?
人に話を聞くためには関係性がないとできないので、まず、「どんな他者なのか」を明らかにしようと考えました。釜ヶ崎に関心を持っている一人の人間として、この場所に来て、働きながら聞きたいという態度を表すために、商店街で喫茶店の「ふり」を始めました。

気軽に訪れやすい場として開くことで、地域に根ざしながら、さまざまな人たちと出会い、社会に関わり、表現と学び合いができる場づくりができたらと考えたのです。私は用事がない時以外はずっとココルームに来て、一緒に習字を書いたり絵を描いたり、まかないごはんを食べたりしながら、多様な一人ひとりと出会ってきました。

以前、詩人の谷川俊太郎さんに「これからどうやったらいいですかね」と聞いた時、「信じる仕事をコツコツ続けること」と答えてくださったことがあります。まさに、地道なことを続けてきただけなのです。
2016年4月に『ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム』として拠点を再オープン。谷川俊太郎さんからはじまって宿泊者で連詩をつくる「詩人の部屋」、ココルームに毎日何度も通う釜ヶ崎在住の画伯の作品を展示する「銀河鉄道の駅」など、ユニークな部屋が並ぶ
多様な人たちと関係性を築くために大切にされてきたこととは?
いろんな人が来て、その人たちが居やすい場所をつくるのだから、そのためには自分が満たされていることが大切です。自分の人生をありがたいなあと思って、出会いっておもしろいなあと思って生きて働くこと。その上で、多様な人たちと向き合えるのだと思います。

どんな人が来ても排除はしません。でも毅然と、今日は帰ってくれとお引取り願うこともします。膠着するときは警察に連絡することもあります。それは出会いなおすために、です。時には暴力的な場面に出会うこともあります。急に信じられない暴言を吐かれたり、暴力を受けたり。びっくりして、「嫌だ!」とも言えなくなってしまうこともありますが、「あ」でも「う」でもいいから言い返すのです。なぜなら、それを言わなかったら、自分の中に嫌な思いだけがどんどんたまっていってしまうから。

あとは、自分の中でひっかかった違和感を、無いものにしないことです。人って違和感を感じても、気づかないようにしがちですが、ひっかかったままだと、どうしても「もやもや」してしまうんです。自分の心をちゃんと見つめて、ひっかかっているなあと思ったら、それを言語化する。自分との真面目な向き合い方、というのは手放さないほうがいいと考えています。

 
表現することとは?その原点に立ち返る
釜ケ崎のおじさんから表現の大切さを教わったそうですね。
ココルームのオープン当初から毎日来るおじさんです。お店に来て、自分より恐そうな人がいたら入ってこない、そうじゃなかったら入ってくる。お金も払わず、注文もせず、ああだこうだと言って、人をつねったり、泥棒扱いしたりする厄介な人でした。ワークショップにも誘うんだけど、参加しない。

そんな状態が1年半ほど続いて、ある時、手紙を書くワークショップの開始時間に来たので誘いました。断られるだろうと思っていたら、この日は「やる」と言うのです。私の隣で書き始めるのですが、手が止まって、私にひらがなの書き方を聞いてきました。その時、はっとしたんです。彼がこれまで参加しなかったのは、字が書けないことを知られたくなかったから。

自分が字を知らなくても、ここでは誰も馬鹿にしたり笑ったりしない、と心の底から思えるまでに、彼には1年半かかったんですね。その後、堰を切ったように、絵を描いたり、自分のことを語ったりするようになりました。

表現するということは、互いに尊重し合えているかどうかが問われている。それを彼に教わりました。一人ひとり事情や背景が違うし、考え方も生き方も違う。そんな多様な中で、それでも信頼し合えるからこそ、素直に表現できることがあるのです。相変わらず、そのおじさんとはケンカもしますが、それはそれでいいんです。
上田さんの表現の原点には“問い”があるそうですね。その“問い”とは、どのようなものですか?
子どもの頃から「なんで生きるのか?」「なんで死ぬのか?」と、そんなことばかり考えていました。大きくなって少し世の中を知るようになってからは、常識や固定観念に縛られる自分に「?」と思うこともありました。それが私にとっての「問い」であり、「原点」のような気がします。

社会の中には、理不尽な状況に追いやられている人たちがたくさんいます。そんなしんどい状況にある人たちが、生き直した時のあの素晴らしいパワーや、表現がおもしろい。彼らが表現することは、社会を問うていくことに繋がります。問いを問いとしてちゃんと持つ、その問いをずっと繰り返すことで、社会は少しずつ良くなっていくのではないかしら。だから地道にコツコツ、自分を問い続け、自分だけではなにもできないから、問いを社会に開いていきたいのです。
ありがとうございました。
取材:2016年7月
上田さんはアートや表現について「他者が表現したことに対して自分がどう反応するか。それも表現になる」とお話になられていました。まさに上田さんは、ご自身を含めて多様な人たちとの関わりの中で、一人ひとりとの会話や態度という表現から、それに対する反応=表現として、さまざまなことを展開されてこられたのだと感じます。

上田さんの著書も拝読したのですが、その中でさまざまなことを展開する理由として「出会っちゃったから」とありました。「釜ヶ崎の問題を解決しよう」「地域課題を解決しよう」「世の中をよくしよう」ではなくて、すべては目の前の一つひとつの出会いから始まっている。だから、つながり、巻き込みながら、関わった一人ひとりの日常に根付いていっているのではないでしょうか。めんどうくさい、やっかいな、しんどいことも、それはそれとして包み込んでいけるのも、目の前にいる人と「出会っちゃった」からなんだと思いました。
取材:小森利絵
ライター/HP:『えんを描く』
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。



 

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