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■関西ウーマンインタビュー(社会事業)


村山 順子さん(一般社団法人 暮らしの学校 代表理事)

 
村山 順子さん 一般社団法人 暮らしの学校 代表理事
1947年鹿児島県沖永良部生まれ。武庫川女子短期大学国文科卒 尼崎市立小学校に5年間勤務、結婚のため退職。 主婦の友人7名で清掃の会社を創業。夫が急逝。『いつ終わるかも知れない人生、自分らしく、誠実にいきたい』という想いを抱き、家事代行サービスの会社(有)プロシード(屋号/ひまわりサービス)を創業。幸せに暮らす、心の持ち方と技術を共に学ぶ「神戸暮らしの学校」を一般社団として設立。 体験型セミナー『心を届ける手紙のセミナー』を開催
著書 「60歳の約束」-見えますか、聴こえますか、これでいいですか-(三省堂/創英社)

一般社団法人 暮らしの学校
〒651-0062 神戸市中央区坂口通り6-1-17(ひまわりサービス内)
TEL:078-222-2818 ホームページ

心を届ける手紙のセミナー
家事代行・整理収納の『ひまわりサービス』 
村山さんが立ち上げられた「神戸くらしの学校」は、ご自身の会社「ひまわりサービス」の事業から生まれたそうですね。
「ひまわりサービス」は家事代行と整理収納のサービスを提供していまして、快適な住まいになったと喜んでいただいているのですが、本当は生活者ご自身が段取り良く家事をこなせることが一番良いんです。すきっとした暮らしと時間ができると、それを家族との団欒や自分の時間に使っていただけます。

そこで家事を手際よくする技術をお教えして、人が幸せに暮らすという気持ちをお届けしたい想いで「家事の学校」を立ち上げました。これは兵庫県の経営革新に承認をいただき、その後「神戸暮らしの学校」と名称を変えました。
「家事」から「暮らし」へ。どのように広がりましたか?
体に良い食品や栄養を学ぶ食育や、コーチングを使った家族とのコミュニケーション、ライフプランを立てるためにお金の勉強などをしています。これらの講座は、志同じくする外部講師の方々と協力し合っています。

それから、やはり技術だけじゃなくそこに暮らす人の心。いつも自分たちの気持ちが明るく、相手のことを気遣えるために、私が一番大事にしているのが「手紙」です。この「神戸暮らしの学校」の心の部門に登場する「心を届ける手紙のセミナー」はもう10年以上も前から続けていまして、今年でもうすぐ100回を迎えます。
10年以上も続けてこられたのですね。そのきっかけは?
私たち家族の中では、誕生日や結婚記念日など、いつも手紙を書くことはごく当たり前のことだったんです。本だったり小物だったり、ちょっとしたプレゼントと一緒に、いつも手紙を書いたり貰ったりしていました。その中で、亡くなった主人が残してくれた、たった10行のこの手紙。この手紙があったから今こうしていられますので、どんな時もこの手紙は離せないんです。
「順子さんへ。49回目の誕生日おめでとう。これからも大いに活き活きした順子をみるのが僕にとっても心うれしいものです。いろいろ言いますが、気にせずに己れの道を歩んでください。そのためにも、身体とバイクの運転の事故にはくれぐれも気をつけてください。今日はつきあってくれてありがとう。本音はとにかく順さんをどこへでも連れて、みせびらかしたい気持ちの表れと思って欲しい。今後ともお互い元気で、信頼しあって生活してゆこう。誕生日に記して。」 
ご主人はこの手紙をいつ書かれのですか?
今から18年前の私の誕生日、主人から「ちょっとつきあってくれ」と言われて、嬉しくて少しお洒落して一緒に出かけたんです。珍しく主人の行きつけのスナックを3件もはしごしました。

家に帰ってきてからですから、夜中12時半くらいでしょうか。この手紙を書いてくれたんです。いつもはこんなぐしゃぐしゃに書く人じゃないんですけど、少しほろ酔いだったんでしょうね。

それから後、主人が広島へ出張に出かけたのですが、夜のレセプションで倒れたという連絡があったんです。直ぐに向かったんですが、間に合わなくて・・・
まだ52歳でした。

子どもが4人いるんですが、長男はニュージーランドに行っていて、次男はアメリカにいましたから直ぐに呼び寄せて、尊敬する主人でしたので、とにかく立派に送ろうと、それだけに集中してお葬式を終えました。

それから後の私はもう、鬱になってしまったんです。 あまりに突然で何の心の準備もできていませんし、私たち夫婦は本当に仲が良くて、どこに行くのも一緒でしたから、これから先、私はどうやって生きていけばいいのか。暗闇の中でどう過ごしていたかも覚えていないほどです。
この手紙に支えられたのですね。
ええ。「主人は何を言いたかっただろうか」と考えたとき、この手紙を思い出したんです。これを見てはっとしました。主人は今の私を「活き活きしている」って言ってくれるかしら。こんな私を「皆に見せびらかしたい」と思ってくれるかしらって。そう考えると、心がしゃんと立ったんです。
その後、村山さんは52歳で一念発起し、起業されました。
当時私は友人たちと清掃の会社を立ち上げていたのですが、社長との方向性の違いに悩んでいたんです。そんなさなかに主人が亡くなりましたので、やはり主人に恥じない生き方をしたい、子どもたちに残せるのは、親としての生き方しかないと思ったんです。52歳になる直前、会社を辞め、自宅の1室で一人で起業しました。前の会社には育てていただいた恩義がありますから、自分が営業したお取引先には一切行かないと決め、新たにスタートしました。

ある時「いきいき」という雑誌を読んでいて、読者欄に、「突然主人が亡くなってしまったので、どう生きていけばいいかわからない」という手紙が3通も載っていたんです。それを見て思わず「大変でしょう。私もそうだったけど、今は自宅に1室で起業してがんばっているから、皆もがんばりましょう」って書いて編集部にFAXを送ったんです。

すると編集部の方から電話がかかってきて、どんなお仕事をされているか教えていただきたいので、取材させてくださいと言われたんです。でも私、あの日野原先生など著名な方が載っているような雑誌ですから、私なんて取材に値しませんって最初はお断りしたんです。

でも「ご主人が亡くなって、52歳で自宅の一室で起業されたことは、多くの人に夢と希望と勇気を与えます」と仰ったんです。 これ、私への殺し文句(笑)誰かのお役に立てると言われて、心がふわーっと揺れました(笑)「私でもお役に立てるんですか!ではお願いします」と言って取材していただきました。
「これ、主人が亡くなる前に2人で行った湯村温泉での2ショット。
この2ヶ月後に、誰か死ぬなんて思っているもんですか・・ねえ。」
記事には値段表まで載せていただいて、この値段表を見て「これを使って、私も起業して良いですか?」とか「ぜひ仕事に来てください」など、全国からたくさんの励ましを頂きました。今でもその時から続いているお客様もおられます。この本は本当に私の恩人ですね。

主人の手書きの手紙。これがあるから希望や生きる力をもらえたんです。あの日、お酒を飲んで帰ってきて、長くてホクロのある指で、どんな気持ちで書いてくれたんだろうと思うと、その情景がぱーっと浮かぶわけです。すると「ああ私、がんばれる」と思えるんです。

これがもしパソコンのメールだったら、きっとそんな気にはならなかったでしょうね。それで、私ができるお役立ちって「手紙」じゃないかと思ったんです。
そこから「手紙のセミナー」がスタートするのですね。
2004年の春くらいでしょうか。「大切な人に手紙を一緒に書きませんか?」って事務所の入り口に張り紙をしたんです。すると近所の人たちが5名ほど集まってくれて、ここで始めたのがスタートでした。

それからちょっと途中休んだりして不定期だったんですが、2010年阪神淡路大震災の追悼イベント「いのりのとき」に募集された「亡くなった大切な人への100文字メッセージ」に応募したところ、選ばれて会場で読んでいただいたことがありました。その時会場に来られていたアナウンサーの村上信夫さんから、後日お電話をいただいて、「僕は村山さんの手紙に心をわしづかみにされました。今、人と人の絆を取り上げているので、ぜひ番組に出てください」と言われて、村上信夫さんのラジオ番組の中の「ときめきインタビュー」に出させていただいたんです。

ラジオ番組に出るために東京へ行きまして、その前に「致知」という雑誌にもお手紙出していて、「東京に来られることがあれば、ぜひ編集部に来てください」とお返事をいただいていたので、NHKと同じ渋谷にあると聞いて、前日にお邪魔したんです。

すると突然行ったにもかかわらず、「お時間ありますか?インタビューさせていただいても良いですか」と言われました。それが「致知随想」に載せていただいた「手書きの手紙は優しい心の贈り物」という記事です。

これはやっぱり「手紙のセミナー」を続けていかなくては申し訳ないと思い、それから定期的に開くことにしました。
「手紙のセミナー」に参加される方々は、どう書けば良いか悩まれませんか?
手紙はいざ書こうとすると、イヤな気持ちも感謝の気持ちも両方いっぺんに出てくることもあって、なかなか理路整然と書けないことがあります。そこはどのように心の葛藤を整理できるのでしょうか。
書く前に私の体験をお話するのですが、すると皆さん「手紙って、そんなに難しいことじゃないんだ」と肩から力がストンと抜けるんだと思いますよ。

皆で一緒に書きましょうという体験型なので、「場」の力と言いましょうか、そんな雰囲気になるんでしょうね。

まず少しだけ目を閉じていただくんです。「どなたに書きたいですか?書きたい方の顔を思い浮かべてください」って。それから、その方への「ありがとう」や、「ごめんなさい」、「うれしかった」など、話かけるように書きましょうって。

「前略」も「拝啓」も全部とっぱらって、すぐ書けばいいんです。だから書き方はお教えしません。お教えできないけれど、その人のことをぐっと思う時間と、皆で一緒に書くから、気持ちが楽になって書けるようになるんです。
やはり家族に向けた手紙が多いのでしょうか。
多いですね。男性の方も、別れた奥さんや息子さんに「悪かった」とちゃんと伝えていなかったからって、男泣きしながら書かれる方もいます。気持ちがこみ上げてくるんでしょうね。家族に向けて書かれる方が多いですが、仕事を教えてくれた方に不義理をしていて、まだちゃんと御礼が言えていなかったという方もいます。

先日「社長手紙塾」というのを開催しまして、NHK神戸で取り上げてくださったんですが、ある会社の社長さんがご自身の弟さんに、今まで言いたくても言えなかったことを手紙に書かれたんです。それをテレビの取材で追いかけて、手紙を渡す場面では、弟さんがホロリと泣きながら「生きてて良かった」って。書かれた社長さんは、「手紙を書いたらもう、スカーっとした」と仰ってました。
手紙を書いた後は、皆さんで話し合うのですか?
いつも「よろしければ、今書いた手紙を、どなたか読んでくださいますか?」と聞くのですが、結構みんなスイスイと手を上げて読んでくださいますよ。皆さん初対面の方々なのにびっくりでしょ(笑) 泣きながら、詰まって読めなくなってしまう方もおられますが、皆さんと共有共感、思わずわーっと拍手が沸き起こります。

ある女性が、ご主人には今まで散々イヤな思いをさせられたけど、ご自身がご病気になられて、「この先、いつどうなるかわからない。主人には恨み辛みじゃなくて、感謝の手紙を書きたいけれど、イヤなことばかり思い出してしまって、自分では書けない」と言って来られました。

その方は、本当にいろんなことを飲みこまれたんだなと思うほど、優しい手紙を書かれて、皆の前で読んでくださいました。その手紙は、今はまだ渡さないし、渡さないかもしれないけれど、気持ちを書くということは、自分自身の心もすっきりさせるんだと思いますね。

以前参加された、ある看護士長さんが、「村上さん、手紙を書くことって、自分の心を癒して、頭もスッキリして、自分自身への贈り物になりました。だから歩み出せます」と仰ったことがずっと心に残っています。手紙というのは相手だけじゃなく、自分への贈り物でもあるんだと、その方から教えていただきました。
手書きのお手紙をいただくと、本当に嬉しいですものね。
今は何でもメールで済ませてしまいがちですけれど、私は「用事はメール」「気持ちは 手紙」と使い分けています。

ハガキは簡単なことだけしか書けませんし、誰でも読めてしまいますね。だけど封筒はその人しか開けられないんです。だから贈り物。その人だけの特別な贈り物なんです。

便箋を選び、封筒を選び、切手も選ぶといった手間隙かけますでしょ。手間隙の長さが相手への想いの深さでもあると思いますよ。

また、手間隙も大切ですが、手紙を書くときに、皆さんにお願いしているのは、「お返事を求めないでください」ということです。

返事が来ない来ないと思えば、無意識のうちに相手に重荷になりますから、お返事は要らない、私の気持ちを届けただけよという気持ちで書くこと。お返事は書きたいと思えば下さるので、こちらから求めないことですね。
この手紙のセミナーを全国に広げようと活動なさっています。
どんなことを伝えていきたいと思われますか?
日本全国、47都道府県に少なくとも1回は手紙のセミナーをしたいと思っています。 手紙のセミナーに来てくださった方は、「手紙のアンバサダー」としてカードを差し上げています。あなたは手紙のアンバサダーだから月に1回は誰かに手紙を書いてねって。

手紙って誰でも書けるんです。たった82円で全国に届くんですよ。タンポポの綿毛がパーンと飛び散るように、全国に「手紙の心」を届けたいというのが、私の夢なんです。

幼稚園にも呼ばれてよく話すのですが、子どもを叱ったりすることがあっても、絶対に叱ったまま寝かさないでほしいんです。子どもが良い夢を見られるように、寝る前にぎゅっと抱きしめてあげてほしい。また、夫婦喧嘩もすることもあるでしょうけれど、メモ書きでもいいから、ちゃんと仲直りをして休んでねって。

本当に世の中、何があるかわかりません。明日があるという保障なんて誰にも無い。私は思いもかけないことがありましたから、常にそうインプットされています。だから手紙は私のライフワーク。主人との体験を伝えることが、私の使命だと思っています。
最後に、今何かに迷いを持つ女性に向けて、メッセージをお願いします。
「青い鳥」も結局、自分の幸せは足元にあったと同じように、今、目の前にあることに全力を尽くすことです。あれがいいかな、やっぱりこれがいいかなと迷ったり、追い求めているうちは、結局なにもかも中途半端になってしまいます。目の前のことを一生懸命やっていると、そのうちに楽しくなって上達します。

嫌々じゃなく、目移りせず、その場その場を集中して全力を傾ける。そうするとチャンスは必ず来ます。仕事に不満があっても、「今の私にはこの仕事がちょうど良い」と思ってみて、まずは一生懸命やってみる。そこで自分はどうすれば役に立てるのかを考えるんです。

「こうしてくれないからできない」じゃなくて、どうすれば会社や人の役に立てるかが、自分の基本線になり、ブレない想いになるんです。自分に何ができるかを考えてみると、次々と浮かんでくるはず。それをやっていくことで、自分の地位や立場やいろんなことが身についてくるんです。他人に求める何物も無い。全て自分です。

それにはまず自分を大好きになって欲しいですね。自分のいいところを100個くらいは探して欲しいと思います。自分が自分を認めないで誰が認めてくれるの?ということです。それと自分を誉めてあげること。「女性は太陽」と言われるように、いつも笑顔でいられるようにしたいですね。でも、もし笑顔でいられない時、それでも自分の機嫌は自分でとる!
「自分の機嫌は自分でとる。」名言です。
私はいつも、「よくがんばった、えらいえらい」って車の中で声を出して、自分を誉めるんです(笑)だって車の中だと、誰にも迷惑かけないでしょ(笑)良い言葉も悪い言葉も、一番最初に聞くには自分の耳。だから、いつも機嫌よくいられるために、良い言葉を出して、自分の耳に刷り込むことです。
ありがとうございました。
 
(取材:2014年8月 関西ウーマン編集部) 
 

 

 

 


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