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■関西ウーマンインタビュー(社会事業家編)


野田 沙良さん(特定非営利活動法人アクセス-共生社会をめざす地球市民の会 事務局長)

 
野田 沙良さん (特定非営利活動法人アクセス-共生社会をめざす地球市民の会 事務局長)
三重県出身。龍谷大学卒。高校時代に見た映画がきっかけで国際協力を仕事にしたいと考えるようになり、大学在学中、ロックバンドのおっかけをしながら国際協力について学ぶ。大学4年生の時に「アクセス」のボランティアスタッフとなると同時にフィリピン現地を訪問。以降、「貧困問題の解決」をライフワークにすると決める。大学卒業後は一般企業に就職、2年後退職し、「アクセス」のフィリピン現地インターンを2年間勤める。帰国後、有給事務局職員として勤務。2011年、事務局長に就任
特定非営利活動法人アクセス
共生社会をめざす地球市民の会
http://www.page.sannet.ne.jp/acce/
お仕事の内容を教えてください
世界で貧困に苦しむ子どもたちや女性を減らすことが、私の仕事です。現在は、10人に3人が小学校を卒業できないと言われるフィリピンで、子どもたちに教育、女性に仕事を提供する事業を行っています。子どもたちへの支援では、小学校を卒業するための奨学金事業、学校建設、幼稚園運営を通じて年間350人~400人の子どもたちに学ぶチャンスを提供しています。女性への支援では、家事育児の合間に作れる雑貨を輸入・販売したり、貧しい人々が小規模ビジネスを行うための融資サービスなどを行っています。

いずれも、日本で志のある方々からいただいた寄付金や会費などによって支えられています。中でも、日本でフィリピンの現状をより多くの人に伝え、「協力したい」と言ってくださる方を募ることが私の主な仕事です。現地に行ってみないと分からない貧困の現状を、できるだけリアルに伝えることがまず最初の一歩。次に、「自分の力では、世界の貧困はどうにもならない」と感じている人に、「誰でも、今すぐできる協力方法を提示する」ことも私の仕事です。
国際協力に興味を持ったきっかけは?
中学・高校時代、自分の存在意義って何だろう、自分は何のために生きているのだろうとずっと悩んでいたんです。そんな時、たまたま観た映画で、「世界には貧困や紛争などで苦しみ、生きのびることさえ大変な人たちがたくさんいる」という事実を知りました。

それは「ラングーンを越えて」という映画で、主人公の女性が、一生懸命勉強して医者になったのに、子どもを強盗に殺されてしまうんです。医者になる夢は叶ったけど、自分の大切なものを失ってしまって、自分の生きている意味が分からなくなってしまう。そんな彼女が、タイやビルマの難民キャンプに辿りつき、そこで傷ついた人たちを治療することが自分の使命だと考え、生きる力を取り戻していくというストーリーでした。

その映画で「自分が生きている意味」というところに共感し、私も自分が役に立つ場所が欲しい、自分は勉強しようと思えばできるのだから、その可能性を最大限に活かすことができる。その力を誰か困っている人に役立てることができれば、生きている意味がある。ならば国際協力だろうと思ったんです。それをボランティアとして始めてもいいけど、将来的には仕事にしたい。そこで、大学の近くにあった「アクセス」で活動を始めたことがきっかけです。
初めてボランティアとして現地に行かれたとき、どう感じられましたか?
大学に入ってしばらくは好きなロックバンドの追っかけばかりしていたので、最初にボランティアとして現地に行ったのは4回生の夏休みでした。現地に行く前は、漠然と「困っている人たち」=「顔の見えない遠い存在」を助けたい、というイメージを思い描いていたのですが、実際に行くと、「私の知っている誰々さんや、友達の誰々さんが困っている問題」だったんです。

つまり、他人事から身近な自分ごとになって、忘れていられなくなる。そのラインが一回変わると、行ったことの無い場所にいる人の問題であっても、気にかけずにはいられなくなってくるんです。その認識の変化が一番大きかったですね。

例えば、アフリカの紛争地で生きている子ども達の貧困問題も、紛争の原因はレアメタルだったりします。レアメタルはスマホにもパソコンにも入っていますから、この人たちの問題は、無視できる他人事ではなく、私たちの日々の生活と繋がっている。それを知ると、いろんなものが誰によってどうやって作られているのかを考えるきっかけになりますし、必要なものを必要なだけ買って大切に使う暮らしをしようと思うようになりました。自分が何を選ぶかで、自分だけでなく、世界の裏側に暮らす人たちの暮らしにも思いをはせたり、気遣ったりするようになった。そういう発想に変わっていきました。
大学卒業後は一般企業に就職され、その後マニラに移住されたそうですね。
国際協力に新卒で入るのは難しいので、とりあえず語学留学をして英語を話せるようになって、企業経験を積んでから国際協力の仕事に就こうと考え、教育系の企業に就職しました。そこでは小学生に算数と英語を教えながら、キャンプなどの野外活動や体験学習の企画・運営をしていました。いろんな社内事情があって悩みましたが、ここで苦労するなら、日本じゃなくて国際でやりたいと思い、退職しました。

会社を辞めた後、「タダ働きでもいいからフィリピンで活動させてください」と、当時の事務局長にお願いして、会社員として働いている間に貯めたお金を持ってマニラに移住しました。2年滞在し、まだ課題がたくさんありましたが、自分にできることはもう全部やったと思い、もっと自分の能力を高めないと、これ以上の現地の課題は解決できない。とりあえず一旦帰ろうと思い、帰国しました。
帰国後、「アクセス」は存続の危機に?
もともと「アクセス」はある洋菓子企業が作った団体だったので、その企業の出向職員の方たちがアクセスの業務を行っていましたが、NPO法人となって以降、6年間は職員を置かず、全部ボランティアで活動をまわしていました。だんだんボランティアの状態ではお金も集まらず、もう事務所をたたんで活動を縮小するか、どこかでお金を調達して人を雇い、その人がお金を集めて、現状維持か少し拡大かでがんばるか、どちらにしようという話が当時の理事会の会議で話し合われていました。

それなら後者で頑張ってみようと、ある理事が一時的にお金を出すことになり、職員を一人雇うことになったんです。そこで、この事務局のアルバイトやボランティアもしたことのある私が、有給職員の第一号になりました。当時の事務局長はボランティアでしたが、1年くらい経ってから、パートで人を雇うようになり、今は4人の職員がいます。
どのようにして組織を変えていかれたのですか?
とにかくなんとかしなければいけない。そのために雇われているのですから、いかにして協力者や資金を増やすか。その時に注目したのが、NPOの組織基盤を強化するための助成金でした。申請するためには三ヵ年計画を作る必要があったので、過去三年間の支出入を分析し、ここは伸びていないけど、まだ伸ばせる可能性があるとか、数字を全部洗い出しました。

特に力を入れたのは、スタディツアー(国際協力に関心がある人たちをスラムや被災地にご案内する企画)に参加した方から年会費として頂くサポーター費です。更新のお知らせの際、印刷したお手紙の空欄に必ず一言、その人を知っている人からのメッセージを書いて送ると、どんどん退会率が下がっていきました。もう一つ力を入れたのは、当たり前のことを当たり前にすること。職員がいない頃は、電話がかかってきても誰も出ないし、メールの返事も遅かったんです。NPOだからってゆるゆるしない。期日は絶対守る。言い訳はしない。まずそういうことを全部改めていきました。

それと情報公開です。会計報告書は毎回京都府に提出していましたが、それをネット上で公開し、会計報告書を含む年間の報告書を冊子にまとめ、NPO報告書として発行する。誰でも「アクセス」の情報を見ることができて、それを見れば「アクセス」が何をしているのかがすぐに分かります。そういう細かい工夫を積み重ね、三ヵ年計画を達成していきました。
その後、事務局長になられました。
これまで組織を担ってきた理事の多くが60代以上なので、彼らが引退する前に次世代を育成し、いかに引き継いでいくかということが大きな課題でした。もっと若い人たちが活躍できる組織にしていきたいという理事たちの願いもあって、職員になってから5年目に、事務局長に昇格させていただきました。ボランティアやインターン、事務所アルバイト、職員と、さまざまなポジションを経験させてもらう中で、常に積極的に意見を述べ、活動にも全力で取り組んできたことが買われたのかなと思います。
これまでにどんな「壁」を経験されましたか?
この仕事について1年後、山ほどある仕事、やりたいこととやらなければならないことの中で、うまく優先順位をつけられず、過労とプレッシャーでうつ病になりました。責任感が強すぎるのと、のめり込んでしまう性格が悪い方に影響してしまったようです。

経営をしたことがないので事業計画ってどう作ればいいか分からない。勉強しながら三ヵ年計画を作り、業務もこなし、ボランティアスタッフのミーティングにも参加する。毎日12時間以上働いている状態で、且つ、事業計画目標を達成しなければいけないというプレッシャーもありました。

誰かに手伝ってもらいたくても、ブレイクダウンすることができず、ついつい自分でやってしまう。組織のメンバーからもいろんな意見を言われ、それに対して、「こんなに頑張っているのに、もっと求められるのか」という気持ちになったこともありました。
どのようにしてご自身を立て直されましたか?
通院しながら6年かけてようやく回復しましたが、結婚したことが大きな転機になりました。夫はこの団体のメンバーで、私がフィリピンから帰国した後、彼が現地を支えていましたが、私の体調があまりにも悪くなったので、彼が帰国してくれて、その後に結婚しました。

一緒に暮らすことで、私が何にしんどいのか、どれだけしんどいのかを聞いてくれる相手ができ、「それはあなたが悪いんじゃなくて、仕事の組織の問題だ」とか、「それは働き方の問題だ」とか、「それはあなた自身の問題だ」と客観的に見てくれる。疲れている時は寝なさいと言ってくれる。それは病院の先生にも、混乱している私自身にもできないことでした。

「働き方を変えないと治らないよね」と夫に言われ、仕事だけに全力を注ぐのではなく、プライベートを大切にするということがようやくできるようになりました。決めた時間までには家に帰り、帰宅後は絶対に仕事をしない。休みの日は基本的にメールチェックもしない。そういうルールを決めたことで、仕事により集中できるようになりましたし、心に余裕が生まれて、仕事の質も上がりました。
NPO事業が持続するために何が必要だと思いますか?
企業の場合、商品等の価格は、当然ながら人件費を含めて価格設定されているので、人を雇用できるビジネスモデルになっていますが、NPOの場合、どうしても「人件費も支援してください」と言い難い。その発想を変えていかないといけません。私たち「アクセス」もそうなのですが、「人件費を含む管理費も、事業費と同じように必要な経費なんだ」ということを説明し、協力を求めていくということを、しきれていないNPOが多いと思います。

困っている人たちの暮らしを長期的な視野で改善しようと思ったら、人を雇用して、事業体として持続していく必要があります。そのためには事業費だけではまわりません。それを理解した上でビジネスモデルを構築し、それに基づいた資金調達ができるような経営力を持っていなければいけないと考えています。

「アクセス」では、支援者からの寄付などの非収益事業収入(物やサービスの対価では無い形で入ってくる収入)は、全体の6~7割を占めています。寄付はもちろん増やしたいと思っていますが、それぞれにリスクがあるので、どちらかに偏らせないようバランス良くしたいと思っています。

スタディツアーの参加者を増やせば収益も上がりますが、それに頼ってしまうと、もしツアーができない事態が起こってしまったら、組織の運営に影響を及ぼしてしまいます。スタディツアーはお金を稼ぐための事業ではなく、現地の状況を伝えるための大事な活動ですから、その収益に頼らず、寄付される方やサポーターを増やしながら、いろんなルートで資金調達できる組織でないといけないと考えています。
いつも野田さんの心にある「想い」は何ですか?
「社会を変えるのは、偉い人たちではなく私たちだ」ということです。以前の私は、世界的な課題(紛争・貧困・環境問題など)や政治は、テレビや新聞の中の、遠い世界の問題で、政治家などの偉い人たちが扱うことだと思っていました。

でも実際にボランティアとして活動するようになり、自分にできることはたくさんあること、自分が考えを持ち、行動することから社会は変わっていくのだということに気づきました。考える人が増えなければ、社会は良くなっていかない。そう気づいてから私は、特に若い世代が集まり、「知り、考え、行動する場」を創りたいと思うようになりました。

今私たちがしているのは、「かわいそうな弱者を助けてあげる活動」ではありません。「貧困から抜け出したい人たちと、貧困をなくしたい人たちが出会い、協力する場をつくる活動」です。フィリピンの人たちも私たちも、貧困の無くし方は分かりません。でも、一緒に考え、少しずつ工夫して協力し、努力すれば、現状はちょっとずつ変えていける。その、一緒に協力して行動する場が「アクセス」です。そこにどんどん日本の若い人たちを巻き込んでいきたいと考えています。

誰かにやってもらうのではなく、文句を言うだけじゃなく、自分たちで行動する。「変えるのは私たちなんだ」ということを常に大切にしています。
NPOやNGOの仕事に憧れている方にどんなアドバイスしますか?
最近は人気も上がり、憧れに仕事になりつつあるので、NPOやNGOで働きたい人はたくさんいますけど、実際に採用される方ってまだまだ少ないんですね。業界自体がまだ小さいので、職員のポジション数は限られています。

その限られたチャンスで、自己実現もしながら社会貢献もしていきたいと思うなら、被雇用者であるという感覚ではいて欲しくないですし、「この現状を一緒に変えていこう」という強い気持ちで取り組んでほしいと思っています。誰かに任せるのではなく自分の手で。それが、NPOやNGO業界でやっていこうとする人が持つべき心構えだと思います。

最近は、新卒から入りたいという方も増えていますが、ぜひ一回は企業で働いてから来て欲しいですね。NPOに入ると、どうしても支援や寄付をお願いして周らないといけない。そこで協力をお願いする相手はほとんど企業で働いている人たちです。その人たちが、普段どういう心理でいて、どういう支援なら協力したいと思ってくださるか、ということは、その立場になってみないと分かりません。

会社の仕事のほとんどがNPOでも同じことをしているので、その経験を持って来てくれたほうが、NPOにとっても良いですし、本人にとっても働きやすいと思います。企業で働く人の気持ちも分からずに、社会貢献の仕事のほうが良いと思い込んでしまうことは、とても危険なことだと思います。

また、この仕事は辛いことがあってもつい、「貧困や紛争の中にいる人はもっと辛いはず」と考えてしまい、耐えて耐えて、自分をいじめ抜いてしまう傾向があります。それは絶対にやってはいけないこと。そんなことをしたら誰でもうつ病になってしまいます。自分の心身の健康は第一。まずは自分が幸せになることを最優先してほしいと思います。
野田さんご自身のこれからの展望は?
次は、子どもを持つかどうか?ということが課題です。欲しいような気もするし、子どものいない気ままな暮らしがとても幸せでもあるし。自分にとっての「幸せ」をどう実現していくか、前向きに悩んでいる最中です。

関東では、この仕事で働きながら子どもを産める人もだいぶ増えてきましたが、関西ではまだまだ少ないのが現状です。いかに自分らしく生きていけるか。それを関西のNPOやNGO業界の方たちと一緒に考えていきたいですね。
ありがとうございました。
 
(取材:2015年10月 関西ウーマン編集部) 
 

 

 

 


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