HOME ■関西ウーマンインタビュー(社会事業) 鈴木 京子さん(国際障害者交流センター ビッグ・アイ 事業プロデューサー) 前のページへ戻る
■関西ウーマンインタビュー(社会事業)
鈴木 京子さん(国際障害者交流センター ビッグ・アイ 事業プロデューサー)
鈴木 京子さん (国際障害者交流センター ビッグ・アイ 事業プロデューサー) 1997年に住友信託銀行(現三井住友信託銀行)を退職して、舞台・イベント制作の世界へ。フリーランスで舞台・イベントの仕事に携わったのち、1999年に舞台・イベント企画制作会社『有限会社リアライズ』(後、株式会社)を設立。2001年より、同年に誕生した『国際障害者交流センター ビッグ・アイ』の事業企画に携わるようになる。障がいの有無に関らず、誰もが、芸術・文化活動に参加・鑑賞するために必要なサポート付き事業の企画や制作をスタート。2011年には『株式会社リアライズ』を退職し、『国際障害者交流センター ビッグ・アイ』の事業プロデューサーに就任した。著書に『インクルーシブシアターを目指して 「障害者差別解消法」で劇場はどうかわるか』(ビレッジプレス/2015年発行)がある。 国際障害者交流センター ビッグ・アイ 大阪府堺市南区茶山台1-8-1 HP: http://www.big-i.jp/ FB: https://www.facebook.com/bigiartproject |
お仕事の内容を教えてください。 |
厚生労働省が管轄する施設『国際障害者交流センター ビッグ・アイ』で、事業プロデューサーをしています。障がいのある人が、芸術・文化を通して、社会参加や自己表現・実現できるような企画を考える仕事です。舞台芸術やアート展をはじめ、シンポジウム、講座、ワークショップなどを開催しています。 |
以前は銀行員をされていたそうですが、何がきっかけで今のお仕事に? |
銀行は働く女性の環境としてはいい職場だと思います。残業時間も法定の範囲内ですし、育児休暇ももらえますから、結婚・出産などを経ても、働き続ける女性が多くいました。でも、ふと自分の将来を考えた時、「この先も、ずっとこの仕事をしていたいのだろうか」「自分がやりたい仕事なのだろうか」と疑問に思ったんです。そこで、何か習い事を始めてみようと受講したのが、イベントプロデューサー講座でした。 もともと舞台芸術や音楽が好き!プロがどのように舞台を作っているのかを知りたいという好奇心もあったんです。 当初は「銀行を辞めて、イベントプロデューサーになろう」とは考えていませんでしたが、受講するうちに気持ちに変化が出てきました。舞台のプロによる講座を受けたり、現場を手伝ったり。中でも、自分が企画したイベントがコンペでグランプリを獲得!実際に実現する機会もあって、今までは観る側でしたが、創る側のおもしろさを体感したんです。 すぐにプロになれるとは思いませんし、次の収入のあてもありませんが、自分の直感を頼りに、銀行を退職して舞台の世界へ。講座でお世話になった先生からの紹介で、音響のコード巻きやミュージカルの小道具など舞台に関わる仕事にアルバイトからスタートしました。 |
障がいのある人が参加できる事業に携わるきっかけは? |
イベントプロデューサー講座でお世話になった先生から声をかけられました。当時、福祉の世界でよく出てくる言葉「ノーマライゼーションって、何か知っているか?」と聞かれましたが、私は「なんですか、それ?」状態。仕事として取り組むことになるので、障がいや福祉に関する本を読んだり、講座やシンポジウムに参加したり、施設見学に行ったりなどして、情報や知識を得ていきました。 ビッグ・アイで初めて企画したのは、映画の上映会です。その時、盲聾の人が来ました。ビッグ・アイで開催するイベントは、字幕や副音声、手話通訳など障がいのある人に対して鑑賞サポートをしていますが、その時「見えなくても聞こえなくても、映画を楽しもうとする人がいる」ということを、自分自身の体感として知ったんです。それからは「そうぞう」の繰り返し。 |
「そうぞう」とは? |
見えない人にお芝居を鑑賞してもらうには、聞こえない人に音楽を楽しんでもらうためには、どうしたらいいのだろう。いろんな人たちに鑑賞してもらうための「そうぞう」です。想う「想像」と、創る「創造」のどちらもあります。 以前、オーケストラ・コンサートで、鑑賞していた人が演奏中に声を継続して発していました。ご本人は音楽が好きで、生で音楽を聴けるのを楽しみにされていたのですが、ご家族は「声がまわりに迷惑をかけているのでは」と気にして、途中で帰宅。「なんとかできないか」と思って、ホールの一部に舞台が見える個室スペースがあったので特別鑑賞席にしました。 でも、舞台って客席にいないと伝わらないものがあります。客席にいることの空気感、劇場や観客全体から出ている“気”のようなもの、肌で感じるものです。別室で鑑賞してもらうことは一つの方法ですが、生の鑑賞ではありません。 そこで今度は、知的障がいや発達障がいなどがある人の中には、暗い場所や大きな音が恐くて不安だから声を出してしまうこともあるので、劇場がどんなところなのかを体験してもらうプログラムを考えたんです。 想像して創造したことが、うまくいった時は嬉しい!でも、「100%のお客様が満足した」なんて絶対にないですから、イベント終了後はアンケートを一番先に確認。次の課題を見つけて、想像して創造するんです。それがしんどくなくて、好き!もしかしたら、まだ社会にないことをやっているかもしれない、というおもしろさもあるから。 |
これまでにどんな「壁」または「悩み」を経験されましたか? |
以前は障がいのある人からの要望は全部受け入れなければならない、「あれもこれも、私たちがやらなければならない」と思っていました。でも、ここ何年かで「これは私たちがやるべきこと。でも、ここまではご自身でできることです」と話し合って、最善策を模索できるようになったんです。言われるがままの以前は、本当の意味で、相手や障がいのことを理解していなかったんだと思います。 先日、仕事仲間から「障がいのある人たちに年間5000人ほど会っているでしょ。15年だったら、すごい人数」と言われて、それだけの経験があるんだって気づきました。最初の頃は「想像」でしかなかったところも、だんだんと「リアル」になっていった部分もあります。最近は「こんな障がいの人が来た」と意識しないようになりました。これが私の中では日常だから。 私は「福祉」「芸術」など切り分けたくないんです。福祉って、何? 福祉って、誰にとってもいい環境でしょって。最終的に「福祉」という言葉がなくなれば、いい社会になると思っています。私がやっている仕事も、さまざまな人が来た時に、鑑賞したり参加したりできる環境を作っているだけなんです。 |
どんな時にやりがいを感じますか? |
ワークショップではいつも、障がいの有無・国内外・年齢も多様な人たちが集い、多様なコミュニケーションが生まれています。英語や手話など、いろんなコミュニケーションが混じり合う中で、一つのものを創り上げていくという過程ではさまざまなことがあるんです。 先日、聴覚に障がいのある学生たちと、健聴者の学生たちによるダンスコラボレーションを企画・開催しました。ダンスを創り上げていく過程で、聴覚に障がいのある学生たちは「自分たちが聞こえないこと」を再確認することになったんです。 これまでの人生の中で、「聞こえないこと」が、彼らを傷つけたことがいっぱいあったでしょう。だから、再確認することは、彼らにとって、そんな体験を思い出すしんどいことだったと思います。 でも、彼らは「自分が聾であることを自覚したしんどさがあったけど、自分たちのアイデンティティや誇りも実感できた」と。相手にも自分の言葉で、思いを伝えることができたんです。 自己と他者と真正面から向き合い、乗り越え、成長していく姿を、そばで見せてもらって「ありがとう」って!! 健聴者の学生たちにとっても「あなたたちが知っている世界の人間はほんのわずか」ということを体感してもらいたいという気持ちがありました。以前の私がそうだったから。「聴覚障がい者」という名称を知っていても、彼らを知っているわけではなかった。でも、自分が体験していくことで理解していけることがあるとわかったんです。 「他者理解が大切」とよく言われますが、他者理解のためには自己理解も必要です。自分を理解できているからこそ、他人を理解できると思います。他人が理解できないということは、自分に何が足りないのかを見つけないといけないですから。 |
これから実現していきたいことは? |
障がいのある人たちの居場所を創り、彼らの存在を社会に知ってもらうことが、ビッグ・アイの仕事だと思っています。居場所も1箇所あればいいというのではなくて、さまざまなところにあれば、彼らの存在をもっと社会に知ってもらえます。ビッグ・アイ以外でも事業展開していくほか、鑑賞サポートのノウハウを地域の劇場でも実施してもらえるよう啓発やサポートをしていくなど、今まさにやっていることがつながっていくのだと実感しています。私はその中で、先ほどのような「この場に立ち会わせてくれて、ありがとう」という瞬間に出会うから。自分が嬉しいと思えたり、やってよかったなあって思える限りは、今の仕事を続けたいですね。 |
ありがとうございました。 |
(取材:2015年11月) |
取材:小森利絵 ライター/HP:『えんを描く』 編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。 |
■関西ウーマンインタビュー(社会事業) 記事一覧
-
「自分が納得のいく生き方をしたい」『窓ぎわのトットちゃん』の出会いから自由な教育を目指す藤田さん
-
「どこにいても誰といても、私は私」高齢者介護からシングルマザー支援と地域に根差してさまざまな活動を広げる安木さん
-
「困りごとから動いていたらこうなっていた」昔の長屋のようなコミュニティづくりに取り組む桃子さん。
-
「価値観を変えたい」障害があっても働くには、自分で事業所をつくるしかないと起業した圭子さん。
-
「流される中でも選んで今」自分の居場所を探し続けて「里山」と出会い、副代表理事として活動する西川さん
-
「人生1回こきり。できると思ってもいい」「一人ひとりが大切にされる働く場」の実験として豆腐屋を営む永田さん
-
「楽しい「」と「人」に出会って、気づいたら今がある」さをり織りと音楽活動を通して地域活動に取組む伊藤さん
-
「世界のあちこちに通じるリアルな「どこでもドア」をつくりたい」在日外国人の語り合いの場を創る岩城さん
-
「好きでやりたいことを置いてでも、やって意味のあること」自らの経験を生かし、薬物依存症回復を支援する倉田さん
-
「互いに信頼し合えるからこそ表現できる」大阪西成区・釜ヶ崎で、詩業家として表現の場を創る上田さん。
-
「音でのコミュニケーションは、言葉では越えられない壁を越えられる」歌、叫び、踊りを通して自分を表現するナカガワさん
-
「想像して創造することはおもしろい」芸術文化を通して障がいのある人たちの居場所を創る鈴木さん
-
「誰かにやってもらうのではなく自分たちで行動する」国際協力に「自分が生きている意味」を見つけた沙良さん
-
「若い人が夢を持ってNPOで働くために「安心」の強い基盤を作りたい」地域の人たちと音楽推進活動する西野さん
-
「手書きの手紙は優しい心の贈り物」ご主人を亡くされてから52歳で起業。残された10行の手紙を心の支えに元気を広げておられます。
-
今年新理事に就任され、2代目リーダーとして事業型NPO運営のモデルを目指す諸田さん。