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■関西マスコミ・広報女史インタビュー


赤松 利恵さん(テレビ番組制作 リサーチャー)

赤松 利恵さん​:テレビ番組制作 リサーチャー(ブレーン)
「オフィスME」所属。短期大学卒業後、テレビ制作会社に勤務。某テレビ局の早朝番組を担当。1年半の番組制作経験を経てリサーチャー(ブレーン)に転職。以来、20年以上のキャリアを持つ。     
テレビ番組のリサーチャーとはどういったお仕事ですか?
リサーチャーはブレーンとも呼ばれるテレビ番組制作の裏方です。まず番組のコンセプトに合ったネタ、例えば「春の京都特集」をする場合、おいしいお花見弁当のお店やスイーツのお店などを新聞や雑誌、図書館で調べたり、ネットで検索したり、いろいろな方のブログを拝見するなどして探して案を作り、番組の企画会議にかけます。そこで決まった企画案に沿って取材先のリストアップ、ブッキングや出演交渉、取材許可を取るといった一連の作業がリサーチャーの仕事です。
どんなきっかけでこの仕事に携わるようになったのですか?
高校生の時に観たジャッキーチェンの映画に影響され、短大では映画研究会に入り、8ミリカメラを動かす毎日でした。同級生のほとんどの人は銀行や証券会社に就職しましたが、私は 映像制作に携わりたいと就職活動を始めました。

学校に求人はなく自分で制作会社の電話番号を調べ、30社ほど受けました。なかなか決まらなかった時に、ディレクターは体力勝負だ と思い、「冬でも絶対に長袖は着ません!」と面接でアピールしたこともありました。 もちろんウソです(笑)

長い就職活動を経て、ある制作会社にようやく就職が決まり、アシスタントデ ィレクター(AD)として、某テレビ局の早朝番組を担当しました。 毎朝3時半にタクシーが迎えに来て放送局に入るという日々を1年半。夢のディレクターへの道は、思っていた以上に厳しいものでした。

生放送の番組は時間との勝負。毎日の緊張はもちろん、入念に時間をかけて準備したものでも、時間がなく放送できないことも多々あります。視聴者に見てもらいたいと一生懸命作っても、日の目を見ない理不尽さを目の当たりにしてきました。そんなやるせない思いと日々の疲れで、ありえないミスも続き、「私には無理だ」と制作会社を後にしたんです。憧れのディレクターへの道を自ら降りたときの気持ちは、挫折以外のなにものでもありませんでした。このAD生活は後の私の人生を大きく変えるきっかけになりました。

その頃、この早朝番組のブレーンの一人に、現在所属しているオフィスMEの社長がいたのです。番組を離れるとき、「ディレクターではなく、ディレクターを支えるリサーチャーという仕事をやってみない?」と声をかけていただいて、ハッとしました。「そういう携わりかたがあったのか」と。やはり放送業界から離れたくない気持ちも強かったので、二つ返事でお受けしました。それは新しい扉が開いた瞬間でした。22歳でリサーチャーに転職し、その後20年以上もこの業界に携われているのは、このチャンスのお陰だと思います。
思わぬ展開で飛び込んだリサーチャーの仕事は、赤松さんにとってどんな世界でしたか?
ネタ探しは正直大変です。それでも、あらゆる情報ソースを駆使して探し、自分が面白いと思ったネタが放送される喜びはとても大きいものです。番組の根っこの部分を担い、自分のアイデアや感性が具現化することで、視聴者のみなさまのお役に立てることは、何ものにも代えがたい達成感があります。取材先の方に「ありがとう」と言っていただくと本当にうれしいです。まさに裏方仕事の醍醐味ですね。

当然ながら出した案が通らないことも少なくありません。下調べ段階でコンタクトを取っていても企画が通らず断念するときもあります。取材を楽しみにされていた方には申し訳なくてつらいですね。また最近は取材NGのお店も多く、新たに別のお店を探すか、企画自体を変えなくてはいけないこともあります。絶対に穴をあけられないということは、何が何でも着地点を見つけるということ。そういうとき、逆にやりがいも感じます。この仕事によって根気強さが身についたと思います。
ベテランのリサーチャーとして心がけていること何ですか?
リサーチの仕事は主に電話での情報収集や交渉がメインです。私が心がけているのは、 地方へ電話取材する時は関西弁を使うこと。以前、関東地域に取材拒否で有名なお店があって、ダメもとでチャレンジしたのですが、なんと!「関西弁が懐かしかったから」とすんなり取材許可をいただけたのです。それ以来、普段通りの関西弁で電話するようになりました。故郷でもある大阪への愛着でもありますが、スキルとして私の新たな教えとなっています。

また、リサーチする際、何も知らない素人の気持ちで一から教えてもらうことを心がけています。たとえ知っていることでも、知らない前提でリサーチした方が深い話が聞けることがありますし、自分が知っていることよりも多く教えていただけます。何事も初心を忘れず、真っ白な気持ちで相手に飛び込んでいく。それが一番大切なことですね。
この業界を目指す人へのメッセージをいただけますか?
ネタ探しや企画案の情報源として、雑誌、インターネット、新聞全紙に目を通していますが、必要な時だけアンテナを立てるだけでは不十分。普段テレビを見ていても「次のネタに使えそう」と常にアンテナを立てていることが必要です。プライベートでもつい仕事目線で見てしまい、常に情報収集してしまうのは職業病かもしれませんが(笑) 。いつ何時でも情報があれば必ずメモを取るなど、常にネタ収集や企画案のインプットができるような心がけは必要です。

また、この仕事を目指す方は、何か得意分野を持つことが大切だと思います。たとえば京都に精通しているリサーチャーさんは、京都特集の際は必ず声がかかるといったように。私の場合は主婦でもあるので、自分が好きな分野「節約・家事ネタ」「素敵な住まいネタ」に関しては、他のリサーチャーさんに負けないように、常にアンテナをはっています。
赤松さんの今後の夢や目標を教えてください。
女性は結婚や子育てでキャリアが切れてしまう方もおられますが、私自身2人の子どもを育てながら仕事を続けてきましたので、60歳になっても、70歳になっても続けたいと思っています。生涯通じてできる仕事に出会ったとも確信しています。長く継続していくためにも、日々情報に敏感でいたいと思いますし、取材先や視聴者の皆さんから「ありがとう」「面白かったよ」と言っていただけるような企画が出せるリサーチャー、ブレーンであり続けたいと思っています。
赤松さん、ありがとうございました。
 
赤松さんが所属する「オフィスME」の事務所には、所狭しと情報誌や雑誌が並び、そのストックは約3年分。あふれかえる情報の中から材料をチョイスし、番組のコンセプトに合った企画に調理する手腕は、まるで5つ星レストランのシェフ。視聴者のために努力を惜しまず、よりよいものを作ろうとする想いは、テレビ業界に飛び込んだ当時から変わらず、赤松さんの中に燃えているように感じました。
取材:なかむらのり子
S plus+h(スプラッシュ) 代表
フリーコーディネーター/コピーライター/プランナー
マスコミ・出版メディアへの取材も多く、インタビューする方の人生にスポットを当てる取材を心がけている。舞台芸術、教育、医療、地域活性に関する取材など、そのフィールドは広い。 

 

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