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■関西ウーマンインタビュー(医師)


藤田 由布さん(産婦人科医)

「こうなる!」という、思い込みから始まって

藤田 由布さん
産婦人科医
「大阪なんばクリニック」で婦人科医長を務める藤田由布さん。(2021年8月より『レディースクリニック サンタクルス  ザ 梅田』へ異動され、2024年から『レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ』院長として勤務されています。)

買い物ついでに立ち寄れるような、気軽に相談できる婦人科をめざし、中でも我慢されがちな生理痛についての啓発に力を入れておられます。

藤田さんが医師になったのは、37歳の時。それまでは、青年海外協力隊や国際協力コンサルタント会社など10年ほどに渡り、アフリカで国際協力に関わるお仕事をされてこられました。

「30代で無職になって医師をめざすというのは、なかなか大きな賭けでした」と振り返る藤田さん。藤田さんが30代で、医師をめざした理由とは?
人生がドラスティックに、ダイナミックに動いて
アフリカで国際協力に関わるお仕事をされてきたことにより、医師をめざすようになったとのこと。そもそも大学卒業後に、青年海外協力隊に応募した理由は?
昔からなんとなく、「開発途上国に関わる仕事をしたい」「アフリカで仕事をするんやろうな」と思っていました。青年海外協力隊に応募したのも、その存在を知った時から「私、これに行くんやろうな」と思っていたからです。

もう遠い昔過ぎて、「どうして、そう思ったのか」「いつ、何で、青年海外協力隊のことを知ったのか」については思い出せないんですけど。物心ついた時から、その存在を知った時から、「私は将来こうなる!」と思っていたんです。

はっきり言って、最初のきっかけや動機なんて、何でもいいんです。行って、出会って、見て、感じて、それによって自分の人生がドラスティックに、ダイナミックに動いていきましたから。
「なんとなくそうするだろうな」と思っていたことを実現して、大学卒業後に青年海外協力隊に応募し、アフリカへ。そこから10年に渡ってアフリカで国際協力に関わるお仕事をされますが、「なんとなく」という想いが、長年続けるほどの想いに変わったのはなぜですか?
アフリカでは、肩に猿を乗せ、馬で通勤し、現地の仲間たちと感染症に関わる活動に取り組みました。

時には研究の一環で一夫多妻制の家族と暮らし、農村地域の女性たちの本音に迫り、時にはガーナとトーゴの国境付近で星降る夜空の下、村人たちと夢を語らい、時にはマリとニジェールの国境付近でポリオワクチン接種の監視活動を。

そんな毎日は笑いと新しい発見の連続で、ただただ楽しかったんです。

たとえば、ニジェールではハウサ語とザルマ語という2大言語があって、現地の人たちは3~4つの言語を話せるのが当たり前です。

私が青年海外協力隊をしていた当時、日本ではサッカーの中田英寿選手がイタリアのチームに移籍して「中田選手はイタリア語も話せてすごい」というのが話題になっていました。そのことを彼らに話すと、「日本では、2つの言語を話せるだけですごいと言われるのか」ときょとんとしていました。

また、ある日はザルマ語で会話している輪に入ったら、私がハウサ語しか話せないのを知っているから、一瞬にしてザルマ語からハウサ語に切り替わったんです。ああ、こういうの、いいなって。アフリカ奥地の人のほうが、日本人よりも、異文化理解に長けていて、「この人たちこそ、国際協調のある人たちなんじゃないかな」と思いました。

最初は開発途上国の悲惨な現状を知り、「助けてあげたい」という気持ちがあったかもしれません。でも、現地で活動するうち、「助けてあげたい」なんておこがましいことを思わなくなりました。現地には優秀な人たちが山ほどいて、彼らから学ぶことのほうが多いからです。

青年海外協力隊の任期は3年間でしたが、帰国後も「アフリカに関わる仕事をしたい」と考え、イギリスで開発学の勉強するため大学院に進学したり、アメリカや日本の国際協力に関わる財団の職員など転々としながら、途中「もうちょっと勉強せなあかん」とロンドン大学大学院で開発学やヘルスプロモーションを学びつつ、10年に渡ってアフリカに関わり続けてきました。
「なんとかしたい」という想いが積み重なって
医師になろうと思ったきっかけは?
少し綺麗ごとになりますが・・・・・

マラリアやポリオ、エイズ、ギニアワームという感染症に関わる仕事で、誰も行かないような奥地の貧困な地域をまわることが多くありました。その時に、疫病や飢餓、感染症、そして夥しい数の死に直面し、医療技術がない自分の無力さに打ちのめされたんです。

そういった場面に遭遇するたび、「なんとかしたい」と思うも、「自分は医師じゃないから」と思ってきました。でも、10年ほど関わり続ける中で、もし次にアフリカで仕事をする機会があれば、医療に携わりたいと思ったから。2008年に、医師免許を取得するための行動を起こしたんです。

日本ではなく、海外の医学部に進学したのには、いろいろな理由があります。

約40カ国から学生が集まる大学だから、いろんな国の人たちと勉強できるのはおもしろそうと思いましたし、日本で医学部に入学しようと思ったら何年も浪人しなければ難しいですが、海外では入学しやすいので、すぐに学び始められるのもいいと思いました。

32歳で医学部に入学して、やっとことさの思いで、37歳でヨーロッパの医師免許を取得。38歳で日本の医師免許も取得し、今は日本で婦人科医をしています。
どうして「婦人科医」を選ばれたのですか?
アフリカでは、初産の平均年齢は13歳くらいです。初産の女の子が家で四つん這いになってお産している場面に、何度か立ち会ったことがありました。

胎盤がなかなか出てこない時は、家の中で唐辛子をたいて咳き込ませたり、大きな石を何回も持ち上げさせたり、伝統の薬を使ったりするなど、村の女の人たちが寄ってたかって、いろいろな方法で腹圧をかけて胎盤が出るように促すんです。

別の日に立ち会ったお産では、お産中に出血多量になり、病院に搬送されるも間に合わなくて、母子ともに亡くなってしまいました。そういう現実を目の当たりにし、悲惨やなと思ったんです。未だにニジェールという国は、多くの妊婦さんがお産の時に亡くなっていると言います。

女性が女性の健康を守らずして誰が守る! 女性の味方になれるような医師になりたいと思いました。
思い込みが突き動かす、現実
これまでにどんな「壁」または「悩み」を経験されましたか?
医師になってからの壁や悩みは、特に思いつきません。

問題は解決できるものは自分でしていくしかしょうがないですし、「自分の能力なんてまだまだ」「うまくいかない」と思うことはあってもそれがなければ成長していかないから、くよくよしません。飲みに行って、楽しくお話できれば、くよくよも吹っ飛びます。

また、大学ではコミュニケーションを学び、所属を転々としながらアフリカに関わり、途中大学院で開発学やヘルスプロモーションを学ぶなどもしてきました。そういったさまざまな経験が医師としての持ち味になっていますし、各フィールドに仲間がいるので彼らの活躍が励みになっています。

壁や悩みと問われて思い浮かぶのは、医師をめざしていた時のこと。30代で無職になって医師をめざすというのは、なかなか大きな賭けでした。

海外の大学なので英語で勉強しますから大変で、日本からの留学生の多くは留年すると言われていました。さらには、私の在籍した医学部は6年間ストレートで卒業して医師免許を取得できるのは全体の25%程度。そんな中、「ストレートで卒業するぞ!」と決めて、1日18時間も机にかじりついて勉強するというガリ勉ぶり。

同級生は自分と一回り以上、年下の子たち。授業中にうるさくおしゃべりしている学生を一喝したら、「何、あの日本人」と嫌われて、陰で「レクチャーポリス」とアダ名をつけられていたというのは、今となっては笑える思い出です。

切り詰めた生活、ガリ勉、「レクチャーポリス」という陰口(笑)。

そんな状況でも心が折れなかったのは、32歳で入学しているから「もう、後がない!」とお尻に火がついていたからでしょうし、今までアフリカで頑張ってきたという自負もあって、「若い子たちには負けへんで」という気持ちがあったのだとも思います。

そして、私にとって応援歌になった言葉がありました。110カ国以上で活動されてきた医師の國井修先生の言葉で、「夢は単純で純粋なほうがいい。その夢に対する思い込みが強いほど、自身を動かす力も強い」。私自身もなんとなく感じていたことを表現してくれたような言葉でした。

思い込みって大事。思い込みがあかん時もありますが、いいように働く時もあります。
藤田さんが「思い込みって大事」と思われるのは、どうしてですか?
医学部時代は「医師になる!医師になって、アフリカに帰る」と、「なりたい」じゃなくて「なる」と思っていました。

だから、「レクチャーポリス」と陰口を叩かれても、「友だちをつくりに入学したわけじゃない。ストレートで卒業して、医師免許を取得することが一番大事」と強く思え、モチベーションを維持し続けられたんだと思います。

研修医時代には、病院内にゴスペル部をつくりました。それも「職種を飛び越えて、病院のみんなでゴスペルができたら楽しいやろうな。楽しいはず!」と思ってやり始めたら、やっぱりすごく楽しくて。私が病院を去った後も続いているそうです。

振り返れば、私の人生、思い込みから始まっているのかもしれません。

アフリカに関わる仕事も、最初は使命感もなければ、ずっと続けていくなんて思ってもおらず。「気がついたら」とか「ご縁が」とかから始まって、出会ったりのめり込んだりしたことが、転機になっていったのでしょうね。

そのうち、「私が見ちゃったんだから、私がこの世界をなんとかして変えなきゃ」「私にしかできないかもしれない」と傲慢なことを思い始めて、じわじわと使命感のようなものに変わってきて、それがいつしかライフワークになっているのではないでしょうか。
自分の目の前にある現実が、次の想いや行動に
医師になって、日本で約5年。今も「いつかはアフリカで」という想いはあるのですか?
虎視眈々とその機会を狙っています。ただ、日本で診察していると、生理痛を我慢している女性が多いことといったら!

クリニックの健康診断で、「健康面でお悩みはございますか?」と聞いても「特に何もありません」と答える女性たち。「生理痛はひどかったりしますか?」の質問には、「あー、毎月もうめっちゃ痛いし、しんどいんです」と打ち明けてくれます。

詳しく聞くと、「生理痛は高校生の時からずっとしんどいけれど、しんどくて当たり前」「鎮痛剤を飲んで様子を見守るしかない」と、長年我慢してきた女性が多すぎる! 生理痛は我慢して当然と思われてきたことが、すごく悲しいし、腹立たしいんです。

診療の場というのは、啓発の場でもあると思っています。「生理痛が少しでもある」と答えた方には、生理痛に隠れた病気についてや、痛みを簡単に撃退する方法など、絵に描いたり模型を用いたりしてわかりやすく説明します。

私のところに訪れる患者さんの多くは「ほかでは言えなかった」というのを引っ提げてやって来ますから。どんな些細なことでもいい、買い物ついでにいけるような、そんな婦人科でありたいと日々思っています。
近い未来、お仕事で実現したいことは何ですか?
今年の目標は、高校生に授業をすることです。

性教育も大事ですが、生理痛をほったらかしにしちゃダメなことのほうがもっと重要で緊急性が高く、今すぐにでも多くの女の子たちに知ってほしい。

たとえば、生理痛に潜む1つの病気として、子宮内膜症という日本で10人に1人がなると言われている病気があります。将来的に不妊になったり、卵巣のがんになったりする可能性があるほど、危ない要素をひめている病気です。

早いうちから治療すれば、防ぐことができますから。「生理痛を決して放置してはいけない」、そのテーマで女子高生に話したいんです。
(取材:2020年1月)
profile
藤田 由布さん
関西大学総合情報学部在学中に、青年海外協力隊に応募。1997年にニジェールに派遣され、保健省で感染症に関わる活動に取り組む。2001年に派遣期間を終了。以降は財団やJICAなどで国際協力に関わる仕事に携わり、途中2003年にはロンドン大学大学院に入学し、国際開発学を専攻、2004年にヘルスプロモーション修士号を取得した。2008年にハンガリーのデブレツェン大学医学部に入学、2014年に卒業し、医師免許を取得。2015年には日本でも医師免許を取得。2019年より「大阪なんばクリニック」にて婦人科医長を務め、2021年8月より「レディースクリニック サンタクルス ザ梅田」へ異動、2024年から「レディースクリニック  サンタクルス ザ シンサイバシ」の院長として勤務されておられます。
レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ
〒542-0085 大阪府大阪市中央区心斎橋1-8-3 心斎橋パルコ10F
TEL:06-6253-1188(代表)
https://shinsaibashi.santacruz.or.jp/
editor's note
「私の人生、思い込みから始まっているのかもしれません」というお話が印象に残っています。

子どもの時から「開発途上国に関わる仕事をしたい」「アフリカなどで仕事をするんやろうな」、さらには「私、これ(青年海外協力隊)に行くんやろうな」と思っていたという藤田さん。

「思い込み=純粋な気持ち」で、動機やきっかけなどを思い出せないくらい純粋な気持ちが、「こうする」「こうなる」という思い込みにつながり、現実をも動かす行動につながっているのかなと、お話をうかがって思いました。

純粋な気持ちは「直感」とも似ていて、日々のさまざまな出来事、それによって感じたり思ったり考えたりしたことのすべてから生まれる、結晶のようなものなのかもしれないとも思います。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP: 『えんを描く』

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