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■関西ウーマンインタビュー(ドクター編)


松嶋 麻子さん(大阪府立急性期・総合医療センター 救急診療科 救急診療科副部長)

 
松嶋 麻子さん 大阪府立急性期・総合医療センター 救急診療科 救急診療科副部長
名古屋市立大学医学部卒。救命救急医を志し大阪大学の特殊救急部(現救急医学講座)に入局。以来16年間、救急医学・医療に関わることを学び、患者さんの救命に従事。現在、日本救急医学会の専門医・指導医として、救命救急センターで日々、重症患者に向き合うとともに後輩の育成に力を入れている。2015年9月より名古屋市立大学大学教授として赴任予定。
大阪府立急性期・総合医療センター 救急診療科
http://www.osaka-pgmc.com/
大阪府立急性期・総合医療センター

大阪市住吉区万代東3丁目1番56号
http://www.gh.opho.jp/
お仕事の内容を教えてください。
救命救急センターで医師として勤務しています。救急車で搬送されてくる患者さんや、歩いて来院される救急患者さんの診療を行いますが、特に生命に関わる重篤な外傷や疾病の患者さんの治療を専門にしています。
なぜ、救急救命を選ばれたのですか?
もともとスポーツドクターに興味がありましたが、医学部在学中に阪神淡路大震災を経験し、こういう時に役立つ人になりたい、目の前で具合が悪くなったり、怪我をした人を助ける仕事に付きたいと思い、救急医学を志しました。 ちょうど、『ER緊急救命室』というアメリカのテレビドラマ」が日本で放映され始めた頃で、「これだ!」と思いました。

今でこそ全国でたくさん救急講座はありますが、当時在学していた名古屋市立大学には無く、どうせなら救急医学の総本山に行ってみようと、大阪大学の特殊救急部(現救急医学講座)に入局しました。

阪大の医局には今も所属していますが、医局では、「10年かけて一人前の医者を育てる」という教育を考えるので、10年後に一人前の医者になるために、今どういうスキルや資格が必要かを考え、いろんな病院に研修派遣されていきます。

阪大病院の救命センターで1年間研修して、そのあと、静岡の病院で外科医として2年研修しました。外科医として基本的な手術や、外科医としてのものの見方など、救急に必要な部分を2年間で吸収して帰り、4年目から阪大の救急の医者として、且つ大学院生として約6年、臨床と研究をしていました。
先生は火傷や感染制御も専門分野とされています。
救急の中には、外傷、熱傷、中毒、感染症などがありますが、あえていえば熱傷、火傷が専門になりますね。名古屋にある中京病院という救命センターは大火傷の患者さんを日本で一番数を診ている専門の施設なので、火傷の専門家を育てないといけないということで、阪大の医局の人事によって4年間行きました。

感染制御については、火傷や外傷など、命に関わるような重症の方が入院され、もとの大きな怪我で亡くなるのであれば、ある程度は仕方ない部分もありますが、病院で治療している間に、助かるはずの人が、院内感染や感染症の合併症で亡くなってしまうと、本人も家族も納得いかない。この感染症が無ければこの人は助かったのに、もっと早く集中治療室に入っていたら元気になれたのに、となると、我々もやっぱり悔しいですし、やりきれない思いがあります。

救急は重症の患者さんを助けることが目標ですが、集中治療室に入った後、いかに効率良く最短で治していくかが重要であり、患者さんを確実に救命するためには、感染制御が必須であることを実感しました。

院内感染が問題視されてきたのはここ10年くらいですが、研究も進み、防がないといけないということはどこも分かっていますし、防ぐ方法も分かってきています。でもそれを現場でどう実行するか、人手や予算、場所などいろんな制約の中で、どう実現するかということが難しいんです。大きな病院であれば「感染対策室」があったり、専門の先生がおられますが、集中治療室と一般の病棟では対策の仕方も異なりますので、その特殊性に合わせた感染対策を考えるということは、まだまだ少ないのが現状です。
これまでにどんな「壁」を経験されましたか?
自分の実力不足による、理想と現実のギャップです。アメリカのアラバマ州の大学に有名な先生がいらして、大学院生のとき、そこの研究室に留学したのですが、もうぜんぜんだめで2年の予定を1年半で辞表を書いて帰ってきたんです。続けられなくて。

今思えば、医者になって5年目、患者も診れるし、そこそこいろんなこともできるようになって、大学院生で、既に自分で論文も書いて発表しようものなら、「自分は仕事ができる」と思っていたんですね。「私に任せとけ」みたいな、そういう時期だったと思います。

できると思って向こうへ行ったけど、留学先で、自分一人では何もできないんだということを初めて気付いたんです。 日本と同じようにやろうと思っても、自分のことを知っている仲間もいなければ、自分を手伝ってくれる人もいない。これまで、アドバイスしてくれる先生や一緒に支えてくれる仲間、家族、そういう人がいる中で私は仕事ができていたんだということを、その時に初めて分かりました。

自分の分からないことを先入観なく、イチから謙虚にコツコツと積み重ねていれば、論文などの結果にならなくても、たぶんそれなりの仕事ができて、2年なり3年なり勤め上げることはできたと思うんです。ところが自分はできるつもりでいますから、口答えばかり。失敗すると、あれが悪いこれが悪いと、いろいろ言い訳するわけです。教えてくれる人がいないとか、マニュアルが良くないとか、プロトコルがおかしいとか。もう、モノのせい、人のせいにしていました。
今の先生からは想像もつかないですが、そういう時もあったんですね。
本当に恥ずかしいというか、それなりに一生懸命だったんでしょうけど、自分の実力がぜんぜん足りなかったんです。自分の知っている医療の範囲というのはとても狭いのだから、違う領域に行けば、関連する分野であっても、イチから積み重ねていかないとできないということを、1年くらい経ってから分かったんです。

向こうはやっぱり厳しいので、結果が出ない人にそのポジションは無いんです。お給料はもちろん、机や場所を使わせること自体無い。結果を出すか、ポジションを譲るか、どちらかだと突きつけられました。それを留まろうといくら頑張っても、周りも厳しいですから、自分が生き残るためには、今槍玉に上がっている人を排除して、自分への攻撃を反らせる。そういうところにぶつかってしまったんです。

日本にいる教授に、「今こういう状況なので、もう少し頑張ろうと思うんですけど」と話をすると、「そういう状況になったら修復不可能だから、良い勉強になったと思って帰ってきなさい」と言われました。私が途中で辞めて帰ってきてしまうと、せっかくの医局の関連施設としての留学なのに、後輩が続かなくなってしまうことを一番気にしていましたが、「そんなこと全く気にする必要はないから、さっさと帰ってきて、またやり直せばいい」と言ってくれたんです。

悔しかったですし、留学先のボスに誤解を解こうと説明を試みましたが、伝えようと思っても、信頼を失ってしまったらもう伝えられない。誰も自分のことを信じてくれません。そこで「私を元の臨床の現場に戻してください」と言って1年半で辞表を書いて帰ってきたんです。
やっぱりコミュニケーションが問題だったんでしょうか。
その時「私の英語力が足りないから、皆さんに私の想いが伝わらないのでしょうか」と聞くと、「英語力の問題じゃない」とはっきり言われました。「君の英語はちゃんと伝わっているし、君の言わんとすることは分かる。だからこそだめなんだ。君の考え方がだめだ」と言われたんです。その状態では結果は出ないし、結果が出ない人を置いておくわけにはいかないと。

研究室だったので、機械や実験のやり方を教えてくださいと同僚なり隣の人に尋ねると、「なぜ私が苦労して学んだスキルをあなたに無償で教えないといけないの」と言われました。それは当然といえば当然なのかもしれない。それを素直に、仲間や先輩後輩だから教えるというのは、日本独特の考え方なんだと。

向こうは契約社会ですから、自分の持っているスキルや知識を教えるということは、ライバルを一人増やすことになります。しかも後輩がライバルになると自分のポジションが脅かされますから、そんなアホなこと誰がするんだということです。教えてくれないか、たとえ教えてくれても、それは嘘かもしれない。その覚悟で聞いて、得られた情報が本当かどうかは自分で検証しなければいけないんです。

この人にこれを教えたら、自分にもプラスになって一緒に結果を出せるとか、論文のトップネームに入れてもらえるとか、そういう何かしらのお互いのメリットがないと、タダで教えることは無い。その上で、この人だったら教えてもいいやという信頼関係が必要だったんです。

やっぱり何かの競争があるとしたら、そこには必ず利害関係や、この人は敵か味方かという見方は入ってきます。それは男性が多いところには余計にあるでしょうし、特に研究室は日本でも多かれ少なかれあると思います。
厳しいですね。救急医療の現場となると、また違う競争はあるのですか?
救急の私たちの現場では、ポジション争いよりも、その患者さんをどうやって助けるか、この場面で自分に何ができるかですから、自分との戦いです。たとえ人より抜きん出ていたとしても、目の前の重症の患者さんを救えなければ、それは何も意味が無いことです。

誰も分からない病気について知っていて、診断を下して見事に治った。ついさっきまで意識朦朧としていた人を、パッと元気にして翌日退院させる。外傷では、他の人が止められない血を止めた人が一番偉いんです。
ドラマや映画を見て、救急救命のドクターになりたい方は増えていませんか?
増えていますが、救急でもいろんな救急があって、いわゆる『ER』のように、患者さんを入り口でさばいて、あとは各科の先生に振り分けるだけ、というイメージを持ってくる人が多いですね。

集中治療である程度の手術も自分たちでやって、重症の患者さんを救命する。その後、落ち着いた段階で各科の先生にお願いする、ということも含めた「救急」を私たちはやってきましたが、その奥深さはなかなか伝えられていないようです。『ER』のような、ドラマ的なところに吸い寄せられていく人が多いのが現状で、「そこも自分の仕事?そこまでやってたら5時に帰れないじゃん」という(笑)

時間がはっきりしているシフト制で、9時から5時までで、自分の当番が終わったら帰る、それは女性医師も働きやすいという考え方もありつつ、いやいや重症の患者さんがいるんだから、寝食を忘れて付きっ切りになって治療すべきという考え方もある。そういういろんな考え方がある中で、どう若い人ややる気のある人を取り込んでいくかが今の課題です。
救急医療を選んだ以上、ワークライフバランスは難しいですか?
私たちは「自分はさておき」とやってきましたが、待っている家族を犠牲にして、目の前の患者さんばかりというのは、確かにしんどいことです。

今はワークライフバランスの時代ですから、患者さんのそばを離れられない時に家庭の方を離れられる。子供のそばにいるために仕事を誰かに頼める、それを分かってもらえる。その時々の状況で、自分が必要とされているところにいられることが大事なんじゃないかなと思います。それがうまく両立できるところに人が集まってきていると思います。
医療の現場では、なかなか理解されにくいと聞きます。
救急はわりと家庭への理解はあると思います。後輩の先生たちも、ちょうど子育て世代なので、幼稚園の入学式や運動会に行ってきますとか、家族の急病でお休みすることもあります。

みんな口には出さないですが、救急の現場で重症の患者さんを見ると、自分の家族がいつ同じ状況に陥っても不思議じゃないという恐怖感は常にあるんです。子供が運ばれてくると自分の子どもとだぶりますし、親世代だったら自分の親とだぶってしまう。

なので、自分は家族があってこそ、安心して仕事ができるということを痛いほど分かっているので、家族に何かあれば家族を最優先する。それが可能なほど人数もいますので、当直を代わってもらうなど、みんなでカバーし合っています。

私たちはそれぞれ、自分たちのスキルアップは目指していますが、自分にしかできないということは、あまり持ってはいけないと考えています。自分しかできないとなると、その人がいないと患者さんは救えません。自分にしかできないことがあれば、それは後輩たち皆に伝えて、365日24時間、どの時間に患者さんが運ばれてきても、確実にその人を救える。自分がいなくても救えるという体制になっていなければ、本当の患者さんのためにならないと思っています。

「こういう人が来たらワタシを呼んで!ワタシがなんとかするから!」というのはカッコ良いけど、自己満足なんです。うちの病院に来たら、どの時間帯でも患者さんを救えるというのがあるべき姿なんです。
先生ご自身のワークライフバランスは?
夫は姫路でカイロプラクティックを開業していますので週末だけ帰っています。同じ医療関係でも、病院で私達が診ている視点と全然違うので、患者さんの想いや不安なども教えてくれます。そんな話を聞きつつ、週に3日くらいがちょうどいいかな(笑)私は仕事が好きですし、それが許される状況にありますが、もっと(仕事の)時間が欲しい(笑)欲張りなんですね。
これから救急救命ドクターを目指す方に向けてメッセージを。
ここも多くの医学生や研修医が見学にきていますが、やってみたいなという人はやってみるべきだと思います。やりたいことを諦める理由って無いですから。条件で決めてしまうと、やっぱりやってられないこともあります。周りの環境や条件は変えられるものですから、ここの理念やみんなの思いに共感して、そこにいる人たちと一緒に仕事をしたい、という気持ちになれたら、多少のことは頑張れると思います。
そこで先生のような失敗もやっぱり必要だと思われますか?
私は心入れ替えました(笑)言っても聞かない人ほど、今の自分の実力では歯が立たないということは、身を持って知らないと懲りないと思います(笑)自分の想いだけでは救えない。何かが足りないということを、見せ付けられる場面に合わないと分からないんです。

先輩のアドバイスを聞かずに、「これがいいと思います」という人には反対しないです。患者さんにとって後戻りできないことはもちろんしませんが、見ている範囲でやらせています。それで、「これは?」「あれは?」っていろいろ質問して、どこかで行き詰ってくるのを待ちます。

特に男の子はそうじゃないと言うこと聞かないですね。自分で納得しないと。 男の先生に頭から言われると聞きますが、女性に頭から言われても、お母さんに反抗するようなもので、「うるさい」と思っていると思いますけど、「ほら、言わんこっちゃない」と困った時点で、「やっておいたから」。そこでようやく素直に「すみません」となるんです(笑)

ここは私以外にリーダーは男性ばかりなので、最初は、どうやって立場を確立すればいいんだろうと悩みましたが、今はお母さん役でいるのも良いもんだなと思っています(笑)
9月から名古屋市立大学の教授に赴任されます。
名古屋市立大学は、私が卒業した時には救急がありませんでしたが、その後、救急部ができて救命センターになりました。でもまだ本格的に救急医療の文化が大学に根付かないんですね。本格的に救急を学びたい人は、東京や大阪に行って離れてしまうので、名古屋は特に不足しているんです。そろそろ知らんふりしている場合じゃないなと思い、大学に戻って救急医学講座を立ち上げます。

重症軽症に関わらず、救急の患者さんを救うという文化が根付き、そこに若い人たちがやりがいを求めて集まる。それを名古屋でも実現したいですね。それは、留学先をボツにしても諦めず、私を信じて見守ってくれた先輩たちに教わったこと、それを伝えていくことが私の使命ですし、先輩たちへの恩返しだと思っています。
ありがとうございました。
(取材:2015年7月 関西ウーマン編集部) 

 

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