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■関西・祈りをめぐる物語


[第六回]大阪府立弥生文化博物館

祈りをひも解いてゆくと、古代に目が向きます。
数年前から古代史や考古学に興味を持ち始め、足繁く通い始めたのが、大阪府立弥生文化博物館。‟卑弥呼(ひみこ)に会える博物館”として弥生時代全般の展示、そして考古学セミナーなども定期的に開催されています。

「木曜大学」と名付けられた考古学セミナーは、前期・後期合わせて18講座と、本格的かつ専門的な内容。なかでも、卑弥呼に関する講座は、定員170名をはるかに超える人気ぶりです。

3世紀という弥生時代後期、30の国々をまとめて当時の倭国(日本)を治めたという邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼。1800年以上前に存在した謎の女王は、古代史最大のミステリーともいわれ、今なお私たちの心をとらえて離さない魅力があります。

邪馬台国はどこにあったのか?
畿内説と九州説、所在地をめぐる論争はいまだ答えが見つかっていませんが、関西人としては、やはり邪馬台国・畿内説を支持したいところ。この連載では「祈り」という視点から卑弥呼という女性像、そして邪馬台国の所在地について考えてみたいと思います。

今月から3回にわたり、邪馬台国・卑弥呼を探す旅が始まります。
スタートは、大阪府立弥生文化博物館。弥生時代の文化や社会の成り立ち、人々の祈りのかたち、そして卑弥呼の祈りについてお話を聞かせていただきました。
まずは、大阪府立弥生文化博物館についてご紹介ください。
1991年、全国で唯一の弥生文化を専門とした博物館としてオープンしました。当館の周囲には、弥生時代中期を中心に繁栄した、池上曽根遺跡が広がっています。弥生時代の遺跡は全国各地に数多く残っていますので、そういった貴重な弥生の文化遺産をご覧になっていただこうと、池上曽根遺跡のみならず、弥生時代全般を広く対象としています。

当館は“目で見る弥生文化”をコンセプトの一つに掲げ、資料をなるべくガラスケース越しではなく、近い距離で見ていただけるように展示しています。展示室に入ってすぐの竪穴住居の復元をはじめ、ジオラマを用いて視覚的に訴えるという手法もとっています。

特に「卑弥呼の館」のジオラマは開館以来、人気のある展示の一つです。いわゆる邪馬台国がどこにあったかというのはさて置き、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』*には、卑弥呼の宮室には楼観(ろうかん:見張りやぐら)や城柵(じょうさく)が設けられ、武器を持った兵士によって厳重に守られていた、とあります。こうした文献の記述や弥生時代の大型集落遺跡の発掘成果を参考に、考古学や民族学など多様な研究成果に基づいて復元しています。

最近の教科書ではわずかな記載で終わってしまう弥生時代ですが、当時の人びとの生活の様子、実際に使っていた道具やその技術力の高さなどを感じていただきたいと考えています。

*3世紀の中国の歴史書『三国志』の中の「魏書」の一部
(第一展示室 「卑弥呼の館」のジオラマ)
確かに縄文~弥生時代というと、教科書でも歴史の導入のような位置づけで、深く学ぶ機会が少ないように思います。
よく、社会科見学で訪れた小学生に、「弥生時代ってどんな時代でしょう?」と質問します。“稲作が始まった”ということはみんな答えてくれますが、それ以外のことがすぐに出てきません。わかりやすく説明するために、「弥生時代には、二つの革新的な出来事がありました」と、稲作が始まり、青銅器や鉄などの“金属”が中国大陸や朝鮮半島から伝わった時代だということを、まずお話しています。

弥生時代は文字を使っていない段階ですので、その時代の細やかな出来事は、発掘調査成果や出土する土器や石器などの遺物から類推するしかありません。ただ、各地の遺跡にみられる建物の配置や城柵などから、ムラやクニなどが大きくなっていく中で、集団の再編や社会的な緊張があったことが伺えます。また、大陸や半島からの新しい文化の流入や急速な技術革新が、社会の仕組みを変えたとも考えられています。

こうした新しい変化は大陸からの渡来人によってもたらされたものですが、渡来人がどんどんやってきて日本列島に元から住んでいた人と入れ替わったわけではありません。渡来人の文化や技術をうまく取り入れながら、在来の人びとが作り上げたのが弥生文化と捉えられています。
弥生の社会や文化の成り立ち、こうしてお話を聞くと興味深いです。
弥生の「祈り」も、やはり大陸の影響を受けているのでしょうか?
考古学的に私たちが祭祀を考える際、ヒントの一つとして銅鐸(どうたく)や土器に描かれている絵画に頼ります。多くの絵画土器には、豊穣を願うための稲作に関する祭祀の様子が描かれています。稲作は弥生人の生活基盤として非常に大切なものでしたから、稲作とともに、稲作に関する祈りの儀式も一部は大陸から伝わったと考えられています。
(大阪府立弥生文化博物館所蔵 安芸早穂子・画「弥生時代の祭場」)
これは、当館が所蔵する「弥生時代の祭場」という絵です(館内では展示していません)。弥生絵画、また遺跡や遺物から類推して、弥生時代の祭祀の様子を復元したものです。この一枚の中に、当時の祈りの要素が数多く盛り込まれています。

弥生の祭りといえば、真っ先に銅鐸が思い浮かぶと思います。木の枝に縄で吊るして、穀霊(こくれい)を呼び寄せるために音を鳴らしていたように表現されています。

右上の大きな高床建物は弥生神殿という説もあれば、作業場や貯蔵庫だったのではないかという説もあります。大切な種籾*(たねもみ)や食料を保存する倉庫は生活の中でとりわけ重要ですから、集落の中で神聖視されていた建物です。

また、左手前に壺が置かれていますが、当時、壺は種籾などを保管する重要な土器でした。大事なものですから、そこに意味を込めて絵を描いて、高床倉庫に保管する。つまり、種籾は何重にも守られていたといえます。壺に絵を描くことによって壺自身に霊力を与え、中に納める種籾にも再生への呪力が込められていたと考えることもできます。

*種として苗代に蒔くために選んでとっておく籾(もみ)
賑やかな絵ですね。鳥の姿をしている人も、非常に印象的です。
「鳥」は神の国と地上の国を仲立ちし、霊や魂を運ぶ使者という信仰が、日本だけでなく世界中にあります。弥生人は、豊かな実りをもたらす穀霊を運ぶ使いとして、鳥を神聖視していたようです。

この絵の中には鳥に関するものが3種類、描かれています。まずは鳥装(ちょうそう:鳥の姿)の巫女、それから鳥形木製品(左中央から上に伸びる5本の棒の最上部)、鳥装した人物が描かれている壺(絵画土器)です。

司祭者は鳥の姿をすることで、その神聖な力にあやかり、自らの霊力を示していたと考えられます。また、鳥形木製品は今から50年ほど前に池上曽根遺跡で初めて見つかったもので、それまでは存在が知られていなかった遺物です。祭場に立てるために作られたと考えられており、実際に鳥の背中には羽を差し込むための彫り込み、胴の部分には棒を取り付ける穴があいているものもあります。
(第一展示室 鳥形木製品の復元)
弥生時代といえば、邪馬台国の女王・卑弥呼が存在していた時代ですね。
弥生文化博物館の卑弥呼像、また卑弥呼の祈りについて教えてください。
当館は、2015年3月に「卑弥呼と出会う博物館」をコンセプトにリニューアルオープンしました。その際に、1997年の秋季特別展「卑弥呼誕生・邪馬台国は畿内にあった?」という展示に合わせて製作した卑弥呼像をベースに、鏡をかかげるポーズの新しい卑弥呼像を製作し、館のシンボルにしました。

卑弥呼というと、「鬼道(きどう:まじない)」を操り、人びとを惑わすという妖しいイメージがありますが・・・・・・。当館では弥生時代の出土人骨から明らかになった、面長で切れ長な目の弥生人のイメージをもとに、美しく親しみのある卑弥呼として復元しています。

卑弥呼の祈りは、「弥生時代の祭場」の絵のように、村人たちの前で行われるものではなかったと考えています。卑弥呼に関連する重要な考古資料として、卑弥呼の「鏡」があります。卑弥呼が魏に使いを送った239(景初3)年の朝貢に対して、魏の皇帝が与えた品の中に銅鏡100枚が含まれていました。この鏡が、卑弥呼の祈りを考えるうえで重要になってきます。
(写真提供:大阪府立弥生文化博物館 「鏡をかかげる卑弥呼」)
卑弥呼の祈りと鏡の関係ですね。実際に、鏡はどのように使われていたのでしょうか。
卑弥呼の鏡として注目されているものに、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)、画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)などがあります。いずれも神仙や神獣が描かれ、中国の神仙思想が表現されています。

神仙思想は、不老不死の仙人や神人が住む世界が存在するという中国の思想で、道教の基礎となり、民間にも広がったものです。鏡以外にも、奈良県の唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡では道教と関連する遺物が出土していますので、卑弥呼の祈りが中国の道教の影響を受けているという説も、もちろん考えられます。

ただ日本古来の伝承や神話を考えると、鏡に関しては太陽神を崇めるためのものと推測されます。日本神話でも、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、地上に降り立つ邇邇芸命(ににぎのみこと)に授けた三種の神器の一つに、八咫鏡(やたのかがみ)があります。

当館の卑弥呼像は、太陽に向けて鏡をかかげるポーズをしています。
稲作を大事にしていた弥生人にとって、太陽ほど重要なものはありません。卑弥呼の祈りは太陽神を崇め、太陽に向かって稲の豊穣を祈るものだったと考えていいかもしれません。陽の光をまぶしく反射する鏡がそのシンボルとして、祭祀の場で重要視されていたのでしょう。
(第一展示室 画文帯環状乳神獣鏡)
太陽神を崇め、稲の豊穣を祈る、とても納得です。
卑弥呼の祭祀、祈りを考える上で、「鬼道」という言葉の解釈が難しいと感じていました。
『魏志倭人伝』には「卑弥呼は鬼道をつかい、人びとを惑わした」とありますが、実際には「鬼道」という言葉が意味するような、まがまがしくて妖しい世界観ではなく、もっと自然に寄り添ったものと考えていいかとも思います。宮室の中や、時には人に見られないようにしながら屋外で、天に向かって行っていた祭祀だったのではないでしょうか。

ここが言葉というか、文字資料の危ないところの一つかもしれません。言葉だけでなく、実際の遺物や、縄文文化から稲作文化への流れの中での古代人の思想、稲作を大事にしていた背景なども考えながら、祈りの本質をみていくことも大切でしょう。

遺跡をみると、弥生時代においても、夏至や冬至の太陽の動きを考えながら建物が配置されているものもあります。古代の人びとは、常に太陽を意識しながら暮らしていたでしょうから、そこに鏡というのがぴたりとはまったのではないかと思います。
お話を伺いながら、女性学芸員ならではの視点の柔らかさのようなものを感じました。
最後に、井ノ上さんにとっての卑弥呼のイメージをお聞かせください。
卑弥呼という言葉を知ったのは、歴史を学んだ小学6年生のときです。 それからほどなくして、入院生活をするようになりました。そんな時、病室の窓の外を眺めていると、おじさんたちがすぐそばで土を掘って工事をしていました。それがある日、新聞の一面を飾るニュースになったのです。

単なる工事だと思って眺めていた風景が、実は病院の拡張工事に伴う遺跡発掘調査でした。お墓の中から三角縁神獣鏡が4面も出てきた遺跡で、その時「え、卑弥呼の鏡?」と、幼心にすごく驚きました。遺跡ってこんなに身近なところにあるんだ、と。それが考古学に憧れを持つきっかけになりました。

今回、「弥生の祈り」や「卑弥呼」をテーマにお話させていただくことになって、あらためて卑弥呼という一人の女性について考えてみました。卑弥呼が共立されたのが仮に十代後半と考えると、自分に置き換えてみれば、なかなかその年齢で国を治めようなんて思いつきません。

卑弥呼は、もちろんカリスマ性というのもあったと思いますが、今の私たちよりもずっと、自然を身近なものとして感じていたと思います。常に自然と向き合っていたというのが根底にあって・・・・・・。だからこそ、男性の政治抗争とは違った意味で、女王として国を一つにまとめることができたのではないかと考えています。
古来からの自然信仰に加えて、大陸から新しい文化が伝わり、人々の暮らしはもちろん、文化や思想、祈りのかたちも大きく変化した弥生時代。お話を伺いながら、そして館内の展示を眺めながら、弥生に吹いた新しい風、力強い時代の流れを感じました。

そして、弥生文化博物館の美しく清らかな卑弥呼像。
考古学的に「祈り」という目に見えないものを推測するのは、難しいところですが、鏡と太陽崇拝は、卑弥呼の祈りを考えるうえで一つの大きなヒントになるようです。

取材後の雑談で、井ノ上さんの専門が縄文・弥生時代の装身具とお聞きして、思わず会話がはずみ、さまざまに興味深いお話をお聞かせいただきました。

「縄文時代、生きるために必死だった人たちが、わざわざ耳飾りや髪飾りなどの装身具を作る。そこには単なるオシャレのためだけではない、何か特別な意味があったのかもしれないと思うんです」

どの時代にも、確かにそこに人の営みがあって・・・・・・。遺物一つをとっても、何を考えて生活していたのか、そこにどんな思いが込められているのかを考えると、ものの見方も変わってきます、という井ノ上さん。女性の視点で語られる考古学は新鮮で、新しい気づきがありました。

次回は、卑弥呼はどこで、どのように女王の資質を身につけたのか?
卑弥呼の居場所を探して、奈良盆地中央にある、唐古・鍵遺跡を訪れたいと思います。
(取材:2016年12月)
井ノ上佳美さん
大阪府立弥生文化博物館 学芸員
1988年生まれ、奈良県出身。小学生の時に地元で遺跡の発掘調査を目の当たりにし、考古学に興味をもつ。大学で考古学を専攻後、地元教育委員会に勤務。現在は大阪府立弥生文化博物館の学芸員として、ワークショップイベントや講演会、小学校への出前授業などを行っている。大学では縄文・弥生時代の漆塗り製品(主に装身具)について研究し、現在は卑弥呼の装身具に興味をもっている。

大阪府立弥生文化博物館
弥生文化全般を対象とする全国で唯一の博物館。弥生文化に広く親しみ、学習していただくことを目的に、弥生文化に関する資料と情報の収集・保管・研究・展示を行っている。展示会等にあわせて各種講演会なども開催している。博物館の周辺には、弥生時代中期に最も繁栄した環濠集落である池上曽根遺跡が広がり、博物館の北側にある当時の集落の中心域は、現在、史跡公園として整備されている。

〒594-0083 大阪府和泉市池上町4-8-27
HP:http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/
Facebook:YayoiMuseum
JR阪和線・信太山駅より西へ約600m
南海本線・松ノ浜駅より東へ約1,500m
国道26号「池上町」交差点南西角。
駐車場(72台・無料)あり。

【入館料】常設展のみ期間中:一般300円、65歳以上・高大生200円
(特別展・企画展期間中は別途入館料が必要 / 2019年4月より料金変更予定)
【開館時間】午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
【休館日】毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)

※写真および画は弥生文化博物館のご協力により掲載させていただいています。
 無断転用を禁じます
中島 未月
五行歌人/詩人

心をテーマにした詩やエッセイ、メッセージブックなどを執筆。 著書は『心が晴れる はれ、ことば』(ゴマブックス)、『だいじょうぶ。の本』『だから優しく、と空が言う』『笑顔のおくりもの』(以上、PHP研究所)など多数。現在、「古代」「祈り」をテーマに、新たなフィールドの物語執筆に向けて準備中。
公式HP:http://nakajimamizuki.com/
『あなたに、会えてよかった』
文・中島未月/写真・HABU/PHPエディターズ・グループ
美しく生きよう。 優しい時間を生きよう。 つながっている、この空の下で。 人生の中で出会った、大切な人に贈りたい写真詩集。 Amazonでのご購入はこちらから

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