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■関西ウーマンインタビュー(ものづくり職人)
藤原 芙由美さん(陶芸家)
藤原 芙由美さん 陶芸家 京都府立陶工訓練校終了後、清水焼窯元にてろくろ師として3年間弟子入りする。京都市産業技術研究所終了後、芙蓉窯を開窯。せらみ屋としてイベントや展示会にも多数参加している。 芙蓉窯せらみ屋 http://ameblo.jp/fuyougama-seramiya/ |
小さい頃から陶芸が好きだったそうですね。 | |
陶芸というより、小さい頃から泥団子作るのが好きでした。泥団子をカチカチにして、砂を細かくふるって振りかけて。丹精込めて作ることに夢中になってましたね(笑)小学校高学年になった夏休みに、滋賀県の長浜に遊びに行ったとき、本当はガラスの体験をしたかったんですが、たまたま満員で陶芸をしたんです。そこで面白いと思ったんでしょうね。 その後中学に入ってからも友達と行って、その時初めて電動ろくろを体験しました。そこからですね。陶芸に目覚めたのは。高校受験は陶芸科のある学校を選びました。 |
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職業として「陶芸家」になりたいと思ったのですか? | |
いえ、高校受験の時は、好きな陶芸ができたらいいなと思っていただけです。でも入学して、すぐにたくさん作れると思っていましたが、みっちり陶芸を選択できるのは3年生からだったんですね。これは違うと思い、週1回、近所の陶芸教室に通いました。そこは社会人の方や年配の方が趣味で陶芸をする教室ですが、日曜日は生徒さんが誰も来なくて、先生と1対1で教えてもらっていました。 最初は手びねりで、次に土慣れしたら粘土の空気を抜く菊もみを教えてもらい、それができるようになってから電動ろくろをさせてもらいました。その先生も自分で作りながら教室をされていたので、何年も通ううちに、道具の使い方とか、カンナや木ヘラ、エゴテといった道具も買うんじゃなくて、削って作ることとか、プロの技を教えていただいたので、高校よりもその先生のほうが学ぶことが多かったですね。 |
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大学も、陶芸科のある学校を選ばれました | |
大学の陶芸科に入りましたが、当時は普通の企業に就職する人がほとんどだったんです。私は絶対に陶芸を仕事にしたいと決めていたので、大学で作っていたようなオブジェとかアーティスティックなものではなく、職人としての技術がないと就職できないと思い、卒業後は京都府立陶工高等技術専門校に行きました。 昔でいう職業訓練校で、京都の職人さんの子どもさんが職人になるための学校です。ここで、指定されたものを量産できる職人の技術を身につけようと思ったんです。 |
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陶芸を仕事にしようと考えたのは、自分の好きな作品を作ることではなく、量産できる職人になろうとされたのですね。 | |
陶工高等技術専門校には、自分の作りたいものは作ってはいけないというルールがあるんです。大学の先生からも、職人育成の学校は、作りたいものを作るんじゃなくて、言われたものを作れるようになるための学校だから、大学生の感覚でいたらあかんと言われました。でも陶芸を仕事にしようと思うなら我慢しないといけないですし、言われたものを何でも作れる技術を身につけられたら、いつでも自分の好きなものが作れると思っていたところもあります。 そこを卒業後、清水焼の窯元に「ろくろ師」として弟子入りしました。最初の半年間は試採用期間として教えていただいてから、お給料をいただいて商品を作らせていただきました。慣れてくれば自分のものもできると思っていたんですが、やっぱり仕事ですから、自分の作陶はできないというルールの中でひたすらろくろを引いていました。 |
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その後、独立しようと思われたきっかけは何でしたか | |
自分のものを作りたくて、というより、体を壊してしまったんですね。ろくろ師の仕事ってすごい肉体労働で、重労働の間にろくろ場に座ってるという感じです。 7kgの土をドンと据えて、延ばして1本の壷にして、それを毎日6~7個作るということを続けているうちに、腰を痛めてしまいました。200kg分の粘土の袋をトラックから降ろしてもらって、それを室に入れるんですけど、訓練校の時に1回腰を痛めてしまって、そこから弱っていたんですね。 就職して3年目に、これは体がもたないし、このまま続けると動けなくなると思って、先生に自宅で仕事をしたいと相談すると、生地を作ってくれるならいいよと言ってくれはったんです。 自宅で仕事をするとになると、工房を作らないといけないので、それがすごく大変でした。3年間修行していた身なので、窯と電気工事でお金が無くなったので、あとの工房作りは全部自分でやるしかなくて。仕事ができるようになるまで1年かかりました。 |
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その間、産業技術研究所で学ばれましたが、ここは独立して自分の作品を作るために行かれたのですか | |
京都市産業技術研究所は釉薬の研究機関で、京都の釉薬屋さんで売っている釉薬は、主にそこで開発されているものが多いんです。釉薬の成分を調べたり、焼いた断面を見て、上に結晶があって真ん中にどういう層があるかを見たり、いろんな薬剤に漬けて酸に対する耐性を見たりといった研究をしているところです。 京都って分業が多いので、ろくろはろくろ師、絵を描くのは絵師の人がやるんです。ろくろ師として就職したので、素地(きじ)を作るだけだったんですね。たまに施釉(せゆう)を手伝うこともあって、釉薬にドボっと浸けて拭いてということもしたこともありますけど、釉薬の調合は門外不出です。 釉薬は大学の授業でも少し教わりましたが、当時はどちらかというと、どれだけ大きいものが作れるかとか、どんなカーブで作れるかという造形的なこだわりが強かったので、あまり勉強できて無かったんです。 でもろくろができるだけじゃ、ただの「モノ」になるだけ。 イメージした理想の色、青なら青、緑なら緑を出すことができなければ、このまま独立しても、ただの素地屋さんになってしまう。 形を作って素焼きして、釉薬を調合して、本焼をして、上絵絵の具を調合して絵をかいて、上絵を焼いてと、全部の工程を自分でやりたかったんです。 |
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今後の傾向としてはどんな理想を描いていますか | |
窯元さんには、この工房は赤絵とか、この工房は金彩といった得意なものがありますが、私の定番の釉薬を作りたいんです。色にはこだわりがあって、この色じゃないとイヤというのがあるんですが、なかなか出ない。300調合作って使うのが2個とか。大量の調合の中から、理想の色が数個取れれば良いなという状態ですね。 その上、窯で焼いたら全然違う色になったり。天候によっても季節によっても違いますし、乳濁する釉薬は粘土の種類によっても発色が違うんですね。なんて採算の取れない仕事なんだろう(笑)でもだからこそ楽しいんです。10個作って10個できる仕事だったら、こんなにはまらなかったと思います。 これは京都の加茂川石を色剤に使っているんですけど、これも定番にしたくて。外側の色と内側の貫入(かんにゅう)の出方とか。太陽光で見ると、微細貫入がキラキラ光って見えるんですね。 そういう細かいことの再現性が難しいので、安定して出せるような釉薬の調合ができたら、食器や大きい壷まで、いろんな形を作っていきたいです。 |
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「これは絵で書いているんですか?」 「書いているじゃなくて、粘土に顔料を混ぜて色土を作って、それら粘土を重ねているんです。1つづつ、板の上に粘土を載せて、上から載せて、載せて、載せて・・」 「目なんて筆で描いているんだと思いました!」 「粘土が柔らかすぎると収縮していく時に凹むんですよ。乾きムラができますし。乾燥させる時点で水分が多いと陥没するんです。素焼きして釉薬をかけて焼くんですけど、ぷっくりしたままの状態で仕上げるのがなかなか難しくて。粘土の積み方がうまくいけば、ちゃんとした形になるんですけど・・すごく生産性が悪いです(笑)」 |
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今の藤原さんのモチベーションを支えるものは何ですか? | |
今27歳ですが、30歳までになんとかならないとダメだと思っているんです。京都は学生さんとか、今後何者になるかという人に対しては優しいんですが、30歳で泣かず飛ばずの人にそんなに優しくないと思っているんです。 まだ私は独立したばかりで駆け出しだから、いろんな人に声をかけていただいているけれど、その自分が30歳になってもまだ何かを成し得ていかなったらヤバイと(笑) あれ作りたいこれ作りたいという発想って、若い時にこそ湧いてくるのかなと思うので、30歳までに「自分の焼き物はこういうもの」というのを作って、そこから深めたいと思っています。 |
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自分にプレッシャーをかけているんですね | |
私、高校生の頃、未来の自分に向けてずっと手紙を書いていたんです。その時の苦しい状況を嘆いていたり、こんなに大変やとか書いていたり。「こんなに大変だけど、あなたは大学に入れていますか?何をしていますか?陶芸を続けていますか?○○さんと仲良くしていますか?親は元気ですか?」とか、それを引き出しに入れて、誕生日になると読むんです。 でも今は全然書かなくなりましたね。子どもの頃は感受性も豊かですし、自己解決できることって少なかったと思いますが、今はもう大人なので、自分の責任でなんとかしなくちゃいけない。だから嘆く前に耐えているんでしょうね。 |
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30歳になった自分に向けて手紙を書いてみませんか | |
あ、そうですね。節目なので、書いてみようかな(笑) | |
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ありがとうございました。 | |
(取材:2014年9月 関西ウーマン編集部) |
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