京大 芸人 ノート (ロザン )
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![]() 何のためのノートなのか 京大 芸人 ノート
ロザン(著) この本は、ノートの取り方、ノートの書き方の本ではなく、それ以前の問題について書かれています。
ノートを書くこと、美しく仕上げることが目的ではないはず、とおっしゃるのです。 それはその通りで、何のためにノートを作るのかといえば、学生であれば、勉強の理解を深めること、テストで結果を指すことが目標で、そのためのノートでしょう。 また、社会人であるならば、仕事の段取りを整理したり、得意先との関係を円滑にして、業績を上げることが目的のはず。 だったら、どのようにノートを書けばいいのか、それについて、ロザンの菅さん、宇治原さんそれぞれのやり方を教えてくれているわけ。 ノートの大きさや、ページ(白紙か、罫線か、方眼か)、筆記具はどうすべきか、などにも言及しておられます。 とはいえ、菅さん、宇治原さんのノートの実物を見せてもらえるわけではありません。きっとそれは企業秘密なのではないかしら。 ところで、ノートに関するこの本の中で、1箇所、ものすごく共感、同意できる部分がありました。 このネタ合わせの教訓としてわかってきたのは、漫才のネタだけでなく、プレゼンの原稿などを準備するとき、話すことを一言一句準備してそれを読み上げるようにプレゼンする練習をしていると、逆に本番では噛んだり間違えたりすることの方が多くなるということです。
(ロザンさん『京大芸人ノート』 P119より引用) 私は2004年からコミュニティFMのパーソナリティーをさせていただいています。
始めの頃は、自分が喋ることを全部書いて番組を進行していました。つまり、台本を仕上げて本番に臨んでいたのです。 ところが、しっかり書き上げた台本があると、文末や言い回しを少しでも間違うと、その部分から読み返したくなることに気がつきました。 まるで、授業中に当てられて教科書を読んでいるときに、つっかえるとそこから読み直すように、です。 これでは「私は今、台本を読んでまーす」と言っているのと同じです。 台本を作ること自体は悪いことではないと思います。実際に、私が事務所に所属しているとき、大先輩はラジオ番組の台本を綿密に作っておられました。 臨機応変に言葉を選べる大先輩だからこそ、綿密な台本があっても、そこから崩したり、付け加えたりできるのでした。 初心者の場合、台本に縛られて、臨機応変にしゃべることができないこともあり、何のための台本なんだ、ということになるわけです。 しゃべり間違いの点だけではなく、台本ありきで番組に臨むと、リスナーさんからいただいたメッセージが、「台本にないアクシデント」のようになってしまうことがあります。 リスナーさんがせっかく参加してくださったのに、台本どおりにしゃべりたい、なんて思っているようでは、本末転倒もいいところ。 その点については自分でも気がついて、今では「今日はこんなことをしゃべりたいな」と思うことは箇条書き程度にしています。 そして、トーク用に用意していたことがあっても、必要に応じてそれを捨てることもできるようになりました。 つまり、この本に書かれている「何のためのノートなのか」ということがちょっとはわかってきたということかもしれません。 私の話ばかりで恐縮ですが、自分に引き寄せてこの本を読んでいただければ、学生、社会人、主婦、どんな立場にあっても応用が効く内容だということです。 本の帯の「自分のメモが人生最強の教科書になる!」は、ステキな言葉だと思います。 自分の教科書を自分で作れるなんて。 もともとノートや手帳が好きな私ですが、ますますノートを活用したくなりました。 ああ、中学生くらいの時に、この本と出会えたらもっと成績が上がったろうに。 今、学生としてこの本に出会える人が羨ましいです。 ![]() 池田 千波留
パーソナリティ・ライター コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。 BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」 ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HP/Amazon
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