千年鬼(西條奈加)
仏教説話のよう 千年鬼
西條奈加(著) 黒鬼と、三匹の小鬼が人間界にやって来ては「鬼の芽」を摘んでいる。「鬼の芽」とは、人間の心の中に芽生えるもの。
それは恨みつらみを栄養として育ち、実った末に弾けると、その人間は鬼に化してしまう。それが「人鬼」で、「鬼」とはまた違う生き物だ。 世の中の人は、区別をつけずにどちらも「鬼」と呼んでいるが、本当の「鬼」は怖い存在ではない。本当に怖いのは「人鬼」なのだ。 黒鬼と三びきの小鬼は、人の心に芽生えたものの、まだ弾けていない「鬼の芽」を摘み取り、「人鬼」になる手前で助けているのだった…… (西條奈加さんの『千年鬼』の概要を私なりにまとめました) 鬼と言われてどんな姿を思い浮かべますか?
泣いた赤鬼でしょうか? それとも、今だったら『鬼滅の刃』に出てくる鬼かしら? 鬼滅の刃に出てくる「鬼」は例外として、普通の「鬼」にはツノが生えています。 『千年鬼』によると、本物の「鬼」のツノは、太めで先が丸いタイプ。 細くて先が尖っているツノが生えているのは「人鬼」なんですって。 黒鬼と三匹の小鬼は、「人鬼」になってしまう前に、人の心に芽生えた「鬼の芽」を摘み取っていきます。 鬼の芽を宿すのは、奉公先でいじめられている丁稚さんだったり、飢饉で村人たちが餓死していくのを見かねている農民の青年だったり、愛しい人を殺されて復讐を誓うお姫様だったり、時代も性別もバラバラです。 しかし、時代が違っても人の心の動きは変わることはなく、「鬼の芽」が芽生えるのです。 最初は、単なる奇譚の短編集かと思いました。一話一話、それなりに面白いのです。 ところが読み進めるにつれ、黒鬼と三匹の小鬼がなぜ時空を超えて、「鬼の芽」を摘み続けているのかがわかって来ます。 千年かけて「鬼の芽」を摘もうとする小鬼が、不憫で切なくて。 『千年鬼』は、まるで仏教説話のような、小鬼と少女の美しくも哀しい物語でした。 千年鬼
西條奈加(著) 徳間書店 友だちになった小鬼から、過去世を見せられた少女は、心に“鬼の芽”を生じさせてしまった。小鬼は彼女を宿業から解き放つため、様々な時代に現れる“鬼の芽”-酒浸りで寝たきりの父のために奉公先で耐える少年、好きな人を殺した男を側仕えにして苛めぬく姫君、行商をしながら長屋で一人暮らす老婆、凶作が続く村で愛娘を捨てろと言われ憤る農夫、田舎から出て姉とともに色街で暮らす少女ーを集める千年の旅を始めた。精緻な筆致で紡がれる人と鬼の物語。 出典:楽天 池田 千波留
パーソナリティ・ライター コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。 BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」 ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HP/Amazon
|
OtherBook