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小森 利絵
フリーライター えんを描く

おてがみじかん ライフスタイル 2022-06-15
お手紙とわたし~森嶋也砂子さん編①~

私のまわりにいる「日常の中でおてがみじかんを楽しんでいる人」にインタビュー。6人目は森嶋也砂子さんです。

演劇や朗読劇の原案・脚本を執筆したり、役者として舞台に出演したり、表現者として活動されてこられた森嶋さん。SNSでは、色鉛筆やペン、紙を切り貼りして描いた絵を投稿するなど、さまざまな表現を楽しんでおられる印象があります。

また以前、お手紙を書く時間を楽しむ会「おてがみぃと/『贈り物はお手紙』のクリスマス会」(2019年12月開催)にご参加くださったことがあります。その時におしゃべりする中でも、日常でお手紙を楽しんでおられるご様子を感じ、お話をうかがってみたいと思っていたんです。

そんな森嶋さんへのインタビューを4回に分けて紹介します。

第1回目は「納豆のフタに描く、日常のお手紙編」。息子さんが中学生から高校生にかけての時期に3年ほど、ご家族とやりとりされていたという「納豆のフタのお手紙」についてお話をうかがいます。

ご家族と日常の中で「納豆のフタのお手紙」でやりとりされていたとのこと。そのやりとりが始まったきっかけは何だったのですか? どうして納豆のフタだったのですか?

森嶋さん:仕事に行く前に夫と息子にごはんをつくってから出かけていたのですが、育ち盛りの息子用に用意していた分を、夫が食べ間違えることがありまして。「これは夫の」「これは息子の」とわかるように、おかずにラップをかけて、その上にメモ書きを置くようになったのが、始まりだったでしょうか。

どうして納豆のフタに書いたのかというと、メモ書きする紙が見当たらなかった時に、たまたまそばに納豆のフタがありまして、ちょうどええやんって。納豆は家族でよく食べますし、あとはマジック1本さえあればいいですしね。

最初は「みそ汁を温めてね」など、用意したごはんのことを書いていたんですけど、家族の反応を見るうち、だんだんと笑いを取り始めてしまいまして。夫と息子を笑かす内容を、絵で描くようになっていったんです。

用意したごはんについてのメモ書き以外で、どんなことを描いていたんですか?

森嶋さん:ちくわの輪切りを描いただけでおもしろくなる日もあれば、バナナを描こうと一所懸命に描いたのに「バナナ」と文字で書かなければ何を描いているのかがわからなくなる日もあって。

あと、かゆみ止めの薬を擬人化した絵を描いて「すーすーする」、息子が着なくなったスウェットを擬人化して「時々使ってね」など描いていました。

そんなんする時間があったら、その料理をおいしくするように、料理の本を読んだりYouTubeを観たりせんかとつっこまれそうですけど(笑)。
ご家族からはどのようなリアクションがあったのですか?

森嶋さん:夫からは「うまいやん」、息子からは「まあまあかな。まあ、俺のほうがうまい」と(笑)。

いつも丁寧に描けるわけではなくて、「ああーもう、出かけないと。こんなん描いている時間があったら、はよいかな~」という日は雑になります。そういう日は、帰ったらテーブルの上にでーんと放って置かれたり、下にぽーんと落ちていたり。逆に「今日は丁寧に描けたな~」という日は、テーブルの上にきれいに置かれています。

夫が仕事の昼ごはんにと、納豆パックを持って行っていた時期があって。その納豆のフタにも描いて、「頑張ってね」と渡していたら…まあ、正直、心の中ではだるだる~~~なんですよ(笑)。ケンカをする日もありましたしね。そんな日でも、ハートマークや似顔絵を描いていたら! その全部を保管してくれていたんです。

嬉しいですね! 夫さんのほうにもきっと、森嶋さんが「心の中ではだるだる~~~」と思っていた日があったように、そんな日もありながら、すべてを保管してくれていただなんて。気持ちや思いをちゃんと受け止めてくれていたということですもんね。

森嶋さん: 振り返れば「家族にとってこんな時期だった」と思えることも、渦中にいる時は1日1日のことだから、その自覚はないのだけれど。

今思えば、息子の成長とともに、それぞれ学校や仕事などがあって、生活のリズムがバラバラになっていって。なんだか、家族の間の空気が悪いなと感じていた頃に、納豆のフタのお手紙でのやりとりを始めたのかなと思います。このやりとりが、家族のちょっとした緩衝材になってくれていたような。

あ、これは夫。くせ毛で、まゆげボーンなんですけど(写真:緑色枠)。
夫が会社での出来事や自身の病気のことで、ものすごくへこんでいた時期があったんです。お互いに顔を合わせてしゃべると、イライラしたり怒ったりしてしまうんですが、夫の顔をじーっと見て絵に描いてみたら、まんざらでもないやんって。というか、家族でめっちゃ大爆笑やったんです。家族の第1回大爆笑大賞です、これは。

落ち込んでいる相手に対して、「寄り添わないといけない」とか、「傾聴しないといけない」とか言われるし、そうしないといけないとも思うじゃないですか。でも、そればかりしていたら、こちら側も「あかん~~~~」ってなってきますから。それよりも、こうして笑い合えるんやったら、そのほうがええやんって。

息子にとっても、私からいつもあれやこれやと言われてばかりだったのが、私の下手な絵を見て母のへっぽこ具合が確かめられて、くすくすと笑ってくれていたんかもな~と思います。

ああ、これなんかはむしゃくしゃして、心がささくれていて、うわぁあ~っと描いちゃったブロッコリーですけど(写真:橙色枠)。

表情をつけて、ブロッコリーになったつもりになってみたら、なんかかわいらしく見えてきて、笑っちゃっていました。描くことによって、自分が癒されたりしていますね。

これはリンゴでつくったウサギを描いたもの。
息子が保育園の頃に、喜ぶからとしょっちゅう、りんごでウサギをつくっていたことを思い出して。久しぶりにつくったろうかなと思ってつくってみたものの、切り口がガタガタで、あまりの下手さに自分に絶望して(笑)。それを絵に描いてみたら、まあ、ええやんと捉え直せたんです。

自分がへこんだ時に楽しくなるツールにもなっていましたね。

情報伝達だけではない、改まった・特別なものでもない、何か意味があるものでもないお手紙。笑えるもの、笑い合えるものという、日常のちょっとした余白なんですね。また、森嶋さん自身が楽しくなったり癒されたりするツールにもなっていたとのこと。描いているうちに感情や気持ち、思いが整理され、昇華されたのかなと思いました。

私は絵で表現することが苦手なので、言葉だけではなく、絵で表現できることは素敵だなと思います。


森嶋さん:私も、絵は下手やったんですよ。下手やったんですけど、見て描いているうちにね。

納豆のフタのお手紙を書き始めた頃は、近所の体育館のジムで働いていたんですけど。ジムに、いっぱい機械が置いてあるじゃないですか。空き時間に、血圧計の絵を描いてみようって。機械なんて複雑な形をしていますから、まず描く気なんて起きないでしょ。でも、部品を一つずつ見て描いていったら、私にも描けたんですよ。

中学時代に美術の授業で、「左手を描いてみよう」「頭からではなく、足から描いてみよう」という課題があったことを懐かしく思い出しました。見るって大切なんだなって。

一つひとつのものをよ~く見るようになると、見慣れた食パンも、ぷるぷるしていて、フチの部分がかわいらしく見えてきて。食パンの入ったビニール袋までもがかわいらしく見えてきたから、それを描いたこともあります。

こんなふうに自分がおもしろいと思ったものを、絵で表現できるようになるなんて思ってもみませんでした。どんなに下手でも、その絵を見ていたら、まあ、ええかって、愛着が湧いてくるんです。

私も「絵で表現することは苦手」という意識はあるものの、描き始めるとそのうちに楽しくなってくるんですよね。森嶋さんがおっしゃるように「下手でもいいじゃない」「楽しい!」となってくるんです。苦手意識も、「自分は絵が下手だから」という気持ちや過去にそう言われた経験に由来しているんだなと気づきました。

森嶋さん:この納豆のフタのお手紙のおかげで、お手紙はこうしなければならないというものも手放せた気がします。

母は縫物など得意なことがあるんですけど、字を書くのは嫌いで。学校からのお手紙やおばあちゃんからのお手紙の返事を、私が代筆することがよくあったんです。母が横に立って、母が言う言葉を広告の裏に下書きして、母のチェックを受けて言われるままに書き直して、清書するという、その繰り返し。

大人同士のやりとりですから、ちゃんとした内容のものを書かなければならない、目上の人に対する言葉遣いをきちんとしなければならない、字がきれいでなければならないといったプレッシャーを感じていたんだと思います。

また、代筆ですから母から「これを書いて」と言われるままに書いていましたし、当時はお手紙も情報伝達の手段の一つで用件を端的に伝えるだけのことも多かったですから、お手紙が気持ちのやりとりのものとは思わなかったんです。それは大人になってからも変わらず。仕事ではビジネス文書で、書き方が決まっていましたから。

そういった経験から「お手紙とはこういうもの」というものに知らず知らずのうちに縛られていて、お手紙を書くことをどこか難しく捉えているところがあったんだと思います。それが、納豆のフタのお手紙以降、感情や気持ちの伴った自分の言葉で表現できるようになりつつあるのかな。
大きな変化ですね! そうなれたのは、納豆のフタのお手紙の、どんなところがよかったのだと思いますか?

森嶋さん:紙からいっぺん飛び出したのがよかったのかな。便せんやきれいな紙だったら貴重品ですけど、納豆のフタやし、捨てるもんやしって。だから、かっこつけへんかったということでしょうね。心を込めて相手を思いやれる時は「よく書こう」という気持ちもいいふうに出るという体験もあるんだけど、いい顔ばかりでも生きづらく。

言葉から離れて、絵で感情や気持ち、思いを表現したこともよかったのかな。絵で描くことに慣れていなかったので、自分の感情や気持ち、思いに気づきやすかったのかもしれません。笑ったり怒ったり、いろんな感情も受け入れ、描き出して、それもええやんって、表現できるようになった感じがあります。

この納豆のフタのお手紙は、日常のちょっとした余白。この余白が人生のハードルを下げてくれたようです。

家族という身内に向けてのお手紙、「納豆のフタ」というその役割を終えれば捨ててしまうものを使うなど、かっこつけず、気楽にできる状況をつくり出されたからこそ、自分が下手だ、苦手だと思っている絵を描くことにも挑戦でき、そのことによって上手か下手かより、伝わること、笑い合えることのほうが大切ということを実感されたのだと感じます。

大切なことは何なのか。そのことを今一度考えたり感じたりすることによって、自分が知らず知らずにうちに縛られたり囚われたりしていることに気づけ、解き放たれるヒントやチャンスになるような気もしました。


森嶋さん:絵を描くようになったことで、家族へのコミュニケーションで嫌なことをしていたかもな、気をつけなあかんなということにも気づけました。

演劇に長年携わってきたこともあって、言葉に対して敏感なところがありまして。夫や息子に対しても、言い間違いを指摘したり、言葉尻を捉えて「どういう意味?」と問いただしたりして、嫌がられていたみたいです。その気持ちがよくわかりました、自分の下手な絵を見て(笑)。

今では私の描いた下手な絵を見て、ひゃあひゃあ言いながら、ええやんって笑い合えているのです。
(2022年1月取材)

<お話をうかがって>

日常の中での、家族とのやりとり。しゃべる、文字、身振り手振り、表情、LINEといったSNS、メール、電話など、いろんな表現やツールを用いてコミュニケーションをとりますが、森嶋さんの日常にはその1つにお手紙がありました。

人それぞれに、対面のほうがいい、LINEなどでやりとりするほうがいい、文字で書いたほうがいい、絵で描いたほうがいいなど、伝え方や受け取り方にも得意・不得意、好みなどがあります。だから、いろんな表現やツールでやりとりできるのは、お互いにいろんなものを引き出し合うことができそうでいいなと思いました。

次回は「お手紙は再び届く編」。森嶋さんが最近見つけた懐かしいお手紙、それを読み返したことによって、それまで「ごめんね」が残っていた思い出の捉え方が変わったというお話をうかがいます。
profile
レターセットや絵葉書、季節の切手を見つけるたび、「誰に書こうかな?」「あの人は元気にしているかな?」などアレコレ想像してはトキメク…自称・お手紙オトメです。「お手紙がある暮らし」について書き綴ります。
小森 利絵
フリーライター
お手紙イベント『おてがみぃと』主宰

編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP:『えんを描く』
 
『おてがみぃと』
『関西ウーマン』とのコラボ企画で、一緒にお手紙を書く会『おてがみぃと』を2ヵ月に1度開催しています。開催告知は『関西ウーマン』をはじめ、Facebookページで行なっています。『おてがみぃと』FBページ

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