あの人の幸せなひととき
ライフスタイル 2025-04-23
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気持ちのいい朝に、モチノキを見上げる |
幸せというのは突然やってきたり、じわじわと感じ始めたり。人によってそのカタチはさまざま。だけど、「日常に埋もれた小さな幸せ」をたくさん感じられると、それもすごく素敵だと思う。料理やお風呂、家族団らんの時間。あるいは仕事終わりにビールをグビっと飲む瞬間とか。何気ない日常のひとときを、自分にとっての「幸せ」と位置づけると、なんだかそれだけで満たされる気がする。
誰かの「幸せなひととき」を覗いてみたら、新たな幸せのカタチを発見できるかもしれない。「へえ、こんな幸せの感じ方もあるんだ」と気づいたり共感したり。そんな「素敵な何か」を届けられたらうれしい。
誰かの「幸せなひととき」を覗いてみたら、新たな幸せのカタチを発見できるかもしれない。「へえ、こんな幸せの感じ方もあるんだ」と気づいたり共感したり。そんな「素敵な何か」を届けられたらうれしい。
京都で生まれ育ち、大阪に来て50年余り。20代の頃から花の仕事を続ける藤原セツコさん。藤原さんとは、以前アルバイトをしていた花屋で出会った。温厚で、話し上手で、時にズバッと言う。当時、進路を迷っていた私に何度も相談に乗ってくれて、道しるべを示してくれた。出会いからずっと尊敬してやまない藤原さん。そんな彼女の「幸せなひととき」を伺ってみた。

藤原さんの「幸せなひととき」は朝。
「ウチの庭にモチノキっていう木があるんやけど、朝起きて庭に出て、そのモチノキを青空とともに見上げて深呼吸するとな、『あぁ、今日もいい感じやな〜』って。そんな朝の始まりが一番気持ちがいいし幸せに感じるなぁ。寒かったり天気が悪い日はちょっとあれやけど(笑)」

「ほんでそのモチノキは、触ったら石みたいやねん。ほんまに固くて冷たくて。木の柔らかい感触じゃない。あたしが来るずっと前からあるから、その木を見てると、ご先祖さんがおる時から長くこの家を見守ってきたんかなって思う」
藤原さんがこの家に来た当時、モチノキは今よりもっと背が低かったそう。昔誰かに植えられ、長い年月を経て育ち、そして石のように固くなった。何年も何十年もそこに佇むモチノキ。きっといろんな人生を静かに見守ってきたのだろう。その計り知れない時の流れに圧倒される。後で調べてみると、モチノキの花言葉は「時の流れ」だと知った。
そして、藤原さんの思う「幸せ」とは?
「幸せって、何をしたからどうっていうものじゃない。なんていうか、言葉で言える感じじゃない。普通に毎日暮らしてたら、そんなに感じることじゃないんじゃないかなぁ。ただ、心に響くことって人それぞれ。やから、その時その時、丁寧に時間を過ごす。うん、過ごしたい」

藤原さんのご自宅に伺ってモチノキを見た。思っていたより何倍も背が高く、全貌を見るには首を真上に傾ける必要があった。そして確かに、見上げると青空がよく見えた。
藤原さんのモチノキのような存在は、きっと誰にもあると思う。近くにあるものは、意識しなければ感じないかもしれない。だけどそんな存在にふと思いを馳せてみると、何気ない日常も少し違って見えるかもしれない。
藤原さんのモチノキのような存在は、きっと誰にもあると思う。近くにあるものは、意識しなければ感じないかもしれない。だけどそんな存在にふと思いを馳せてみると、何気ない日常も少し違って見えるかもしれない。
日々の生活の中で、ふと幸せを感じる瞬間は誰にでもあると思います。でもそんな「ちょっとした幸せ」は、誰かに伝えるほどでもなかったりする。だからこそ、誰もが密かに大切にしている「幸せなひととき」に光を当てて、共有したいと思います。
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