どこかで誰かが見ていてくれる(福本清三)
ハリウッドにまで招かれた大部屋俳優 どこかで誰かが見ていてくれる
日本一の斬られ役・福本清三 福本清三・小田豊二(著) 私がパーソナリティを担当している大阪府箕面市のコミュニティFMみのおエフエムの「デイライトタッキー」。その中の「図書館だより」では、箕面市立図書館の司書さんが選んだ本をご紹介しています。
今回ご紹介するのは、福本清三さんの語りを小田豊二さんが書き起こした『どこかで誰かが見ていてくれる』。 今年(2021年)1月1日、斬られ役に徹した大部屋俳優福本清三さんが亡くなられました。77歳、まだそんなにお若かったのかと驚きました。 私が福本清三さんを知ったのは、1992年に放送されたABCテレビの深夜番組『探偵ナイトスクープ』がきっかけでした。 『探偵ナイトスクープ』は、視聴者の依頼に基づき、「優秀な探偵」(タレントさん)が調査を行い、謎を究明するという番組。 このときの依頼は 「時代劇で、いつもすごく上手な斬られ方をする人がいるのです。あの方はどなたでしょうか。探し出して『徹子の部屋』に出演させてあげたい」 というものでした。 私はたまたまその回をオンタイムで見ていました。 探偵が調査したところ、撮影所の多くの人が口を揃えて「それはきっと福本さんのことやろ」とおっしゃっていて、見事にご本人にたどりつきました。 そして福本さんは本当にその年の秋『徹子の部屋』に出演。 後にトム・クルーズにも認められ、2003年の映画『ラストサムライ』に出演したことでも有名なかたです。 この本では福本さんの生い立ちや映画の世界に入ったきっかけ、大部屋俳優としての歩みなどが、福本さんの喋り言葉で語られています。 福本清三さんは1943年生まれ。昭和35年(1968年)に15歳で東映京都撮影所(太秦)に入り、いわゆる大部屋俳優としての人生が始まりました。 当時は映画全盛期。映画館は3本だてで、1週間で作品が入れ替わっていたそうです。 ですから撮影所では常に、6つも7つも並行して時代劇を撮影していないと追いつきません。 時代劇の見せ場の一つは立ち回り。スターさんが悪人をばったばったと斬り倒すわけですが、上手に斬られて、上手に死ねる悪役が当たらないと、絵になりません。 それに下手な人が相手になると、間違ってスターさんに怪我をさせかねません。 となると、大部屋俳優でも殺陣のうまい人、死に方のうまい人はあっちこっちから引っ張りだこ。 こちらで江戸の素浪人として斬られたと思ったら、すぐに戦国時代の衣装に着替えてまた斬られる、そしてまた別の衣装に着替えて……と、大忙し。 スターさんが大部屋俳優の到着をじっと待つ、なんていうことも日常茶飯事だったそうです。 斬られ役の人たちに指示するのは、監督ではなく、殺陣師の方たち。 「こっちからこう飛び込んできて、斬りかかる、そしたらこう斬り返されて、こっちに倒れてハケる」 あとは、長嶋茂雄さんじゃないですが、「ここでバタバタ、チャリンチャリーン、ウッ、バシッと!」全て擬音で通じるそうです。 段取りを合わせたら本番、OKが出れば次の現場へ! 忙しすぎて自分では今、どの映画のどのシーンを撮影しているのか、訳が分からなくなることも多かったそうです。 逆にいうと「自分は斬られ役のプロやから、なんの撮影だったとしてもチョチョイとやったるデ」という気持ちもあったそう。 そんな福本さんの考えを変えたのは深作欣二監督。 『仁義なき戦い』の撮影のため、東京から京都に乗り込んできました。 深作欣二監督は他の監督と全然違っていたそうです。 それはしつこいくらいのテスト(リハーサル)。 何回も何回もテストを繰り返し、なかなか本番に移行しません。しかも、大部屋俳優たちに細かい指導を繰り返すのです。 当時、監督自らが大部屋俳優に指導をするのは珍しいことだったそう。 そこである時、福本さんは冗談めかして監督に聞いたそうです。 なぜスターさんたちにはあんまり口うるさく言わないのに、わしらにはいろいろ言うんですか?と。 わしらもプロだから、撃たれる時は撃たれるし、殺される時もカッコよくやられてみせますよ、と。 その時の深作欣二監督の言葉が素晴らしい。 「バカなことを言うな。お前な、金たくさん取ってるスターはな、台本もあるし、ほっといたって、うまい下手は別として、それなりの芝居をするさ。
だけど、お前みたいなエキストラに毛の生えたようなヤツは、内容がわかってないだろう。なぜ殺されるのか。殺された後、組はどうなるのか。台本なんか渡ってないから知らないだろう。だから、俺が教えてるんだ」 「いいか、フクちゃん、映画のスクリーンっていうのは、主役だけが主役じゃないんだよ。このスクリーンの中に映っている皆が主役なんだ。 スターさんがどんなに一生懸命やっていてもな、このスクリーンの片隅にいるヤツが遊んでいたら、この絵はもう、その段階で死んでしまうんだ。 だから、フクちゃん、同じ子分でもな、それぞれが個性出して、殺されてほしいんで、あんたにとってはうるさいだろうけど、こうしてくれって指示を出すんだよ」 (福本清三さん・小田豊二さん『どこかで誰かが見ていてくれる』 P221〜P222より引用) この言葉に、福本さんは打ちのめされたそうです。
映画の中で斬られ、殺されることに慣れていたし、ごちゃごちゃ言われなくてもうまくやってやる、というおごりがあったことに気がついた訳です。 そして、それ以降福本さんは、与えられた役を一生懸命やっていたらどこかで誰かが見ていてくれると思うようになったのだとか。 ところでこの時福本さんは、深作欣二監督がいつの間に自分の名前を覚えたんだろうと、そのことも疑問に思ったそうです。 そして後で聞いたところによると、深作欣二監督は大部屋俳優たちの過去の映画を見て、一人一人の名前と顔、殴られ方、斬られ方、倒れ方、死に方の特徴を覚えてから撮影所に入っていたのだそう。 凄まじい気迫を感じるエピソードです。 今一度、深作欣二監督の作品を観直したくなりました。 兵庫県出身の福本さんの語りは関西弁。親しみやすく、面白いエピソードが満載で、あっという間に読み終えてしまいました。 福本清三さんは大部屋俳優さんにとって憧れなのですってね。 大部屋俳優から人気俳優へとのし上がった川谷拓三さんとはまた違って、自分の本分である斬られ役に徹しながら、ハリウッドにまで招かれた、そのあたりが憧れられる所以ではないかと思います。 それにしても、どの道でも「プロ」は研究し、努力をしていることが福本清三さんのお話からもわかりました。 今後、ドラマや映画で悪役が斬られたり、殺されたりする時は、その人の動きにも注目しなくては、と思いましたよ。 どこかで誰かが見ていてくれる
日本一の斬られ役・福本清三 福本清三・小田豊二(著) 集英社 恥ずかしがり屋の少年が、15歳で京都撮影所へ。運動神経に恵まれた彼は、時代劇の華やかな立ち回りを盛り上げる斬られ役として、有名監督や銀幕のスターたちの目に留まるようになるー。以来43年、セリフはもちろん、台本がないのが当たり前の、斬られ斬られて2万回の大部屋生活。東映時代劇映画の盛衰とともに歩んだ男が語る、笑いあり涙ありの役者人生。 出典:楽天 池田 千波留
パーソナリティ・ライター コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。 BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」 ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HP/Amazon
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