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■関西ウーマンインタビュー(学芸員)


青木 加苗さん(和歌山県立近代美術館 学芸員)

美術館で超異物・異文化に目を向けられるなら、社会の中でもできる

青木 加苗さん
和歌山県立近代美術館 学芸員
日本で5番目の近代美術館として1970年に開館した「和歌山県立近代美術館」。和歌山県にゆかりのある明治時代以降の作家を中心に、国内外の作家の作品を1万3000点ほど収蔵し、紹介しています。

学芸員の青木加苗さんは、地域の人たちにとって「私たちのホーム美術館」になることをめざし、美術館を人々の活動場所として開いていこうと、教育現場との連携や子ども対象の鑑賞プログラムの企画などを手掛けてこられました。

「こども美術館部」「和歌山大学美術館部」「展覧会スタンプラリー」など、さまざまな取り組みを通して、「美術教育ではなく、『美術館教育』とは何か?」を考えてきたという青木さん。「美術館教育」とは? 青木さんが見つけた「自分なりの答え」とは?
その時々に興味のあることに、全力投球で
美術高校に進学するなど、子どもの頃から絵を描くことや美術に対して興味があったのですか?
子どもの頃から、絵を描くことも好きでした。

小学生の時には、歴史クラブに所属して、古墳を見に行ったり、どんぐりクッキーなど奈良時代の食べ物をつくったり。歴史的な興味というより、千年以上も前に存在していたものが、自分の目の前にあること自体に心が動き、正倉院展に行って保存修復家になりたいと思ったこともありました。

中学生の時には、美術の先生がいわゆる授業らしい授業をほとんどせず、おもしろい話ばかりをしていて「私もこんな美術の先生になりたい」と思ったこと、美大に進学したかったけれどできなかった母が大切にしていた油絵の道具箱を使ってみたいと憧れたことなど、いろんな興味のタネがありまして。

そんな時、同級生が美術科の高校を受験すると聞いて「じゃあ、私も!」くらいのノリで、美術高校へ。

高校生の時には、テレビ番組でミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂壁画の修復プロジェクトを観て、自分がそれまで描いてきた四角いキャンバスとは違い、壁という外へ外へと広がっていくものに絵を描けることに興味を持ち、壁画コースのある美大へ。

大学生の時には、自分で壁画制作をする一方で美術史を学び、画家のピート・モンドリアンをはじめ、20世紀前半の作家たちが制作する過程で直面した疑問や思考、発想などに、親近感を持って理解できる部分があり、つくり手としての経験を活かして美術史を研究したいと大学院に進学し、今に至ります。

美術だけに着目してお話しすると以上のようになりますが、最初に「絵を描くことも」と言ったのにはわけがありまして、美術と同じくらい、興味があることがいつもあったんです。
「美術と同じくらい、興味があること」とは?
幼稚園の時からピアノを習っていて、中学生の時には吹奏楽部に所属していました。

高校で西洋画科を選んだのは、母の油絵の道具箱を使いたいという理由ともう一つ、海外に対しての興味があったからです。小学生の時に全世界の国旗を描き写すという自由研究をし、「世界中にはこんなにもいろんな国があるんだ」という実感が、日本とは違う国や文化への興味につながりました。

高校2年生の時には、京都市の姉妹都市交流プログラムに応募し、アメリカのボストンでホームステイ。それまで英語の成績が一番悪かったのに、語学に俄然、興味しんしんに。意味がわからなければ、ただの形や音でしかないものが、意味がわかった途端に急に文字や言葉として浮かび上がってくる不思議に心惹かれたんです。

当時流行っていた海外ドラマを視聴したり、学校の先生に教わったり、英会話スクールに通って勉強したり、英語だけではなく、スペイン語も少し学んでみたり。一時期は、語学を学びたいと外国語大学への進学を志していたほどです。

結果的に美大に進学してからも、語学への興味は冷めず。音楽学部のイタリア語の講義に潜り込むほか、海外への興味も膨らんで、たまたま見かけた青年海外協力隊のポスターにぴんと来て、教員免許を取得しておけば、青年海外協力隊として海外にも行けるのではないかなと思っていました。

そして、小学生の時に劇で主役を務め、高校では毎年文化祭で劇づくりをしていた延長線上として、大学時代はミュージカル部で歌ったり踊ったり。一時期はその道をめざすことも考え、舞台観劇後にプロの俳優さんを出待ちして手紙を渡し、楽屋で相談に乗っていただいたことも。

その時々のタイミングや出会い、考えなどによって、結果としてたまたま、先ほどお話しした美術のほうに進んできたという感じです。
そんなにもさまざまなことに興味があったら、仕事や就職先を1つに絞ることも難しかったのではないですか?
大学院修了後はモラトリアム状態で、未来が思い描けませんでした。

幸い、研究室の助手をさせてもらえることになったので、研究を続けられる環境を与えてもらいつつ、母校の非常勤講師や学習塾の講師、高校文化部の事務局員など、仕事をいくつか掛け持ちしていました。

それぞれの仕事におもしろさややりがいを感じていて、諦めも悪いものだから何か1つを選ぶこともできず。それでも生活が成り立っていたので、そのまま4年ほど過ごしていたでしょうか。
どうして、学芸員という職業に絞ることができたのですか?
母校のサテライトギャラリー開館記念展を担当したことにより、展覧会を企画する仕事への興味が湧いたからです。

若手作家13人のグループ展で、作家のことを知りたいと一人ひとりに5時間ほどかけてインタビューするところから始め、コミュニケーションを積み重ね、関係性ができてくると、作家も一緒に展覧会をつくるというスタンスで関わってくれるように。

企画の足りないところを彼らの発想や制作で補ってくれるなど、さまざまな人たちが関わるからこそできることがあり、この過程での出来事や発見、実感など自分が吸収したものをミックスして展覧会として表現することもできました。

自分が感じたり思ったり考えたりしたことを、対面で話したら目の前にいる人にしか伝わらないけれど、展覧会で問いかけとして投げかけたら、自分の想像を超えるたくさんの人たちに伝わることも実感。

タイミングとしても、任期付きの仕事の期限が迫っていたので、次の仕事を探さなきゃ、そろそろ本気で就職先を見つけなきゃという気持ちになっていたのもよかったのかもしれません。この時に募集があったのが和歌山県立近代美術館で、2011年に入職して今年で10年が経ちます。
美術館という場が持つ力に気づいて
「こども美術館部」や「和歌山大学美術館部」など、ユニークな取り組みをされていますね。それぞれの取り組みについて、教えていただけますか。
まず「こども美術館部」は、小学生対象の鑑賞プログラムです。

銅版画の作品は原画と出来上がりの絵が反転するので、鏡越しに作品を見て模写したり、子どもが得意とする「何かになりきる能力」を引き出して作者の視点になってもらったりなど、「遊び」を通して作品と接してもらっています。

次に「和歌山大学美術館部」は、毎年夏に開催する「なつやすみの美術館」展での来館者への鑑賞ガイドを中心に活動する和歌山大学内の公式サークルです。子どもから高齢者までの幅広い来館者を相手に、作品をじっくりと見ることを促しながら、鑑賞をサポートしてもらっています。

こういった取り組みを始めるきっかけは、最初に配属された先が「教育普及課」だったからです。

和歌山県立近代美術館では、学芸員は学芸課と教育普及課のどちらかに配属されます。学芸課では、学芸員の一般的なイメージのある「調査・研究と、それに基づいた展覧会の企画」といった業務を担当しますが、教育普及課ではそれらに加え、教育現場との連携や子ども対象のプログラムの企画などの業務も担当します。

美術教育ではなく、「美術館教育」というものがあることを知り、一つひとつの実践を積み重ねる中で、「美術館教育とは何か?」について、自分なりの答えが見えてきました。
「美術館教育」について見えてきた「自分なりの答え」とは?
美術館に展覧会を観に行く動機は「話題だから」「有名だから」「珍しいから」など、会場では作品解説を読んで「こんな意味があるんだ」「こんな歴史があるんだ」と理解することが多いのではないでしょうか。

ある時、学校の授業の一環で来館した小学生から「美術は、僕らに不思議やなと思わせてくれたり、考えさせてくれたりするもんなんやな」と言われて、はっとしたんです。子どもたちが鑑賞している姿を見ていると、彼らにとって作品の希少さや有名さ、作品解説は重要ではないことに気づきました。

子どもたちは自分自身の目で作品をしっかりと見て、「これは何だろう?」と考えるところから、作品との対話を始めています。

奇妙なところを見つけておもしろがったり、自分が発見したことを隣の誰かと共有したり、それによって同じものを見ていても、互いにまったく異なる見方をしていることに気づいたり。自分と違う視点や意見が多種多様に溢れることを実感し、否定し合うわけでもなく、ただ共存したり、時々交じり合ったり。

今この時代を生きる人同士だけではなく、美術館には歴史のある作品もありますから、現在と過去のたくさんの作品や人々という「他者」と出会い、過去と現在を往来しながら、未来を想像することもできます。

そんなことができる美術館という場はなんて尊いんだろうと、子どもたちに気づかせてもらったんです。

美術館教育とは、そうやって一人ひとりが自由に感じたり思ったり考えたり、作品や作者、その場にいる人たちとコミュニケーションしたり、自分とは違う他者の関心や生き方を許容する体験を積み重ねたりすること。

もう一つ、そんな場が地域の中にある意義や価値を見出し、守っていきたいという人たちを増やすことだと思いました。
青木さんのお話をうかがって、美術館に対してのイメージが広がりました。とても豊かな世界観ですね。更に「地域の中にある意義や価値を見出し、美術館を守っていきたい人を増やす」と思われた理由は何ですか?
世の中が不況になってくると、社会の雰囲気がギスギスしてきます。そのうち「美術館なんて維持するのに費用がかかるから必要ない」と言われてしまうんじゃないかという危機感を常々持っていました。この新型コロナウイルス感染症のこともあり、そんな状況が色濃くなっている気がしています。

最近よく感じるのは、「自分に必要ないから無駄」という発想が多いことです。

たとえば、極端な例ですが、「自分は自動車に乗らないから高速道路は必要ない」という人がいるとします。確かに、その人は高速道路を直接的には利用していないかもしれません。でも、私たちが日頃手にしている食料品や日用品などは、トラックが高速道路を利用して各小売店に運んでいる場合もあるでしょう。

そんなふうに自分は直接的には必要としていなくても、間接的に利用している、必要なものはたくさんあると思います。

芸術や文化もそうです。今の自分は興味がなくても必要としていなくても、将来興味を持ったり必要としたりするかもしれませんし、ほかの誰かにとっては必要なものかもしれません。どうして、それが存在しているのか、どんな人が必要としているのかなど想像できるようになるのも、美術館という場がなせることかなと思います。

私たち学芸員には美術館や作品を守る役割がありますが、私たちだけではこの場を守っていけません。ましてや、公務員なので、県が「なくします」と言えば、従わなくてはならない立場でもあります。そんな時に、美術館の必要性を感じ、なくしてはいけないと言ってくれる人がたくさんいることが大切なんです。
さまざまな人たちとの関係性があるからこそ
学校の先生や大学生、小学生などさまざまな人たちと関係性を築いて、取り組んでおられますね。
さまざまな人たちと取り組んでいく上で、1つの視点を与えてくれたアイデアがあります。

国際的なミュージアムのネットワーク「ICOM(International Council of Museums:国際博物館会議)」の研修で教わった「ビジョンやミッションに対して『リレーション=関係性』をつくることで、いろんな歯車が回る」というアイデアです。

ビジョンやミッションとは「美術館がどうありたいか、どうするのか」ということですが、そこにリレーションという「美術館に訪れる一人ひとりと、どんな関係性を築いていくのか」という視点を持つことによって、美術館がなくてはならない存在になるんだと思いました。

「こども美術館部」も、「和歌山大学美術館部」も、最初は私が「こんなことをしたら、どうだろう?」「こんなことがしてみたい」というところから始まっています。

でも、私1人がしたいと言っていてもうまくいきませんし、私が常に100%の力を注がないと続かないことは、注げなくなった時になくなってしまうものであり、それでなくなってしまうくらいなら、ほかの人たちや美術館に必要とされていることではないのかなとも思うんです。

したいという人をほかにも見つけたり、どうしてこの企画をしたいのかを説明して応援してくれる人や興味を持ってくれる人を増やしたりすること、そうして関わってくれる人たちがそれぞれに取り組む意義や価値を見出せることにつなげ、かつ続けていってもらえる仕組みをつくることが大切なんだと思いました。
そのアイデアを取り入れた一例を教えていただけますか?
「和歌山大学美術館部」は、和歌山大学の教授に学生と美術館が関われる機会をつくりたいと相談したところから始まります。1年目は教育学部との連携授業として、学生に「なつやすみの美術館」展での鑑賞ガイドに取り組んでもらうことになりました。

鑑賞ガイドというと、学芸員が作品の歴史的背景や美術的な価値などを解説するイメージがあると思いますが、学生たちは美術を専門的に学んでいるとは限らず、歴史的な知識を解説することはできません。だからこそ、来館者と同じ目線に立ち、発見や疑問、思考などを共有しながら作品を一緒に楽しむという、学芸員のできない役割を担ってくれたんです。

連携授業としては1年限りで終了しましたが、なんとか継続していく方法はないかなと考えた時、「部活ちゃう?」と。関わってくれた学生たちに「美術館部だよ、美術館部」とブツブツ言い続けていたら、興味を持ってくれた学生が「美術館部をつくろう」と言い出してくれたんです。

学生にとっても、参加者間で意見を言いやすくしたり、多様な意見を共有したりするには、どうしたらいいのかを考え、実践を繰り返す中でコミュニケーションに対して自信がつくなど、この取り組みに対しておもしろさや達成感を感じてくれていたようでした。

2年目は1年目に参加してくれていた学生たちが他の学生を巻き込んで、自主活動として取り組んでくれて、3年目には和歌山大学内にサークルを立ち上げてくれました。以降は、新入部員を集めたり、ノウハウを伝えたり、アドバイスをしたりなど、学生たちが自主的にしてくれています。

更には卒業生の中には学校の先生になった子もいて、学校の生徒を美術館に連れて来てくれるなど、新たな展開につながっています。

*展覧会を問わずに来館するリピーターを増やし、美術作品との出会いの機会を増やすことをめざして実施している「和歌山県立近代美術館独自の展覧会スタンプラリー」。スタンプは消しゴムはんこで、受付職員の方が手づくりされているそうです。2015年からスタートし、今ではスタンプを集めること自体を目的にした来館者もおり、来館者に喜んでもらうことで受付職員の喜びにもつながり、受付職員の自発的な行動を生むサイクルにつながっていると言います。
青木さんが企画の種をまいて、その後は関わってくれた人たちによる自主的な取り組みに発展していっているのですね。さまざまな人たちと関係性をつくっていく上で、大変だったことや壁になったことはありますか? また、工夫されていることはありますか?
さまざまな人たちと関わるほどに想定外の化学反応が起こるので、そのこと自体をおもしろがっています。自分1人だけで考えて行動しても、物事は広がっていきませんし、ワンパターンに陥りますから。

たとえば、「こども美術館部」は、もともと毎年夏に開催しているシリーズ展「なつやすみの美術館」の中の、「こどもギャラリートーク」という1つの企画でした。

また、2011年から2年連続で取り組んだこの展覧会を、さらに発展させることはできないかなと考えた時、学校教員や美術館教育に関心を持つ有志からなる「和歌山美術館教育研究会」の活動を通して把握していたことがつながったんです。

先生たちが夏休みに子どもたちが美術館に行くように感想文などの宿題を出してくれていること、宿題を出すにあたって内容に悩んだり、忙しい中でつくるのが大変そうだったりしていることから、この展覧会と連動したワークシートを一緒につくり、それを宿題にすることを提案したんです。

それから毎年ワークシートを一緒に作成して、近隣の学校で夏期休暇中の宿題として活用されるようになっています。

学校の先生たちとつながっていたから、思いついたことであり、実現できたことでもあります。また、継続してきたから、子どもたちともっと関わりを持てる場として、隔月開催の「こども美術館部」を始めるなど、更なる展開にもつながっているんです。

さまざまな人たちに関わってもらうために、「こんなことをしたい、したい」とブツブツ言い続けています(笑)。日頃から「こんなことを考えているんです」「こうしたらいいと思うんです」と自分の想いや考えを、お昼ご飯を食べながらなど、雑談の中でも結構しゃべってもいます。

些細なことですが、積み重ねれば、「こんなことをしているんだな」「こういう想いを持っているんだな」「こんな問題意識を持っているんだな」ということが、まわりの人たちにインプットされていくようです。気づくと、ありがたいことに、応援してくれる人や手伝ってくれる人がいるんです。

最近では、学校の先生のほうから「美術館と一緒にこんなことをしたい」と声をかけてもらうなど、どんどん新しいことをやるきっかけが舞い込んでくるようにもなりました。
超異物・異文化に目を向ける接点に
今年で入職されて10年。学芸員になられた時も、展覧会の企画に関わりたいという1つの興味が出発点でした。10年も続く仕事になられたのは、なぜだと思いますか?
学芸員の仕事には、たくさんまわり道してきたことすべてが活きていて、どれか欠けていたら、今のようにできていなかったと思っています。

学校の連携では、学習塾や高校文化部の事務局の経験から授業進度や学校の雰囲気を知っていたことが役立っていますし、高校時代から培った英語でのコミュニケーション能力により、国際的なミュージアムのネットワーク「ICOM」の活動に積極的に参加することができています。

そのほかにも、美術の実技の経験によって鑑賞プログラムを考える時にも「こうしたら作者の視点を感じてもらえるかな」「この遠近感はこうしたら理解してもらえるかもしれない」などのアイデアが浮かんできますし、演劇やミュージカルの経験でさえも、みんなで一つのものをつくり上げていく場面で活かされています。

興味のあることがたくさんあって全部してきたという感じで、一方で一時期は自分が何者かがわからず、悩んだこともありました。

でも、遡れば、英語に興味を持っていなければ、英語のスキルが必要な研究の道に大学院から進むのは難しかったかもしれない、その場合は学芸員になれなかったかもしれないなど、その時々で選択してきた先で、それまでのどの経験が欠けても今につながらなかったのではないかと思うくらい、どの経験も活きているんです。

学芸員の仕事は特に、そう思います。学芸員は職業というより、自分の属性、生き方と切り離せないものだと感じます。
今のお仕事での、青木さんの喜びとは?
美術や美術館というおもしろい場があることを知ってくれる人が増えていくのが嬉しいです。「こども美術館部」に繰り返し参加してくれる子がいますし、この10年間で美術館を当たり前に思っている子どもや大人が、増えている実感があります。

昨年、和歌山県立近代美術館は開館50周年という節目を迎えました。その記念展の一つとして、「美術館を展示する 和歌山県立近代美術館のサステイナビリティ」という、美術館の50年間の取り組みを展示する展覧会を開催したんです。

その50年の歴史を振り返って、その中の10年の歴史に私たちも関わっていて、ここでしているさまざまなことが美術館の歴史になっていくんだなと思ったんです。

そう思うと、社会にとっての美術館が変われば、社会自体にも変化を及ぼせるんじゃないかなと思いました。

個人ができることは小さいけれど、0が1になるなど少しでも変化を起こすことはきっとできて、美術館の学芸員はその0を1にしたものを1人ではなく、100人に伝えられるという役得を持っているとも思います。

だからこそ、自分のベースとしての美術館を少しずつ良くすることで、世の中をよくすることにつながればいいなと思うんです。
「美術館がよくなることで、世の中もよくなる」。美術館のどんな面から、そう思われるのですか?
みんなと一緒じゃ、おもしろくないのが美術です。

作品として額に入れて大事に展示していますが、誰かが何らかの意図を持って表現したものであり、それ自体が誰かの意見や考え。考え方も生き方も全然違う、超異物・異文化なんです。

また、「レコーダー=録音する機械」「手帳=記録するノート」といった目的が明確な物に対して、美術館には何に見えるかもわからない物や、「なんだ、これ?」と不思議に思う物など、目的を持たない変な物もたくさんあります。

美術館で超異物・異文化に目を向けられるなら、社会の中でもできるのではないでしょうか。自分にとっての超異物・異文化を受け入れられたり、おもしろがれたりする人が増えれば、今よりももっと平和になるんじゃないかなと思うんです。

SNSなどを見ていても、タイムラインには自分と似た考え方や情報ばかりが溢れていて、いつしか自分たちの考えが主流で、そうでないものが間違っているような錯覚さえ起こしてしまいそうになります。

美術館という場で、超異物・異文化との接点を増やしてもらい、目を向ける体験を積み重ねてもらえたらいいなと思っています。
profile
青木 加苗さん
京都市立芸術大学美術学部油画専攻卒業、同大学院美術研究科博士(後期)課程(芸術学)修了。専門はドイツ近代美術。近年は、20世紀前半のドイツ語圏の木版画の展開と日本の近代版画の影響関係について研究を行う。近年担当した展覧会は「美術館を展示する 和歌山県立近代美術館のサステイナビリティ」「もうひとつの日本美術史——近現代版画の名作2020」(以上、2020年)、「ミュシャと日本、日本とオルリク」(2019年)など。学校教員らとの協働によるさまざまな取り組みのほか、小学生対象の鑑賞会「こども美術館部」も担当している。「ICOM(International Council of Museums:国際博物館会議)」ICFAボードメンバー。
Twitter: enakakioa

和歌山県立近代美術館
和歌山県和歌山市吹上1丁目4−14
開館時間:9:30-17:00(入場は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)
WEB: https://www.momaw.jp/
(取材:2021年4月)
editor's note
学芸員としての仕事をされるまでに、さまざまな分野のことに興味を持たれ、それぞれについて全力投球されてきた青木さん。

たとえば、美術の実技から研究のほうにシフトチェンジされる時は、「研究一筋できた人が多い中、自分はずっと研究してきたわけではない」ということが、コンプレックスになったそうです。でも、「その時々で選択してきた先で、それまでのどの経験が欠けても今につながらなかったのではないかと思うくらい、どの経験も活きているんです」と青木さん。

私自身、「何か1つのことに特化したり、専門分野を持ったりすることがいい」という価値観がどこかにあり、あれもこれもとしてしまうことは中途半端になるのではないかと思ってしまうところがありましたが、さまざまな出会いや可能性、選択肢がある中で、自分が「これをしてみたい」と思うことは、自分の心が動くだけの何かがあるのだと思います。

それを大切にしてもいいのではないかなと、青木さんのお話をうかがっていて思いました。

また、「(美術館では)自分とは違う他者の関心や生き方を許容する体験を繰り返していける」「美術館で超異物・異文化に目を向けられるなら、社会の中でもできる」といったお話も印象的で、美術館に行きたくなりました。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP: 『えんを描く』

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