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■関西ウーマンインタビュー(学芸員編)


梶川 由紀さん(何必館・京都現代美術館 キュレーター)

「伝えたい」気持ちを大切に、展覧会をつくっていく

梶川 由紀さん
何必館・京都現代美術館 キュレーター
京都・八坂神社に続く、賑やかな祇園商店街沿いにある「何必館・京都現代美術館」。村上華岳、山口薫、北大路魯山人の作品を中心に、日本画や洋画、工芸、書、写真など幅広く収蔵、展示している個人美術館です。

「作品の声が聞こえる空間として、作品の棲み家となるような展示空間を」と考え、創立者自らが設計した美術館は、趣がそれぞれ異なる展示スペースから成り、5階に上がると茶室と庭が忽然と現れるなど、全体がアートのようです。

同美術館の創立者の娘である梶川由紀さん。「ヨーロッパ写真館(MEP)」開設に唯一の日本人キュレーターとして携わった後、同美術館の写真部門を立ち上げました。以降20年ほどに渡って、キュレーターとしてさまざまな展覧会を手掛けています。

何事にも好奇心を持って挑戦されておられるように見えるので、「アクティブですね」とよく言われるそうですが、「実はそうではないんです。むしろ、その逆」と梶川さんご自身は言います。梶川さんの行動力の秘密とは?
「やってみたい」と思ったら、思いきって飛び込んでみる
幼い頃からアートに囲まれる環境で育った反動もあって、大学では法律を学ばれていたとうかがいましたが・・・
何必館がオープンしたのは1981年、私が小学生の時でした。生まれた時から、父は絵を取り扱う仕事をしていたので、家に作品が届いたり、絵描きさんがよく出入りして一緒にごはんを食べたりしていたことを憶えています。

父が絵描きさんと話しているのをそばで聞いていて、子どもながらに、アートって正解もないし、結論が出るものでもないから、すごく不思議だなって思っていました。

学校の勉強では点数や評価が出るのに、アートは違う。

自分の中に自分のものさしがない時に、アートという自由なものを与えられると、どう判断したらいいのかがわからなくて。「何を根拠に『この作品はいい』と言っているのかが、よくわからへん」「アートって、あいまいやな」って。その反動でしょうか。

法律は「弁護士や検事が正義を暴く」と、白黒はっきりしているイメージがあり、その世界ではどんなふうにジャッジを下しているのだろうと知りたくなったんです。父からは美学や哲学を学んではどうかとすすめられましたが、容赦なく「しませーん」って(笑)。
実際に法律を学んで、どうだったのですか?
大学に入学して法律を学び始めると、過去の判例集をめくる時間が多くて、あまり興味が持てませんでした。

自分で決めたんだからと引き続き法学部に在籍するものの、美術館学芸員の資格を取得するコースがあることを知って、「知りたいな」「勉強したいな」と、その科目を履修して、バランスを取るようになりました。

法学部を卒業して美術館学芸員の資格を取得しながらも、印刷会社に就職したのは、自分が生まれ育った京都から出たことがないので、知らない街で暮らしてみたかったから。何必館で展覧会のポスターやチラシをつくるのを手伝っていたという経験があったので、東京採用だったので決めました。

24歳で印刷会社を辞めて、パリで写真美術館の開設に関わったのも、行ってみたかったからです。パリ在住の知人の紹介で、「研修生として受け入れてもらえませんか」と手紙を書きました。フランス語なんてまったくできないし、写真についても詳しくもないのに、です。

何必館のキュレーターになると決めた時も。帰国後、再びパリに戻ることを夢見て、いったん東京で暮らし、フリーで編集者などの仕事をしていました。そんな時、何必館で写真部門を立ち上げる話が出たので、「新しいことにチャレンジできるんだったら」と京都に戻る決心をしました。
「やってみたい」と思ったことを、行動に移されているのがすごいですね。その原動力は何ですか?
こうしてしゃべると、簡単に飛び越えていっているようで、「アクティブですね」と言われますが、実はそうではないんです。むしろ、その逆。

母からも「幼い頃はおとなしかった」と言われるほど、もともとは活発な子ではありません。石橋を叩いて大丈夫だったら渡る、大丈夫でもやめとくという、恐がりで慎重なところがあると自覚しています。

ほかの人よりも飛び込みにくいタイプだからこそ、そんな部分を克服したくて、飛び込んでみることを、自分に課しているのかもしれません。

「やってみたら、やれた」「いろんな人に助けてもらった」など楽しさ達成感などが、少しずつ自信につながっていくように思います。

その自信が、次につながって勇気に変わり、挑戦できているように思います。
やってみても失敗したり後悔したりすることもあると思います。それが一歩踏み出す気持ちを、より慎重にさせることもあるのではないかと思うのですが、梶川さんはどうですか?
うまくいかないこと、自己嫌悪してしまうことも、もちろんありますし、落ち込みもします。

でも、結果はどうであれ、自分が動くことによって、出会いがあったり、人とのつながりを実感できたりすることがあります。

たとえば、パリで写真美術館の開設に関わった時のことです。

行ってみたものの、私のほかに日本人はいないし、会議は全部フランス語だし、世界中から選りすぐりの写真のキュレーターが集まる中で「あなた、誰?」みたいな雰囲気で、つらい時間が過ぎていました。

そんな時、まわりを見渡して「自分にできる何かを」と考え、みなさんのコーヒーを淹れることにしたんです。

コーヒーを淹れていたら、少しずつ存在感が出てきて、「ありがとう」と感謝されるようになり、手渡す時に「名前は由紀です」とフランス語で伝えたら、名前を覚えてもらえるようになって、お昼ごはんに誘ってもらえるようにもなりました。館長には大切にしていただいて、いろいろなところに同行させてもらいました。

そして、フランス語をあまりしゃべらなくていい逃げ場が、写真作品が保管されている倉庫でした。誰ともしゃべらなくていいから、時間が空いたら倉庫に行って、作品を1点1点見ながら、「これは好き」「これは嫌い」とメモを取っていたんです。

実はそのことが今の仕事をする上で一番の財産になっています。1点1点の作品と向き合え、自分はどう感じるのかをじっくりと見つめられた時間。そんなふうに写真と出会えたのはよかったと思います。もしフランス語ができていたら、写真ともこんな出会い方はできなかったかもしれませんね。
「挑戦することは幸せ」、いいですね。
今年2月に展覧会をキュレーションした時のこと。その写真家のお嬢さんふたりのインタビューをまとめた映像をつくりました。新しく挑戦したことです。

その取材撮影でうかがったアトリエの壁に、ロベール・デルピールという私の友人でもあったディレクターの言葉が綴られたポストカードが貼りつけてあったんです、偶然に。

「幸せとは挑戦することだ」というようなフランス語が綴られていました。

それを眺めて、「やらないといけないからやるんじゃなくて、自分が幸せでいるためにこうして挑戦しているんだ」って気づきました。
「その時」を、楽しむ
これまでにどんな「壁」または「悩み」を経験されましたか?
私はキュレーターとして、「この写真家!」と思う人に会いに行って、まず私のことを知ってもらってから、展覧会やコレクションの話しをまとめています。

以前、とても好きな写真家がいて、写真展を開催したくて、何度か会いに行ったけれど、結局実現できないまま、昨年亡くなってしまいました。

言語はそんなに得意でないけれど、自分の声で言葉を伝えたいと、通訳を介さず、自分で話しをすることにしているので、親交のあるほかの作家との間でも、「自分の想いをもっと上手に言葉にできたらな」ともどかしい思いをすることはよくあります。

けれど、一方では言葉じゃないとも思うんです。伝えたい想いは伝わる、それは経験から学んだことかな。
「言葉じゃないとも思う」とは?
人間同士だから伝わるものがあって、言葉が足りなくても、一番大事なのは「伝えたいという気持ち」なんだと思います。

母みたいに慕っているフランス人の写真家がいて、彼女とこんな風に通じ合えていることがその答えとも思っています。

言葉の壁があると、そのほかのところで補おうとするから、勘というか、相手のことを察する力は磨かれますね。
かけた時間、過ごした時間は、自分の中に積もる
作家さんと初めて会う時に大切にしていることはありますか?
初めて会う時は緊張するけれど、「その時」を楽しもうと思っています。だって、宇宙で考えたら、人間の80年ほどの人生なんて、あっという間でしょ。

その瞬間に、同じ時間を過ごし、同じ空気を吸い、同じ空間にいるということはすごい偶然だと思うから。

会うための準備はちゃんとします。

手抜きをしない。「手抜きをしたな」と思ったら、一歩を踏み出せないから。自分のために準備だけは頑張ってやって、当日は「これまでちゃんと準備してきたんだから大丈夫!」ということが、自分を後押ししてくれます。

そんなふうに、写真家と会って、展覧会を開催するためにいろんな時間を過ごしてきましたが、最近はその「展覧会開催のためのプロセス」だと思っていた時間そのものが大切と思うようになりました。
最近「展覧会開催のためのプロセス」その時間そのものが大切と思うようになった理由とは?
これまで一緒に展覧会をつくってきた写真家の多くがご高齢になられて、この数年のうちに亡くなられることが重なりました。

彼らが暮らすフランスとは離れた日本にいるから、亡くなったことの実感があまり持てずにいたのですが、亡くなった2人の写真家の展覧会を続けて開催した時、気づきがありました。

館内に作品を展示すると、作品は何も変わっていないんですが、私の感じ方はまったく違っていました。

館内をまわりながら作品と向き合う中で、「もう、彼はいないんだな」って。そしたら、「ああ、そういうことか」と。

思い出すのは、本当にたわいもないこと。一緒に、パスタを食べたこととか、まちを歩いたこととか、川辺に座ったこととか。その人と過ごした時間です。

「展覧会開催のためのプロセス」と思っていた時間が、とてもいとおしく思えました。その時間こそが、私にとってとても貴重だったんだなって。これからはそのことを自覚して、そんな時間を大事にしようって。

だから、展覧会開催が実現しなかったとしても、それまでに積み重ねた時間や経験が自分の中に積もっていくと思っています。

キュレーターとして、作品だけではなく、アーティスト自身のことも発信したい。それが、キュレーターの役目じゃないかなと思うようになりました。
今、この瞬間に感じることのほうが、はっきりしている
何必館でキュレーターをされて20年。お父さまと一緒にお仕事をされているとのことで、家族ゆえのやりにくさはありますか?
父と一緒に仕事をするのは大変ですね(笑)。「そんなところまで口を出すの!」とか、私は「こっちのほうがいい」と言っても、父は「いやいや、よくない」と一掃されたり、衝突は絶えないんですが、父には感謝と尊敬しかないです。

私は、何必館があるから、私は自分の仕事をできています。父は自分でここを立ち上げ、全て1人で担ってきました。あまり苦労は見せませんが、側で見てきたのでその苦労はわかっているつもりです。何でも始めることより、続けること、やり続けるのは、すごいと素直に思うんです。

思い返せば、子どもの頃の体験はまるで宝物のように、自分の中にあります。

アートの目に見えない価値というのは、仕事の上ではもちろん、生きて行く上で大切なことが、自然に学べたことはすごく幸せなことじゃないかなと思っています。

また、父の言葉には説得力があって、学ぶべきことは多いですね。

何必館の「何必」とは父の造語で、「何ぞ、必ずしも」と、常に定説を疑い、既成の枠組みを超えて、自由な精神を持ち続けたいという願いがこもっています。一枚の日本画との出逢いによって、生涯をアートにかけようと決心した父ならではの言葉だと思っています。

オープンしてから40年経った今も、手を抜かない、人任せにしない。作家とのやりとりもそうだし、チラシの一言一句までこだわっていて、情熱とともに自分が生み出している責任感や使命感を深く刻んでいる姿勢に心から尊敬の念を持っています。

「そろそろ、私にやらせてくれたらいいやんか~」なんて言ったり、してみますけど(笑)。

私にはない、強さや揺るがない信念を持って、この何必館を続けているのだと感じます。
梶川さんにとって、アートとは?
私が高校生の時に思った「アートって、あいまい」というのは全然違っていたなと思います。アートは全然あいまいじゃなくて、ものすごくはっきりしているんじゃないかなって。

アートって、「自分の感じる心を信じる」ということ。自分が「そう思う」ことって、確かなんじゃないかと思うんです。

だって、その昔「地球が回っているなんて、おかしい」と言われていた時代もあったわけで。そんなふうに世間一般で「こういうものだ」と思われていることって、全然はっきりしていないんじゃないかと。

それよりも、今この瞬間に「自分がこう感じる」ということのほうが、ずっとはっきりしているのではないかな。

また、意識できていることって、無意識の中でほんのちょっとだけ、ちりくらいのものなんじゃないかなとも思っています。

日々の中では「意識できること=目に見えるもの」に一所懸命になっていて、そちらのほうが「確かだ」と思われていますが、本当は「無意識=目に見えないもの」のほうがずっと大きくて、そのことを知るきっかけになるのが、アートなのかもとも。

高校生の私に、そんなことを教えてあげたいですね。
近い未来、お仕事で実現したいことは何ですか?
キュレーターという立ち位置を生かして、社会にアートのおもしろさや奥行を伝えたいと思っています。私の視点や経験を、自分の言葉で伝えることができればと思っています。

アートって「美術」と訳され、学校でも美術の授業があって、「アートの見方がわからない」という人もいますが、決して「術=テクニック」ではないし、自分の感性で楽しむものであっていいと思います。

そんな視点を持つと、自分の生活が豊かになること、そんなことを知ってほしいですね。

何かのきっかけで展覧会に訪れた人が「また行ってみようかな」、「今度も行ってみようかな」を積み重ねていったら、人生の楽しみが広がっていくんじゃないかなと思っています。

そんなきっかけを与えるような、そんなキュレーターでいたいです。
profile
梶川 由紀さん
大学卒業後、印刷会社に就職し、制作ディレクションに携わる。その後、印刷会社を退職して、パリの「ヨーロッパ写真館(MEP)」開設に日本人キュレーターとして関わる。帰国後、何必館・京都現代美術館の写真部門を立ち上げ。以降、アンリ・カルティエ=ブレッソンやサラ・ムーン、荒木経惟など国内外の作家の展覧会企画や写真集編集、執筆を行う。2020年2月開催の「ロベール・ドアノー展」では映像制作に挑戦し、展覧会で上映。キャノン主催の写真家オーディション「SHINES」、京都現代写真作家展「京都写真ビエンナーレ」で審査員を務めるほか、雑誌やWEBマガジンなどで執筆活動も行う。
何必館・京都現代美術館
京都市東山区祇園町北側271
HP: http://www.kahitsukan.or.jp/
(取材:2020年1月)
editor's note
好奇心が強く、常に興味のアンテナを広げていて、いろんな「やってみたい」を持っている一方で、恐がりで石橋を叩いて渡るタイプだから「やってみたい」を「やってみる!」ことを自分に課してこられたと梶川さん。

「好奇心や興味」と「恐がりで、石橋を叩いて渡る」、一見相反するもののようでいて、そのどちらともがあるから、「やってみる!」という行動力につながっておられると言います。

「やってみよう」という小さな勇気。やってみても、思い描いたような結果にならなくても、その中で「こんなことができた」という小さな喜びを見出すこと。

どんなに小さくて、ささやかに思えることでも、それを一つひとつ積み重ねていくことで変わっていくものがあるのだと、梶川さんのお話をうかがって思いました。
小森 利絵
編集プロダクションや広告代理店などで、編集・ライティングの経験を積む。現在はフリーライターとして、人物インタビューをメインに活動。読者のココロに届く原稿作成、取材相手にとってもご自身を見つめ直す機会になるようなインタビューを心がけている。
HP: 『えんを描く』

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