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悪い夏(染井為人)

リアルで怖い

悪い夏
染井 為人(著)
私は染井さんの小説を読むのは初めてでしたが、あまりにも面白い上に怖くて、途中で読むのをやめられませんでしたよ。
地方都市の市役所に勤務している佐々木守 26歳。

昨年から生活福祉課に配置転換された。生活福祉課に配属と聞くと、同僚たちは皆気の毒そうに「3年の我慢だ」と言う。仕事内容は、生活保護受給者のもとを回ることと、相談窓口で生活保護申請者の話を聞き、受給の可否を決定すること。

生活保護の不正受給問題が大きく取り上げられる昨今、生活保護受給者のもとを回るのは、不正を発見し受給打ち切りにするためであり、相談窓口では安易に受給させないようにするのが目的と言っても過言ではない。

同じ部署の中には、いい加減な仕事をする者もいるが、守はできる限り誠実に相手の話を聞き、生活保護の適正な運用を促したいと考えていた。

そんな守に同僚の女性がとんでもないことを打ち明けてきた。守たちの同僚男性が、22歳のシングルマザーに生活保護打ち切りをちらつかせ、肉体関係を迫っていると言うのだ。許せないと思う反面、ややこしいことに関わりたくないと思った守だが、同僚女性に引きずられ、ことの真相を究明する羽目になる。

それがとんでもないことに発展するなどと、守には知る由もなく……
(染井為人さん『悪い夏』の出だしを私なりにご紹介しました)
出だしだけでもお分かりのように、『悪い夏』はリアルな社会問題を題材にした犯罪小説です。

冒頭、守が満員電車に揺られながら通勤する場面。

守の外見や性格が細かく描写されていきます。

守は身長が160cmと、男性にしては小柄で、自分に自信がありません。

彼女と呼べる人がいたのはほんの一瞬。相手はあまり冴えない女性で、これくらいが自分には似合っているかな、なんて思っていたのに、その彼女からも数日で別れを切り出されました。それ以降彼女ができたことはないのです。何せ、学生時代のニックネームが「小童」だというのですから、周りから軽くみられていたことがわかります。

そんな「小童くん」の守が、生活保護受給者のもとを訪ね、近況を聞きながら「そろそろお仕事に就けるのではありませんか?」と、遠回しに生活保護の辞退を勧めたところで、全く効果がないことは想像に難くありません。特に、本当は生活保護を受けられる条件から外れていることをわかりながら生活保護を受給しているようなケース(生活保護受給者)は、のらりくらりと守を翻弄するばかりで全く埒があきません。

この辺り、読んでいて「本当にこういうケースっていっぱいあるんだろうなぁ、職員さんは大変だなぁ」と思います。

その反対に、本当に困窮しており、生活保護を受けて生活を立て直してもらいたい人に限って生活保護を受給できずに悲しい結末を迎えることがあると、現実世界でも時々ニュースになっています。この小説の中でも「結局はゴネ得」「営業と同じでプレゼンが上手い人が結果を得られる」というようなことが書かれています。

この小説は、ずるく立ち回って生活保護を不正受給する人と、うまく話を持っていけず困窮に喘ぐ人を描くものなのかな……途中までそのように予想していたのですが、そんなありきたりな話ではありませんでした。

守たちが、立場を利用してシングルマザーに肉体関係を迫る同僚を追求しようとしたところから負の連鎖が始まり、あれよあれよという間にとんでもないことになっていくのです。

生活保護をもらいながら遊んで暮らす小悪党、生活保護を打ち切られたくなくて心ならずも脅しに屈するシングルマザー、感情を凍らせただひたすら絵を描く少女、貧困者を救うフリをしながら不正受給させた生活保護費の上前をはねるヤクザ、今日食べるものにこと欠く親子……さまざまな人たちが、何者かに手繰り寄せられるように集まってきて、最後は壮絶な結末を迎えるのです。

人って、こんな些細なきっかけで転落するものだろうか、と戦慄せずにはいられませんでした。

また、誰と出会い、どんな行動を取るかによって、人生が狂っていくのだなと、恐ろしくなりました。

しかもこの小説に描かれた転落は小説の中だけの話ではなく、誰の人生にも当てはまること、つまり自分にも起こりうることだという怖さがありました。人生、いい意味でも悪い意味でも何が起こるかわからないんですねぇ。

言わずもがなですが、私は生活保護を受給することを「転落」と言っているのではありません。誤解のないようにお願いします。

そして、最終ページ「エピローグ」を読むと「ああ、こうなっちゃったのか」と暗澹とせずにはいられませんでした。

そんな暗い小説なのに、先が気になって一気に読めてしまう『悪い夏』は、第37回(2017年)横溝正史ミステリ大賞で優秀賞を受賞しています。

面白い小説を読みたい方にお勧めします。

【おまけ】
冒頭、佐々木守は自分が「喉を痛めている」と感じています。風邪でも引いたのだろうか、と。

なかなか治らないので、忙しい中病院に行ったところ、風邪でもなければポリープがあるわけでもないとのこと。だけど、確かに喉に違和感があるのだ、と訴える守に対して、医師がいうのです。

「もしかしたら咽喉頭異常感症かもしれませんね」と。

飲み込む動作の時につっかえる感じがあるのに、それに見合う病変がない場合に該当する可能性があるというこの症状は、精神的なもの(ストレス)が原因だというのです。

もちろん守は仕事でストレスが溜まりまくっているので、この見立てに納得するわけですが、それを読んでいる私は思わず「知ってる!その症状、なったことがある!」と叫びそうになりましたよ。

私がその症状になったのは40代後半、更年期障害の時でした。

ある日突然「喉に何かある」と感じ始めました。

それはビー玉ぐらいの大きさで、最初はタンかと思い、なんとか吐き出そうとするのですが、何度トライしても出てくれません。だったら飲み込んでしまえ、と思ってゴックンとしてみても飲み込めない。出すことも飲み込むこともできないビー玉のようなものがいつものどの真ん中辺にある……

私は、これは腫瘍だなと思いました。覚悟を決めて検査を受けに行ったのですが、『悪い夏』の守と同じように、何の病変もないと医師に告げられました。

私は納得がいかず「そんなはずはない、確かにここに何かあるんです」と言ったところ医師が私にこう言いました。

「それは通称 ヒステリー玉ですな」

は?ヒステリー玉?!

正式名称咽喉頭異常感症は、更年期障害の症状として、たまに現れるらしいのです。

「主な原因はストレスで、実際に病変はないのに喉に違和感を覚えるのだ」と医師から説明を受けていたら、あら不思議。あっという間に、私の喉にあったはずの違和感が消えていくではありませんか。あんなに何日も苦しみ、これは絶対に喉に腫瘍ができたと思い込んでいたのはなんだったのか。正体を知った途端に無くなったのですから、精神的なものってすごいですね。

しかしそれを「ヒステリー玉」と名付けた人には、腹立たしい反面、座布団1枚差し上げたいような気分になったこともまざまざと思い出しました。

自分の体験がそのまま小説に出てくるなんてなかなか珍しいことで、それもあって没頭して読めたのかもしれません。
悪い夏
染井 為人(著)
KADOKAWA
26歳の守は生活保護受給者のもとを回るケースワーカー。同僚が生活保護の打ち切りをチラつかせ、ケースの女性に肉体関係を迫っていると知った守は、真相を確かめようと女性の家を訪ねる。しかし、その出会いをきっかけに普通の世界から足を踏み外してー。生活保護を不正受給する小悪党、貧困にあえぐシングルマザー、東京進出を目論む地方ヤクザ。加速する負の連鎖が、守を凄絶な悲劇へ叩き落とす!第37回横溝ミステリ大賞優秀賞受賞作。 出典:楽天
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池田 千波留
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ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HPAmazon

 



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