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福沢諭吉が見た150年前の世界(武田知弘 訳/解説)

元祖『地球の歩き方』

福沢諭吉が見た150年前の世界
武田知弘 訳/解説
私がパーソナリティを担当している大阪府箕面市のコミュニティFMみのおエフエムの「デイライトタッキー」。その中の「図書館だより」では、箕面市立図書館の司書さんが選んだ本をご紹介しています。

今回ご紹介するのは、福沢諭吉氏著、武田知弘 訳・解説の『福沢諭吉が見た150年前の世界』

福沢諭吉といえば 子どもの頃、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言へり」と『学問ノススメ』をペアにして覚えさせられたものでした。

慶應義塾大学の創設者だということも合わせて覚えました。はっきり言って受験のための知識です。

最近では、1万円札の肖像画となったため「1万円、2万円」の代わりに「1諭吉、2諭吉」などと気安く名前を呼ぶようになりました。

諭吉さんご本人は、まさか後世において自分の名前が通貨単位として使われようとは予想だにしなかったでしょうね。

まぁ、そのように、名前や周辺の情報は知っているものの、福沢諭吉の著作を読んだことがある人は少ないのではないでしょうか?少なくとも私は、全く読んだことがありません。

『福沢諭吉が見た150年前の世界』は、1967年(慶応3年)に出版された福沢諭吉の『西洋旅案内』を現代語に翻訳し、諭吉さんの他の著作の内容も付け加えた解説が添えられたもの。とても読みやすくわかりやすいです。

福沢諭吉さんは天保5年12月12日(1835年1月10日)、大阪堂島新地で生まれました。(現代の漢字表記にしています)父親は豊前国中津藩(現:大分県中津市)の下級武士で、中津藩の蔵屋敷が大阪にあったわけです。

諭吉さんは秀才で、適塾でも非常に優秀な成績を収めていたそう。適塾での学友の中には漫画家 手塚治虫さんのひいおじいさんがいたというのも面白いエピソードです。

さて、福沢諭吉は外国語も学んでおりました。当時は鎖国中ですから、学べる外国語といえば、外交関係があるオランダの言葉、蘭語。

勉強熱心な諭吉さんは、黒船就航後、横浜に作られた外国人商人たちの居留地を何度も訪れます。そこで気がつくのです。オランダ語を話す人はほとんどいないことに。

居留地で目にする看板などにもオランダ語はほとんどない。目にし、耳にするのは英語かフランス語。諭吉さんはこの体験から、今後世界で通用するのは英語かフランス語だと悟り、英語を独学で学び始めます。

そして適塾の学友たちにも英語を勉強するよう勧めるのですが、ほとんどの人は、せっかく勉強してきたオランダ語を捨てて、新しい言語を学ぶことに消極的でした。

だけど諭吉さんは英語を独学していて思うのです。

オランダ語と英語には共通点も多いので、今まで勉強してきたことは無駄にはなっていないと。こうして諭吉さんは早い段階で英語を読み書き、話せるようになっていたのでした。

そのおかげもあって、明治維新が起こるまでに諭吉さんは3度も外遊することができたのでした。幕府の用命を受けてのことです。

安政6年(1859年)はアメリカへ。

サンフランシスコ、ハワイ、パナマ、フィラデルフィア、ニューヨークを回り、アフリカ、ジャカルタ(現代名)、香港経由で帰国。

文久元年(1861年)にはヨーロッパへ。

先のアメリカ行きもそうですが、当時の移動手段は船です。行きは香港、シンガポール、スエズ運河、カイロを回ってフランスに到着。イギリスやポルトガルにも行っています。

3度目は慶応3年(1867年)アメリカへ。

ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンDCを回っています。

鎖国から醒めかけていた時期の日本人にとって旅先で見るもの聞くもの、何もかもが驚きの連発だったはず。

食事で使うナイフやフォークだって初めて。西洋式のトイレも初めて。なんだか知らないけど、何をするにしてもレディーファースト。

戸惑ったり失敗したり。

そこで諭吉さんは、旅行で見たこと聞いたことを『西洋旅案内』にまとめたのでした。そしてこう書き記しています。
この本は、外国に行ったことがない人のために書いたものであり、ごく基本的なことを書いている。だから、外国に行ったことがある人にとっては、不必要のものである。

私が願うのは、日本人の多くが外国に行くようになり、誰にとっても、この本が不必要になることである。
(『福沢諭吉が見た150年前の世界』P19より引用)
さて、諭吉さんは『西洋旅案内』に事細かに書き記しています。

船の料金、外貨への両替方法、食事内容やマナー、レディーファーストについて、トイレの使用方法などなど。

元祖『地球の歩き方』と言えるかもしれません。

諭吉さんはこんなことを決めていたそうですよ。
私が欧州を巡回するにあたって、決めていたことがある。それは、「書籍では調べられないことを聞く」ということである。

西洋のことは原書を読めば知ることができるが、西洋人にとってごく当たり前のことについては原書には書いていない。

しかし、そこが我々にとっては理解できないことが多いのだ。だから原書を読んでいてわからない部分について西洋人に聞こうと思ったのだ。
(『福沢諭吉が見た150年前の世界』P153より引用)
この文章を違う角度から見ると、「本を読んで勉強できることは、わざわざ人に聞かずに自分で学ぶ」ということになります。

ある種の覚悟を感じる言葉です。勉強ができる人の勉強法を知ったような気がしました。

ムムム、こういうことは中学生くらいの時に知りたかった。

外国旅行が珍しくない現代人にとっても(コロナ禍で、今はちょっと旅行はできない状況ではありますが)なかなか面白い旅行案内であると同時に、物事の考え方や見方について勉強になる本でした。
福沢諭吉が見た150年前の世界
武田知弘 訳/解説
彩図社
初めての欧米旅行で福沢諭吉は何を見た?『西洋旅案内』に記された珍道中を現代語で堪能! 出典:楽天
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池田 千波留
パーソナリティ・ライター

コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。
BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」

パーソナリティ千波留の
『読書ダイアリー』

ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HPAmazon

 



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