塔本シスコ 絵の手帖(塔本シスコ )
自分にはこれしかない。それを続けて行ける幸せ 塔本シスコ 絵の手帖
塔本シスコ(著) 私がパーソナリティを担当している大阪府箕面市のコミュニティFMみのおエフエムの「デイライトタッキー」。その中の「図書館だより」では週に一度、箕面市立図書館の司書さんが選んだ本をご紹介しています。今回ご紹介するのは、ご紹介したのは平凡社出版の『塔本シスコ 絵の手帖』。
「人間、何かを始めるのに遅すぎることはない」 よく言われる言葉で、私も大好きな言葉です。 揺らぎそうになった時、この言葉を思い出したりもします。 ですが、現実問題として、今から始めたのでは遅いだろう…… と思うこともままあります。 塔本シスコさんの人生は、この言葉が空論ではないことを証明してくれています。 絵を描き始めたのが53歳からだというのですから。 この本は、2005年に92歳で亡くなった塔本シスコさんの作品集です。 私は絵の良し悪しがわかりません。 ただ、表紙を見ただけで、とんでもない生命力を宿したものだということはわかりました。 塔本シスコさんが生まれたのは1913年(大正2年)。 熊本県の農家のの9人兄妹の長女です。 シスコは本名。 お父様が若い頃にサンフランシスコ行きを夢見ていたそうで。もともとは裕福だった生家(西﨑家)は事業に失敗し、シスコさんは家の手伝いのため尋常小学校4年生で退学を余儀なくされます。 以後、20歳で結婚、30歳で長男を出産、33歳で長女を出産、46歳の時に夫を事故で亡くし、48歳のときにはご自身が脳溢血で倒れます。つまり、専門的に絵を習ったことなど一度もないわけです。 脳溢血で倒れた後、リハビリのために石を彫っていたシスコさんが、53歳のとき、どういうスイッチが入ったのか、長男さんが家に残していた油絵に向かい、やおら包丁で油絵の具をそぎ落とし、憑かれたようにそこに絵を描いたのが始まりでした。以来、92歳で亡くなるまで描き続けられたのです。 収められたシスコさんの絵には言葉にできないような迫力があります。 色はほとんどが原色。タッチは荒いです。 大きくおおらかに描いているものもあれば、よくここまで根気よく点を置いていけるものだと感嘆するようなものも。 とにかく絵を描くことが大好きで、そして楽しくて、ずっと続けてこられたのだろうなぁと思いました。そしてそれほど幸せなことがあるだろうか、とも。 この本の残念な点はただ一つ。 もとの絵の大きさがわからないこと。 絵とともに収められている制作風景の写真を見ると、アトリエに入りきらないような大作もあるのです。 アトリエというのは、シスコさんが住んでおられた団地の四畳半のこと。 部屋に入りきらない大型の絵は、団地の壁で描いていたんですって。 縦で描くと手が届かないような作品は、横に寝かせて描いていたみたいです。 よくそんな器用なことが! この本には、シスコさんの作品だけでなく、日記なども紹介されています。 1999年2月28日には ”今年でシスコ86になりました
日本国の中で色々有るようですが シスコは何も出きないので シスコは絵をかく事しかデキナイので困ったものです" (平凡社『塔本シスコ 絵の手帖』P114より引用) と書かれています。
自分にはこれしかない、ということを見つけ、それを続けて行ける幸せ。 誰もがまだ間に合うんですよ、きっと! 塔本シスコ 絵の手帖
塔本シスコ(著) 平凡社 53歳で本格的に絵筆をとり、91歳まで描き続けたシスコ。鮮やかな色づかいと丹念な筆づかいで、家族や友だち、草木や花、馬や小鳥、ネコ、ヘビまでキャンバスいっぱいに踊らせる。強烈な魅力を放つシスコの作品はどれも“規格外”!!いしいしんじ、都築響一、保坂健二朗ら豪華執筆陣も寄稿。2015、没後10年を迎える画家初の作品集。 出典:楽天 池田 千波留
パーソナリティ・ライター コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。 BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」 パーソナリティ千波留の『読書ダイアリー』 |
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