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藤田 由布
婦人科医 レディース&ARTクリニック サンタクルス ザ ウメダ

婦人科医が言いたいこと 医療・ヘルシーライフ 2022-11-24
誰も知らないトーゴの伝説 

飛行機墜落事故から生還した大統領・エアデマ
2005年2月5日、トーゴ大統領ヤシンベ・エアデマが逝去した。

しかし、トーゴの人々はそれほど驚かなかった。「あぁ、やっぱりか」と言った反応だった。

2004年6月頃には、トーゴの現地の人々は 「もしかしたら、もうすぐじゃないのかい?」 と話していたのだ。

トーゴの北部のカラという都市は、エアデマ大統領の故郷であり、彼の宮殿のような自宅があるほか、郊外には私物化していた飛行場もある。

その飛行場から何度も飛行機が飛び立つ時期があった。
どうやら、プライベート機でイタリアの主治医の元へ何度も直行していたらしい。

あくまでウワサだが、喉頭癌だったらしい。 あくまでウワサレベル。。。

そのイタリアへ往復していた飛行機のパイロットがフランス人とレバノン人なのだが、外国人コミュニティの間で噂は漏れていた。

エアデマが飛行場に行くたびに、交通封鎖がなされた。

これには参った。その道路は主幹道路だったので我々庶民は街から出られなくなる。

毎回、道路は5時間封鎖され、 私たちはその都度仕事を邪魔された。カラに住む殆ど全ての人が街に缶詰になったのだ。

トーゴ人同僚も口々に「くそー!アイツたった一人のために・・・!」 と、ブーイングの嵐が毎度巻き起こる。

同時に「また、イタリアの病院に行くのか」とも言っていた。
トーゴはアフリカ諸国の中でも最も小さな国のひとつだが、国土は南北に細長く、南は美しいビーチリゾートがあり、北部は緑豊かなサバンナが広がり、自然豊かで食べ物も美味しい魅力だらけの国である。  
独裁政権の長さは世界2位
トーゴは1960年にフランス領から独立し、初代大統領にオリンピオ氏が就任。

その後、1967年以来はずっとエヤデマ大統領による長期政権が、2005年に死去するまで継続した。

2005年以降はなんと、エアデマの息子が大統領の座を後継している。 

エアデマ大統領は大衆の前に現れることは少なかったが、メディアをうまく操り、 秘密警察まで駆使して絶対的権力を37年間も保持したのだ。

※2003年のカラ市内で行われた相撲大会に大統領が観戦
カラの街では毎年7月にエヴァラという「相撲大会」が開催される。

エアデマ大統領は自分の故郷での最大のお祭りに大盤振る舞いすることで有名で、自分や自分の母親の顔写真のステッカーが貼られたワインやジュースが観客にも振る舞われる。

※当時エアデマが振る舞った写真入り飲料の実物(右はエアデマ大統領、左はエアデマの母上)
滅多に人前に姿を現さないエアデマも、この日だけは堂々と大衆の前に出てきて、庶民とも触れ合うのだ。

私たち外国人とも握手なんかしたりして、明るく談笑する。

実際、私は中国人と間違われて「ニーハオ!」と挨拶され、次の日の新聞には中国人として写真が掲載された。

力強いごっつい手に圧倒された。

2mくらいの大男で、 ジョーク好きで周囲に笑いを絶やさず、自らもフォッフォッフォッと大声で笑う。不思議と惹きつけられる巨人だった。

その巨大な体格といい、まさしく「笑うセールスマン」の喪黒福造だった。
秘密警察には気を付けて!
至る所に秘密警察がいるから気を付けて、と言われていた。

秘密警察が一番多くいるとされたのが、街の地ビール屋台だった。

原料は粟の自家製ビールをあちこちで作っており、独特な発酵の味がするビールは美味いというか、癖になる味だ。

ビールジョッキは、ひょうたんの殻を半分に割った皿で、1リットル弱ある。

※地ビールは現地語で「チュック」
アルコール度数はそれほど高くないが、屋台で隣の人とお喋りしてたら、ついついグイグイと飲んでしまう。

けれども、皆んな決して人前で政治的な事を話さない。タブーなのを分かっている。

エアデマのことをちょっとでも口走ると、誰かが「シーーーッ」と黙れの合図をしてくる。

※ガーナとトーゴの国境の街ジャロパンガの出張先で同僚と一杯
トーゴ人の友達らも、人前では決して政治の話をしなかった。

友達らが家に遊びに来た時も、政治的な話をするときは、扉を全部閉めて一番奥の部屋に行くこともあった。

走っている車内でも、エアデマの噂話をするときなどは、車内の窓を全部閉めてから話始めることもあった。

私の同僚も「おれは怖くねーもんねー」と言いながらも、大統領の名前はコードネームを使ってしゃべっていた。

さすが、37年間独裁政権を保持した国の国民だけある。
コードネームは「スティービー」

※アメリカ人の平和部隊の仲間らと村を巡回
私たち外国人もエアデマの話は絶対に人前ではしなかった。

アメリカ人の平和部隊ボランティア(ピースコー)の皆んなも、出発前オリエンテーションで「エアデマの名前は口に出さないように」と指導されていた。

アメリカ人から教わったのは、エアデマ大統領のことを「スティービー」とコードネームを使うこと。

トーゴ赴任当初は面倒なことになるのが億劫だったので、私も極力独裁政権の話題は避けていた。

どこに秘密警察が隠れているかわからないから。
飛行機墜落現場

※神秘的な扱いをされる大統領の事故現場
エアデマ前大統領には、いくつもの逸話があり、伝説があった。

その中で有名なものは、1969年に起こった飛行機事故でたった一人だけエアデマ大統領が生還したという話だ。

トーゴ人同僚が自慢げに話してきたのは、生き返った現場がいかに神秘的だったかということだが、これ、神話でもなく実話なのだ。

「ドカーンって飛行機が墜落した後に大きな煙が立ち込み、その煙の中から大男が勇敢に歩いて出てきたんだ!」と興奮気味に模倣して再現ながらに説明してくれた。

※アメリカ人平和部隊(ピースコー)の仲間らと事故現場で記念撮影
操縦士も同乗者も全員亡くなった悲惨な事故の現場なのだが、 エアデマは怪我ひとつしていなかったそうだ。

その墜落した飛行機がそのままの姿で保管され、墜落した飛行機の周囲には2階建の円状の展覧スペースがコンクリートで建設されていた。

40年以上も昔に墜落した飛行機の残骸が割ときれいに保管されているのだが、車輪はクルクル回せるし、機体の一部の骨組みは残ったままだった(写真のとおり)。

エアデマ大統領が神々しく生還した事故現場を「ミステリー観光地」としたかったのか。

しかし、私たち以外に観光客は一人もいなかった。

この飛行機事故の現場は、カラから数十キロ行ったSARAKAWAという街の郊外にあったが、今も残っているかは分からない。

トーゴは実に奇異な国だったが、魅力が詰まったおもしろい秘境だった。

※雨期にトーゴの村落地域へ向かう時は難関がいっぱい
profile
全国で展開する「婦人科漫談セミナー」は100回を超えました。生理痛は我慢しないでほしいこと、更年期障害は保険適応でいろんな安価な治療が存在すること、婦人科がん検診のこと、HPVワクチンのこと、婦人科のカーテンの向こう側のこと、女性の健康にとって大事なこと&役に立つことを中心にお伝えします。
藤田 由布
婦人科医

大学でメディア制作を学び、青年海外協力隊でアフリカのニジェールへ赴任。1997年からギニアワームという寄生虫感染症の活動でアフリカ未開の奥地などで約10年間活動。猿を肩に乗せて馬で通勤し、猿とはハウサ語で会話し、一夫多妻制のアフリカの文化で青春時代を過ごした。

飼っていた愛犬が狂犬病にかかり、仲良かったはずの飼っていた猿に最後はガブっと噛まれるフィナーレで日本に帰国し、アメリカ財団やJICA専門家などの仕事を経て、37歳でようやくヨーロッパで医師となり、日本でも医師免許を取得し、ようやく日本定住。日本人で一番ハウサ語を操ることができますが、日本でハウサ語が役に立ったことはまだ一度もない。

女性が安心してかかれる婦人科を常に意識して女性の健康を守りたい、単純に本気で強く思っています。

⇒藤田由布さんのインタビュー記事はこちら
FB:https://www.facebook.com/fujitayu
レディース&ARTクリニック サンタクルス ザ ウメダ 副院長
〒530-0013 大阪府大阪市北区茶屋町8-26 NU茶屋町プラス3F
TEL:06-6374-1188(代表)
https://umeda.santacruz.or.jp/

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