丁寧に生きるという選択
ライフスタイル 2022-04-13
心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
私たちが「生きる」中で、たくさんの選択をしています。 その選択は、意識したものから無意識に選んでいるもの、とるに足らない小さな選択から人生の岐路に立たされた大きな選択まで、その種類も様々。「丁寧に生きる選択」というライフスタイルは、未来へのキーワードでもあります。
創造、破戒そして再生 |
今年も桜の季節がやってきては過ぎ去っていきました。毎年のことながら、それはとても儚く、足早で過ぎてしまった様です。みなさんはどのように過ごされましたか?
自然の変化に何を感じるか、どう感じるかは、その時々で自分の周りで何が起こっているかに大きく影響されるのではないでしょうか。
美しい桜、哀しい桜、はかない桜、青空にはえる桜、月に照らされる桜。さまざまな風景がさまざまな心情を映しだす様です。
桜の季節というように一年で多くの方々が楽しみにされ、愛される季節には、それぞれの思い、記憶が重なることでしょう。
私たちは自然の美しさを感じることと同時に、もしくはそれ以上に、そこにまつわる思い出を呼び起こしたり、その時に感じたであろう感情に再び浸りながら自然の中に自分を重ねているように思います。
一刻一刻と変化するはかない今を生きながら、過去というものをも無意識に生きているのではないでしょうか。
2月24日、いきなり、突然の雷のごとく表面化したウクライナ侵攻は、4月初旬の現在も続いています。
破壊の映像を見て多くの方々が心を痛めていらしゃることでしょう。同時に、2月24日以前に確実にそこにあったであろう「人々の暮らし」を想像すると、その平常と破壊のコントラストに言葉もありません。
人々の暮らし、それは見えるもの、見えないものの両方の創造の力に支えられていたはずです。
創る、造る、というプロセスとは、見える物だけを築くことに限らず、目に見えないアイデアや思い、意識を型にしてきた人類の歴史そのものだと思います。大きな歴史の流れの中で築かれてきた意識や生活そのものが、目に見える建物と同時にこの様な武力による暴力で破壊されてしまったのです。
破壊とは、「安定への安心感」を揺るがす恐怖の行為です。
日本という自然災害と共に生きることを強いられてきた土地では、安全を揺るがすものに対する怒りの矛先は、時に直接的な行き場を無くすかもしれません。自然災害に対しては怒りというより、やるせなさや受け入れの感情しかない時もあるでしょうから。
しかし「安定への安心感」を脅かすような相手に私たちは断固とした態度、時に許すべきでない怒りの態度を持つべきだと思うのです。
なぜなら「安定への安心感」こそが、至る所で私たちの日々の生活の中で原動力となっているのですから。それを守るために私たちは躍起になるべきだと思うのです。
その「安定への安心感」が破壊されてしまったことは、普通に生活をされていたその土地の方々の過去だけでなく未来への希望まで傷つけてしまいました。それも独裁というかたちによって。
独裁とデモクラシーが対局にあるとすれば、デモクラシーに必要なものは意思決定に必要な情報公開です。
情報戦争と言われる中、独裁を防ぐためにバランスを保つ影となる意見、有識者のアドヴァイス、それらが有効とならないシステムが今なお存在すること自体、私たちは恐怖を感じるべきなのではないでしょうか。そしてその様なシステムの早急な改善こそがこれからの国際社会に課せられた大きな課題だと思います。
ひとりの、少なくとも少数の独裁者が情報公開もなしに、明確な建設的な方向性も持たずに、異なる考えに耳をかすことすらなしに、歴史、人々の思い出をこの様な形で破壊する。今その虚しさを目にして、全ての人にとっての安定を脅かしかねない独裁に対して、決して無関心とならず、破壊されたものの再生を望む強さを持ち続けたいと思います。
そしてその様な思いを共有してくださる周りの方々に深い感謝を感じながら、再生の未来へと祈りを捧げたいと思います。
自然の変化に何を感じるか、どう感じるかは、その時々で自分の周りで何が起こっているかに大きく影響されるのではないでしょうか。
美しい桜、哀しい桜、はかない桜、青空にはえる桜、月に照らされる桜。さまざまな風景がさまざまな心情を映しだす様です。
桜の季節というように一年で多くの方々が楽しみにされ、愛される季節には、それぞれの思い、記憶が重なることでしょう。
私たちは自然の美しさを感じることと同時に、もしくはそれ以上に、そこにまつわる思い出を呼び起こしたり、その時に感じたであろう感情に再び浸りながら自然の中に自分を重ねているように思います。
一刻一刻と変化するはかない今を生きながら、過去というものをも無意識に生きているのではないでしょうか。
2月24日、いきなり、突然の雷のごとく表面化したウクライナ侵攻は、4月初旬の現在も続いています。
破壊の映像を見て多くの方々が心を痛めていらしゃることでしょう。同時に、2月24日以前に確実にそこにあったであろう「人々の暮らし」を想像すると、その平常と破壊のコントラストに言葉もありません。
人々の暮らし、それは見えるもの、見えないものの両方の創造の力に支えられていたはずです。
創る、造る、というプロセスとは、見える物だけを築くことに限らず、目に見えないアイデアや思い、意識を型にしてきた人類の歴史そのものだと思います。大きな歴史の流れの中で築かれてきた意識や生活そのものが、目に見える建物と同時にこの様な武力による暴力で破壊されてしまったのです。
破壊とは、「安定への安心感」を揺るがす恐怖の行為です。
日本という自然災害と共に生きることを強いられてきた土地では、安全を揺るがすものに対する怒りの矛先は、時に直接的な行き場を無くすかもしれません。自然災害に対しては怒りというより、やるせなさや受け入れの感情しかない時もあるでしょうから。
しかし「安定への安心感」を脅かすような相手に私たちは断固とした態度、時に許すべきでない怒りの態度を持つべきだと思うのです。
なぜなら「安定への安心感」こそが、至る所で私たちの日々の生活の中で原動力となっているのですから。それを守るために私たちは躍起になるべきだと思うのです。
その「安定への安心感」が破壊されてしまったことは、普通に生活をされていたその土地の方々の過去だけでなく未来への希望まで傷つけてしまいました。それも独裁というかたちによって。
独裁とデモクラシーが対局にあるとすれば、デモクラシーに必要なものは意思決定に必要な情報公開です。
情報戦争と言われる中、独裁を防ぐためにバランスを保つ影となる意見、有識者のアドヴァイス、それらが有効とならないシステムが今なお存在すること自体、私たちは恐怖を感じるべきなのではないでしょうか。そしてその様なシステムの早急な改善こそがこれからの国際社会に課せられた大きな課題だと思います。
ひとりの、少なくとも少数の独裁者が情報公開もなしに、明確な建設的な方向性も持たずに、異なる考えに耳をかすことすらなしに、歴史、人々の思い出をこの様な形で破壊する。今その虚しさを目にして、全ての人にとっての安定を脅かしかねない独裁に対して、決して無関心とならず、破壊されたものの再生を望む強さを持ち続けたいと思います。
そしてその様な思いを共有してくださる周りの方々に深い感謝を感じながら、再生の未来へと祈りを捧げたいと思います。
バックスター ルミ
バイリンガルライフコーチ
バイリンガルライフコーチ
心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
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