丁寧に生きるという選択
ライフスタイル 2022-03-09
心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
私たちが「生きる」中で、たくさんの選択をしています。 その選択は、意識したものから無意識に選んでいるもの、とるに足らない小さな選択から人生の岐路に立たされた大きな選択まで、その種類も様々。「丁寧に生きる選択」というライフスタイルは、未来へのキーワードでもあります。
対比の物語 |
何事もない日常を送ることへの感謝についてのコラムを書いたのは、わずか先月のことです。これを書いている3月、世界がわずか10日あまりで大きく変わってしまったようです。「平和への神話」はあっという間に崩れてしまったのですから。
皮肉なことに、平和への神話、民主主義の神話など実は存在などしなかったのかもしれないとさえ感じます。それほど一気に、武力によって「平和を守る」という信念が崩されてしまったことを見ることは、まるで非現実的な現実を見ているようです。
もう二度と戻れないかもしれない祖国から隣国に安全を求めて向かう100万人以上の人々、その一人一人に事情があり、独自のストーリーがあることを思うと言葉がありません。
その隣国の一つ、ポーランドは将来の見えないウクライナの方々を受け入れるため出来るだけのサポートをどこよりも積極的に示していますが、この人道的に差し伸べられた手助けにも物理的な限界があることを考えると、どうすればこの狂気の沙汰を一刻も早く止めることができるのでしょうか。
遠く離れた日本でその狂気を傍観するしかない私たちにもそれぞれのストーリー、主観があるようです。事の不条理を訴える大多数の中で、喧嘩両成敗を唱える人さえいることには驚き、怒りさえ感じますが、結局、戦いで失うものへの対価は双方にとって果てしない、という意味では「両成敗」という意見ですら一理あるのでしょうか。
今、破壊されているウクライナも、第二次世界大戦で壊滅的ダメージを受けたというポーランドも、共に美しい国、そして数々の偉大なクラシック音楽を生み出した文化大国です。
その二国が時代を経て、同じく民族の集団破壊の被害者となっていることは、あの土地の作り出した不運であり、サガなのでしょうか。両国共に複雑で哀しい国境の歴史、民族の歴史を持つからゆえに豊かな文化が生まれたのでしょうか。
大天才の作曲家ショパンを生んだポーランドという国も何度も分断の悲劇に見舞われています。だからこそ今隣国で起こっている悲劇を心から共感できるとは皮肉な運命の巡り合わせです。
ショパンはわずか20歳で祖国を離れ、二度と帰る事のなかった心情を音で綴りましたが、その楽曲は詩のように美しい、と讃えられるも、いつもどこかで哀しみが響き、時に受け入れなければならない不条理に対する怒りが大きな波のように襲ってくるようでもあります。
中でも、平和と戦争の物語を音にしたと言われる作品、バラード2番(作品34)は、まさに今ヨーロッパで起こっている事を表しているかのようです。冒頭の、まるで遠くで静かに響く教会の鐘のような平穏なフレーズは、ポーランドの平原で響く平穏な始まりのようでもあります。
それがいつか不吉な予感へと変わり、いきなり嵐が視界の全てを奪って去っていきます。嵐の後の「問い」と「答え」に答えは見つけられる事なく、また再び現り、さらに激しく高まる嵐からはもう逃れられないようです。全てはガラスの破片のように砕け散り、残ったものとはただただそこにある哀しみだけのように感じるのです。
人間の選択の作り出す不条理、そしてその不条理が作り出す破壊、その後に残った例え様のない哀しみ。そんな破壊からくる哀しみを作りだすのも止めることができるのも人間の選択に依るのかもしれません。
一刻も早くこの不条理が収まる事を祈っています。
皮肉なことに、平和への神話、民主主義の神話など実は存在などしなかったのかもしれないとさえ感じます。それほど一気に、武力によって「平和を守る」という信念が崩されてしまったことを見ることは、まるで非現実的な現実を見ているようです。
もう二度と戻れないかもしれない祖国から隣国に安全を求めて向かう100万人以上の人々、その一人一人に事情があり、独自のストーリーがあることを思うと言葉がありません。
その隣国の一つ、ポーランドは将来の見えないウクライナの方々を受け入れるため出来るだけのサポートをどこよりも積極的に示していますが、この人道的に差し伸べられた手助けにも物理的な限界があることを考えると、どうすればこの狂気の沙汰を一刻も早く止めることができるのでしょうか。
遠く離れた日本でその狂気を傍観するしかない私たちにもそれぞれのストーリー、主観があるようです。事の不条理を訴える大多数の中で、喧嘩両成敗を唱える人さえいることには驚き、怒りさえ感じますが、結局、戦いで失うものへの対価は双方にとって果てしない、という意味では「両成敗」という意見ですら一理あるのでしょうか。
今、破壊されているウクライナも、第二次世界大戦で壊滅的ダメージを受けたというポーランドも、共に美しい国、そして数々の偉大なクラシック音楽を生み出した文化大国です。
その二国が時代を経て、同じく民族の集団破壊の被害者となっていることは、あの土地の作り出した不運であり、サガなのでしょうか。両国共に複雑で哀しい国境の歴史、民族の歴史を持つからゆえに豊かな文化が生まれたのでしょうか。
大天才の作曲家ショパンを生んだポーランドという国も何度も分断の悲劇に見舞われています。だからこそ今隣国で起こっている悲劇を心から共感できるとは皮肉な運命の巡り合わせです。
ショパンはわずか20歳で祖国を離れ、二度と帰る事のなかった心情を音で綴りましたが、その楽曲は詩のように美しい、と讃えられるも、いつもどこかで哀しみが響き、時に受け入れなければならない不条理に対する怒りが大きな波のように襲ってくるようでもあります。
中でも、平和と戦争の物語を音にしたと言われる作品、バラード2番(作品34)は、まさに今ヨーロッパで起こっている事を表しているかのようです。冒頭の、まるで遠くで静かに響く教会の鐘のような平穏なフレーズは、ポーランドの平原で響く平穏な始まりのようでもあります。
それがいつか不吉な予感へと変わり、いきなり嵐が視界の全てを奪って去っていきます。嵐の後の「問い」と「答え」に答えは見つけられる事なく、また再び現り、さらに激しく高まる嵐からはもう逃れられないようです。全てはガラスの破片のように砕け散り、残ったものとはただただそこにある哀しみだけのように感じるのです。
人間の選択の作り出す不条理、そしてその不条理が作り出す破壊、その後に残った例え様のない哀しみ。そんな破壊からくる哀しみを作りだすのも止めることができるのも人間の選択に依るのかもしれません。
一刻も早くこの不条理が収まる事を祈っています。
バックスター ルミ
バイリンガルライフコーチ
バイリンガルライフコーチ
心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
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