丁寧に生きるという選択
ライフスタイル 2018-10-12
心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
私たちが「生きる」中で、たくさんの選択をしています。 その選択は、意識したものから無意識に選んでいるもの、とるに足らない小さな選択から人生の岐路に立たされた大きな選択まで、その種類も様々。「丁寧に生きる選択」というライフスタイルは、未来へのキーワードでもあります。
分かち合う generosity |
10月に入り、空気の中に秋を感じるようになりました。秋の匂い、秋の深まる気配を感じるこの月が好きな方も多いことでしょう。
秋はなんといっても実りの季節です。文字通り農作物の実りをお祝いする収穫祭が各地で開かれ、文化祭に体育祭と秋はお祭りの季節でもあるようです。
古代より我々の祖先は農作物に感謝し、土地の神に感謝し、それらの収穫物をまつると同時に、皆で土地の恵みをわかち合いながら生きてきたのでしょう。
自分の持っているものを存分に分かち合うという意味を持つ言葉に Generosity ジェネロシティ、というものがあります。
Thank you for your generosity.
というと、たくさん何かをもらった時、例えば相手にもらった寄付金の金額が多かった時などにも使います。そんなにたくさんありがとう、といったニュアンスでしょうか。
Generosity
は自発的に差し出す行為や物の量が多いことを指すのですが、いつも的確な日本語訳がみつからないなと思っている言葉の一つでもあります。
ある辞書では「寛容さ」と出てきます。寛容であることとは、何か難しいこと、違いを受け入れる許容範囲のことでもあるでしょうから、実際に自分の持っているものを積極的に与えるという意味のジェネロシティとは少し異なる気がします。もちろん人は寛容であった時に多くのものを差し出すことができるのですが。
最近、このジェネロシティ、「他人と積極的に分かち合う」ことのおかげでホモ・サピエンスが生き延びたのではないかという話を聞きました。
チンパンジーは積極的に、食料となる硬い木の実を破ることのできる道具を、他の仲間、もしくは見ず知らずのチンパンジーとすら分かち合うことをするそうです。チンパンジーは道具を積極的に分かち合うことでサバイバルしていくのだそうです。
前回のコラムで「祈り」について書かせていただいた後、ホモ・サピエンスが生き延びたのは祈ることができたからだとも教えて頂きました。
この二つの行為、「祈る」「分かち合う」ことをしたおかげで我々の祖先が生き延びたのなら、これからも私たちは祈り、分かち合わなければならないと思うのです。
それらは他人と共存することの基本であり、我々がこれからも存続し続けるために不可欠な行為だとあらためて感じます。
では「分かち合う」能力は現代の我々にとって、今でも本能として残っているのでしょうか。それとも長い間学習して身についた結果に過ぎないのでしょうか。
世界中で起こっている、人間同士の助け合いの話に心を打たれると同時に、色々な意味で格差が広がり続けている今がこれからどんな方向に向かうのか不安を感じます。分かち合う本能がどんどん薄れていているように見受けられることすらあります。
「分かち合う」ことを永続可能にするためにはイマジネーションを膨らましながら、自分の世界を広げ、その意味は何なのかを考え続けなければならないのかもしれません。
誰と何をどうやって分かち合えるか、そこにエゴは存在しないだろうか、一体何ができるのだろうか、それらのクエスチョンは自分の視点を自分の外に向ける努力をしなければ見えないことでしょう。それこそがイマジネーションです。
自分の視点を自分から外に向けて想像できる能力が人に優しくなれたり、祈りを可能にしてくれるのかもしれません。これだけ「シェアー」が氾濫したご時世で、私たちは一体何を実際シェアーしているのでしょうか。
この答えを見つけるためにも自分は何をすることが必要で、何が可能なのかとイマジネーションを膨らまし考え続けたいと思います。そして物質を超えて人に与えることのできる generous な人でありたいと思います。
秋はなんといっても実りの季節です。文字通り農作物の実りをお祝いする収穫祭が各地で開かれ、文化祭に体育祭と秋はお祭りの季節でもあるようです。
古代より我々の祖先は農作物に感謝し、土地の神に感謝し、それらの収穫物をまつると同時に、皆で土地の恵みをわかち合いながら生きてきたのでしょう。
自分の持っているものを存分に分かち合うという意味を持つ言葉に Generosity ジェネロシティ、というものがあります。
Thank you for your generosity.
というと、たくさん何かをもらった時、例えば相手にもらった寄付金の金額が多かった時などにも使います。そんなにたくさんありがとう、といったニュアンスでしょうか。
Generosity
は自発的に差し出す行為や物の量が多いことを指すのですが、いつも的確な日本語訳がみつからないなと思っている言葉の一つでもあります。
ある辞書では「寛容さ」と出てきます。寛容であることとは、何か難しいこと、違いを受け入れる許容範囲のことでもあるでしょうから、実際に自分の持っているものを積極的に与えるという意味のジェネロシティとは少し異なる気がします。もちろん人は寛容であった時に多くのものを差し出すことができるのですが。
最近、このジェネロシティ、「他人と積極的に分かち合う」ことのおかげでホモ・サピエンスが生き延びたのではないかという話を聞きました。
チンパンジーは積極的に、食料となる硬い木の実を破ることのできる道具を、他の仲間、もしくは見ず知らずのチンパンジーとすら分かち合うことをするそうです。チンパンジーは道具を積極的に分かち合うことでサバイバルしていくのだそうです。
前回のコラムで「祈り」について書かせていただいた後、ホモ・サピエンスが生き延びたのは祈ることができたからだとも教えて頂きました。
この二つの行為、「祈る」「分かち合う」ことをしたおかげで我々の祖先が生き延びたのなら、これからも私たちは祈り、分かち合わなければならないと思うのです。
それらは他人と共存することの基本であり、我々がこれからも存続し続けるために不可欠な行為だとあらためて感じます。
では「分かち合う」能力は現代の我々にとって、今でも本能として残っているのでしょうか。それとも長い間学習して身についた結果に過ぎないのでしょうか。
世界中で起こっている、人間同士の助け合いの話に心を打たれると同時に、色々な意味で格差が広がり続けている今がこれからどんな方向に向かうのか不安を感じます。分かち合う本能がどんどん薄れていているように見受けられることすらあります。
「分かち合う」ことを永続可能にするためにはイマジネーションを膨らましながら、自分の世界を広げ、その意味は何なのかを考え続けなければならないのかもしれません。
誰と何をどうやって分かち合えるか、そこにエゴは存在しないだろうか、一体何ができるのだろうか、それらのクエスチョンは自分の視点を自分の外に向ける努力をしなければ見えないことでしょう。それこそがイマジネーションです。
自分の視点を自分から外に向けて想像できる能力が人に優しくなれたり、祈りを可能にしてくれるのかもしれません。これだけ「シェアー」が氾濫したご時世で、私たちは一体何を実際シェアーしているのでしょうか。
この答えを見つけるためにも自分は何をすることが必要で、何が可能なのかとイマジネーションを膨らまし考え続けたいと思います。そして物質を超えて人に与えることのできる generous な人でありたいと思います。
バックスター ルミ
バイリンガルライフコーチ
バイリンガルライフコーチ
心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/
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