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藤田 由布 産婦人科医 レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ 生理痛は我慢しないでほしいこと、更年期は保険適応でいろんな安価な治療が存在すること、婦人科がん検診のこと、女性にとって大事なこと&役に立つことを中心にお伝えします。 |
女32歳、ヨーロッパの医学部に入学 その⑥〜内科の試験は教授室での試問連打の拷問?!〜 |
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ハンガリーの医学部は日本と同じ6年間。しかし、6年ストレートで卒業できるのは、全体のたった25%程度。
入学試験は3教科のみで広き門。しかし進級は死に物狂いの狭き門。 特に1〜3年の3年間で、半分以上の学生が落とされて留年する。卒業までかかる年数は平均7年半。 しかし、4年次まで進級できると、もう落第することは殆どない。 4年次はまだ折り返し地点だが、ゴールの光が少し見え始めるので、心にも少し余裕がでてくる。 しかも臨床科目が増えるし、内科や産婦人科や整形外科など、やっと医師らしい学問に突入するのだ。 ![]() ※路面電車トラムで通学、学割で月額1000円程度で乗りたい放題 いきなりショックな事故のニュース
![]() 4年生になった途端にショッキングなニュースが飛び込んできた。
ある5年生の学生がアパート内で一酸化炭素中毒で亡くなっていたところを発見されたのだ。 自殺ではなく、住んでいたアパートの暖房が故障したことが原因だったそうだ。 こんなこと有り得るのか、自分のアパートは大丈夫なのかと背筋が凍った。 ハンガリーの冬は長くて極寒。どのアパートも備え付けのセントラルヒーティングシステム(全館集中暖房)で、各部屋にオルガン式のラジエーター暖房だ。 ![]() 亡くなった学生が気の毒で仕方なかった。親御さんの気持ちを察すると居た堪れない。
ハンガリーはEUに属しているかといっても、まだ先進国とは言えない「中進国」なのだ。 私も自分のアパートの暖房システムがセントラルヒーティングだったので、すぐに大家さんに安全性を確認しに行った。 大家さんから「うちは温水システムだから心配するな」と言われ、安堵で胸を撫で下ろした。 ![]() ※EUからの支援でキャンパス内には新しい講堂が次々に建設されている 4年生、折り返し地点を通過
![]() ※産婦人科の教科書 4年次の科目は以下のとおり。(選択科目や一般教養科目は省略)
4年次 4年生1学期
4年生2学期
4年次の科目は、私が最も楽しんだ学年だった。産婦人科があったからだ。 ![]() ※デブレツェンから南に40km離れたBerettyoujfaluの街 私は産婦人科実習で、大学がある街から40km離れた郊外のBerettyoujfalu(ベレッチョーウーイファル)という小さな街の田舎病院を選んだ。毎朝6時に家を出て郊外まで1時間バスに乗り、朝7時から病棟実習を1カ月間満喫した。
混雑した大学病院とは違って、田舎病院は1人で教官を独占することができる。妊婦健診や分娩、帝王切開手術のほか様々な症例や手技を経験することができた。 欧米の先進国の産婦人科は一般的に女性医師が多い。しかし、ハンガリーの大学病院も田舎の病院でも産婦人科医は8割が男性医師だった。日本は今でこそ女性の産婦人科医が増えたが、地方に行けば男性ドミナントなので、よく似てるかもしれない。 ![]() 医学生は知識も浅いし何も役に立てないのだが、いろんな症例を間近で見ることだけで医学生にとっては気分が高揚するものである。
デブレツェン大学は1538年創立
![]() ※大学医学部は広大な敷地に各病棟がばらばらの建物だが地下は全て繋がっている 大学病院の広大の敷地に、個別に各病棟の建物がある。各病棟ごとに患者病棟と手術室があり、教授、講師、医師、研修医、看護師、コメディカルのスタッフ大勢が行き交う。
学生は時限ごとに病棟から病棟へ10分くらいかけて移動する。毎時間の移動は良い運動にもなる。 1538年、デブレツェン大学創立。1988年、医学部の英語コースが設立。 大学は13学部あり、学生総数は27,000名(2014年)。そのうち、医学部の学生の総数はハンガリー人も多国籍学生も併せると、6,000名。 私が在籍していた頃の学費は年間80万円ほど。あの当時は1ドル70円という円高だったので随分ラッキーだった。 毎年、成績が上位の学生は学費の10〜20パーセントが免除になる。1度だけ私も免除になった。 ![]() ※私のアパートの周辺 内科試験は教授室のソファーで質問連打の ’拷問’
![]() ※内科のParagh教授は冷徹で厳格で有名だったがフェアで優しい一面がある先生だった 4年次の難関は「内科」。内科は4年と5年の2年間ずっと続き、厳しいParagh教授が名物で有名だった。
Paragh教授の試験は独特だった。彼の教授室で、7〜8人ずつが大きなソファーに円になって一斉に座らされ、右回りで1人ずつ口頭試問される。 即答できないと「はい次、その横の人」と、回答をすぐ飛ばされる。飛ばされた人は減点される。 ![]() うーんっと、と考える余地も与えられない。即答せねばならない試問がぐるぐる回っていき、10周くらい回る。ざっと1時間くらいだが、拷問のような時間である。
誰も答えられなかった質問に関しては「この中で誰か分かる人は?」と聞かれる。これに答えられた人は一気にポイントアップ。 最後に「では成績を言う。○○さん4、▽▽さん3、□□さん5、◇◇さんfail、、」とその場で成績を言い渡される。Fail(落第)と言われた学生の顔色が真っ青になる。 成績に対して不満がある人がいて当然だが、Paragh教授は割と的確に評価していた。しかし、成績はかなり運に左右されることは否めない。 ![]() ※医学部の図書館(入口で全ての荷物は預けなければならない) 5年生の時から、日本の国家試験の勉強も並行
![]() 5年生までくると、もうゴールは目の前。
同級生の間でも、クラスでお揃いのパーカーを作ったり、卒業アルバムの撮影があったり、卒業後のことを話し合ったり、とソワソワとした雰囲気があった。 もう落第しない。安堵感に包まれたのを思い出す。 この頃から私は日本の医師免許も同時に取得することを意識し始めた。 ![]() 医学部に入学した当初は、ヨーロッパの医師免許を取得したら日本に帰らずに、そのままアフリカへ行こうと思っていた。
しかし、海外にいると「日本の医療ってどうなの?」とよく聞かれる。私は日本の医療現場をよく知らなかった。ここに来る前までも、国際協力機構(JICA)の専門家として殆ど海外で仕事していた。 日本人なら日本の医療現場のことを少しは知っておきたい、と思うようになった。 よし、日本の医師免許も取ろう。5年生くらいから日本の国家試験を意識し、日本の医学生が国家試験のために何をしているか徹底的に調べ、すぐに行動に移した。 ![]() 日本は医師国家試験のためにビデオ講座でひたすら勉強するらしい。TECOM(テコム)とMEC(メック)という2大巨頭の医師国家試験対策講座がいいらしい、と知った。
日本の医学生は大学の援助があり年間5万円そこらで300講座以上あるビデオを視聴したい放題だったが、私のような海外の余所者は数十万円支払わないと視聴できない。 背に腹はかえれない。 私は、これまでの医学は英語でしか学んでいなかった。臓器の名称も病名も全部英語表記しか知らなかったし、Common disease(よくある疾患)もヨーロッパの風土に偏っていた。 日本語で医学を学んでおかないと国家試験には挑めない。ハンガリーで学んでいる私には日本の医療事情は一才知識がないので、公衆衛生はゼロから学ばないと点数は取れない。 日本の医学生と同じ勉強をしなければ国家試験に一発合格できない、と考えて、日本にいる知人に片っ端から声をかけて勉強法を手探りで調べ、5年生からは英語と日本語の両方での勉強を開始した。 ![]() とはいえ、日本の国家試験のことも気になりつつも、こっちの勉強も疎かに出来ない。
5年次の教科は以下のとおり。(選択科目は省略) 5年次 5年生1学期
5年生2学期
![]() ※学生みんなが怖れていた脳神経内科のチバ教授 5年生の最大の難関はCsiba教授の脳神経内科だ。Csibaと書いて「チバ」、日本語の名前っぽくて親しみおぼえるなんて滅相もない。
医学部の教授の中で一番厳しく、優等生に対しても4以上の成績は滅多にあげない。3(普通)でパスすれば万々歳。 どことなくミスター・ビーンに似ているチバ教授は、その風貌とは裏腹に、時間にも厳格で、遅刻する学生は教室に入れない。 上級生から聞いていた話によると、卒業試験でチバ教授にあたってしまうと、もう終わり。どんな優秀な学生でも容赦なく落とすことで有名。これを聞いただけで足が震えた。みんなチバ教授を怖れていた。 ![]() ※耳鼻科の実習で楽しくはしゃぐ同級生サラ、数少ない私の友達 ![]() ※Life Science Buildingは最新の設備で建物内に講堂がいくつもあった いよいよ最終学年の6年次、珍事は最後まで続くのであった・・・・・次号へ続く
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![]() 藤田 由布
婦人科医 大学でメディア制作を学び、青年海外協力隊でアフリカのニジェールへ赴任。1997年からギニアワームという寄生虫感染症の活動でアフリカ未開の奥地などで約10年間活動。猿を肩に乗せて馬で通勤し、猿とはハウサ語で会話し、一夫多妻制のアフリカの文化で青春時代を過ごした。 飼っていた愛犬が狂犬病にかかり、仲良かったはずの飼っていた猿に最後はガブっと噛まれるフィナーレで日本に帰国し、アメリカ財団やJICA専門家などの仕事を経て、37歳でようやくヨーロッパで医師となり、日本でも医師免許を取得し、ようやく日本定住。日本人で一番ハウサ語を操ることができますが、日本でハウサ語が役に立ったことはまだ一度もない。 女性が安心してかかれる婦人科を常に意識して女性の健康を守りたい、単純に本気で強く思っています。 ⇒藤田由布さんのインタビュー記事はこちら FB:https://www.facebook.com/fujitayu レディース&ARTクリニック サンタクルス ザ ウメダ 副院長 〒530-0013 大阪府大阪市北区茶屋町8-26 NU茶屋町プラス3F TEL:06-6374-1188(代表) https://umeda.santacruz.or.jp/ |
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