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曲亭の家(西條奈加)

芸術家を支えた女の一生

曲亭の家
西條 奈加(著)
タイトルに惹かれて手に取り、1行目からグイッと引き込まれた西條奈加さんの『曲亭の家』を読み終えました。

タイトル『曲亭の家』。

あ、曲亭馬琴に関係する話なんだな、と思って手に取りました。

1973年から1975年までNHKで放送された人形劇『南総里見八犬伝』。当時の私は10才から12才だったことになります。

それぞれが「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」という文字が浮き出る珠を持つ八犬士が、悪を滅ぼし活躍するもので、筋立ての面白さと辻村ジュサブローさんの独特な人形の魅力が素晴らしく、夢中で見ました。

そしてこの話には原作があると知って、図書館で小学生向けの『里見八犬伝』を読んだのが曲亭馬琴、滝沢馬琴との出会いです。

なんて面白い物語を紡ぎ出す人なんだろうと思いましたよ。
江戸後期。路は四人兄弟の末っ子として生まれた。父も兄も医師で、経済的にゆとりがあったおかげか、家族はみな明るい性格で、笑いが絶えない家庭だった。二十歳を過ぎた路に、曲亭馬琴の息子との縁談話がきた。路の両親は、大人気の『里見八犬伝』の作者 馬琴と縁続きになれることを大喜びしている。一度見合いをした後、すぐに路は滝沢家に嫁いだ。

路が、こんな家に嫁いでしまったことを後悔するのに時間はかからなかった。家風が生まれ育った実家とあまりにも違うのだ。

舅の馬琴は、それはそれは厳格で、自分なりの決まりを守らないと厳しく叱る。しかも女性を軽んじている。そのせいか、雇った女中が長続きしない。大抵ひと月もたずに辞めていくため、路の負担が増えることになる。路の不満は家事の負担が増えることだけではない。路の父は実利的な考え方の人間で「男だから」「女だから」という区別をしない人だった。嫁ぐまでそれが当たり前だった路にとって、女を見下すような態度そのものが腹立たしいのだ。

不満は舅のことだけではない。体が弱く、普段はおとなしい夫が、突然キレるのだ。何がきっかけになるかは全くわからない。別人のように怒り、暴力的になる。どうしてこんな家に嫁いでしまったのか、と思う路だった。
(西條奈加さん『曲亭の家』の出だしを私なりにまとめました)
私は『里見八犬伝』を面白く読みましたが、著者である滝沢馬琴がどんな性格の人なのか、考えたこともありませんでした。ですから、路の目から見た馬琴の姿に、驚いたり呆れたり。芸術家って偏屈なものなのかもしれません。後世にまで残る作品を作るような人はことにその度合いが強いのかも。だけど、同居する嫁の立場だったら嫌気がさすでしょうね。
小説の冒頭、1行目がこれです。
どうしてこんな家に、嫁いでしまったのだろう─。
(西條奈加さん『曲亭の家』 P1より引用)
時代は違っても、結婚した女性であれば「どうしたの?何があったの?」と興味が湧くではありませんか。1行目から魅きつけられました。

そして滝沢馬琴の人となりがわかってきて「ああ、こんな人がお舅さんだったら大変だろうな」と路に同情の念が湧いてきます。
仕事なぞ何でもいい。小店の主でも棒手振りでも構わない。おおらかで気立ての良い舅なら、嫁にとってはどんなに幸せか。

「曲亭馬琴なぞ、糞食らえだあああ!」

両国広小路の真ん中で、叫ぶことができれば、どんなにすっきりするか。夢想したのは、一度や二度ではない。
(西條奈加さん『曲亭の家』 P101より引用)
このシーンで、思わず吹き出してしまいました。

私は義両親と同居した経験はありませんし、幸いにも亡き義父はとてもシャイな人で、こんなことを叫びたいと思ったことは一度もありません。

ですが、路の気持ちは想像がつきます。

江戸時代の話ではあるけれど、なんて親近感の湧くヒロインでしょうか。

気むずかしい舅、ドメスティックバイオレンス男の夫。実家の姉からは「路は苦労するために嫁いだようなものだ」と嘆かれもします。

最悪の環境のように見えますが、子どもにも恵まれ、家を切り盛りしているうちに路は思うようになるのです。

苦労が多いからといって不幸せとは限らない、と。

この辺りは、時代に関係なく、どんな人にも言えることだと思いました。

前半は路の嫁としての苦労が描かれていますが、後半はまた違う苦労が描かれます。

それは馬琴の「相棒」としての苦労です。

『里見八犬伝』は完成まで28年、全98巻、106冊の超大作で、馬琴が48歳から75歳までかけたライフワークと言えるでしょう。江戸時代、原稿はもちろん筆文字書きです。しかも馬琴は、老若男女誰もが読みやすいように漢字にはルビを振っていたのだとか。あまりにも目を酷使したため『里見八犬伝』完結前に失明してしまうのです。

しかし、この作品の完結は馬琴の悲願。路が口述筆記を担当することになります。

家の切り盛りにも厳格だった馬琴です。自分の生涯をかけた作品へのこだわりは尋常ではありません。路は大変な我慢と努力で舅の作品作りに貢献します。

『里見八犬伝』の完成に力を尽くすのは、路 一人ではありません。

今でいう出版社、挿絵担当者など、本作りには大勢の人が関わっていて、その人たちの尽力も描かれています。

そして私がこの小説で一番感動したのは『里見八犬伝』の完成を後押しした一番の力が読者の存在だったこと。

「里見八犬伝の続きを早く読みたい」
「里見八犬伝の新刊を読んだか?!」
「これから読むんだからそれ以上言うな!」

市井の読者の声が、心が折れそうになった路や、版元の力となっているのです。

この辺りは、もしかしたら西條奈加さん自身が読者に対して感じていることを小説の中に書き込んでいるのかもしれません。

私は一読者として、世に出てくる作品にわずかでも力を貸すことができているのなら、こんなに幸せなことはない、と思えました。

この小説は、一人の女性の一代記であると同時に、小説家の気概や誇りを描いたもの。

「本」や「小説」の素晴らしさを改めて感じさせてもらえる小説でした。
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曲亭の家
西條 奈加(著)
角川春樹事務所
小さな幸せが暮らしの糧になる──当代一の売れっ子作家・曲亭(滝沢)馬琴の息子に嫁いだお路。 横暴で理不尽な舅、病持ち、癇癪持ちの夫とそんな息子を溺愛する姑。 日々の憤懣と心労が積もりに積もって家を飛び出たお路は、迎えに来た夫に「今後は文句があればはっきりと口にします。それでも良いというなら帰ります」と宣言するが……。 修羅の家で、子どもを抱えながら懸命に見つけたお路の居場所とは?  直木賞作家の真骨頂、感動の傑作長編。(解説・植松三十里) 出典:楽天
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池田 千波留
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