クスノキの番人(東野圭吾)
心がじんわり温まる クスノキの番人
東野 圭吾 (著) 東野圭吾さんといえば、多くの素晴らしいミステリ作品を生み出しておられます。
ですが、ミステリでない作品もまた素晴らしい。 それを実感したのが『クスノキの番人』です。 最初にこの作品がミステリではないことを明かしましたが、私自身読み始めた時には事前情報は全く仕入れていませんでした。 東野圭吾さんの作品だから当然ミステリだろうと思い込んでいたくらいです。 途中まで読んで「あれ?誰も死なないな。というか全く事件が起きないな」と気がついた次第。 東野圭吾さん自身はこの作品についてこうおっしゃっています。 「人殺しの話ばかり書いていると、時折ふと、人を生かす話を書きたくなるのです」。 母子家庭で育った玲斗。
母は若くして亡くなり、今や玲斗の親戚は祖母だけだ。 玲斗は将来の夢も展望もなく、なんとなく流されるように生きてきた。 大学に進学しなかったのも「大学でやりたいことがない」「早く働きたい」という明確な意思ではなく「うちは貧乏なのだから進学なんてできるわけない」という消極的なものだった。 そんな玲斗は、仕事の上でも確たるものを持っていなかった。プロ意識がない、と言っても良いだろう。そのせいか、つまらないことでつまづいて職を失う経験もした。再就職した小さな町工場もクビになってしまった。この解雇については玲斗にも言い分があった。自分は間違ったことはしていないと思うのだ。だが有無を言わさず解雇された玲斗は、その腹いせに罪を犯し逮捕されることに。しかも損害賠償まで請求されて。まさか祖母に肩代わりを頼めるわけはない。八方塞がりな玲斗の前に突然、弁護士が現れる。「依頼人」の命令を聞くなら釈放してくれるという。しかも借金も代わりに返済してくるとまで。 「依頼人」は、亡き母の母親違いの姉、つまり玲斗の叔母だった。これまで存在すら知らなかった叔母だが、他の選択肢を考えつかない。玲斗は叔母の条件に従うことにした。 叔母が玲斗に命じたのは「クスノキの番人」になること。 小さな神社に生えている、古くて大きな「クスノキの番人」だ。 「クスノキの番人」とは何なのか? そのクスノキはどんな力を持っているのか? 人として成長していく玲斗と、クスノキをめぐる人々の物語。 (東野圭吾さん『クスノキの番人』の出だしを私なりに紹介しました) 主人公 玲斗はワルではありません。
ただ、自分の生まれ育ちを卑下するところがあり、明るい未来を想像したり、何かを成し遂げたいという目標を持ったことがない青年なのです。 玲斗の母は妻子ある人と恋愛をし、玲斗を産み育てます。 ですが、無理が祟ったのか若くして病で亡くなってしまいます。 そこからは祖母との二人暮らし。ずっと金銭的に苦しい生活をしてきました。 玲斗は自分の努力次第で道が開けるとは考えたことがありません。 「こういう境遇に生まれたから」「俺なんか生まれてこなかった方がよかったのかも」 ぼんやりとそんなことを思いながら生きています。 逆にいえば「自分の力で道を切り開いて見せる」という気持ちを持ったことがない青年だったのです。 だから、仕事でもつまらないことで躓いたりする。 そして安易に犯罪に手を染めてしまう。 プラス方面にもマイナス方面にも気力がないものだから、このまま進んでいったらどうなることやら、燻った将来が目にうかぶ青年です。 他人事ながら「アナタ、そんなことで大丈夫?」と言いたくなります。 そんな彼の前に現れたのが会ったこともない叔母さん。 亡き母の、母親違いのお姉さんです。 有名な観光業社の創始者一族で、お金も地位も持っている叔母。 しかし彼女にとって最も大切な仕事は会社経営ではなく「クスノキの番人」でした。 未婚で子どもがいない彼女にとって「クスノキの番人」の後継者を育てることは急務で、やっと見つけた血縁が玲斗だったというわけ。 そのクスノキは寂れた神社の中にある大きな古木で、満月と新月の夜「祈念」のために訪れる人を案内し、見守るのが「クスノキの番人」の仕事です。 しかしその「祈念」の意味や内容を、おばは玲斗に教えようとはしてくれません。 ある程度人として成長すればいずれわかる、と。 玲斗は社会的な常識や、人に対する物腰など、ほとんど何も身につけていません。 叔母からはマナーや社会人としての常識などを教えてもらうことになります。 私は玲斗のおばさん(千舟さん)のことをすぐに大好きになりました。 厳しいけれど筋が通っているのです。 自分を卑下しがちな玲斗に向かって、しゃんとしなさい、堂々と振る舞いなさいと教えてくれる、厳しさの中に愛情が感じられるのですよ。 玲斗のいいところは、素直に助言を受け入れること。 そしてもう一つ、玲斗の取り柄について、登場人物の何人かが玲斗に向かって直接言います。 「君は口がうまいね」「口がお上手ね」と。 私は玲斗の口のうまさは「おべんちゃらをいう」のとはちょっと違うように感じました。 玲斗は何か話す時に「良い言い回しでしゃべることができる」「相手が嬉しくなるような言葉を選ぶことができる」才能があるように思うのです。 ちょっと妙かもしれませんが、私は玲斗の会話から、日本人が昔から縁起を担いで行ってきた言い換えを連想しました。「スルメ」を「あたりめ」、「おしまい」を「おひらき」というふうな言い換えです。話の内容は同じなのに、何かイライラさせられる人もいれば、なんだか嬉しくなることを言ってくれる人がいるでしょう?玲斗は後者だと思うのです。そして私はそういう玲斗のことを徐々に親戚の子どものように可愛く思えてくるのでした。 パッとしない人生を送っていた玲斗が「クスノキの番人」になったことで、いろいろな人に出会い、いろいろな人の思いを知り、成長していく、それを見守りながら読むのがとても心地良いです。そんなふうに読者の気持ちを掴むキャラクターを生み出す東野圭吾さんに改めて感服しました。 玲斗の成長だけではなく、クスノキの祈念とはなんなのか、玲斗の叔母である千舟の今後についてなど、出てくるエピソードやテーマ一つ一つにも重みがあり、本当に読み応えがある小説でした。 最後のページを読み終わった私は、今よりもっと歳をとった千舟と、ますます成長した玲斗の物語を勝手に想像し、余韻に耽ったのでした。 【パーソナリティ千波留の読書ダイアリー】 この記事とはちょっと違うことをお話ししています。 (アプリのダウンロードが必要です) 池田 千波留
パーソナリティ・ライター コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。 BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」 ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HP/Amazon
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