その日まで (瀬戸内 寂聴 )
言葉選びの一つ一つに感動 その日まで
瀬戸内 寂聴(著) 昨年99歳で他界された瀬戸内寂聴さんの最後のエッセイ集『その日まで』を読み終えました。
恥ずかしながら私は食わず嫌いで、瀬戸内寂聴さんの小説を一度もちゃんと読んだことがありません。 私は小学生の頃、寂聴さんと同年代の女性作家だった有吉佐和子さんの作品と出会い、大変憧れていました。 初めて読んだ『複合汚染』を皮切りに、『華岡青洲の妻』『和宮様御留』『開幕ベルは華やかに』、ドラマになった『悪女について』などなど、次々に読みふけるほど大好きでした。 子どもの頃の私は「賢い」ことがとても大事な要素だったのです。だから「才女」と評されていた有吉佐和子さんは憧れでした。 一方、その対極にいるように見えたのが瀬戸内晴美さん(当時)。 一部の批評家から「子宮作家」などと呼ばれまして、深い意味はわからないながら、「なんか妖しい」と思ったのでしょうね。 手に取ることもせず、成長。いくら話題になっても作品に触れることはありませんでした。 でも今回『その日まで』を読んで、意外なまでにサバサバした文章にびっくり。 なんだ! 寂聴さんもかっこいいじゃないの! 今まで読まなかったのは随分ソンをしていたかもしれない。 『その日まで』では、もうすぐ100歳になろうとしていた寂聴さんの最後の長編エッセイ。 三島由紀夫、川端康成、萩原健一など、人生でめぐり逢った人々とのエピソードや家族の記憶について綴られています。 私が特に印象に残ったのは「天才」についての記述。 100年近く生きておられると、本物の天才にも、偽物の天才にも出会ってこられるわけです。 初めて三島由紀夫さんにお会いした時には、その「目」がとても印象的だったとか。 私たちは玄関脇の三畳の部屋に通され、やがて奥から三島さんが白地の絣の着物を着て現れた。
私はその顔を仰いだとたん、「あ、これが天才の目だ!」と心に叫んだ。青白い顔に目だけが燃えるように輝いていて、獣の目のように光っていた。 私は初めて見る天才の目に見惚れて大きな息も出来なかった。 (瀬戸内寂聴さん『その日まで』P168より引用) 目に浮かぶではありませんか。
私は三島由紀夫さんのことは、写真でしか存じませんが、実際に会ったことも見たこともない三島由紀夫の眼光が目に浮かび、鳥肌が立つ思いがしました。 また、ショーケンこと萩原健一さんについては寂聴さんはこう書いておられます。 誰が何と言おうともショーケンは天才の一人だと私は信じている。
九十七年も生きのびてきた間に、私は、本当の天才や、偽天才の多くに会ってきた。 本当の天才は孤独といういばらの冠を自分の知らない間に頭に戴いている。その冠をかぶったまま、あの世に帰っていく。 (瀬戸内寂聴さん『その日まで』P81〜P82より引用) 選ばれしものの苦しみを茨の冠に例えるとは。これほどピッタリの比喩がありましょうか。
晩年まで現役として文章を書いておられた寂聴さんの言葉選びの一つ一つに感動します。 そしてエッセイの終盤にはこんな言葉が書かれていました。 結局、人は、人を愛するために、愛されるために、この世に送りだされたのだと最期に信じる。
それを証明するために、また守るために、宗教を人間は思いついたのだろう。 十分、いや、十二分に私はこの世を生き通してきた。 来世はもうこの世に生まれたくない。全く別な苦労や愛の待ち受けている未知の気球に生まれてみたい。 (瀬戸内寂聴さん『その日まで』P158より引用) 瀬戸内寂聴さんが亡くなられたのは昨年(2021年)11月9日。
すでに四十九日が過ぎていますから、もしかしたら生まれ変わっておられるかも。 もう一度この世に生まれてこられたのか、それとも生前の希望通り、どこか違う星に転生されたのか? 不謹慎かもしれませんが、そんなことを想像するとなんだか愉快。 遅まきながら寂聴さんの小説を読んでみようと思います。 生前に御説法も聞かせていただくべきだったワ。 食わず嫌いは本当にいけませんね。 池田 千波留
パーソナリティ・ライター コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。 BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」 ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HP/Amazon
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