十五の夏(佐藤優)
旅は「百聞は一見に如かず」という言葉を実感させてくれる 十五の夏(上・下)
佐藤優(著) 夏といえば旅。旅に出たくなります。旅について語りたくなります。
昨年、一昨年と夏は旅にまつわる本をご紹介しましたが、今年もやはり旅がらみの一冊を。作家の佐藤優氏が高校一年生の夏休みに体験したソ連・東欧旅行記です。 佐藤氏と言えば眼光鋭い、こわもての元外交官です。圧倒的な知識と教養、猛烈な勢いで生み出される著作や言論活動から、異能の作家、知の怪物などというニックネームが冠されていますが、15歳の優少年は、繊細で礼儀正しく、常識的で心優しい少年です。 1975年に、夏休みを丸々使って、たった一人でソ連・東欧へ行く高校一年生なんて、佐藤氏以外にいったい何人いたでしょうか。当時は海外旅行自体、なかなか行けるものではありませんでしたし、とりわけ社会主義体制をとっている国々への旅行は容易なことではありませんでした。 煩雑な手続きが必要で、あらかじめ申請したルートと日程どおり旅をしなくてはいけません。そのうえ、いまのように電話やネットで簡単に連絡がとれるわけでもありません。 優少年も海外慣れしていたわけでもないですし、ハンガリーには文通相手がいるものの、ほかの国には頼れる人は一切いませんでした。「可愛い子には旅をさせよ」と言いますが、よくぞご両親が旅に送り出されたものだと思います。 さて、さすがは佐藤氏。出発までにソ連・東欧についての知識も驚くくらい蓄積しました。15歳とは思えない英語力、純真な好奇心で、どんどん現地の人や旅人たちと話をし、得難い経験を重ねていきます。 優少年は、日本で当時言われていたソ連・東欧の印象と現地の実態とは違うこと、また国によっても全然様子が違うことなどを体感します。そしてソ連・東欧の人々は困っている旅人には優しくて親切だという前情報どおり、いろんな人が手を差し伸べ、世話を焼こうとしてくれることに感謝します。 もっとも大きなトラブルに見舞われたのは、ルーマニアからソ連のキエフ行きの列車に乗ろうとしたときです。 苦労して予約したはずの寝台列車の指定席が取れておらず、列車への乗車を拒否されてしまいました。その場にいた人たちが車掌にかけあってくれるのですが、無情にも列車は発車してしまいます。 ぽろぽろと涙を流して泣きじゃくり、二度とルーマニアには来ないとショックを受ける優少年ですが、そばにいた人や駅員の助けで、次の列車に乗れることになりました。列車を待つ間の心づくしの紅茶やクッキー、いたわりに満ちた応対や会話でルーマニアへの悪感情は溶けていったのでした。 それにしても佐藤氏は、ほかの回想記もそうなのですが、非常に細かな事がらまで再現されています。いまも鮮明な記憶として残っているのか、あるいは詳細な記録をとっていたのか、その両方なのか、とにかく驚きです。 見たこと、聞いたこと、経験したこと、食べたもの、飲んだもの、話したことが、実に事細かに述べられているので、読者は当時のソ連・東欧を追体験できますよ。 私がソ連に旅行したのは連邦崩壊前夜の1989年(東欧へは1992年)でしたから、それよりさらに十数年前に15歳の少年が見たソ連・東欧とは様子が違っていたので、非常に興味深く読みました。 「百聞は一見に如かず」という言葉を旅は実感させてくれます。本書を読まれてピンときたら、ぜひ現地へ! 私も久々にロシアやウクライナに行こうかな! 十五の夏(上)
佐藤優(著) 幻冬舎 一九七五年、高1の夏休み。僕はたった一人でソ連・東欧を旅行した。『何でも見てやろう』『深夜特急』につづく旅文学の新たな金字塔。 出典:amazon 十五の夏(下) 佐藤優(著) 幻冬舎 出会い、語らい、食べて、飲んで、歩いて、感じて、考えた。少年を「佐藤優」たらしめたソ連・東欧一人旅、42日間の全記録。 出典:amazon 橋本 信子
同志社大学嘱託講師/関西大学非常勤講師 同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同志社大学嘱託講師、関西大学非常勤講師。政治学、ロシア東欧地域研究等を担当。2011~18年度は、大阪商業大学、流通科学大学において、初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発に従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。 BLOG:http://chekosan.exblog.jp/ Facebook:nobuko.hashimoto.566 ⇒関西ウーマンインタビュー(アカデミック編)記事はこちら |
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