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世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ(トリシア・タンストール)

音楽と人間の可能性を強く感じる

世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ
エル・システマの奇跡
トリシア・タンストール(著)
1975年、南米の国ベネズエラ・ボリバル共和国(通称ベネズエラ)の首都カラカスで、エル・システマと呼ばれる音楽教育活動が生まれました。貧困家庭の子どもたちに無償で合奏や合唱を学ぶ場を提供し、貧困と暴力、犯罪から救い出すという活動です。生みの親は、ホセ・アントニア・アブレウ博士(1930-2018)。ベネズエラの音楽家で政治家、経済学者です。

1950年代終わりから60年代の初め、カラカスは石油マネーで潤い、近代化が進んで高層ビルが建ち並ぶようになりました。しかし、本格的に音楽を学べる学校は少なく、また音楽家を志す若者を受け入れる土壌もできていませんでした。

18歳でカラカスにやってきたアブレウ氏は、経済を学ぶとともに、音楽を究めたいという野心をもっていました。そこで、演奏の機会に恵まれない若い音楽家たちを集め、オーケストラを結成したのです。

アブレウ氏は、このオーケストラで、幼い頃に恩師から学んだ方法を実践します。つまり、お互いに協力して教え合うこと、そして、どんどん人前で演奏することです。そうして、このオーケストラは、短期間で、個人の技術も楽団としてのまとまりも急激に高めることができました。

さらには、結成一年も経たないこのオーケストラを、スコットランドで開催された国際音楽祭に参加させ、成功を収めます。その実績を背景に、アブレウ氏はベネズエラ政府から、公的な支援を取り付けることに成功します。

それは文化省が支援する芸術振興策ではなく、青年省による低所得者層の子どもたちと青少年を支援する国家プロジェクトでした。文化省は、芸術を一部の特権階級やエリートのためのものと考えており、支援者としてふさわしくないと、アブレウ氏は考えたのです。

アブレウ氏は、音楽家として活動しながら、経済学者としてのキャリアも築き、さらには政界にも進出してベネズエラ議会で最年少の議員となります。しかしもっとも力を注いだのは、エル・システマを広めることでした。

ベネズエラ各地に、エル・システマの教室が誕生します。教室は、参加費不要で、楽器も制服も無償です。良質なおやつが出ることもあります。熱心な先生たちのもと、毎日、たくさんの子どもたちが放課後に集まり、熱心に音楽に取り組みます。

オーケストラの活動が楽しくて仕方ない子どもたちは、学業にも励むようになり、将来に対する意識も顕著に前向きになっていったといいます。

エル・システマの関係者らは、オーケストラや合唱は、コミュニティーのモデルであると考えます。子どもたちは、練習を重ねるなかで、「コミュニティーの一員である」という意識を強め、連帯感と社会の規範を学ぶのです。

教室の出身者からは、音楽で生きていこう、音楽教育に携わろうという若者もたくさん現れました。それに応じられる、より本格的な音楽院や大学もつくられました。そこからは、優れた奏者や指揮者も輩出しています。

そのなかの一人、グスターボ・ドゥダメル氏は、20代でロサンゼルス・フィルの音楽監督に就任(2009年)、2021年8月にはパリ・オペラ座の音楽監督にも就任しました。彼は、世界的なスーパースターになったあとも、エル・システマの旗艦オーケストラであるシモン・ボリバル・ユース・オーケストラを率いてきました。

本書(2013年に日本語版発行)を読むと、音楽と人間の可能性を強く感じることができます。しかし、残念なことに、ベネズエラはその後、政情不安と深刻な経済危機に襲われ、累計で600万人が国外に流出、避難しています。エル・システマやそのオーケストラは活動を続けているようですが、現政権を批判したドゥダメル氏は母国に帰ることができないでいるようです。

ベネズエラの現状は懸念されますが、エル・システマの精神と教育プログラムは世界各地に広がって、根を下ろしています。日本でも、東日本大震災で大きな被害を受けた福島県相馬市や岩手県大槌町などでエル・システマ流のオーケストラや合唱団が結成され、10周年を迎えました。

ドゥダメル指揮によるシモン・ボリバル響の演奏は、YouTubeで見ることができます。同楽団の十八番となっているバーンスタイン作曲の「マンボ」(「ウェストサイドストーリー」より)は観客も一体となったステージが実に楽しいですよ。(→YouTube『Gustavo Dudamel & Simon Bolivar Symphony Orchestra – Bernstein: West Side Story: Mambo』
世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ
エル・システマの奇跡
トリシア・タンストール(著)
(東洋経済新報社 2013年)
異端の指揮者・天才ドゥダメルとノーベル平和賞候補革命家アブレウ、“踊る交響楽団”格差社会に奇跡を起こす。 出典:amazon
profile
橋本 信子
大阪経済大学経営学部准教授

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。専門は政治学、ロシア東欧地域研究。2003年から初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発にも従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
BLOG:http://chekosan.exblog.jp/
Facebook:nobuko.hashimoto.566
⇒関西ウーマンインタビュー(アカデミック編)記事はこちら

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