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バックスター ルミ
バイリンガルライフコーチ RumiBaxter

丁寧に生きるという選択 ライフスタイル 2024-04-10
映画「オッペンハイマー」

先日、話題の映画「オッペンハイマー」を観ました。ワールドプレミアが去年の7月でしたので、8ヶ月の時差の末、待望の話題作の日本公開だったのではないでしょうか。私も含め、この映画の上映を心待ちにされていた方も多かったのではないでしょうか。

3時間という長編作品ですが、映画監督クリストファーノーランの最高傑作とも言われているこの作品の中で彼が描きたかったものとは一体何なのでしょうか。この大作の中で何を聴衆に訴えたかったのでしょうか。それは私には、全ての人間の中に潜むエゴとそれに相反する正義感、その二極の駆け引きや、自分のエゴへの正当性を訴える人間の弱さのように感じました。

主人公の天才物理学者オッペンハイマーは同僚達からは忠誠的人物と形容されながらも、それは彼の物理学研究への姿勢にすぎず、その一方で教壇を離れるとウーマナイズな生活を送ります。そのアンビバレントな彼の個性こそがこの映画の主人公、タイトルに相応しいプロットなのだと感じました。

確実な天才性と不安定な個性、そして大国の取った運命的選択の大きさにもかかわらず、そこに関わる一握りの政治家達が世界を変えてしまった恐怖。そして多くの名もない被害者という個人のストーリーが奪い取られた無力感。 しかし、この天才物理学者自身もが被害者だったのではないかと思わずにはいられません。

彼をも含む科学者たちの祖国アメリカへのロイヤルティーが、核開発への原動力となっていたのなら、そしてナチスに決して渡してはいけない核技術という、その時の「正義感」が原動力となって始めた計画だったのなら、それはどこへ行ってしまったのでしょうか。

結局は大量破壊兵器製造計画を「やめる」正義感をどこかでエゴに塗り替え突き進んでしまったのでしょうか。世界を変えるほどの大きな選択も、数々の個人のエゴの選択の絡み合いの結果だと考えるとそれは恐ろしくもおぞましい限りです。

つくるもの(科学の知)、使うもの(政治の権力)とうまくサブジェクトを使い分けて重大な責任から皆が逃げていると感じる場面が多々ありました。「ほとんどゼロ」とは「ゼロでない」ことゆえの恐怖こそが真の恐怖なのではないでしょうか。これは、本能的に感じる心地悪さを、観客が映像経験を通して体験するように作られた映画なのではないかとすら感じました。

足踏みの音がアクセレレートするシーンが高揚感と狂気との間で描かれている場面が幾度か登場します。 それは、自分自身への正義への揺らぎの瞬間、コントロールを失う瞬間、それこそがファシズムと似た「傾倒」の瞬間のようですらありました。

その瞬間、真実の底にある真の危険を地響き(足音)という直感で感じながらも口先では、その狂気をあおる聴衆を喜ばせるために言葉を放っているという罪。そこでは程度の差こそあれ、聴衆は、自分の魂を売るというオッペンハイマーに自分を重ね合わせ、例えようのない重苦しさを感じたのではないでしょうか。決してそれは他人事ではないのだと私自身も感じました。

オッペンハイマーの妻キティーは「あなたは世界から許されない」と言い放ちます。そんな最後の正義の砦を持ったキティーさえ裏切りながらも、しかし、愛情と信頼はまた別物でもあることを実証しているように、キティの正義に彼は救われます。

人間らしさ、人間の弱さ、オッペンハイマーの行動の中に見る、そして観るもの自身が感じる自分自身をも含む人間の弱さ、その大きな対決先の「モラルダイレンマ」を体感するための映画体験の中には、単純な答えなどありません。そして、モラルとは、あるようで、実態がないものだとも感じました。

核抑止力というコンセプトの持つ深い矛盾と矛盾の恐怖を聴衆が感じなければ、クリストファーノーランのメッセージは全く無駄なのではないかと思えるほどに、私たちはこの抑止力という平和神話のもろさの中で生きているのではないでしょうか。

ノーランは、スティングの歌、ロシアンズ(冷戦期の1984年)の歌詞の一部、「Oppenheimer’s deadly toy」(オッペンハイマーの死のおもちゃ)のフレーズからインスピレーションを受けたとも語っていましたが、まさにこの地上最大の大量虐殺装置である核が、トーイでもあるという皮肉すぎる恐ろしさを感じ、非常に重い感覚を感じた映画体験でした。

人間であることとは、救いようのないほどに避けがたい矛盾と正義との対比がそこにある事なのでしょうか。私はこの映画をオッペンハイマーの生き様の光と影に見る、反核兵器メッセージの映画と観ました。果たして、この映画で味わった恐怖が一掃される未来に近づけるのでしょうか。
profile
私たちが「生きる」中で、たくさんの選択をしています。 その選択は、意識したものから無意識に選んでいるもの、とるに足らない小さな選択から人生の岐路に立たされた大きな選択まで、その種類も様々。「丁寧に生きる選択」というライフスタイルは、未来へのキーワードでもあります。
バックスター ルミ
バイリンガルライフコーチ

心理カウンセラーのバックグラウンドをいかし、英会話講師として「コミニケーションレッスン」を展開中。 半生を英国、ヨーロッパのライフスタイルに関わってきたことから、それらの経験をもとに独自のレッスンを提供している。「五感+plus」を使ってコミュニケーション能力を磨くレッスンは、本格的英国サロンで行われている。
RumiBaxter
BROG:http://ameblo.jp/rumi-b/

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