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藤田 由布
産婦人科医 レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ

婦人科医が言いたいこと 医療・ヘルシーライフ 2022-10-06
第39代大統領 ジミー・カーターとの会食

「ユウフジタ!君と一緒に写真を撮らないとね!」

と言って私の手を引いて、笑顔で私の仕事を褒めてくれたジミーカーター元大統領。

私はあなたの元で保健医療の活動ができて、とても光栄です。
ジミーとの出会い

※アフリカで蔓延していたギニアワーム感染症(日本語名はメジナ虫)
私はかつてカーターセンターの職員として、アフリカで蔓延していた寄生虫感染症「ギニアワーム撲滅計画」で、アフリカ奥地の現場で働いていた。

2003年〜2004年にかけては西アフリカのトーゴという国で、国土の北半分の感染村を担当し、現場の指揮をとっていた。

その時に、とんでもないニュースが飛び込んだ。

ジミーカーターが、ギニアワーム撲滅活動の現場視察でトーゴにやってくるというのだ。

アメリカ元大統領がはるばるアフリカ最小の国トーゴまで来るなんて夢にも思わなかった。

ありがたいことに、私もトーゴ人同僚と共に米国大使館へ招かれた。

ジミーカーターの来訪でトーゴの首都はお祭りムードになっていた。

※トーゴのギニアワーム感染症の手当をする若かれし頃の私(2004年)
豪華な在トーゴ米国大使館

※在トーゴ米国大使館
米国大使館という場所は厳重な警備が敷かれていて、大使館の入り口ではパスポートを見せて、手荷物検査の後にセキュリティゲートをくぐり、金属探知機チェックまでされる。

私は手ぶらでパスポートだけポケットに入れて米国大使館へ入った。
大使館という豪華な場所は異国であり、普段トーゴ北部の地方で埃まみれで生活していた私にとっては、場違いのように思えた。

大きなソファーがいくつもある部屋に通され時、目に入ってきたのは、首からカメラをぶら下げた大勢の報道陣、そしてSPと思われる大男の人だかりだ。

その奥から、ツヤツヤとした肌で満面の笑みのジミーカーターが現れ、こっちに向かってくるではないか。

「ユウフジタ!君だね!聞いているよ、よく頑張ってくれているね。」

とジミーの方から握手の手を伸ばしてくれ、一緒に写真を撮ろうと言ってソファーの前まで私の手をひいてくれた。

写真と撮る時、私の腰に手を回してくれたジミーの温もりがとても優しかった。

もう有頂天。

ジミーと交わした会話は、20年経った今ではあまり思い出せない。有頂天すぎた私。

※1980年大統領を退任したのちにカーターセンターを設立
ジミーとの食事会でトーゴ人が放った言葉

※トーゴ人同僚のアメグボ氏は最高におもしろいリーダーだった
トーゴ人の同僚も浮き足立っていて、私以上に彼らにしてみれば米国大使館は異国そのもの。

大使館内で彼らも見たことのない豪華な内装や、美しい家具や食器に見惚れていた。

皆で乾杯し、豪華な大理石の円卓に着席し、一人一人に前菜が運ばれてきた。日本でいう割烹料理にように、小さなお皿に丁寧にサラダが添えられていた。

トーゴ人の庶民料理とは、大きな皿にドカっと米や芋が盛られて、ドバっとソースがぶっかけられた食欲進む大盛り飯が主流だ。

私もトーゴの庶民料理に慣れていたので、オシャレで豪華なお皿に前菜として ‘こぢんまり盛られたサラダ’ をフォークで使ってどうやって食すればいいか、一瞬戸惑った。

私の横に座っていたトーゴ人のアメグボ氏が、小さなお皿に盛られた前菜を前にして放った言葉が忘れられない。

「なんだこれ、鳥のエサか?」
ジミーはプールが大好き

※トーゴ首都ロメは海沿いの都市(海岸は治安が悪かった)
ジミーはロザリン夫人と3番目の息子ジェフを連れてトーゴに来ていた。

トーゴで一番高級ホテルといわれる「Hôtel SARAKAWA」に滞在していた。このホテルには大きなプールがあり、ジミーはトーゴ滞在期間は毎日のようにプールで泳いでいた。プールサイドの木陰でロザリン夫人は読書をしていた。

その時ジミーは78歳。とても元気にすいすい泳ぐジミーに、ロザリン夫人がプールサイドから「ジミー、時間よー」と声をかけている。

※Hôtel SARAKAWA(ホテル・サラカワ)
ジミーは水着の短パン一丁でプールサイドからホテルのロビーをテクテクと歩き、階段をひょいひょいと駆け上がった。

どこにでもいる元気ハツラツなおじいちゃんといった風貌で、ご夫婦揃って親しみやすい人柄が垣間見れた。

息子ジェフも面白い人だった。

私たち若者に対しても気さくに「うちの実家ってすごいんだぜ」の話を聞かせてくれて、少し変わった性格だろうが、少し若く見える陽キャラの50歳男爵だった。
ジミーカーターって、どんな大統領?

※大統領時代のジミーカーター
アメリカ合衆国の第39代大統領(1977年1月~81年1月)を務めたジミー・カーター氏。

アメリカ南部ジョージア州の田舎で、農家の父親と看護師の母から出生したカーター大統領。

ジミーカーターは、ジョージア工科大学という名門校を卒業した理学士であり、列記とした理系男子。1946年に海軍に入隊して大尉まで昇進した。

※若い頃のジミーカーターとロザリン夫人
ジミーは、地方の自治体の役職や教育委員会などにも携わり、ジョージア州の上院議員、それから知事にまで昇りつめた生え抜きの政治家だ。

知事の頃には、人種差別の撤廃を公約とし、教育格差を是正し、いかにも民主党の政策だが、徹底的に政策を実行実現していった政治家だった。
流行語となった「Jimmy, Who??」 (ジミーって誰??)
大統領選挙では、知名度は全く無かったジミーカーター。

この際に流行した言葉は、「Jimmy, Who??」 ジミーって誰??

ニクソン大統領でうまくいかなかなった経済情勢でアメリカ国民はイライラ気味だった頃。汚職や不況も「どないかしてくれ!」という国民感情もあり、刷新が急務となった時代だった。

そこで出てきたジミーカーター。田舎出身で、苦労人で、生え抜きの努力家でクリーンなイメージ。

ジミーはその昔、海軍に所属している最中に父を亡くして退役を余儀なくされた経歴を持つ。

彼は低所得者向けの公営住宅に住み、妻と一緒に公共図書館で一生懸命に勉強し、ピーナッツ栽培の経営に尽力した。

1953年大尉で退役し、ピーナツ畑で経営を学び、1961年にジョージア州上院議員となり、1970年にジョージア州知事にまで上り詰めた。
前代未聞の大統領就任式

※大統領就任式に徒歩でホワイトハウスに向かうジミーとロザリン夫人
1976年、ついにアメリカ合衆国の大統領に就任。

この時の就任式が前代未聞で有名だ。

就任式に議事堂からホワイトハウスまで徒歩で向かったのだ。

今までの大統領はみんな式服を着て、リムジンの中から手を振って派手にホワイトハウス入りするのが定番だったが、なんとジミーは庶民スーツを着て、妻と娘の手をひいて歩いたのだ。

庶民派のジミーのその飾らない出立ちに、アメリカ国民は釘付けになった。
アメリカ不況で不運なジミー

※米国歴代大統領(左からGHブッシュ、オバマ、GWブッシュ、クリントン、カーター)
しかし、ジミーは再選できず大統領2期目を迎えることはなかった。

ジミーカーターが大統領を務めた時期はアメリカは不況の嵐で、第二次オイルショック、イラン革命、ペンシルベニア州のスリーマイル島での原発事故などが続いた。

不況から抜け出せない経済情勢が、ジミーカーター失脚へと後押ししてしまったのだ。

とはいえ、ジミーカーターは外交面では一役も二役もかっていて、仲が悪かったエジプトとイスラエルの妥協点を導いた「キャンプ・デービット合意」は、彼の功績として今も語り継がれている。
史上最強の「元」大統領
ジミーは大統領を退任した翌年に財団「カーターセンター」を設立した。

カーターセンターは、政府ではなく民間の立場をとって人権分野を中心に活動し、紛争防止や平和的解決に力を入れた非政府組織である。

北朝鮮やキューバの他、内戦中の南スーダンを訪問したり、大統領時代よりも一層に平和外交に尽力した。

カストロや金日成とも会談し、外交の手腕を存分に発揮したジミーカーターは、大統領時代よりも退任後に、外交力を存分に世界へ響かせたのだ。

また、カーターセンターは、「人々を病気から解放することは人権を守ることである」という理念も掲げ、外交だけでなく、保健事業やアフリカ貧困問題にも着手した。
ジミーカーターは2002年、ノーベル平和賞を受賞することとなった。

多少皮肉も込められた表現だが「史上最強の大統領」と呼ばれたジミーカーターは、すでに歴代大統領の中では最高齢となり、2022年10月1日で98歳になった。

2015年にがんと診断されたが回復し、2019年には自宅で転倒して重傷を負ったものの、元気に98回目のバースデーを迎えた。
彼が生きている間に、ギニアワーム撲滅達成!
アフリカなどで太古の時代から流行した激痛を伴う感染症「ギニアワーム」が、撲滅へあと一歩に迫っている。

1980年代には年間350万症例以上も報告があったこのギニアワーム感染症に、ジミーカーターは世界で一番初めに着手したのだ。

貧困の象徴ともいえるこの寄生虫感染症の撲滅活動をカーターセンターが主導し、もう40年近くに及ぶ。

1980年に天然痘(small pox)の撲滅達成が認定され、これが史上初の撲滅疾患となった。

そしてギニアワーム感染症が史上2番目の撲滅疾患となる。

世界であと6人しか感染していない今日(2022年10月現在)、偉業達成がもう目前である。
ジミーカーター元大統領が、撲滅達成のチャンピオンとなる日が、私はとても待ち遠しい。

2014年に私が医師免許を取得した際、ジミーから私宛に届いた手書きの手紙は私の宝物だ。

私の亡くなった父もジミーカーターのファンだった。父は若かった頃にアメリカ旅行した際にジミーカーターと握手した経験があるといつも自慢していた。

天国の父にも、私は報告しようと思う。

ジミーは偉大な元大統領で、私も彼の偉業に携わることが出来たのだ、と。

そして、ジミーは気さくで庶民的で、とても温かい偉人だったのだと。
profile
全国で展開する「婦人科漫談セミナー」は100回を超えました。生理痛は我慢しないでほしいこと、更年期障害は保険適応でいろんな安価な治療が存在すること、婦人科がん検診のこと、HPVワクチンのこと、婦人科のカーテンの向こう側のこと、女性の健康にとって大事なこと&役に立つことを中心にお伝えします。
藤田 由布
産婦人科医
レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ 院長

大学でメディア制作を学び、青年海外協力隊でアフリカのニジェールへ赴任。1997年からギニアワームという寄生虫感染症の活動でアフリカ未開の奥地などで約10年間活動。猿を肩に乗せて馬で通勤し、猿とはハウサ語で会話し、一夫多妻制のアフリカの文化で青春時代を過ごした。

飼っていた愛犬が狂犬病にかかり、仲良かったはずの飼っていた猿に最後はガブっと噛まれるフィナーレで日本に帰国し、アメリカ財団やJICA専門家などの仕事を経て、37歳でようやくヨーロッパで医師となり、日本でも医師免許を取得し、ようやく日本定住。日本人で一番ハウサ語を操ることができますが、日本でハウサ語が役に立ったことはまだ一度もない。

女性が安心してかかれる婦人科を常に意識して女性の健康を守りたい、単純に本気で強く思っています。

⇒藤田由布さんのインタビュー記事はこちら
FB:https://www.facebook.com/fujitayu
レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ
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