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藤田 由布 婦人科医 医療法人 大生會 さくま診療所(婦人科)
生理痛は我慢しないでほしいこと、更年期は保険適応でいろんな安価な治療が存在すること、婦人科がん検診のこと、女性にとって大事なこと&役に立つことを中心にお伝えします。
婦人科医が言いたいこと 医療・ヘルシーライフ 2023-01-26
女32歳、ヨーロッパの医学部に入学
その③〜試験用紙の盗難事件で嫌われた日本人〜
私が通ったハガンリーの医学部は、1年次と2年次で本当に多くの学生が留年する。

1年次で350人いた同級生のうち、6年間をストレートで卒業できるのは約100人程度。卒業するのに平均7年半かかると言われていた。

1〜2年次での最大の難関は、生物物理学、解剖学、生理学。

3年次にも難関があり、病理学が最大の山。当たり前だが、病理学は医学の根源。気が遠くなるほど莫大な容量を英語で学習するのである。半分は暗記。半分は理解。

3年次をクリアできれば、自信もつき、コツも掴み、ようやく医学という学問を楽しめる領域に到達できるのだ。

ただ、そこに行き着くまでは、目から血が出るほど真剣な努力と気合が要される。

※キャンパス内に学生寮がある
40カ国からの学生が集まる医学部である。勉強の仕方は皆んな違うし、覚悟のレベルもそれぞれである。

お金持ちの子が留年しても経済的に余裕があるので、年間数百万円の余分に要される資金は別になんてことない。

しかし、私のように自分の貯金全額をはたいて「人生もうあとがない」と相当腹を括って挑む年増の学生にとっては、留年なんて考えられない。

ベトナム人や台湾人は優秀な学生が多い印象だった。韓国人学生も英語が上手で、真面目な学生がたくさんいた。

韓国人は各学年約15名ずついて、全学年で計100名ほどいた。韓国人専用の寮と食堂があり、私たちアジア人は韓国寮の食堂をよく利用させてもらっていた。

アイスランド人とスウェーデン人も賢い学生が多かった。カナダ人やアメリカ人のような英語圏からの学生は語学のハンデがないので、かなり余裕があるように見えた。

※EUから施設改築増設援があり大学内の設備はかなり良い
カナダ人の学生の言っていたことが印象的だった。

ハンガリー人教員よりも自分たちの方が英語が達者なので、「口頭試験の時は、難しい英語表現をわざと使って早口で説明するんだよ、たまに聞き逃してくれるんだよね」と。実にうらやましかった。

個人的な偏見だが、中東からの学生(国名は省略するが)は、カンニングが実に上手かった。しかし、彼らは誰にでもフレンドリーで、惜しげもなく過去問の情報をシェアしてくれる優しい人たちだった。
過去問が手に入らない

※同級生アルバムの1ページ(私は友達が少なかったのでアルバムに殆ど映っていない笑)
イスラエルからの学生が最も多かったが、彼らは彼らだけの結束が強く、大学内でも中心的な役割を担っていた。

1学年につき8グループほどにグループ分けをしていたが、その各グループの代表もほとんどがイスラエル人が担っていたし、学生イベントも彼らが取りまとめ役をしていた。

イスラエル人は英語も流暢で優秀な学生が多かった。1年生から6年生まで各学年でイスラエル人が最も多く、彼らが情報の中枢を担っていたといっても過言ではない。

なので、殆どの教科の過去問の情報を握っているのもイスラエル人だった。

※大学キャンパス内にはカフェテリアがたくさんある
日本の医学部とは違って、皆んなで過去問をシェアして皆んなで合格するという雰囲気ではない。

時には蹴落とし合いの雰囲気もあった。過去問はお金を払ってまでして入手しないといけないこともあった。

同級生で友達が少ない私は、過去問をいかに入手するかは死活問題で、胃が擦り切れる思いだったが、こんな私にも手を差し伸べてくれる同級生がいたのが救いだった。

3年次に進級する時、イスラエルのテルアビブで医学部が新設され、イスラエル人学生10人以上が祖国の医学部へ編入して帰国していった。なぜかホッとしたのを覚えている。
遺伝学の試験用紙の盗難事件

※レクチャーブック(履修科目すべての試験の際はこれを持参して教官からサインをもらう)
遺伝学の試験の時、試験用紙が配られた途端にクラスの大半の学生らが「あーっ!」と声をあげた。

私は何が起こったか分からなかった。

私と台湾人のジェイジェイ以外は、皆んな試験用紙をパンっと叩いて落胆している。

その遺伝学の試験の結果は、台湾人ジェイジェイが1位の成績で、私が2位だった。

実は、試験の前日にある学生が遺伝学の教授の部屋のコピー機から試験用紙を盗んで、それをクラスメートにシェアしていたのだ。

皆んな、試験用紙の解答を暗記して試験に臨んでいたというのだ。

しかし、教授もバカではない。コピー機から試験用紙がなくなっていたことを見つけた教授が「盗まれた」と察知して、当日の試験内容を全て変更していたのだ。

※医学部で一番大きな講堂、Tビルディングの大教室の扉
盗まれた試験用紙のことを知らず、解答のシェアが回ってこなかった私とジェイジェイはひたすら勉強して試験に挑んでいたので、無論、私たちの成績は皆んなより良いはずだ。

成績がクラスで2番だった私は、「あの日本人が先生にチクったんだ」と陰口をたたかれたが、私はそんなことも気付かず、試験用紙が盗まれていたことさえも知らなかった。

後日、私は遺伝学の教授から呼び出され、「学生らが日本人の君が教員に告げ口したと言っているが、君は気にしなくて良い。この建物は各部屋に盗難カメラが付いてるので、誰が侵入して試験用紙を盗んだかすぐ分かったんだよ」と。

※大学の本屋 教科書はここで購入するが殆どの学生は上級生のお下がりを安価でもらう
その遺伝学の先生は日本に留学経験があり、年増で日本人の私のことを多少信頼してくれていたから、事実を話してくれたのだ。

私は先生に「いや、試験用紙が回ってこないほど私は友達が少ないんですよ。陰口言われていることさえも知らなかった」と言って笑った。
「レクチャーポリス」というあだ名の陰口

※コピーショップでは過去問や学生が作ったノートが保管されておりコピーできる
同級生は私の一回り以上の年下の子どもたち。33歳と18歳の違い。

年齢の違いというよりかは、社会経験の違いの差の方が重い。

授業中にうるさくおしゃべりしている学生に「うるさい!喋るなら出てって!もしくは後ろに座って静かにしろ!」と一喝。

案の定「なにさ、あの日本人」と嫌われた。そして「レクチャーポリス(授業警察)」と陰で呼ばれた。

それでも怯まず「なんだよ!」と向かってくる輩には「damn it! You shut up!!」と中指立てる勢いで私も怯まない。
私もたいがいガラの悪い輩である。育ちが決してよくない私は、生粋の河内生まれなので、仕方ない。

同級生から嫌われても心が折れなかったのは、32歳で入学しているから「もう、後がない!」とお尻に火がついていたからだろう。

今までアフリカで頑張ってきたという自負もあって、「若い子たちには負けへんで」という気持ちがあったのだとも思う。

こんなんじゃあ同級生に嫌われて友達ができなくても当然だ。

ただ、おとなしいアジア人の学生がそっと私に近寄ってきて「うるさい学生を追い出してくれてありがとう」と言ってきたりもした。

困った時は、河内のオバハンに任せてくれ。

切り詰めた生活、ガリ勉、「レクチャーポリス」という陰口・・・今となっては笑える思い出だ。
空手教室に通ってストレス発散

※デブレツェンの空手教室(ここは松濤館、私は林派糸東流)
そんな私の孤独なガリ勉生活には、ストレス発散の場が必要だった。

なるべく大学以外で友達を見つけて憩いの場を探そうと必死だった。

ショッピングには興味がなく、外食できるほど経済的に余裕はなく、お金がかからない遊びをしなくてはならない。

私が住んでいたのは、ハンガリーの首都ブダペストから東へ200kmのルーマニアの国境付近の学園都市デブレツェンという人口20万人の小さな街。

観光スポットといえる名所は殆どなく、若者のデートスポットは街で最大のショッピングモール「Tesco(テスコ」」。テスコといえば、イギリスのただのスーパーだ。
アメリカ人の女子学生が「ハンガリー人と付き合って初めてのデートがTescoだったのよ!」と言っていたのが微笑ましい。

そこで、私は幼少の頃に習っていた空手をもう一度やってみようと思い立った。

ハンガリーは日本武道がポピュラーだ。剣道、柔道、空手はどんな街でも小さな武道教室があった。

稽古はストイックだったが、空手着に身を包み、週に2回2時間ほど汗を流すのは爽快で、私にとっては空手教室は憩いの場となった。

※私のアパートの周辺
3年次最大の難関「病理学」では自殺者も出る惨事に・・・次号へ続く
profile
全国で展開する「婦人科漫談セミナー」は100回を超えました。生理痛は我慢しないでほしいこと、更年期障害は保険適応でいろんな安価な治療が存在すること、婦人科がん検診のこと、HPVワクチンのこと、婦人科のカーテンの向こう側のこと、女性の健康にとって大事なこと&役に立つことを中心にお伝えします。
藤田 由布
婦人科医

大学でメディア制作を学び、青年海外協力隊でアフリカのニジェールへ赴任。1997年からギニアワームという寄生虫感染症の活動でアフリカ未開の奥地などで約10年間活動。猿を肩に乗せて馬で通勤し、猿とはハウサ語で会話し、一夫多妻制のアフリカの文化で青春時代を過ごした。

飼っていた愛犬が狂犬病にかかり、仲良かったはずの飼っていた猿に最後はガブっと噛まれるフィナーレで日本に帰国し、アメリカ財団やJICA専門家などの仕事を経て、37歳でようやくヨーロッパで医師となり、日本でも医師免許を取得し、ようやく日本定住。日本人で一番ハウサ語を操ることができますが、日本でハウサ語が役に立ったことはまだ一度もない。

女性が安心してかかれる婦人科を常に意識して女性の健康を守りたい、単純に本気で強く思っています。

⇒藤田由布さんのインタビュー記事はこちら
FB:https://www.facebook.com/fujitayu
医療法人 大生會 さくま診療所(婦人科)
〒542-0083 大阪府大阪市中央区東心斎橋1-14-14 T・Kビル2F
TEL : 06-6241-5814
https://www.sakumaclinic.com/

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