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陽眠る(上田秀人)

追悼

陽眠る
上田秀人(著)
上田さんは大阪の方で、昨年(2024年)11月にサンケイブリーゼで開催された文人劇に出演されていました。

通常、作家と読者とは作品を通じてしか触れ合うことはありませんが、文士劇は舞台で語り演じる作家を拝見できる貴重な機会。

上田さんは役者さんとしては不器用そうな感じでしたが、ご本人を拝見すると俄然、作品にも興味が湧きます。

夫が上田さんのファンで、どの作品も面白いと申していたので、きっとハズレのない作家さんなのだろうなぁ、何を読ませていただこうかしら、などとのんびり構えていたら、3月27日に亡くなられたというニュースを聞き、仰天しました。

ほんの数ヶ月前に舞台に立っておられたあの上田さんが?

しかもまだ65歳という若さで?!

初めて拝読する上田さんのご著書を、追悼の意を込めて読むことになろうとは。

数多いご著書の中から、表紙に惹かれて選んだのが『陽眠る』。

この表紙の絵はどうみても幕末・明治維新の頃の男性だろうと思って読み始めました。


予想通り、幕末の小説でした。

主人公は榎本武揚。戊辰戦争で旧幕府軍を率いて蝦夷地へ渡った幕府海軍指揮官で、蝦夷共和国の総裁となった人物です。

私は新撰組副長 土方歳三のファンで、土方さんが主人公である司馬遼太郎の『燃えよ剣』で榎本武揚を知りました。

土方さんは五稜郭で戦死しますが、榎本武揚は生き残ります。

旧幕府側の人間だからさぞや肩身の狭い思いをしたかと思いきや、明治政府で大臣を歴任するなど、榎本武揚は出世するのです。

土方さんファンの私としては、その点がどうしても許せず、榎本武揚のことはあまり好きではありませんでした。

でも、それには理由があったのだなと、『陽眠る』を読んで理解できました。

榎本武揚は旗本の次男として生まれます。

12歳で昌平坂学問所に入学し、ジョン万次郎の私塾で英語や洋楽を学び、19歳の時には樺太探検に参加、その後長崎海軍伝習所で学びます。

非常に頭が良かったのでしょう。

1962年、26歳になった榎本武揚は5年間オランダに留学して航海術、造船術、国際法を学んで帰国し幕府の海軍副総裁に任命されるのです。

鎖国していた当時の日本からオランダに留学というのは個人の希望で叶うことではありません。

幕府が特待生のような形でオランダに送り出したのです。

この間、榎本武揚は自分の勉強だけしていたわけではなく、幕府がオランダに発注していた軍艦の造船に携わっていました。

黒船来航から数年経って、幕府も軍艦が必要だと感じたのでしょう。

この時オランダで造られた軍艦の名前は海陽丸。

木造船ではあったものの、大砲を26門も搭載しており、当時は日本どころか東洋最強の軍艦でした。

海陽丸に乗って榎本武揚が日本に帰ってきたのは1867年のことでした。

『陽眠る』の始まりは1868年1月の大坂城。

鳥羽・伏見の戦いで敗北した幕府軍は一旦大坂城に退却。

幕臣たちは皆、負けはいっときのものであり、将軍徳川慶喜を中心に、再起を図れると信じていました。

そのために堅牢な大坂城まで一旦退却したのだと。

城の中には榎本武揚もいました。

ところが、一夜明けて幕臣たちは驚愕します。

城内に上様が居られない。上様だけではなく、側近たちもいない。

天保山沖に停泊していた海陽丸が消えている。

上様は家臣たちを置き去りにして、こっそり海陽丸に乗って江戸に戻ってしまっていたのでした。

大将が敵前逃亡するとは。しかも家臣を置いて自分だけ逃げるなんて。

榎本武揚、大坂城内で大号泣です。

置き去りにされた家臣たちは、苦労して江戸に戻ります。

ここで勝海舟登場。

勝海舟の取りなしで江戸城は無血開城となり、江戸の街も戦場にはなりませんでした。

そして徳川慶喜は隠居ということに。

この間、海陽丸は品川沖にいました。

このままだと、この東洋最強の軍艦は新政府軍に徴収されることになります。

それで良いのか?戦わずして敵のものになって良いのか?

榎本武揚たちは、海陽丸や他の船舶を率いて北を目指すことにします。

目的地は蝦夷。

新政府に従うをよしとしない旧幕臣たちと共に蝦夷地に新たな国を作ろうというのです。

新政府に敵対する、というよりは、主を失ってこれからどうやって生きていけば良いのか途方に暮れている幕臣たちの生きる場所を確保したかったのです。

せめて北の大地にひっそりと住まわせてほしいと。

本州とは海で隔てられている蝦夷地なら、海軍さえしっかりしていれば独立を守れるはずだという計算もありました。海陽丸がいるのだから、と。

もちろん、新政府が旧幕臣の独立国家を認めるわけがなく、箱館戦争へとなだれ込んでいくわけですが、私はこれまで新撰組副長 土方歳三の目線でこの辺りの歴史を見ていました。

農民の子どもに生まれた土方歳三が、武士になり、侍が滅びる時代に活躍し、最後は死場所を求めるかのように蝦夷地に渡ったのに比べると、榎本武揚は生きるために蝦夷地に渡ったのです。彼だけではなく、他の人たちを生かすために。

だけど、途中で気がつきます。

自分たちの計画がうまくいくはずがないことに。

読んでいる私はすでに歴史を知っているので、榎本武揚の気持ちや行動がとても哀しく感じられました。

『陽眠る』では、明治になってからの榎本武揚のことはあまり描かれていませんが、榎本武揚が「賊軍」側だったのに重用されたのは当然のことだったと納得できました。

開国後、海外列強と肩を並べられる国になるために、留学経験があり軍艦にも詳しい榎本武揚は貴重な人材だとみなされたのです。

そして実際、海軍の力が日露戦争で生かされるようになったことに触れて『陽眠る』は終わっていました。

幕末の歴史がお好きな方にはとても面白く読める小説だと思いました。

上田秀人さんはハイペースで小説を書き続けてきた作家さんだと、夫が申しております。

もう新しい小説を読めないのはとても残念ですが、どうぞ安らかにお眠りください。
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陽眠る
上田秀人(著)
角川春樹事務所
大政奉還の後、鳥羽伏見の戦いに敗れはしたが、徳川慶喜は薩長への徹底抗戦を主張、幕軍は意気軒昂だった。オランダで建造された軍艦“開陽丸”の艦将・榎本釜次郎武揚も「ここからが海軍の出番」と自負していた。しかしその夜、慶喜は開陽丸で江戸へ逃げてしまう。失望した榎本は、副艦将・澤太郎左衛門、大坂城から持ち出した十八万両とともに開陽丸ごと脱走。蝦夷地を開拓し旧徳川家臣の新天地とすべく、北へと向かうー。無念の開陽丸と男たちの軌跡を描き切る、渾身の歴史小説。 出典:楽天
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池田 千波留
パーソナリティ・ライター

コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。
BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」

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ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HPAmazon

 



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