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横道世之介(吉田修一)

私もあなたに出会いたかった

横道世之介
吉田修一(著)
大学時代、私が所属していた箏曲部に「ナオミ」という名前の女性がいました。(ナオミには漢字があてられていましたが、それは伏せさせてください)

名前じたいはものすごく珍しいわけではありませんが、名前の由来は文学部学生にとって、とても衝撃的なものでした。

小学生くらいの時、自分の名前の由来を保護者に聞く宿題がありませんでしたか?

ナオミさんの学校ではあったそうで、その際、ご両親に聞いたんですって。どうして私にナオミという名前を付けたの?と。

「そしたらさぁ、父が谷崎潤一郎の『痴人の愛』からもらったって言うのよ。当時はまだ谷崎潤一郎の作品を読んだことはなかったのだけど、父が『谷崎潤一郎は日本文学史に残る作家だ』っていうから、そんな素晴らしい人の小説から名前をもらったことが、すごく嬉しかったんだよね。だけど、高校生になって『痴人の愛』を読んで愕然としちゃった。父は私にどんな女性になってほしくてこの名前をつけようと思ったの?って。謎だよねぇ」

たしかに。

私は谷崎潤一郎は天才だと思っております。その上で申しますが、彼はかなりのヘンタイさんです。独特な美意識と世界観、そういうものが作品にぎゅーっと詰め込まれているのです。

『痴人の愛』は、28歳の男性が主人公。彼は「世間を知らない少女を引き取って、さまざまなことを教えて、どこに出しても恥ずかしくない女性に育て上げたうえで妻にしたい」という願望を持っておりました。そして見いだしたのがカフェで働いていた15歳のナオミというわけ。

早い話が『源氏物語』の光源氏きどりなわけですが、ナオミは光源氏が見いだした少女 紫の上とは全然違う女性でした。

出会った当初、たいそう美しいものの若干陰気だったナオミ。ところが引き取って一緒に暮らし男が「教育」をするうちに、ナオミはどんどん奔放になっていきます。

しまいには育てているつもりだった男の方が、ナオミに振り回され、ナオミに支配されていくようになる物語です。

男はナオミに振り回されることを不本意だと思う一方で、美女にかしずく愉悦を感じる部分もあり、それが谷崎ワールド、ヘンタイ全開な作品なわけです。

私の同級生だったナオミさんは自分の名前を自己紹介の「ネタ」にしている節があったからいいようなものの、男性をもてあそぶヒロインの名前を、生まれたばかりの自分の娘に…と考えたお父様の気持ちは私にもわかりません。謎です。

吉田修一さんの『横道世之介』も、私の同級生だったナオミさんのお父様と同じくらい謎な名付けをされた少年が主人公。

世之介と言えば井原西鶴『好色一代男』の主人公の名前です。『好色一代男』の世之介は6歳で男女の愛に目覚め、そこから60歳になるまで恋愛遍歴を続けます。

しかも相手は男女問わず。そして結末もすごい。60歳にして引退するのかと思いきや、女性だけが住んでいる女護が島に移住するという、まだまだ頑張るぞと言わんばかりの破天荒な人生。

なぜそんな奔放な主人公の名前を息子に付けるのか、謎ですわ。

でも世之介自身はこの名前を「昔の小説の主人公で理想の生き方を追い求めた男の名前から」もらったと聞かされていて、特に卑下したり、嫌な名前を付けられたとは思っていません。

横道世之介くんは基本的に、明るい性格なのです。

その場の成り行きで流されることもあるけれど、基本的に人が良く、誰からも好かれ、受け入れられるタイプ。

この小説は、横道世之介が東京の大学に合格し、生まれ故郷の長崎県から出てきた4月から翌年の3月までの1年間を描いています。

世之介の進学した大学名は明記されていませんが、作者吉田修一さんの出身大学法政大学だと思われます。

入学式に、新入生全員の前で大失態をおかしてしまう世之介。

入りたくもないサンバサークルに入部してしまう世之介。

サンバどころか他のダンスの経験もないのに。

自動車免許取得のために自動車教習所に通ったり、アルバイトに励んだり……。

世之介は1980年代の大学生ですから、私とほぼ同年代。

携帯電話やスマートフォンがない時代の待ち合わせあるあるや、デートのバイブルとして雑誌を参考にするなど、あの時代を追体験でき、私も18歳の頃はそんな感じだったなと、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。

同時に、今の生活との違いを感じ「思えば遠くへ来たもんだ」と感慨にふけってしまいましたよ。

世之介の周囲にはいろいろな人が登場します。

つきあっているうちに子どもができてしまって大学を中退してしまうカップル。

自宅にクーラーのない世之介が夏場に入り浸った、クーラー付きマンション住まいの同級生は、同性愛思考の男性でしたし、世之介が一方的にあこがれ好きになる相手はとびきり美人な「高級娼婦」。

極め付けは、お嬢さん育ちの恋人。「~ですわ」「~ですもの」と、言葉遣いもていねいで、浮き世離れしている彼女にめんくらいながらも、恋人として尊重する世之介がかわいい。

『横道世之介』では、世之介の1年間を描く合間に、そんな周囲の人たちの「いま」が描かれます。

大学中退して若くして親になったカップルのいま。
同性愛思考の男性のいま。
片思いだった年上の美女のいま。
かつての恋人のいま……

世之介と知りあってから15年~20年ほどたった彼らの近況です。

そのうちの一人はこう思います。
世之介と出会った人生と出会わなかった人生で何かが変わるだろうかと、ふと思う。たぶん何も変わりはない。ただ青春時代に世之介と出会わなかった人がこの世の中には大勢いるのかと思うと、なぜか自分がとても得をしたような気持ちになってくる。
(吉田修一さん『横道世之介』 P189より引用)
かかわった人から「出会って、とても得をした」と思ってもらえる人、それが世之介。

ではその世之介は「いま」どうしているのかな?

その答えは、意外なものでした。

著者 吉田修一さんは世之介を、ある出来事と結びつけます。それは私の記憶にもある現実社会で起こった出来事です。

ほぼ同じ時代に学生生活を送っていた横道世之介くん。

私もあなたに出会いたかったナ、そんなふうに思える小説でした。
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横道世之介
吉田修一(著)
文藝春秋
大学進学のため長崎から上京した横道世之介18歳。愛すべき押しの弱さと隠された芯の強さで、様々な出会いと笑いを引き寄せる。友の結婚に出産、学園祭のサンバ行進、お嬢様との恋愛、カメラとの出会い…。誰の人生にも温かな光を灯す、青春小説の金字塔。第7回本屋大賞第3位に選ばれた、柴田錬三郎賞受賞作。 出典:楽天
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