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彼女はマリウポリからやってきた(ナターシャ・ヴォーディン)

ウクライナの歴史が色濃く反映する彼女の人生

彼女はマリウポリからやってきた
ナターシャ・ヴォーディン(著)
表紙に浮かぶ端正な顔立ちの女性。ウクライナの港町マリウポリからやってきたという、この美しい女性は、著者ナターシャ・ヴォーディンさんのお母さんです。

ヴォーディンさんは、ロシア文学の翻訳家、作家です。1945年ドイツのバイエルン州で生まれました。父親は、第二次大戦中ドイツに強制労働者として連行されたロシア人で、母親はウクライナ人でした。

ヴォーディンさんが10歳、妹のシーナが4歳になったばかりのある日、この表紙のお母さんは川に身を投げて亡くなります。その後姉妹は、母親やその親類に関する情報にほとんど触れることなく育ちます。やがて作家となった著者は、母の生きた痕跡をたどり始めますが、自分が生まれる前の母の存在の証しはまったく見つけられずにいました。

2013年のある夜、ヴォーディンさんは、ふと思いついて、母の名前をインターネットのロシア語検索エンジンに入力します。ウクライナにはよくある名前なので、成果はほとんど期待していなかったのですが、親類縁者を探す手助けをするサイトのなかに、母親と生年、出生地が同じ人物を見つけました。

そのサイトに、母に関して著者が知る、ほんのわずかな情報を書き込んだところ、コンスタンチンというボランティアから返事がきます。この熱心で有能な協力者を得て、著者はこれまで存在すら知らなかった存命の親類たちを探し当てます。そうして、まったく漠として知れなかった母と親類縁者らの過去が明らかになっていきます。

自分の妄想か夢のなかの存在でしかないと思っていた人たちが、たしかにその時代に生きた親戚たちであったことがわかっていく第一部はまるでミステリーの謎解きのようです。第二部は、いとこが提供してくれた母の姉の手記をもとに彼女(母の姉)の人生を再構成しています。そして、第三部、第四部では、いよいよ著者の母の過去が明らかになっていきます。

著者の親類たちの歴史は、ウクライナの歴史が色濃く反映されていました。裕福なイタリア系ウクライナ人の一家は、ロシア革命によって財産を奪われ、人民の敵として迫害されます。水や食料を確保するのにも困難な日々をなんとか生き延び、やっとまともな生活に戻れるかと思ったら、今度はドイツに侵略されます。著者の両親はドイツに労働力として連行され、食うや食わずの環境で酷使されました。

ようやく戦争が終わって、強制労働させられていたソビエト出身の人々は「解放」されますが、本国のソ連に帰還すれば、占領者ドイツに協力した人物として、強制収容所に送られるか処刑される恐れがありました。またドイツに留まっても、無国籍外国人として収容所に入れられてしまいます。著者の一家はドイツに留まることを選びますが、地元住民からは憎まれ、疎まれ、ひどいいじめにも遭いました。著者の母は、望郷の念を募らせ、日に日に心を病んでいきました。

ドイツによるユダヤ人虐殺やソ連における粛清については、たくさんの研究や著作によって知られるようになりました。しかしドイツで強制労働に従事させられたスラヴ系の人々のたどった運命や実態は取り上げられることが少ないようです。本書はそうした知られていない歴史に目を向けさせてくれます。

なお、表題にもなっているマリウポリは、黒海の北にあるアゾフ海に面するウクライナの港湾都市です。マリウポリは、これまでに何度も激しく破壊されてきました。昨年には、ロシア軍に激烈に攻撃され、廃墟と化してしまいました。マリウポリという街も、本書が描き出す悲劇の主人公と言えるでしょう。

著者の母や親類の人生は辛く悲劇的ではありましたが、彼らの過去を知ることで、著者は自身の存在を確認し、よりどころを得ていったようです。それにしても、幼くして母を亡くし、恵まれたとは到底言えない環境に育った著者が、どのように逆境から脱して作家になっていったのかを知りたいところです。自身の体験に基づく作品を多数出版されているようなので、邦訳が出ることを期待します。
彼女はマリウポリからやってきた
ナターシャ・ヴォーディン(著)
白水社 2023年
ロシアとウクライナの血を引くドイツ語作家が、亡き母の痕跡と自らのルーツを見いだす瞠目の書。 出典:amazon
profile
橋本 信子
大阪経済大学経営学部准教授

同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。専門は政治学、ロシア東欧地域研究。2003年から初年次教育、アカデミック・ライティング、読書指導のプログラム開発にも従事。共著に『アカデミック・ライティングの基礎』(晃洋書房 2017年)。
BLOG:http://chekosan.exblog.jp/
Facebook:nobuko.hashimoto.566
⇒関西ウーマンインタビュー(アカデミック編)記事はこちら

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