たたかう植物 仁義なき生存戦略(稲垣栄洋)
植物、すごいなあ たたかう植物
仁義なき生存戦略 稲垣栄洋(著) 私がパーソナリティを担当している大阪府箕面市のコミュニティFMみのおエフエムの「デイライトタッキー」。その中の「図書館だより」では、箕面市立図書館の司書さんが選んだ本をご紹介しています。
今回ご紹介するのは、農学博士 稲垣栄洋さんの『たたかう植物 仁義なき生存戦略』。 以前、藤本ひとみさんの小説『青い真珠は知っている』を読んだとき、こんな文章が印象に残りました。 「道端のコンクリートの隙間って、厳しい環境だろ。でも周りがコンクリートだから、他の植物の種子が入りこまない。つまり単独で生きられるんだ。
となれば、光を確保するために必死で高く伸びる必要もないから、自分のペースで生きられるんだ。 庭の雑草を抜く人間でも道端までは手を伸ばさないから長く存続できる。同じことが季節的にもいえて、多くの植物が枯れていく冬に成長して春に枯れる花もあるんだ。 これも他の植物と生存競争をせずに、自分らしく生きるためだよ。人間にも、一人で生きて成功する道があるはずだと思う。(後略)」 (藤本ひとみさん 『青い真珠は知っている』P103より引用) 人間から見ると、劣悪な環境で健気に咲いている雑草が、実は他の植物との競争を避けることができて、ラッキーという解釈ができるのかと、驚いたものです。
しかし、それは驚くべき解釈ではなかったことが『たたかう植物 仁義なき生存戦略』を読んでわかりました。 植物は、日光を浴びることで、水と二酸化炭素から炭水化物を作り出すというシステムで成長しています。 つまり、陽に当たらなければエネルギーを生み出せないので、他の植物よりも高く、他の植物よりも枝を広げて生き残ろうとするわけです。 地面の下でも、より深く、より広く根を張り、水や養分を自分のものにしようとしています。つまり陣取り合戦のようなもので、その競争に敗れれば枯れるしかありません。 だったら、他の植物が育ちにくい環境で、一人(?)で生きる方が楽じゃないか、という進化を選んだのがサボテンたち。 また、自力で高く伸びようと思うと、茎や枝を太く育てないといけないので、それでは時間と労力がかかりすぎる、だったらツルで他のものに巻きつきながら楽して上に上に伸びちゃえばいいなじゃないの?と進化していったのがアサガオなどのツル植物たち。 おとなしげに見えて、植物のサバイバルは熾烈です。 植物同士の生き残りをかけた戦いも面白いけれど、病原菌や昆虫、動物たちとの戦いはもっと興味深かったです。 葉をむしゃむしゃ食べられては、光合成ができなくなるので、自分自身に毒を蓄えるようになったウマノスズクサ。 しかし、敵(昆虫)もさるもので、ジャコウアゲハという蝶の幼虫はウマノスズクサの葉を食べて大きくなるのですって。 しかも、食べた葉の中の毒を体内に蓄え、蝶に成長してもその毒はちゃっかり持っている、つまり、植物が生き残りのために作り上げた毒を横取りして、天敵である鳥に食べられないようになっているということ。 お互いにしのぎを削っている感じがします。 一方、敵を撃退するのではなく懐柔してウィンウィンの関係を築くことを選んだ植物も。 ソラマメやサクラなどは葉の付け根に蜜腺を持っていて、アリが好む蜜を分泌しているのです。 アリは蜜欲しさに、他の昆虫を追い払ってくれるので、植物にとっては用心棒を雇っているようなものなのですね。 ハチに蜜を与える代わりに、受粉を手伝わせているのも同じ理屈です。 また、自分では動けない果樹たちは、消化されにくい丈夫なタネを育み、動物や鳥に果実を食べられる代わりに、それらの排泄物に紛れたタネが、どこか別の場所で芽を出すことを狙っています。 どうやら、敵を排除するのではなく、共存するのが植物の選んだ生き残り作戦なのですね。 最初にあげた藤本ひとみさんの小説のセリフではありませんが、逆境は意外にチャンスかもしれないこと、敵を倒すことばかり考えず、共存する方法を考える方が、将来的に自分にも有利かもしれないことなど、植物の生き残り戦略は、人間の生き方にも応用できる気がしました。 ところで、「雑草魂」という言葉があるように、日本人は雑草に共感を覚える人が多いようです。 西洋では絶対にそんなことはないそうで、なぜそうなるのかなどの解説も面白かったです。 先ほどから「面白い」を繰り返していますが、巻末に向かうほど、その面白さの質が変わっていくのもこの本の特徴です。 恐竜の絶滅に植物の進化が関係しているなんて、知りませんでした。 そもそも植物が誕生するまでの地球は二酸化炭素濃度が非常に高かったのに、植物が成長するに従って、二酸化炭素が減り、酸素が増え、様々な生物が誕生していきます。 今の自然環境は全て植物が作り上げたといっても過言ではないのです。 いやー、植物、すごいなあ。 そして難しいはずの話を、こんなにも面白く教えてくださる稲垣栄洋先生はすばらしい!! 最後に、ちょっと長くなりますが、稲垣さんの「あとがき」を一部引用させていただきます。 この自然界は、所詮、植物が作り上げたものなのだ。人類は、植物が勝手に作り上げた地球の環境を本来あった元の姿に戻そうと懸命だ。
化石燃料を燃やしては二酸化炭素を排出し、地球の気温を温暖化しようと懸命に励んでいる。二酸化炭素濃度が高く、温暖な環境はまさに植物が誕生する前の原始の地球の環境そのものである。 さらにはフロンガスを排出し、植物が勝手に作り上げたオゾン層の破壊にも取り組んでいる。人類の取り組みによってオゾン層には、大きな穴が空き始めたという。 植物が生まれる前の地球のように、地球上に有害な紫外線が降り注ぐのは時間の問題だろう。全ての生物は、もともとは地球上にはいなかったのだ。 人類は森林の木々を伐採し、生物の棲みかを奪って、植物との戦いに勝利し続けている。やがて人類はすべての生物を根絶やしにし、すべての植物を絶滅に追いやることだろう。 そうすれば、生命誕生以前の地球環境を取り戻すことだってできるかもしれない。植物が改変した地球環境は、やがて人類の力によって本来の姿に戻るのである。 他の生物との「共存」を選んだ植物が正しいのか、他の生物の生存を許さず絶滅に追い込む人類が正しいのか、答えはやがて出るであろう。 (稲垣栄洋さん『たたかう植物 仁義なき生存戦略』あとがき より引用 P200〜P201) 私は以前から「ガラスの地球を救え」という言葉は真実を直視していないキャッチフレーズだと思っています。
稲垣さんのあとがきにあるように、生物が生きていけない環境になったとしてもおそらく地球はそのまま存在し続けるでしょう。 もしかしたらその時、地球は今のような美しい青色ではなく別の色をしているかもしれませんし、 私たち人間もそこにはいないのかもしれませんが。 たたかう植物
仁義なき生存戦略 稲垣栄洋(著) ちくま新書 じっと動かない植物の世界。しかしそこにあるのは穏やかな癒しなどではない!植物が生きる世界は、「まわりはすべてが敵」という苛酷なバトル・フィールドなのだ。植物同士の戦いや、捕食者との戦いはもちろん、病原菌等とのミクロ・レベルでの攻防戦も含めて、動けないぶん、植物はあらゆる環境要素と戦う必要がある。そして、そこから進んで、様々な生存戦略も発生・発展していく。多くの具体例を引きながら、熾烈な世界で生き抜く技術を、分かりやすく楽しく語る。 出典:楽天 池田 千波留
パーソナリティ・ライター コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。 BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」 ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HP/Amazon
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