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アンジュと頭獅王(吉田修一 )

歌舞伎を見ているかのような

アンジュと頭獅王
吉田修一(著)
耳で聞くのと、目で見るのとでは全然違う印象のタイトル『アンジュと頭獅王』。

子どもの頃に絵本で読んだ『安寿と厨子王』や、森鴎外の『山椒大夫』と同じ話なのかしら?

ヒグチユウコさんの表紙画を見ただけでは、どこの国のお話かもわかりません。
正義を貫く性格が災いし、太宰府に流されてしまった岩城の判官正氏(まさうじ)。

京の帝にお目にかかり、その冤罪を晴らしたいと、正氏の妻と、まだ幼い子ども(姉弟)、そして乳母の4人は旅に出た。

ところが途中で人買いに拐かされてしまう。乳母と母、子どもたちはそれぞれ別の舟に乗せられ、生き別れとなってしまった。

姉の名はアンジュ。弟は頭獅王。二人はあちこちに売り買いされ、最後に行き着いたのは山椒大夫の家だった。そこで、姉は汐汲を、弟は柴刈りを命ぜられる。

慣れない仕事にこき使われながら、姉弟は互いにいたわり合う。どこかへ売り飛ばされたであろう母や、遠い地の父のことを思いながら。

そしてある日、ついに姉は弟にここから逃げるよう諭す。二人で逃げるより一人だけのほうが、逃げのびる確率は高いであろうと……。
(吉田修一さんの『アンジュと頭獅王』の出だしを私なりに紹介しました)
ご紹介したあたりまで読んで、あら、やっぱり『安寿と厨子王』のお話だわ、と思いました。

吉田さんの語り口がまるで浄瑠璃のようで、あらすじを知っているのに、次々と読み進めたくなります。

そして、後半まで来るとどんどん予想外の展開になってきます。

というのも『山椒大夫』では、厨子王が苦労の末に母と再会するまで、20年から30年といったところではないかと思うのに、『アンジュと頭獅王』では100年単位で時が過ぎていきます。

時空を飛び越えて話が進むのです。

ICタグ、フェラーリ、ポルシェ、Google、Apple、トヨタ、ソフトバンク……といった単語と、
「仇を仇にて報ずれば、燃える火に薪を添えるようなもの。逆に仇を慈悲にて報ずれば、これは仏と同格なり。」
(吉田修一さん『アンジュと頭獅王』P108より引用)
といった仏教説話のような言葉が混じり合うのがなんとも不思議。

そしてもう一つ面白かったのは、文字を読んでいるのに、なぜか歌舞伎の舞台を見ているような気持ちになること。

特に、山椒大夫の元から逃げてきた頭獅王を背負った僧が、京・七条朱雀を出て、大津、四日市、岡崎と、全国行脚する部分は長唄『京鹿子 娘道成寺』の”山づくし”を思わせます。

そういえば、著者吉田修一さんは、壮絶な歌舞伎役者魂を描いた『国宝』の著者でもあったのでした。

最初に見たときは「どこの国のお話?」と思ったヒグチユウコさんの絵。読み終わった後で表紙を見返すと、余韻に浸れます。

『アンジュと頭獅王』は、時空や辻褄が合う合わないの理屈無用、壮大なファンタジーでした。
アンジュと頭獅王
吉田修一(著)
小学館
誰もが知っているあの安寿と厨子王の時空を超える大冒険! 出典:楽天
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池田 千波留
パーソナリティ・ライター

コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。
BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」

パーソナリティ千波留の
『読書ダイアリー』

ヒトが好き、まちが好き、生きていることが好き。だからすべてが詰まった本の世界はもっと好き。私の視点で好き勝手なことを書いていますが、ベースにあるのは本を愛する気持ち。 この気持ちが同じく本好きの心に触れて共振しますように。⇒販売HPAmazon

 



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