僕は上手にしゃべれない(椎野直弥)
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![]() 「普通」について、いろいろと考えさせられる 僕は上手にしゃべれない
椎野 直弥(著) 私がパーソナリティを担当している大阪府箕面市のコミュニティFMみのおエフエムの「デイライトタッキー」。その中の「図書館だより」では週に一度、箕面市立図書館の司書さんが選んだ本をご紹介しています。
今回ご紹介するのは、椎野直弥さんの『僕は上手にしゃべれない』。 ”主人公 柏崎悠太は中学一年生。新入生として新しいクラスのみんなと顔合わせをした時、自己紹介の順番が回ってくる前に、体調が悪くなり保健室に行くことになった。
というのは表向きの話。本当は体調は悪くなかった。悠太は吃音に悩んでいるのだ。自分の喋り方がみんなと違うと自覚したのは6歳の時。小学校の学芸会のセリフがうまく言えなかったのだ。 その時のみんなの当惑した雰囲気、観客席のざわめきなどが今も忘れられない。もう二度とあんな思いをしたくないと、極力人前で喋らないようにし、自宅でも自分の部屋に閉じこもりがちの悠太。 一方で、なんとか改善したいとも思っている悠太は、学校でもらった部活の勧誘チラシに心を揺らす。 『部員大募集中です。しゃべることが苦手な人でも大歓迎』 中学校生活の中で、吃音と向き合うようになる悠太は……” (上記は『僕は上手にしゃべれない』を私流に要約したものです) 吃音のことは、知っていましたが、これまで私の周囲にはおられなかったせいか、細かいことは知りませんでした。
例えば、吃音はおおまかにわけると、最初の言葉が出てこない、同じ音を何度も繰り返す、伸ばさないでも良い部分を伸ばして発音する、という三つに分類されるのだそうです。 この物語の主人公 悠太くんの場合は、最初の言葉が出てこない、同じ音を何度も繰り返す、の複合症状のようでした。 原因や治療法について、さまざまな見解があるものの、これといった決定打がないことを悠太くん自身が知っていて、自分の将来を悲観してしまうのが切ない。 自分のことで恐縮ですが、私はかつて赤面症でした。授業で当てられたりすると、顔が真っ赤になるのです。いえいえ、顔だけじゃありません。耳まで真っ赤っかでした。 それを初めて自覚したのは小学2年生の時。参観日に当てられて、真っ赤になった私を、後ろから見ていた父がかなり恥ずかしかったらしく、帰宅してから話しているのを聞いて、ショックを受けたのが記憶にあります。 以来、赤くなっちゃ嫌だ、と思うと余計に赤くなる。自分の意思ではコントロールできないのです。高校二年生の時には「トマトちゃん」と呼ばれていたこともありました。 不思議なことに、日本舞踊のお稽古や発表会で大勢の人に見られるのは平気でした。箏曲部の発表会も大丈夫でした。そんな自分を「引っ込み思案の目立ちたがりなんだな」と分析していたものです。 この小説の悠太くんと比べれば、微笑ましいくらいの症状だけど、このほっぺたをどうにかしたい!ずっとそう思っていました。当時の私にとっては大問題だったのです。おそらく悩みとは、ことの大小に関わらず、当人にとっては一大事なのでしょう。 私の場合、いったいいつ、どういうきっかけで治ったのか、覚えていないくらい自然に治りました。今、しゃべることを仕事にしていて、教室の中で真っ赤かになって立っている自分の姿を、ほろ苦く懐かしく思い出します。 著者 椎野直弥さんはこの小説がデビュー作なのだそう。第四回ポプラ社小説新人賞で最終選考に選ばれた時点でのタイトルは『僕は普通にしゃべれない』。小説の中でも、普通に喋りたい、という表現が随所にあります。「普通」について、いろいろと考えさせられました。 主人公の悠太くんと同年代の人向けに出版された本かもしれませんが、老若男女、どんなかたが読んでも何か感じるのではないかと思う小説でした。 僕は上手にしゃべれない
椎野 直弥(著) ポプラ社 当然、あるとは思っていた。入学式の日には当然これが、自己紹介があるっていうのはわかっていた。言える。言える。言える。言える。-言えない。その帰りに受け取った、部活勧誘の一枚のチラシに、僕は心をとらわれた。中学の入学式の日、自己紹介の場から逃げ出した悠太の葛藤と、出会いそして前進の物語。 出典:楽天 ![]() ![]() 池田 千波留
パーソナリティ・ライター コミュニティエフエムのパーソナリティ、司会、ナレーション、アナウンス、 そしてライターとさまざまな形でいろいろな情報を発信しています。 BROG:「茶々吉24時ー着物と歌劇とわんにゃんとー」 パーソナリティ千波留の『読書ダイアリー』 |
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